史上最強
その日の明るいうちに雨宮刑事は、車中で言っていた部下を紹介してくれた。
「木下友介と言います!以後、よろしくお願いします!」
警察署の七階、特殊捜査二課と書いてあった部屋で、野太い声が響いた。
「木戸恵里奈と申します。こちらこそ…あの…よろしくお願いします…」
僕の頭にも響く気持ちのいい恵里奈の声だからこそ、おかしくは聞こえないが、本当の僕の声だったら、甚頼りない発言になっていたと思う。
壁際に設置された大きなパソコンの他には、四つしか机のない、特殊捜査二課という部署がどんなところなのか僕には解らないが、おそらくは読んで字のごとくなのだろうと思う…。
つまり、一般的な警察の言うところの「普通」とは違う方法で捜査をするための部署なのだろう。
これは、事前に雨宮刑事からきいたことなのだけど、警察というものは起こってしまった事件や事故を捜査したり処理したりするものであって、今回僕にしてくれたように、ボディガード役の人間を個人的に付けることなどは、本来出来ないもの…らしい。
僕も含めて、世間は犯罪防止のために動くのが警察の仕事でもある、という認識をもっているが、その考え方は実際の警察機関の中では通用しないのが常識のようだ。
日本の警察の存在意義は、実際に悪事を行った者を懲らしめ、言い方は悪いかもしれないが、せっかくなら捕まえた犯罪者を人身御供に祭り上げて、事実を世間に知らしめて新たな犯罪を減らす、というのが目的だからだという事だ。
簡単に言えば、悪いことをしたら捕まってこんなふうになるぞ?。
だから悪いことはするな!…という事だ。
その警察官を絵にかいたような、堅物そうな風貌と昔ながらの角刈りが特徴的な、体格の良い人物が木下友介だった。
「木戸恵里奈さん。あなたの事は自分が命を懸けてお守りいたします!どうか!ご安心ください!」
「あ、ありがとうございます」
不動直立の姿勢で言われると、なんだかお姫様に…いや、王子様になった気分だ…。
「木下は優秀な部下です。格闘戦になったら、彼の右に出られる者はそうはいないと思いますよ?僕が直接知っている人間の中では、彼は史上最強の警察官だと思います。大抵の場合は安心していいと思いますよ?それから、木下には恵里奈さんの普段の生活を邪魔しないように言ってありますから、あまり木下の事は気にせずに普段通りの生活を送ってくださいね?」
「わかりました。ご配慮に感謝します」
雨宮刑事は、いかにもやんわりした口調で僕に説明してくれた。
…もしかして、僕は囮役か?…。
これは雨宮刑事に一本取られたかも知れないな…。
しかし事が事だけに、このボディーガードという存在はありがたい。
「あの…私の家族には何か伝えた方がいいのでしょうか?」
「そうですね…残念ながら、今ご家族にお知らせしたとしても、むやみにご心配をかけるだけでしょう…それではご家族の精神的な負担になるだけで、ご家族にも恵里奈さんにも何のメリットもありません。もう少し僕たちだけの秘密にしておいていただけると助かります」
「わかりました」
やっぱりな…。
家族には内緒で、普段通りの生活…。
立派な囮じゃないか…。
それでも背に腹は代えられないのが僕の現状だ。
雨宮刑事の策略に乗せられるのは何となく癪だけれど…。
後は万が一、木下刑事の目の届かない場所で一人になるような事があるとしたら、その時には何とか恵里奈を守れるような方法を僕なりに考えてみよう。
雨宮刑事と木下刑事は携帯電話の番号とメールアドレスを僕に教えてくれた。
僕も恵里奈の番号とアドレスを二人に教える。
大丈夫だよな…恵里奈の携帯番号、勝手に教えちゃったけど…。
でも、この状況で教えない訳にもいかないしな…。
一応間違いがないよう確認のために電話を掛け、空メールを送り合った。
警察署を出たのは、四時半を廻った頃だった。
運転の慣れない赤い車で駐車場を出る。
あ…またワイパーを動かしてしまった…。
日本で乗るのだから、日本車と同じ仕様にならないものなのだろうか?
ルームミラーを確認すると二台後ろ、黒い車のフロントガラスの向こうに角刈りの頭が見える。
よしよし…ちゃんと着いて来ているな…木下君。
警察署に行ったのは三回目だ。
さすがに僕の運転でも道を間違えることもなく、恵里奈の自宅に着くことができた。
車体をこすらないように気を付けながら、ガレージに車を止めて車を降り、歩いて玄関に回ると、そこには見知らぬ男が立っていた。
恵里奈の記憶にはない男だった。
優男風で見るからに軽い感じの兄ちゃんだ。
背はほどほどに高く、百八十センチに届かないくらい。
髪は耳が隠れるくらいで、軽く癖のある感じ。
ニヤけたような目でも、多少は体裁の整った顔立ちをしているようだった。
「あ~あ!恵里奈ちゃ~ん!」
僕を見つけると、そいつはニヤけた顔をさらにふにゃふにゃにして、僕の方に小走りで近づいてきた。
…おいおい!なんなんだ?…このふにゃけ男は…。
見た目からして到底、例の組織(?)の関係者には見えないが、万が一という事があるといけないので、僕は軽く構える。
それを見た男は、僕の五歩ほど手前で立ち止まった。
「あ、あの…恵里奈ちゃん?…ボク、何か悪い事したぁ~?」
ええ!…かなり挙動不審です!。
その調子で僕に抱き着いて来たら、完璧に殴ります!。
「また~そんなに怖い目でみないでよ~♪」
いえ…挙動不審者はどこまで行っても挙動不審者ですから…。
というか、お前…ある意味必要以上にあやしいぞ…。
「まさか忘れちゃった訳じゃないよね~?」
…?…ごめん、ホントに全然知らない…だれ?。
「えぇぇぇっ!?本当に忘れちゃったの~?」
僕は何も言わずにコクコクと縦に首を振る。
というか…その前に、こいつウザすぎる…。
「いやだなぁ~。ハニー…ボクだよ~!。み・ど・が・さ・な・わ・と!…三度笠直和人だよ~!」
……てめぇなんか、知るかぁ~!!!!……。
……あ……。
知ってる……。
上の名前だけは…。
さんどがさって読むんだと思ってたけど…。
「あ!その顔は…ハニー…!思い出してくれたんだねぇ~!!!?」
うわぁ…ほんとにウザい…。
恵里奈の記憶には無かったけど、恵里奈の日記に書いてあった男だ…。
たしか…そうだ!…『嫌い!』って…。
「家に何の用?」
あ…しまった…初対面なのに思わず全く敬語を使わなかった…まずいかな…?。
ま…いいか…恵里奈も『嫌い!』って書いてたし…問題はないだろう?たぶん…見るからに…。
「何を言ってるんだ~い?ハニー!恵里奈がもう三日も仕事を休んでるって「くにたち」で聞いたら、君を心から愛しているボクはぁ~居ても立ってもいられなくなるに決まってるじゃないかぁ~!?」
あぁ…もう…本当にこの男、ウザい…だめだ…無理…すまん、僕に君の相手はどうしても無理だ。
「帰って…疲れてるの…」
「……………」
三度笠はしばし無言になる。
…もしかして、傷付いたのか?
よ、良し!…これで大人しく帰ってくれるかな…。
「まぁたまたまたまた~!照れちゃってるの~?もう…ホンッッ…トに可愛いんだから~!ハニーは!!!」
…照れてねぇっつうの!!。
しかも勝手に復活しやがった…!!
「ほら…そんなに怖い顔しないで…ボクのハニーが疲れてると言うのなら、ボクがちゃんと抱きしめて癒してあげるよ?ほら…こっちにおいで?…ね?ハニ~…」
こういう勘違い野郎って、何を言っても無駄なんだろうな…。
なんか…さっきから引っ切りなしに頭痛がしているし、顔面も勝手にひくひくなってるぞ…。
…このへんが僕の限界だな…このまま続いたら殺意を抱きそうだ…。
「ごめんなさい…今日はちょっと大事な人の葬儀だったから…本当にごめんなさい…」
僕は全く演技ではない疲れた顔で、真剣に言った。
「そっかぁ…ボクはハニーの喜んだ顔が見たかっただけなんだけどね?しかたない…今日は君のキスだけで我慢するよ?」
男はそう言って、目を瞑り、顎を突き出している。
いっそ鉄拳制裁を加えてやろうと思ったが、恵里奈の手がこの男にに触れることを拒否しているような気がして、僕は静かに靴を脱いだ。
靴下のまま爪先立ちで、そおっと音を立てずに玄関まで走る。
カードキーを取り出し、暗証番号を入れて可及的速やかに玄関のドアを開けて滑り込んだ。
「ぴーーーー……がちゃ!」
鍵が掛かったのを確認して、僕はさっき交換したばかりの木下刑事の携帯電話に連絡し、事情を話して、あの史上最強のウザ夫を家の周りから排除してくれるように依頼した。
…すみません木下刑事。
…初めてのボディーガードの役目がこんなことになってしまって…。
その後一分と経たずに、玄関の外から雨宮刑事の知る史上最強の警察官と、僕が知り得る史上最強ウザ夫とが何やらもめているような声が聞こえたが、間もなく閑静な住宅地らしい静けさが戻ってきた。
ありがとうございます…木下刑事。
すごく頼りになる人ですね?あなたは…。
「まあ!お嬢様…お帰りになっていらっしゃいましたのですか?」
「あぁ、宇津見さん。ただいま帰りました…」
「まあまぁ…だいぶお疲れのご様子ですね?…」
…疲れたのは、家に帰ってきてからだけどね…。
「ええ…今日はいろいろとありまして…」
「あの、もしお疲れでしたらお風呂のご用意をいたしましょうか?」
「あ…助かります。お願いしてもいいですか?」
「もちろんでございます。早速準備をいたしますね?」
百点満点をつけてあげたいです…。
さすがは恵里奈の父上。
素晴らしいメイドさん…違った、家政婦さんです。
僕は、本当に疲れを感じて、恵里奈の部屋に戻り、荷物を整理してからベッドに倒れ込むようにして、そして、そのまま眠ってしまった。




