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灰に眠る光  作者: 東達
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1.腐れ縁の二人

 朝靄がまだ眠りから覚めきらぬ街並みに薄絹のヴェールをかける頃、ヴァルディアン王国の下町に佇む古びた宿の二階でレオンは目を覚ました。

 石畳の街道に朝露が光り、鍛冶屋の煙突から立ち昇る最初の煙が淡い金色の陽光に溶けていく。パンが焼ける香ばしい香り、遠くで響く教会の鐘の残響、そして酒場の看板が風に揺れる軋みがこの街の目覚めを告げていた。

 レオンは宿の二階の窓辺に立ち、今にも壊れそうな悲鳴をあげる窓を押し開け、大きく伸びをした。やや伸びた金茶の髪が朝の光に透けて、まるで秋の麦穂のように揺れる。灰青色の瞳に映る街並みは、まだ夢と現の境界を漂っているかのようだった。

「また朝焼けを眺めてるのか、坊ちゃん」

 扉も叩かずに入ってきた青年――ユリウスの声に、レオンは振り返ることもなく微かに笑った。黒髪の魔術師は、いつものように左目に髪がかかったまま、杖を無造作に壁に立てかける。

「ユリ、何度言ったら『坊ちゃん』はやめてくれるんだ」

「何度でも言うさ。俺にとっては、お前はいつまでも世話の焼ける坊ちゃんだからな」

 ユリウスの深い藍色の瞳にらいつもの皮肉めいた光が宿る。だが、その奥底には決して口にしない何かが——守るべきものを見つめる騎士のような輝きが密やかに燃えていた。

 朝の光が二人の間を斜めに横切ると埃がきらきらと舞い、まるで記憶の粒子のようにゆっくりと落ちていく。

「今日の依頼は?」

 ユリウスが聞くと浮かない表情で頭をかきながらリオンは答える。

「東の森で商隊を襲った盗賊団の討伐だそうだ。酒場の主人は『簡単な仕事』だと言っていたけど」

「簡単な仕事ほど、厄介なものはない」

 ユリウスは肩をすくめ、ローブの袖に施された古い刺繍——ヴァルディアン王国の紋章の名残りを指でなぞった。それは彼の本来の身分を密やかに物語る、ただ一つの証だった。

 レオンは双剣を腰に佩くと革のベルトの軋む音が静かな朝の空気を震わせる。その所作はどこか良家の子息を思わせる品があった。

「坊ちゃんはまた朝飯抜きか」

 ユリウスの言葉に、レオンは苦笑した。

「ユリこそ一晩中古い魔術書を読んでいたんだろう? 目の下にくまができてる」

「……余計なお世話だ」

 

 いつもと変わらぬ軽口の応酬を交わしながら二人は宿を後にして、朝市が始まったばかりの大通りを歩いていく。

石畳の道は朝露に濡れて黒く輝きを放つ。商人たちが荷車を引き、威勢のいい声をあげ、この街の一日の始まりを奏でていた。

「なあ、レオン」

 ユリウスが不意に口を開いた。その声色にはいつもの軽口とは違う何かが混じる。

「この生活も、そう長くは続かないかもしれないな」

 レオンの足が一瞬、ぴたりと止まる。だが、動揺を隠すかのように、すぐにまた歩き始めた。

「何を急に」

「いや、ただの予感だ。最近、王都の方が騒がしいらしい」

 ユリウスは声を潜めて話を続ける。

「『灰の修道会』とかいう新興宗教が広まっているそうだ。魂の浄化とか、永遠の安息とか、胡散臭いことこの上ない」

 魂——その言葉が、朝の空気に不穏な影を落とした。

「僕らは『風紡ぎ』だ。風に導かれて、行く先々で物語を紡ぐ。それでいいじゃないか」

 風に導かれ、行く先々で物語を紡ぐ者。冒険者や傭兵の単なる総称ではあるが、その言葉には各地を渡り歩く者への敬意と哀愁が込められていた。

 レオンの声は穏やかだったが、その奥には何か譲れないものを感じた。ユリウスはその横顔じっとを見つめる。いつかこの青年は王都に戻る日が来るのだろうか。その時、自分は——

「おい、そこの『風紡ぎ』!」

 粗野な声が二人の会話を乱雑に断ち切った。酒場の前で髭面の男が手を振っている。

「盗賊団の情報が入ったぞ。奴ら、思ったより数が多いらしい。大丈夫そうか?」

 声の主である男はレオンに駆け寄ってくると、ユリウスとレオンを交互に見やると言葉を続けた。

「まあ『つむじ風』じゃないだけマシか」

 男は豪快に笑いながら、レオンの肩を叩く。

 つむじ風——仲間を裏切り、一人で彷徨う者たちへの蔑称。レオンは、その言葉に微かに顔をしかめた。

「僕達なら大丈夫です」

「へっ、若いのに自信満々だな。まあ、死なない程度に頑張れよ」

 男は上機嫌そうに笑いながら去っていった。

 

 酒場の扉をくぐると、薄暗い室内に古い羊皮紙の匂いと冷えた麦酒の残り香が漂っていた。壁に掛けられた依頼書が隙間風にゆらゆらと揺れている。その一枚一枚が誰かの願いであり、誰かの絶望でもあるのだ。

「レオン、ユリウス。来てくれたか」

 年老いた主人は扉の音で呼び寄せられたかのように奥から現れた。

「盗賊団の件ですね」

 レオンは依頼書を捲りながら返していると、主人はぽつりとぽつりと零すように話す。

「ああ。だが少し妙なんだ。襲われた商人の話では、奴らの動きが——まるで何かに操られているかのようだったと」

 操られている——その言葉が静かな室内に不吉な響きを残した。

「詳しく聞かせてください」

 依頼書に触れていた手を止め、レオンが身を乗り出した。

「商人の証言では盗賊たちの目が虚ろだったそうだ。まるで魂でも抜かれてるかのような気味悪さだったと」

 魂を抜かれている。その表現にユリウスの表情が微かに変わった。魔術師としての直感が警笛を鳴らす。

「どの辺だ?」

「古い祠がある所だ。最近、あの辺りで行方不明者も出ているらしい」

 レオンとユリウスは顔を見合わせた。これは単純な盗賊討伐ではない——そんな予感が二人の間を流れた。

「分かりました。調査も含めて引き受けます」

「頼んだぞ。報酬はいつもの倍は出すぞ」

 

 酒場を出ると、陽は既に高く昇っていた。影が短くなり、石畳がほのかに熱を帯び始める。

「なあ、レオン」

 ユリウスが杖を肩に担ぎながら言った。

「これはただの盗賊退治じゃないな」

「あぁ。だからこそ行かないと」

「相変わらず正義感の塊だな、お前は」

 だが、その声に非難の色はない。むしろ、どこか誇らしげですらあった。

 二人は東門へ向かって歩き始めた。門番が欠伸をしながら通行証も確認せずに手を振る。なんてことない有り触れた平和な日常。しかし、レオンの胸には微かな棘が刺さったような違和感が拭えなかった。

 そんな違和感をよそに、振り返ると街は相変わらず朝の活気に満ちている。煙突の煙、洗濯物を干す女性、走り回る子供たち。この平和な風景を守りたい——そんな思いが、レオンの中で静かに燃え上がるのだ。

「行こう、ユリ」

「あぁ、坊ちゃん」

 東の森へ続く街道に二人分の影が伸びる。その合間を風が吹いていく。それは、 運命の風だったのかもしれない。木々の葉擦れの音がまるで何かの囁きのように、二人の背中を追いかけていた。

 森の入り口で不意にレオンは立ち止まった。

「どうした?」

「いや……なんでもない」

 レオンの瞳はじっと森の奥を見つめていた。そこには何か——見えない何かが蠢いているような、そんな予感めいたものがあった。

 奥へと進む毎に生茂った草たちが二人の足音を吸い込み、森に響くのは鳥の囀りだけ――そう思っていた矢先、鳥達は一斉に口を噤み、まるで森全体が息を潜めているかのような静寂に包まれる。


 これが、全ての始まりだった。


 ユリウスの杖の先端に仕込まれた魔石が微かに震える。それはこの森に潜む何かを既に感じ取っていたのかもしれない。

「坊ちゃん、気をつけろ。こいつは普通じゃない」

 レオンは頷き、双剣の柄に手をかけた。

 森の奥から風が吹くと腐葉土の匂いとは違う何か——焦げた灰のような不吉な香りを二人に運んだ。

 二人の風紡ぎはその暗い森の中へ静かに歩を進めていった。

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