8・拠点作り
機関の動きは早かった。
連絡したら十分くらいでお迎えのワゴン車が来た。
ワゴン車が公園の正面入口に停まる。
……いや、ホント早いな。
ちょっと早すぎませんかねおたくら。
車から降りてきた『浄』の人に聞いてみると、どうやら今では、俺の地元であるこの町に何名かが持ち回りで常駐しているらしい。……短期間に色々あったからなあ……。
それはいいとして。
ひとつ、気がかりな点があった。
その気がかりな点とは──今回の件について、根ノ宮さんが把握していないという事だ。
あの根ノ宮さんが、である。
そんなことあるのだろうか。
俺とあの人に長年の付き合いなどはない。この夏に知り合ったのだから。
そんな短い間柄でも、あの人の予知予測については、疑いようのない、ある種の信頼めいたものを抱いている。
だから。
この件についても、こちらが何か言うよりも先に「概ねわかっているわ」という第一声がくるものだと思っていた。あるいは、向こうのほうからこちらに電話してくるものかと。
しかし実際は違った。
「詳しく話してくれないかしら。できる限り正確に」
こう切り出されたのである。
細かい取りこぼしみたいな情報だけチマチマ語ればいいだろと思っていただけに、これには驚いた。
つい、「必要……なんですか?」と質問してしまったくらいには。
けれど、予想外のことに面食らいはしたが、別にそこまで引きずるほどのでかい衝撃でもない。
言われた通り、知ってる限りのことをわかりやすく全て伝える。その後は根ノ宮さんの判断にお任せだ。
俺は箱被りレオタード美女剣士(全身出したあともデカイ帽子みたいな感じで木箱被っているのだ)と共に、あの、具体的に何をしている所なのか見当もつかない名前でお馴染みの施設へと揺られ運ばれていくのであった。
あと車内から自宅に電話しておいた。朝っぱらから散歩してたら友達と会ったのでそのままつるんでブラつくと。
そのくらいは言っておかないとな。
──さて。
場面は所変わり、時は少し巻き戻る。
その舞台は、天外優人が住まう町のお隣。
天外優人の先輩であり、白夜高校の三大アイドルの一人『鏡姫』こと、御華上・グロリア・イージスお嬢様の実家がある町である。
町としての広さも発展度合いも、こちらのほうが段違いに上である。ひとえに御華上家の威光によるものだ。
その町に、異変が起きた。
どのような町にも、真っ当ではない、いわゆる暗部恥部の類いがひとつやふたつは存在する。
これは仕方のないことであり、目に余るものを潰したとしても、また別のものが台頭する。
いたちごっこだ。
キリがない。
とはいえ、放置していれば治安はじわじわと悪化するのは避けられない。終わりがないと知りつつも日々頑張るのが警察のお仕事である。
よそと比べて数も影響力もずっと少ないものの、そのような、町を蝕むシロアリは、御華上のお膝元たるこの町にも存在する。
その数少ない巣のひとつが、
今まさに、乗っ取られようとしていた。
「ふ~ふふ、ふんふん、ふふふぅ~ん♪」
即興の鼻歌を口ずさみながら、死体置き場と化した暴力団事務所で、ゴスロリ風衣装を着た美少女が一人楽しげに舞っていた。
髪の色も瞳の色も、共に濃い紫。
武器や道具は持っていない。
「な、なんなんだ、何なんだテメェはぁあ!」
精一杯の虚勢。
必死に唾を飛ばしながら叫ぶのは、この事務所の主である中年男だ。
震える手で、持っている拳銃を高校生くらいの年齢に見える少女に向けるその姿には、優位も余裕も全くない。あるのは恐怖のみだ。
既に手下はみな息絶えている。
残っているのは、組長であるこの男と、少女の形をした何かだけ。
「あらぁ、もう忘れたのぉ? 何度も自己紹介したじゃない。忘れん坊さんねぇ」
紫のツインテールを揺らめかせ、少女が笑う。
「フラッドよ、フラッド。キュートで愛らしいフラッドちゃん。わかるぅ?」
人差し指で左右のほっぺたを押すような仕草をしながら、少女が無邪気に名乗る。
しかし周りの光景は無邪気とは程遠い地獄だ。
床に転がる死体は、苦しみもがいて死んだのが一目でわかるほど、どれも悲惨なほどに顔を歪めていた。
ある死体は胸や喉を血だらけになるほどかきむしり、別の死体は壁や床やテーブルを爪が剥がれるまで引っ掻いていた。
衣服やソファーを引きちぎりながら死んだ者もいる。
手にしていた短刀の柄や、拳銃のグリップ部分に指がめり込んでいる死体もあった。
不思議なことに、直接の死因とおぼしき外傷は見当たらない。
その代わり、どの死体も例外なく濡れていた。
色も匂いもない、ただの水で。
そこから察する死亡理由とは、つまり──
「し、知るか化け物っ! くたばれ!」
男が引き金を引いた。
ろくに狙いも定まらない銃口から、次々に弾丸が発射される。連続する発砲音。
二発ほど壁に穴を空けたが、残りは命中した。
したところで無駄なのだが。
「キャハハ、無駄よ無駄。無駄なのよぉ。アサルトマータである私にそんなオモチャが効くはずないでしょ? 何も知らないのねぇ。キャハハッ♪」
弾丸を何発も受けたことなど無かったかのように、笑いながらコマのようにくるりと回る。
男の震えが増した。
平時なら「何がアサルトなんちゃらだ、んなこと知るかクソガキ!」と吐き捨てながら蹴りでもかましていただろうが、今のこの男の心中に、そんな傲慢さや粗暴さは残されていない。
弾の尽きた拳銃をお守りのように両手で前に突き出し、どうやればこの場を凌げるのか必死に頭脳を回転させている。
いるが、名案など出るはずもなく。
考えれば考えるほど逃れようのない絶望に脳みそが浸っていくのみだ。
「……わ、わかった」
「?」
「ほ、欲しいもんがあるならくれてやる。好きにしろ。金でもチャカでも高級車でもやる。なんならこの土地や上物もだ。だ、だから見逃してくれ。たのむ」
中年男が拳銃を放り出した。
座り込み、恥も外聞もなく土下座して、祈るように懇願する。最後の手段だ。
「あらぁ、ずいぶんと下手に出たのねぇ」
心の折れた中年男を見て、フラッドと名乗った美少女がにやにやと笑う。
「この通り、この通りだ」
床に額をこすりつけ、命乞いをする男。
その、髪の薄くなってきた頭を、フラッドが踏みつける。
一瞬、屈辱からの激情が男の中に燃え上がろうとしたが、死の恐怖には勝てず、すぐさま鎮火した。
「そんなにぃ、助けてほしいのぉ?」
「あ、ああ、助けてほしい。どうか命ばかりは」
「だぁめ」
もしかしたらもしかするかも──という、地獄に垂らされた蜘蛛の糸よりか細い願いが、一言で断ち切られた。
いよいよ、打つ手が無くなった。
男の股間が生温い液体で濡れていく。
とうとう失禁したのだが、今のこの男はそれすら気づいていない。思考を埋め尽くすのは、人生のおしまい、それだけだ。
「あのねぇ、これも言ったでしょ?」
物覚えの悪い幼児に繰り返し教えるように、頭をぐりぐりと踏みながらフラッドが言う。
「私が欲しいのは適当な拠点とぉ、無駄口なんか叩かなぁい、チュージツなしもべ達なのよぉ。わかるぅ? わかったんならぁ…………あなたもぉ、そうなろうねぇ?」
遠回しに死ねと言っているに等しい言葉であった。だが、そこまで言われてもまだ、男は慈悲にすがろうとした。
「待ってくれ」と言おうとして、顔を上げる。
頭の上にあった少女の靴裏が顔に当たるが、そんなことを気にしてられない。
口を開き、救いを求める。
その口の奥から、ごぶりと、水が溢れ出てきた。




