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バイバイまたね

掲載日:2011/10/07

 土曜日の夜、あのどうしようもなく派手で怠惰で生々しい空気が好きなのだけれど、大体それを感じる前に泥酔していたりして、上手に堪能できないまま終わる。日曜日は嫌いだ、次に待ち構える憂鬱な月曜日に怯え、過ぎてしまった素晴らしい土曜日に想いを馳せ、なんだかこう、やるせない。

「タバコもらっても良い?」

「いいけど、それ結構マズ……」

 問いかけに気軽に答えてから我に返った。今のは誰だ。

 飲みかけのワインがテーブルに残されている。チューハイとビールの缶、杏露酒の空き瓶。昨晩は節操もなく飲んだのだと思われる、記憶を辿れば完全に飛ばしてしまった訳ではないのできちんと出てきそうだったのだけれど、面倒だったのでやめた。黒く短い髪の女は迷彩柄のロングキャミソールみたいなものを着ていて、それは下着なのかそれともそれだけで出歩ける服なのかがどうしても分からない。

「なんで、」

 お前がいるんだ、と聞く前に女が鼻を鳴らした。火のつけられたタバコはゆっくりと赤い唇に吸い込まれて、灰紫の煙を立ち昇らせた。

「本当にマズイわ、昨日のあんたが言ってた通りね」

 白いパッケージにきらきら光る灰色、メンソールのけれどもスリムではないいつもは買わないたばこ、間違えて自販機のボタンを押した覚えがある。

「二日酔い? まさかね、そんなに弱いはずがないでしょう、頭が痛いとか言ったら馬鹿みたいに笑うけど良い?」

 答えなくても女には関係がないようで、昨日酒と買ってきたらしいどこぞの情報誌をばらばらとつまらなそうにめくっていた。どうして占いのページってラストの方に載っているのかしらね、と感情少ない声で言う。どうでもいいようなのに、わざわざ声に出して運勢を読み上げたりして、こちらもだからどうでもいいような今週の占いなんかを耳に流し込まれる。

「『昔の恋が目を覚ますかもしれません』」

「それは楽しみだな」

「昔の恋なんて星の数ほどあって、もうほとんどが記憶の彼方なんじゃないのかしらね」

「一度終わった恋なんて信じない、終わらないといけなかった関係に未来があってたまるか」

「なんでよ」

「じゃああの終わった時の悲しみも切なさも苦しさも全部チャラにしろって事か? そんな都合の良い事はある訳がない、未来があるなら終わるはずもなかったさ」

 まさか昔好きだった女にこんな事を言わなくてはならない日が来るとは思わなかったので少し笑ってしまった。相手はもちろんこちらが理解できないようなので不思議そうな顔をしている。

「どうして笑うの?」

「そういう気分だったからさ、気にするな」

 土曜日の夜が好きだ。あのどうしようもなく派手で怠惰で生々しい空気。何人かの知り合いと飲んだ記憶がある。この女も一緒に居た、帰りにそうだ、雨が降り出して、傘を持たなかった女を送っていこうと言ったらこいつがまた強情で、ひとりで歩くと言い張ったのでそれでは飲み直しをするからと無理やり連れて帰ったのだった。

 昔好きだった女。付き合っていたのかいなかったのか、本人達にも分からなかった、仲は良かった、けれども上手くいかなかった、お互いが手に入れ過ぎてしまったら嫉妬だの愛だの嘘だの、見栄だのどうしようもない感情で壊れる事が分かっていたから結局。手放してしまったような、記憶が。

「……昔の恋なんて信じられないさ」

 恋では続かない、けれどもそれに近い関係なら永遠を思わせるほどしっくりくる間柄があるのだ、女とはそういう事なのだ、それなのにどうして。くだらない雑誌の、信じて良いものかどうかも疑わしい占いなんかが気になりはじめている。

「信じる前に諦めていそうな口調」

 タバコを灰皿代わりの空缶で消して、女が呟いた。

「占い信じる年でもないだろう」

「……可能性は信じたいのよ」

「可能性」

「帰るわ」

「なに、」

 ジャケットを羽織って、女が言った。バイバイ、またね。

その「またね」に過剰な反応をしたのか、心臓がひとつ、大きく鳴った気がした。また飲もうという事か、また会おうという事か、それとも。

「どういう、」

 意味だ、と聞くのが恥かしくて、なぜならそれは自分が女に対して未だに恋心を抱き続けているという事を証明しているようなもので。

 ためらっているうちに女は手を振って玄関を出て行ってしまった。まだ日曜の早い時間。こんな時間の中に取り残されて、さてどうしよう。

「昔の恋、ね」

 そんな甘ったるいチョコレートみたいな、曖昧で胸を痛めるような話。

「目を覚ます、か」

 この世の中に一体どれぐらい同じ星座の人間がいると思うのだ、そいつらすべてが昔の恋を復活させたとしたら大騒ぎになるだろう、だからそんな事は、そんな占いなんて。

 女が出ていった玄関に目を向ける、どれぐらい見詰めていたらひょっこり帰ってきたりするだろう。気分を害したから帰ってしまった事は明白で、それは自分の物言いが不味かったからな訳であって。

 女が残したタバコの煙が、部屋にまだ漂っている。

「『またね』って、」

 そんな事言わないで欲しい、占いも気になるけどその言葉ももっと気になってしまうから。

 バイバイ、またね。

 またね、って。

 胸に手を当てる、鼓動はきちんと鳴り響いている。まだ、好き?

 あまり得意ではない日曜日の中に取り残されて、考え込んでみる。

 まだ、好き、だろうか。

 飲み残しのワインを無意識に口にした。生温い口当たりに、ぼんやりと女を想う。ぼんやりと。あの言葉の持つ意味と、そして可能性と。心の中でまだ想ってしまう人は、本当は誰なのかを。

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