婚約破棄? 結構ですわ。マイナスよりゼロのほうがプラスですもの
「くそっ、これで負けが金貨50枚だ!」
エリックがテーブルを叩いた。
「エリック様、もうおやめになられては?」
ルクレティアの心配する声も、彼の耳には届かないようだ。
「ここでやめられるか!」
──貴族の集まるサロンでは、ゲームと称してギャンブルがよく行われる。貴族たちは交流目的でのゲームをたしなみとしていた。
しかし、中にはゲームにのめり込む者もいる。
ルクレティアの婚約者、エリック・ヴァン・クラプト伯爵令息もその1人だった。今日のエリックの負けは金貨で50枚にもなっていた。庶民なら1年は暮らせる額だ。
「くそっ! なんとか流れを変えないと。……そうだ、ルクレティア。お前、やってみろ」
「え? 私、どのゲームもやったことありませんわ」
「そもそも、ゲームは貴族のたしなみなんだ。簡単なやつを少しくらいやってみろよ」
ルクレティアは気が進まなかったが、エリックの機嫌をこれ以上損ねないように、おずおずと人気のないテーブルについた。
ゲームは単純で、配られた5枚のトランプカードから好きなものを選び、ディーラーより数字が大きければ勝ちだ。
同じ数字なら、スペード、ハート、ダイヤ、クラブの順に強い。
「じゃあ、これで……」
ルクレティアはそっと金貨1枚を出し、ディーラーが配ったカードから1枚選ぶ。結果はルクレティアの勝ちだった。
「お、やったな。もっと続けてみろよ」
エリックが横で口出しする。
「でも……」
「いいから、やれよ!」
ルクレティアは2枚に増えた金貨をそのまま賭けると、また勝った。その次も、と次々に勝つ。
「……す、すげえ。6連勝だ!」
エリックがうなる。ルクレティアの金貨は64枚に増えていた。その頃になると、周りの貴族たちもテーブルに集まってきていた。
「けっこうおもしろいですわね、このゲーム」
ルクレティアがわずかに微笑んだ。
「お嬢さん、もっと続けられては?」
「そうだ、今度はあなたが勝つ方に賭けよう」
貴族たちが口々にルクレティアを促す。このゲームは、周りで見ている者も誰が勝つかに賭けることができるのだ。
「じゃあ、もう少しだけ続けますわ」
ルクレティアがベットすると、貴族たちも続々と彼女に賭ける。
「……あ。お、俺もルクレティアに賭けるぞ!」
エリックが思い出したように声を上げ、金貨をテーブルに叩きつけた。
──結果、またルクレティアの勝ちだった。貴族たちから歓声が上がった。
その次も、次もルクレティアは勝ち、気づけば10連勝だった。勝ち馬に乗った貴族たちは、異様な熱気に包まれた。ルクレティアの金貨は1000枚にもなっていた。
「お、おい、これで負けを取り戻せたぞ、ルクレティア!」
エリックは飛び上がらんばかりに喜んでいる。
「よろしゅうございましたね、エリック様」
「勝った気分だぞ。なんせマイナスからゼロにまで取り戻したからな」
「え? ゲームを始める前に戻っただけでしょう?」
「わかってないな。マイナスよりゼロのほうがいいに決まっているだろうが」
エリックは早口でまくし立てる。
「マイナスからゼロになるのは、プラスってことなんだよ! わかりきったことだろうが」
「ま、まあ、確かにそうですわね……」
「そんなことより、早く次のゲームをしろよ」
エリックの理屈に半ば呆れつつ、ルクレティアは他の貴族たちに確認した。
「はい。それではみなさん、よろしゅうございますか?」
貴族たちが次々にルクレティアに賭ける。
「次も頼みますよ、お嬢さん」
「そうです。あなたは勝利の女神だ」
「女神の導く船に、みんなで乗りましょうぞ」
貴族たちがルクレティアをほめそやす。
「さあ、エリック様も、どうぞ」
「よーし、じゃあ俺はその船から降りるとしよう。俺はディーラーが勝つほうに金貨を50枚賭けるぞ」
貴族たちがざわついた。
「エリックどの、ルクレティア嬢の勝つ方に賭けないのですか?」
「ふん、もう10連勝だぞ? いい加減にこいつの運も尽きるころだ。俺は負ける方に賭ける」
「エリックどの、それは賢明とは言えませんな」
「そうだ、それがギャンブルってもんなんだ。俺は長年の経験で知ってるのさ」
貴族たちは顔を見合わせる。ルクレティアは戸惑い、まだカードを選ばずにいた。
「なにしている、ルクレティア。さっさとカードを選べ!」
喚くエリックに、ルクレティアは不安げな視線を向けた。
「……エリック様、今ならまだ賭けを変えられますわ」
「なに言ってる、俺は自分の勘を信じるぞ。さあ、さっさとカードをめくれ!」
ためらいながらも、ルクレティアはカードをゆっくりとめくった。
カードは【スペードの2】だった。2は一番弱い数字だ。
「ほら見ろ! ほら見ろ! 俺の勝ちだ!」
エリックは大声ではしゃぐ。貴族たちもいっせいにため息をついた。
だが、ディーラーがカードをめくると、どよめきが上がった。
ディーラーのカードは【クラブの2】だったのだ。11回目のゲームもルクレティアの勝ちだ。
一瞬の静寂の後、大歓声が上がった。
ルクレティアと貴族たちに金貨が払われ、逆にエリックの賭けた金貨は没収された。
「うふふ。じゃあ、これくらいでやめますわ」
ルクレティアが微笑むと、貴族たちが取り囲んだ。
「ありがとう、ルクレティア嬢。あなたのおかげで勝てた」
「ほんとうに強いお方だ」
「またお願いしますよ」
次々に声をかける貴族たち。ルクレティアもつい笑みがこぼれた。
気づくと、エリックが青い顔をして突っ立っていた。
「ルクレティア……何がおかしいんだ? 俺が負けたのがそんなにおかしいか?」
エリックの低いがはっきりした声に、ルクレティアの顔から笑みが消え、周りの貴族も静まり返った。
「……エリック様?」
「お前、わざとだろう?」
「え?」
「わざと俺が負けるように仕向けたんだろう?」
「そんな……エリック様、私はご忠告したはずですわ。賭けを変えたほうがいいと……」
「黙れ黙れ黙れ! 俺のほうがな、ずっとゲームの経験が豊富なんだ。お前のはビギナーズラックってやつだ!」
「それはそうですが……」
「ルクレティア、お前、よくも大勢の前で恥をかかせてくれたな!」
「そ、そんな……私はただ……」
「このままではすまさんぞ! そうだ、破棄だ。お前との婚約は破棄だ!」
会場は静まり返った。貴族たちの視線が集まるが、誰も口を利かない。
「男爵令嬢ふぜいが! お前にも大損をさせてやらんと、俺の気がすまん!」
エリックはテーブルをバンバンと叩きながらまくし立てる。だんだん同じ事の繰り返しになってきた。
その様子を、ルクレティアは静かに見つめていた。
「けっこうですわ。エリック様」
「……あ?」
「婚約破棄ですね。承知いたしました」
「ふん、強がりを言いやがって。後悔しやがれ!」
「いえ、後悔はいたしません」
「なんだと!?」
「……だって、マイナスよりゼロのほうがプラスなのでしょう? 婚約破棄はむしろプラスですわ」
「な、な……なんだ……と……!」
それだけ言うと、ルクレティアは踵を返して会場を後にした。エリックがまだ何か喚いているが、もはやルクレティアの耳には届かなかった。
◇ ◇ ◇
──サロンからテラスへ出たルクレティアは、夜空を見上げてため息をついた。安堵のため息だった。
「あの、すみません」
誰かの声に振り向くと、2人の令息が立っている。
「さきほどは、ありがとうございました」
「そうです。あなたのおかげで勝つことが出来ました」
「あ……いえ、あれはまぐれですよ」
「私はビクター。ビクター・フランクストン侯爵令息です。こっちは友人のジャックです」
「どうも。ルクレティア嬢、あなたのおかげで助かりました」
「いえ、お気になさらないでください」
「あの……さっきのことですが」
さっきのエリックの大声は会場じゅうに聞こえていた。とうぜん、ビクターとジャックも話を聞いていた。
「エリックどのはこのごろゲームにのめり込んでいたようですね。あれでは身を持ち崩すのでは、と噂されていました」
「ジャック、お前、人のことを言えないぞ」
ビクターがジャックを肘でつついた。
「それを言うなって」
ジャックがおどけると、ルクレティアがわずかに微笑んだ。
ルクレティアの笑みを見てから、ビクターが口を開いた。
「だから、その、あまり気にしないほうが……。とはいえ、気にしなくなくてもいいんだけど……」
「ビクター、お前、何言ってんだよ」
今度はジャックがビクターを小突いた。
「と、とにかく、お礼に送らせてください。我々の馬車があるんで。それで」
「……え。でも……」
「ご安心ください。侯爵令息の名誉にかけて、無事にご自宅までお届けしましょう」
「ビクター、お前、言う事が大げさなんだよ」
「いちいちうるさいんだよ、ジャック、お前は」
ビクターがおどけた声を出すと、ジャックが笑い、ルクレティアも笑った。
「それじゃあ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「お任せを!」
ビクターが胸を叩く。ふと、ジャックが何かを思い出したような顔をした。
「あ、ビクター。オレ、ちょっとトイレに行ってくるわ」
「な、なんだよ、急に」
「今日は腹ぐあいが悪くてな。たぶん時間かかるから、オレは辻馬車で帰る。お前は先に行っててくれ」
「お、お前。なんだよ急に。さっきの話と違うぞ……」
そう言いかけたビクターの背中を、ジャックはバン! と叩いて黙らせ、サロンへと入って行った。
◇ ◇ ◇
「ビクター様も、ゲームをたしなまれるのですか?」
ルクレティアはビクターの馬車に揺られながらたずねた。
「うん。社交のためには少しはね。でもね、私は1日に金貨10枚までしかやらないんだ」
「まあ、10枚だけですか?」
「そうさ。ああいうゲームは引き際が大事だし、のめり込むもんじゃないからね」
「さっきはどうでしたの?」
「実を言うと、私は見ていただけなんだ。ジャックのやつが負けててね。それで、あなたに勝たせてもらったんでお礼を言おうと言い出したんだ」
「そうでしたの……」
「あいつは良いやつなんだが、賭けになると熱くなるくせがあってね」
ビクターの馬車が夜道を進む。馬車灯が縁石をほのかに浮かび上がらせた。
「それにしても、ルクレティア嬢。あなたはゲームが強いんだね」
「どうぞ、ルクレティアとお呼びください。いえ、ゲームをしたのは初めてなんですわ」
「初めて? それなのに、なぜあれほど勝てたんだい!?」
「見えたんですよ」
「見えてた?」
「私、昔から目が良いんですの。動いているものがよく見えるんです。でも、だからって役には立たなかったんですけど」
「それで、何が見えたと?」
「ディーラーが切ったカード。それがどの位置にあるか見えるんですわ」
「な、なんと!? それなら全勝なのでは?」
思わずビクターは座席から腰を浮かせかけた。
「いいえ、配られたカード次第では負けてしまいますわ。そういう時は少しだけ賭けるんです」
「な、なるほど。それにしても、ルクレティア、今日のことでもうゲームはこりごりかな?」
「いいえ、そんなことはありませんわ」
「……やっぱり。君は肝がすわっているね」
「え?」
「ゲームにおいて、冷静さを失ったらおしまいだからね。君はその視力といい、才能があるよ」
「そうでしょうか。私は……何の取りえもありませんのよ」
ルクレティアはうつむいた。
「取りえだなんて……そんなもの、なくてもいいじゃないか」
「ビクター様?」
「ルクレティア、君はただ居てくれるだけですばらしいよ」
その言葉に、ルクレティアは驚いた。エリックといたときは「居るだけ」では許されなかった。常に彼の機嫌を取るのが婚約者の務めだと思っていた。
居るだけでいい。それは、取りえのない自分のままでいい、と言われたように思えた。
「……ありがとうございます」
胸がいっぱいで、ルクレティアには他に言葉がなかった。馬車灯の明かりが彼女の頬を染めた。
2人は無言だった。馬車が段差でがたんと揺れる。
「そ、そうだ。今度は別のサロンに行かないかい?」
「別のですか?」
「ああ、エリックのやつが来ないところさ。私とジャックの行きつけのところがあるんだ。そこに来る貴族たちもみんな常連でいい人ばかりさ」
「楽しそうですわね」
「行ってみようよ、ルクレティア」
「そうですわね。金貨10枚持って?」
「ああ、金貨10枚だけ持ってさ」
ルクレティアの言葉に、ビクターはおうむ返しで答える。侯爵家の資産のわりに堅実な金額に、2人は一緒になって笑った。
◇ ◇ ◇
──こうして、ルクレティアとビクターは、エリックが通っているのとは別のサロンに行き、2人でゲームを楽しんだ。
ビクターは金貨10枚までしか使わず、ルクレティアは初めてのときに勝った金貨だけで遊んでいたが、それは簡単になくなる額ではなかった。
最初の何度かは、ジャックも一緒についてきた。
「なあ、ビクター。お前、まだ言ってないのか?」
何度目かの時に、ジャックが何事かをビクターにささやいた。
「まだだって? 何やってんだよ。よし、オレが言ってやるよ!」
「わあ! ジャック、余計なことを言うな!」
ビクターはジャックを羽交い締めにし、口を押えた。2人の滑稽さにこらえきれず、ルクレティアは声を出して笑った。
こんなに笑ったのは何年ぶりだろう。ルクレティアは、自分でも驚くくらい大きな声で笑った。口を押え、目には涙が浮かんだ。
その様子を見たビクターとジャックも、顔を見合わせ、一緒に笑った。
◇ ◇ ◇
──1週間後
「行こうか、ルクレティア」
「ジャック様は来られないのですか?」
「うん、あいつはまた別行動さ」
──馬車を走らせ、2人は行きつけのサロンに着く。会場にはすでに大勢の貴族たちが集まっている。
「なんだか、いつもと雰囲気が違うな」
なんとなく張り詰めた空気がする。ルクレティアもそれを感じていた。
どこかのテーブルでわっと声が上がった。誰かが大勝負をしたのだろうか。2人はそのテーブルに駆け寄った。
見ると、テーブルでは誰かが差しの勝負をしていたようだ。1人はふんぞり返り、もう1人はテーブルに突っ伏していた。
「……まさか、あいつは……!」
ビクターがテーブルに突っ伏している男の肩をゆすった。
「ジャック、ジャックじゃないか! どうしたんだ!?」
「ビクター、オレはもうだめだ……。負けちまったよ」
「どうして!? いったいいくら負けたんだ」
ビクターの問いにジャックは答えず、うつむいたままだ。
「金貨1万枚だよ!」
ジャックの対戦相手が喚いた。
ビクターもルクレティアも息をのんだ。テーブルにいたのは、ルクレティアの元婚約者、エリックだったのだ。
「エリック、お前が……なぜここに!?」
聞けば、ジャックはエリックとカードで勝負し、結果、ジャックは1万枚も負けてしまったのだった。
「ジャック……しっかりしろ!」
「ビクター。オレはもうだめだ。こんなに金を使ったら、よくて勘当、いや放逐かな? とにかく、もうだめだよ……」
「なんでこんなことになったんだよ!?」
「つい熱くなって……倍づけを繰り返していたら、とんでもない金額になっちまって」
「もういい、オレに任せろ」
「……ビクター、どうする気だ!?」
ビクターはテーブルを挟んでエリックに向かい合った。
「エリック、私と勝負しろ。金貨1万枚の勝負だ」
「へーっ、侯爵令息どの。大きく出ましたな。面白い、乗ってやろう」
ビクターはジャックを抱えて別の椅子に座らせると、テーブルについた。
「しかし、ビクターどの。お前さんは金貨10枚しか使わない、みみっちい侯爵令息ってことでここじゃ有名だぜ? 1万枚も持ってるのかい?」
「ここでは貴族のみんなが見ている。たとえ口約束でも正式な取引と同じだ」
「それを聞いて安心した。じゃあ、ゲームを始めようか」
エリックはカードをシャッフルし、5枚ずつ配る。ビクターはカードを見つめる。ルクレティアはビクターの後ろについて、肩にそっと手を置いた。
エリックはカードに集中していて、ルクレティアがいるのにも気づいていないようだ。
ビクターは5枚のカードを、順に選ぶ仕草をする。そのつどルクレティアが誰にもわからないようにビクターの肩をつねった。
ビクターが3枚目に手をかざすと、ルクレティアは反応しない。
「これだ。このカードにするぞ」
ビクターが宣言し、選んだカードを前に出した。エリックもカードを1枚選んで前に出す。
「よし、じゃあ勝負だ!」
ビクターがカードをめくる。【ハートのエース】だった。
「やった! やったぞ、おい、ジャック」
ビクターは大声で叫んでジャックの肩をゆする。
「ほ、ほんとうか? ビクター、や、やった!」
騒ぐ2人、どよめく会場。だが、ルクレティアだけはじっとエリックを見つめていた。
「まだだ!」
エリックが水を差した。
「まだ俺のカードを見ていないだろう? 決着はついていないぞ」
「バカを言え、エースだぞ。勝つに決まってる」
エリックはゆっくりと腕を回し、芝居がかった大げさな仕草でカードをめくった。
──【スペードのエース】だった。
「な、なんだって!?」
「そ、そんなバカな!」
ビクターは思わず立ち上がり、椅子が倒れた。
「けっ、バカはお前たちだ。さあ、約束だぞ。ビクター、お前にも金貨1万枚、払ってもらう。びた一文負けねえからな」
ビクターは膝から崩れ落ちた。ジャックもだった。つかのまの喜びが、却って彼らを落胆させていた。
ルクレティアはビクターのそばに寄り、体を支えた。テーブルのエリックをきっとにらんだ。
「あー、勝った勝った。さて、今日はお開きにするかあ」
帰り支度を始めるエリック。ルクレティアはテーブルの前に立って、エリックと対峙した。
「まだです……!」
「ん……? お前、ルクレティアじゃないか? 何だよ、まだって?」
「もうひと勝負しましょう。私と」
「は~ん? お前と勝負だと?」
「はい。私は金貨2万枚を賭けます」
「なに言ってやがる。お前、負けたらその金額を払えるっていうのか?」
「たしかに。我が家の資産では難しいかと」
「ほらみろ。話にならんな」
「それでは、この身を担保にいたしましょう」
「……なんだと?」
「足りない分は、私の身分で払います。どこへ売られてもかまいませんわ」
ルクレティアは胸に手を当てた。
「……お前、自分が何を言っているか、わかってるのか?」
「もちろんです」
「みんな見ているんだ。冗談ではすまんぞ。負けたからってあとからナシにはできないんだぞ」
「承知の上です」
「……いいだろう。金貨2万枚の勝負、受けてやる。座りな」
「ビクター様、しっかりしてください」
「ル、ルクレティア……! よせ、君がそんな勝負をすることはないんだ」
「いえ、やらせてくださいませ」
「ダメだ、君をそんな目に遭わせるわけにはいかない!」
「大丈夫です。必ず勝って見せますわ、ビクター様……」
ルクレティアはビクターに顔を寄せると、耳元で何かをささやいた。
「おいおい! 何をいちゃついているんだ、お前ら。さっさと勝負を始めるぞ!」
エリックが喚くと、ルクレティアはテーブルについた。
「どうぞ」
エリックはにやにやしながらカードを切り、テーブルに置くと、ルクレティアがカットする。
その後でエリックは互いに5枚ずつカードを配った。2人ともカードを選んで前に出す。
「よーし、勝負だ、ルクレティア」
エリックは、また、大仰で芝居がかった仕草でカードをめくった。
カードは【スペードのエース】だった。最強のカードだ。
周りからどよめきがあがる。
「ああ……」
ジャックが顔を押さえて崩れ落ちた。
「今日は大勝ちだな。金貨4万枚か。それと、ルクレティア。お前をどうしてやろうかな」
「お待ちを。まだ私のカードを見ておりません」
「バカを言え! もう勝負はついてるぞ!」
喚くエリックにかまわず、ルクレティアがゆっくりとカードをめくる。
──カードは【スペードのエース】だった。
「ああっ!」
周りの貴族たちが叫んだ。
「同じだ! 同じカードだ!」
「……ってことは!?」
「どっちかがイカサマをしたんだ!」
ざわつく会場。エリックがよろめくように後ずさりした。後ろにいた誰かにぶつかった。
ビクターだった。
振り向いたエリックの両手首を、ビクターはがっちりと掴んだ。
「よ、よせ……やめろ!」
もみあう2人。エリックの袖が音を立てて破れた。
パラパラと、カードがこぼれだす乾いた音が響いた。
「ああっ!」
「袖にカードを隠していたんだ!」
「イカサマだ!」
エリックは蒼白になった。顔には脂汗が浮かんでいる。
「お、お、お前の勝ちだぜ。ルクレティア。まあ、勝ち分はお前らにそっくり返すよ。よかったな、これで元通りだ」
エリックはあわててその場を立ち去ろうとし、誰かにぶつかって尻もちをついた。
「ラ、ライノ卿!」
立ちはだかっていたのはライノ公爵、このサロンの主だった。
「エリック・ヴァン・クラプト殿、わしのサロンでイカサマをしていたとは、聞き捨てなりませんな」
「こ、公爵どの、違うんです。イカサマしたのはあいつらにだけで……」
「『あいつらにだけ』? まあいい。他の方々が何か言いたいようですぞ」
ライノ卿が目くばせをすると、他の貴族たちが一斉に集まってきた。
「エリック殿、あんた、今までイカサマをしていたのか!」
「返せ! 私からとった金を返してくれ」
「今までの分も全部返せ!」
貴族たちが口々に叫ぶ。周りを囲まれ、エリックは逃げることもできない。
その騒ぎを一瞥すると、ルクレティアはテラスへ向かった。ビクターとジャックが遅れてついて行く。
──
「ルクレティア、ほんとうにありがとう」
「ルクレティア、君は恩人だよ」
テラスに出るなり、ビクターとジャックが口々に感謝の言葉を述べた。
「お気になさらないで。お2人がご無事でなによりですわ」
「ジャックを助けてくれてありがとう。このことは一生恩に着るよ」
「まあ、ビクター様。そんな大げさな」
「いや、一生だよ」
「……え?」
ビクターが急に黙り込み、姿勢を正した。
「その、つまり、どういうことかというと……」
ぽつりと言ってまた黙った。
「……あ、ビクター。オレ、ちょっとトイレに行ってくるよ」
「お、おいジャック」
「また後でな。ルクレティアも」
ジャックはひときわビクターの背中を強くたたき、建物に入って行った。
「……ジャック様、よくトイレに行かれるんですわね」
ルクレティアが微笑んだが、ビクターは真剣な表情だ。
「……それで、さっきの話だけど」
ビクターは襟を正した。
「一生恩に着ると言ったね、ルクレティア。一生かけて、君に恩返しをさせてほしいんだ」
「一生……ですか?」
「君はさっき、自分の人生を賭けて助けてくれたんだ。だから、私も一生ずっとそばで君を守りたい」
「ビクター様……」
「……結婚してくれないか、ルクレティア」
ルクレティアの表情が驚きから、一瞬、輝きに変わったが、くるりとビクターに背中を向け、黙り込んでしまった。
しばらくの沈黙の後、ビクターが口を開いた。
「どうしたんだい? ルクレティア」
「いけませんわ、ビクター様」
「ど、どうして?」
「私とビクター様では身分も違いますし、なにより、いちど婚約を破棄された女と結婚なさっては、ビクター様のお名前に傷が付きますわ」
「そんな事、かまうものか!」
ビクターはルクレティアの前に回り込み、両肩にそっと触れた。
「誰にも文句は言わせない。文句を言うやつは私が許さない」
「ビクター様……」
ルクレティアはうつむいてちょっと考えてから、顔をあげた。
「わかりました、では、こうしましょう」
ルクレティアは胸元から1枚の金貨を取り出した。
「このコインをトスして、裏表を当てる。ビクター様が勝てばおっしゃる通りにいたしますわ」
「よ……よし、じゃあ勝負しよう」
ビクターは金貨を受け取ると、指ではじき、キャッチして手の甲に伏せた。
「裏ですわ」
「じゃあ表だ」
ビクターはそっと手をどける。金貨は表だった。
「表だ!」
「ふふ……負けてしまいましたわ、ビクター様」
「じゃ、じゃあ、ルクレティア……!」
「はい、結婚いたします」
ルクレティアはビクターの胸に飛び込んだ。ビクターはルクレティアを抱きしめる。
ルクレティアは顔を上げてそっと目を閉じた。2人の顔が近づく。
──月光が2人を照らしていた。かすかに、サロンのざわめきが聞こえる。
「……中に戻ろうか。ジャックが心配している」
「はい、ビクター様」
テラスの窓に貴族たちが集まっていた。ジャックもいる。ルクレティアたちが気づくと、全員が2人に拍手した。
「おめでとう」
そう言ったのはライノ公爵だった。
「今日いちばんの功労者がどこへ行ったのかと思っていたんだよ」
ルクレティアたちは、照れ臭そうに顔を見合わせた。
「ビクターどの。カードには負けたものの、金貨に変えられないものを手にしたようですな」
「はい……公爵どの」
ビクターがルクレティアの手を握ると、ルクレティアも握り返して微笑んだ。
◇ ◇ ◇
エリックは、サロンへの出入り禁止はもちろんのこと、他の貴族からイカサマの賠償を求められ、その金額は金貨数万枚に及んだとされる。
もともとの浪費癖もあって、父親のヴァン・クラプト伯爵は、やむなくエリックを放逐した。
後にジャックがとあるうわさを聞きつけ、鉱山労働者が集まる場末の酒場を、興味本位で覗いてみた。
そこには、わずかな日銭をカードに賭け、「マイナスからゼロになったからプラスだ」などと喚く小汚い男がいるということだった。
──3か月後。ルクレティアとビクターは結婚した。結婚式には、ライノ公爵や他の貴族も参列して2人を祝福した。
──結婚後のある夜、ビクターの屋敷のテラスにルクレティアたちはたたずんでいた。空には月が浮かんでいる。
「ルクレティア、あの夜もこんな月だったよね」
「あの夜って?」
「うん、ずっと気になっていたんだけど、結婚を決めるときのコイントス、あれはどうして裏を選んだんだい? 今まで勝負に負けたことのなかった君が」
「あれは……わざとよ。だって、見えてたもの」
「じゃあ、わざと勝負に負けたわけだ」
「はい……。でも、負けてもマイナスどころか、プラスですわ」
「……君にはかなわないな、ルクレティア」
「そんなことないわ。あなたも立派よ、ビクター」
「いや、君のほうがすごい」
「いえ、あなたよ」
しばらく繰り返すと、2人とも笑った。
「なんなら、賭ける? ビクター」
「いや、やめておこう、ルクレティア。僕にはもう賭けるものがないからね。全部、一生ぶんを君に預けてしまったからさ」
(おわり)
お読みいただきありがとうございました。




