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掌編集

不死身の境遇

作者: 和田喬助

 日が沈んでいくと共に、オレンジ色の光が闇に飲み込まれていく。昼間はやけどしそうなほどの暑さだったのにも関わらず、今はだいぶ涼しくなっている。数え切れないほどのカラスがあちらこちらから集まってきて騒ぎたて始めた。大きなコウモリが、木々の間を縫うように飛び回っている。そんな深い森の中に、一人の魔法使いがお城のような大きさの屋敷に住んでいた。

「やっと着いたか……」

 白いTシャツと赤い短パン姿の、二メートル近い背の大男は、その玄関の前に立ち止まると額ににじんだ汗を、太くて毛むくじゃらな腕で拭った。

「おい! 誰かいるか?」

 男は、ドアを壊れそうな勢いで三回叩いた。ミシッと音がして、木くずが落ちる。

「はいはい、入っておいで」

 おばあさんのしわがれた声がし、内側にドアが開いた。男は鼻をひくつかせ、大きなくしゃみを一つする。

 玄関ホールはとても広く、奥には幅がとても広い階段が見えた。天井からはシャンデリアがぶら下っていて、左右に伸びる薄暗い廊下には、等間隔でロウソクが付けられているようだ。そしてほこりがひどくたくさん積もっている。光に照らされている床を見れば、真っ赤なじゅうたんが灰色っぽく変色しているのが分かる。男が派手なくしゃみをしたのはそのためだった。

「どっちに行けばいいんだ?」

 男が舌打ちをすると二階から、手のひらサイズの小さいコウモリが飛んできた。コウモリは男の頭上を一周すると、階段のほうに再び飛んでいく。

「お前について行けばいいのか?」

 男は見失わないように、走ってコウモリの後をついて行く。二階もほこりがたまっていた。

 男は、荒野を疾走する車のようにほこりを巻き上げながら、三階へと続く階段を上がる。

 四階への階段を上りきった時、男はコウモリを見失ってしまった。しかし心配はいらないようだ。廊下の突き当たりに、ひと際大きなドアの部屋があるのが見える。

 男はそのドアの前まで歩いて行き、ドンドンとドアを叩いた。ギギイッと悲鳴のような音をたて、内側に開く。

 部屋はとても広く、壁にはびっしりと本が並べられている。床には赤いじゅうたんが敷かれていて、天井からは玄関にあったのと同じくらいの大きさのシャンデリアが吊らされている。部屋の真ん中はサルやゴリラなどの標本が寝かせてあり、中には人間の男女の姿もあった。全裸で手を胸で組み、眠っているように目を閉じている。男は、思わず顔をしかめた。

 標本があるガラスケースを回りこむと、書斎机が大きなガラス窓の近くにあり、その前に黒いマントを身にまとった背の低いおばあさんが立っていた。男は、ニカニカ笑っているおばあさんに近づいて言った。

「お前が……いやあなたが魔法使いか?」

「そうじゃよ。それにしても、ここに客とは何十年ぶりじゃろうか。あたしゃ正直うれしくて飛び上がりそうじゃよ。それであんたはなぜここに来たんだい?」

 おばあさんが妙に興奮しているのを見て、男は不審に思いながら咳払いを一つする。

「オレはプロレスラーなのだが、次の試合の相手はめちゃくちゃ強敵で死闘になりそうなんだ。以前に魔法を研究している友人から、不老不死の力を与える事のできる人がいる、という話を聞いたもので、地図とコンパスを頼りにやってきたというわけだ。ぜひオレを絶対死なない体にしてくれ」

 おばあさんはイスに座ると、ほおづえをついた。表情はさっきと変わらずニヤニヤしたままだ。

「あたしゃ、不老不死を両方いっぺんに与えることはできないんだ。でもあんたが不死を望んでいるなら、魔法をかけてあげてもよい。本当はお金を取るのだけれど、久しぶりの客に免じて許してやるよ」

 そう言うとおばあさんは立ち上がり、男に接近した。右手にじょうろを持っている。

「もしかして、悪魔を呼びだすのか?」

 男がおそるおそる尋ねる。おばあさんはふん、と鼻を鳴らした。

「まだ若い者は悪魔の力を借りないとできないだろうが、あたしは自分でできるのさ。……あんた少ししゃがみな」

 男は言われたとおりにする。すると、おばあさんがじょうろを傾け、灰色の液体を男の頭からかけた。どぶ臭くて、男が頑強でなければ吐いてしまっているだろう。

 じょうろに入っている液体を空にすると、おばあさんは机に乗っている本を持って開き、ムニャムニャと呪文を唱え始めた。それはまるで小説を朗読している時のように抑揚があり、金切り声を上げるときもあった。男は黙って目を閉じる。

 十分くらいたった後、おばあさんは本を閉じてふう、と息を吐いた。どうやら魔法をかけ終わったらしい。

「オ、オレはもう死なない体になったのか?」

 男はそっと目を開けて立ち上がり、自分の体を触って確認する。見た目は全く変わっていない。

「信じていないなら、試してみるかい?」

 おばあさんは、机の引き出しからナイフを取り出した。

「かなり痛いけど我慢しな」

 おばあさんはギリッと歯を食いしばると、男の胸めがけて腕を突き出した。ナイフが男の皮膚と胸筋を一瞬で貫き、いつもより鼓動の速い心臓を串刺しにする。

「グワッ」

 業火で燃やされたような痛みが、男の左胸を襲った。男は両手で胸を押さえながら、仰向けに倒れこんだ。口をパクパク開け、泡を吹いている。

 おばあさんが動かなくなった男に手を伸ばし、胸からナイフを抜き取った。とたんに大量の血が、噴水のようにドバッドバッとあふれ出す。男の周りに血の海が出来上がった。赤いじゅうたんが赤黒く染まってゆく。

 三分後男は意識を取り戻し、何事もなかったかのように立ち上がった。胸の傷がほとんど見えなくなっている。

「す、すごい……。オレ、確かに死んだと思ったのに」

「お前さんは不死になったんじゃ。魔法で倒されない限り、不死身じゃよ」

 おばあさんは、血を拭ったナイフを机に置いてヒャッヒャッヒャッと笑った。

「ありがとう。すばらしいものを手に入れた。感謝をいくらしても足りないくらいだ」

 男は両手でおばあさんの手を握った。恐ろしくひんやりとしている。

 帰ろうとする男を、おばあさんが引きとめた。

「今あった事は秘密にするのじゃ。人々がここへ殺到すると、静かに過ごせなくなる。まあ、もしそうなっても魔法の炎で焼き尽くしてしまえばよいがな」

 おばあさんは、ニヤッと悪魔のような笑みを浮かべる。

「分かった。オレもこんな事をしていたとは知られたくないから、絶対に言わない」

 男は部屋を出て階段を下り、玄関のドアを開けた。真っ暗な森を、すべてを浄化してくれるような月の光が照らしている。まるで男が道に迷わないようにしているようだ。これもおばあさんの魔法なのだろうか。


 ある日、おばあさんが三時の休憩をとっていた時に、探検服姿の青年が屋敷に入ってきた。

 おばあさんは机に置いてあるステッキを持ち、一回軽く振った。すると書斎のドアが開けられ、五分後に青年がオドオドしながら足を踏み入れた。

「あ、あなたが私の先祖に魔法をかけた者ですか?」

 彼は、ゴキブリを踏んでしまったような顔をしながら訊いた。

「百年ぶりじゃよ、前回の客がここへ来てからは。わたしゃ、あんたを歓迎するよ。ところで、わたしの魔法にかけられた人っていうのは誰だい?」

 おばあさんはクックックと笑う。

「私は、ここへ不死の力を求めてやって来たプロレスラーの子孫です。今日はあなたにお願いをしに来ました。ぜひ我が先祖の魔法を解いてください」

「へえ、それはどういうことかね?」

 おばあさんは、コントロールを失って空飛ぶホウキから落っこちるくらい驚いた。

「確かにあなたの魔法で、彼は不死になりました。でも体はどんどん老いていきました。彼は百三十一歳になり、自分で動くことなど到底できません。食事も固形物は食べられません。目も見えなくなり、話すこともできません。しかし彼はいくら病気をしても、体が衰えるだけで全く死なないのです。今は植物状態と同じような治療をしています。かかる費用も相当なものです。私たちは多くの借金をしてお金を払ってきました。もし放っておいたら、病気のお年寄りを見殺しにしようとしているとして逮捕されかねませんから」

 ここで、彼はへたへたと座り込み、おでこを床につけた。

「これ以上地獄のような生活を続けるのはいやです。どうか、あなたの力で魔法を解いてください!」

 彼は、はあはあと息を弾ませる。おばあさんが腕組をした。額にいつもより一本多くしわをつくる。

「そうか、そうなるとは気がつかなかったなあ。なにしろ、人間に不死の魔法をかけたのは初めてじゃったからな。さぞやつらかったろう。彼はもう十分生きたはずじゃ。これを飲ませるとよい」

 おばあさんはそう言って、机の引き出しから小さいカプセルを取り出した。血のように赤黒い色をしている。

「これは、あらゆる魔法を解くことのできる薬じゃ。あたしが長い研究の末、完成させた。数少ないが、あたしの失態への責任じゃ。お前さんにやるよ」

「ありがとうございます! これで助かります」

 彼の目から、大粒の涙があふれ出す。袖で涙を拭った後、彼は座ったままおばあさんを見ながら言った。

「実は、あなたにもう一つお願いがあってきたのです。私に、こっそり不老の魔法をかけてくれませんか? これなら家族に迷惑はかけないでしょう?」

 おばあさんは、彼をすぐに追い出した。人より歳をとらないつらさは、彼女が一番分かっている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 前半の屋敷の内装が描かれている文章で 中がどうなっているのか想像するのがわくわくしました。 そういった不気味な屋敷好きです。 [一言] ランキングの方も投票させていただきました!
[一言] 同じ穴のなんとやら…不死身になったのは良いとしても老け続けるのは嫌ですねー。自分が魔法使いに言うとしたら、200歳まで脳や体の老化スピードを100倍遅くしてほしい。と言いますね。 て言うより…
[良い点] 文章が非常にうまいですね!見習いたいものです [一言] これってもしかして、おばあさんのところに訪れて来た人間全員血の繋がった家系の人なんでしょうか?だとしたら、不死身になったり取り消した…
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