表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰に眠る光  作者: 東達
魂を縛る鎖
23/25

18.村の亡骸

 朝靄が大地を覆い、世界の境界を曖昧にしていた。青雫亭を発って三日目の朝、セラフィーヌは小さな護符を指先で撫でていた。ミレイユが――リリィの身体に宿っていた妹が手渡してくれた空の雫。それを村を出る際にリリィが押し花にして、護符と一緒に入れてくれたのだ。セピア色変わった花弁からは、まだ微かな温もりが感じられる。勿論、実際に熱を感じる訳ではない。言うなれば、記憶の温度というものかもしれない。


 街道は死に向かって続いているかのようだった。石畳の隙間から生える雑草さえも黒く変色し、道の両側に立つ樹々は、まるで大地の悲鳴が形になったかのように捻じれている。白く乾いた幹は、触れれば粉となって崩れそうだった。風が吹くたび、枯れ枝が奏でる音は、古い骨笛の響きにも似て、聞く者の魂を震わせる。

「この土地はもう死んでいる」

 ユリウスが呟いた。彼の杖が感じ取る魔力の流れは、千切れた蜘蛛の糸のように断続的で、時折、激しい乱流となって渦を巻く。それは自然の摂理から外れた、歪んだ力の痕跡だった。

 ノエルが聖印を胸に抱き、小さく祈りの言葉を紡いでみるも、この地では神の恩寵さえも届かないのか、いつも感じる温かな光の流れが、氷のように冷たく感じられる。彼の瞳には、深い悲しみと、それでも諦めない意志が宿っていた。

「村が見えてきたね」

 レオンが前方を指差した。靄の向こうに現れた集落は、もはや村とは呼べない廃墟だった。石造りの家々は傾き、屋根は落ち、壁には大きな亀裂が走っている。


 村の入り口には、朽ちた看板が斜めに突き刺さっていた。文字は判読できないが、その下にはカグリス村の地下で目にした焼き印が――灰の修道会の紋章だけが、不気味な鮮明さを保っている。三つの円が重なり合い、中央の炎の模様が、まるで生きているかのように揺らめいて見えた。

「ここでも、村の人たちが……」

 セラフィーヌの声は震えていた。地面に刻まれた深い溝。それは人々が引きずられた跡だった。溝の底には黒い染みがこびりつき、その匂いは鉄と塩と、もっと名状しがたい何かが混じり合っている。

 そこから更に村の中へ進むと、世界から音が消えた。

 風は吹いているはずなのに、扉が軋む音も、瓦礫が崩れる音も、まるで厚い水の底にいるかのに遠く歪んでいる。この静寂は、死そのものの静寂だった。


 広場に辿り着いた時、四人は息を呑んだ。


 巨大な魔法陣が、石畳に深く刻まれていた。複雑な幾何学模様と古代文字が絡み合い、見つめていると目眩がするほど精緻に描かれている。陣の中央は高熱で溶解し、黒いガラスのような光沢を帯びていた。


 そして、その周囲には――


 無数の人骨が、花のように放射状に倒れていた。老人も、子供も、母親も、すべてが陣の中心を向いて倒れている。小さな手の骨は、まだ何かを掴もうとするように宙に浮き、母親と思われる骨は、子供を庇うような姿勢のまま朽ちていた。

「なんということを……」

 ノエルが崩れるように膝をついた。涙が頬を伝い、地面に落ちて小さな水たまりを作る。彼の祈りの言葉は、もはや言葉にならすも、ただの嗚咽に変わっていく。

 ユリウスは魔法陣に近づき、刻まれた文字を読み解いた。その顔が次第に青ざめていく。

「……魂を一度に抽出し、圧縮するための術式のようだ。生きたまま、意識があるまま、魂だけを引き剥がす――」

 彼の声は恐怖と怒りで震えていた。

「村人全員が同時に、この苦痛を……」

 その時、瓦礫の陰から何かが動いた。

 

 現れたのは、一人の少女だった。


 十歳ほどの年齢だろうか。髪は抜け落ち、肌は紙のように白い。しかし何より恐ろしいのは、その瞳だった。ぼんやりとした瞳は焦点が定まらず、この世のものを見ていない。

「ユリ! 生きてる子が――」

 レオンが慎重に近づいた。しかし、少女は反応しない。ただ、小さく何かを呟いている。

「おかあさん、おかあさん、おかあさん」

 同じ言葉を、壊れた人形のように繰り返す。

 セラフィーヌが膝をついて、少女の顔を覗き込んだ。その瞬間、少女の瞳に一瞬だけ正気が宿る。


「にげて」


 掠れた声で、少女は言った。


「まだ、うごいてる」


 その言葉を遺すと糸が切れたように少女倒れた。ノエルが脈を確認するが、既に息はなかった。最後の魂の欠片を使い果たして、警告を発したのだ。


 次の瞬間、大地が震え始めた。


 魔法陣が赤黒い光を放ち始める。刻まれた文字が一つずつ発火し、光の線が複雑な軌跡を描きながら広がっていく。地面から立ち昇る熱気で、朝の冷気が陽炎のように歪んだ。

「術式がまだ生きている!」

 ユリウスが叫んだ。

 陣の中央の地面が盛り上がり、何かが這い出してきた。

 それは、無数の人骨が寄り集まって形成された巨大な人型だった。高さは三メートルを優に超え、骨と骨の隙間からは緑がかった瘴気が漏れている。頭部は大人と子供の頭蓋骨が融合した歪な形で、眼窩には憎悪の炎が宿っていた。

 巨人が大きく口を開いた。

 百人分の断末魔が重なった絶叫が、広場を震撼させた。その声は単なる音ではなく、魂そのものの慟哭だった。窓硝子が次々と砕け散り、地面に深い亀裂が走る。セラフィーヌは両手で耳を塞いだが、その声は骨を通じて、魂の奥底まで響いてくる。

「これは失われた者たちの怨念」

 ノエルが震えながら立ち上がった。

「魂を奪われ、安息を得られない者たちの……」

 巨人が動き始めた。一歩踏み出すたび、大地が悲鳴を上げるように陥没する。巨大な腕が振り上げられ、レオンに向かって振り下ろされた。

 レオンは身を低くして横に転がる。拳が地面に激突し、石畳が爆発したように四散した。破片が弾丸のように飛び、セラフィーヌの頬を掠めて血が流れる。

「散開! 囲んで攻撃だ!」

 レオンの号令で、四人は素早く動いた。

 セラフィーヌは距離を取りながら銃を構える。狙いは関節部。弾丸は正確に骨を砕くが、砕けた部分には周囲から新たな骨が集まり、瞬く間に再生していく。それは死そのものが不死を得たかのような、矛盾した光景だった。

「レオン! 物理攻撃は効果が薄いわ!」

 彼女は弾倉を交換しながら叫んだ。

 ユリウスが古い言葉で呪文を紡ぐ。杖の先端に青白い炎が宿り、それが巨大な火球となって巨人を包み込んだ。骨が黒く焦げ、一部は灰となって崩れる。しかし、倒壊した家屋から新たな骨が飛来し、欠損部を次々と補っていく。

「おい、再生速度が早すぎる!」

 魔力の消耗が激しすぎるのか、ユリウスの額に汗が浮かぶ。

 ノエルが祈りを捧げると、天から聖なる光が降り注いだ。光に触れた骨は白く輝き、動きが鈍る。しかし、巨人の内側から漏れる瘴気が、聖なる光を汚染し、侵食していく。

「穢れが強すぎます! 私の祈りでは――」

 ノエルの顔に絶望の色が浮かんだ。

 巨人がセラフィーヌに狙いを定めた。巨大な手が、彼女を掴もうと迫る。逃げ場はない。


 その瞬間、セラフィーヌは護符を握りしめた。


「ミレイユ、リリィ、力を貸して!」


 護符が、突然、強い青い光を放った。それは空の雫の花が持つ、純粋な生命の輝きだった。光は巨人を包み込み、その動きを完全に止める。


 骨の巨人の内側で、何かが共鳴した。それは、閉じ込められた魂たちが、一瞬、安らぎを感じたかのように震え――


「今だ!」


 レオンが叫ぶ。

 

「一点突破! 風穴あけるぞ!」

 

 レオンが地を蹴り、双剣を抜く音が、澄んだ鈴の音のように響く。足運びは流れる水のように滑らかで、巨人の膝に向かって身を低く滑り込ませる。

 刃が骨を断つ瞬間、火花が散り、甲高い音が響く。巨大な膝の骨に亀裂が走り、それは蜘蛛の巣のように広がっていく。

 同時にユリウスが詠唱を終え、杖の先端から放たれた青白い光は大蛇のように空中で螺旋を描きながら上昇する。

 その軌跡には、古代文字が浮かび上がり、それぞれが小さな爆発を起こしながら連鎖していく。魔術の螺旋は巨人の胸部に到達すると、一瞬だけ静止し、次の瞬間、内側から爆発するように拡散した。骨と骨を繋ぐ瘴気の結合が、青い炎に焼き尽くされていく。

 セラフィーヌが銃口から覗く照準の先に、巨人の頭部を支える要石となる骨が見えた。それは他の骨とは違い、僅かに赤く脈動している。放った弾丸は回転しながら空を切り裂く。その軌道には、セラフィーヌの想いが込められていた――ミレイユへの愛、リリィを守る決意、そして失われた人々への哀悼。弾丸が要石に命中した瞬間、それは単なる鉛の塊ではなく、生者の意志そのものとなって、死者の怨念に穴を穿った。頭蓋骨に亀裂が走り、赤い光が漏れ出す。

 そして、ノエルの掲げた聖印から、祈りの光が溢れ出した。それは眩い白い光ではなく、夕暮れ時の空のような、優しく温かな金色の光だった。光は四人の攻撃で傷ついた巨人を包み込み、その内側へと浸透していく。

 聖なる光は、怨念を浄化するのではなく、苦しみを理解し、共に泣くかのような優しさで包んだ。束縛された魂たちが、一瞬、安らぎを感じる。それは母の腕に抱かれる子供のような、絶対的な安心感だった。

 四つの力が、一点で交わる。

 剣技が作った亀裂、魔術が開けた風穴、銃撃が砕いた要、そして祈りがもたらした安息。それら重なり合った時、巨人の体を構成していた力の均衡が崩れた。

 

 巨人が崩れ始めた。

 

 しかしそれは、単なる崩壊ではなかった。骨が散らばる瞬間、そこに込められていたふ人々の最後の想いが、光となって解放されていく。子供の笑い声、母の子守唄、老人の昔語り――それらが一瞬だけ、この世に響いて、そして天へと昇っていった。


 しかし、その瞬間、百を超える声が響いた。それは怨嗟ではなく、感謝の言葉だった。


「やっと、眠れる……」


 骨が崩れ落ち、灰となって風に舞う。その灰の粒子一つ一つに、解放された魂の光が宿っているのが見えた。それは悲しくも美しい、最後の別れの光景だった。


 やがて、すべてが静寂に包まれた。


 広場には、灰が薄く積もっているだけ。魔法陣も、その効力を失い、ただの傷跡となっていた。


 ノエルが膝をつき、長い祈りを捧げた。それは特定の神にではなく、失われたすべての魂への、深い哀悼の祈りだった。


「行こう」


 レオンが静かに言った。疲労が滲む声だったが、それでも前を向いていた。


「この悲劇を、繰り返させないために」


 村を後にする時、セラフィーヌは振り返った。廃墟に陽が差し込み、灰が金色に輝いている。それは、ようやく安息を得た魂たちの、最後の微笑みのようだった。

 護符を胸に抱きしめる。そこには、ミレイユの温もりと、リリィの優しさ、そして今日解放された人々の感謝が宿っている。


 風が吹いた。それは死の風ではなく、新しい命を運ぶ風だった。灰が舞い上がり、空へと昇っていく。まるで、魂たちが本来あるべき場所へと還っていくかのように。


 四人は、言葉もなく歩き続けた。それぞれの心に、深い傷と、新たな決意を抱きながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ