24・大地喰いと人喰い
猛烈な勢いでこちらにドカドカと走り寄る大口の怪物。
一見すると、手の施しようがないくらいアゴが裂けてる重傷に見えないこともない。
しかし実際は手負いどころか元気そのものだ。
「ゴアアアッ!」
見た目にぴったりの低い唸り声をあげながら、オセロットとかいう聞いたこともない怪物のクローンは俺に掴みかかってきた。
太い爪の生えた、四本の指で。
「そうはいくか」
「ゴゴッ!」
プロレスみたいに互いの手を掴み合って力比べといきたかったがサイズが違いすぎる。仕方ないから手首をキャッチしといた。
とりあえずはこれでいい。
この怪物としては、俺の両肩でも掴んでそのまま頭からかぶりつきたかったんじゃないかな。
何故かというとヨダレが凄い。
ダラッダラだよダラッダラ。
「もう待ちきれない早くかじらせろ頼むから」という思いが馬鹿でかい口から溢れまくってる。汚ならしい。
しかも強酸性なのか、牙の隙間から垂れたヨダレがアスファルトの地面を溶かしてガスを発生させている。それがまた臭い。
汚ならしい上に臭いとか救いようないな。
「さあアステカの悪鬼よ、その力強さと貪欲さを思う存分見せつけてあげなさい!」
「ノリノリだな、おばさん」
そこまでの歳ではないだろうが、あんなにいい気になられたら、効きそうな嫌味の一つくらい言いたくもなる。
だから言ってやった。
「おば……!?」
効いた。
やはり女性に年齢攻撃は有効らしい。
「な、何ですって、このガキッ! 私のどこがそんな老けて見えると言うの!」
おーおー余裕なくしてわめきだした。これはざまぁですわ。
「おばさんにおばさんって言って何が悪いんだよおばさん」
「キィイイイイ!」
キーとか言い出したよ。
……やばい笑っちゃって力が抜ける。気合い入れないと。
まあそこまで本気でやらなくても勝てそうなんだけどさ、この力比べ。
「ベータ! その、目玉の腐ってるガキをただ殺しては駄目よ! できる限りなぶり殺しにしなさい! 手足を一本ずつもぎ取りながらっ!」
そんな難しい指示を理解できるのかね。
「ゴアア? アッ、ア…………ゴアアアアアア!」
お。
返事っぽいのしたぞこいつ。
アステカ原産なのに日本語理解してんだ。日本生まれ(?)だからか?
でも、心なしか、返事らしき唸りになんか戸惑ってるような感があったな。生返事みたいなさ。
つーかベータなんて名前なんだ。
まあ、名前がないと不便だから適当にアルファとかベータとか順番につけたって、その程度のネーミングなんだろうな、どうせ。
こんなに言うこと聞かせられるなら、人前ではヨダレを抑えるように躾ておいてほしかったぜ。
と、まあ、こんな具合に余計なことを考えるだけの余裕が俺にはあった。
前のめりになって俺に噛みつく事しか頭に無さそうな怪物のほうが余裕がない。
「おぉ?」
怪物の背中──いや、左右の肩のあたりか。
何かが飛び出てきた。
腕だ。
元々ある腕に比べて少し細いが、そのぶん長い。指の数も同じ。爪も生えている。
「これがホントの奥の手か? それとも新手かな?」
両手の塞がっている俺には減らず口を叩くことしかできない。
なので、怪物の肩から出てきた腕に抵抗もできず、がしりと肩を掴まれた。
爪が食い込み──はしない。このくらいの圧や鋭さでは俺のボディはなんともないのだ。
しかし体重差はいかんともしがたい。
「おわっ」
持ち上げられた。
こうなったらされるがままだ。
怪物が、でかすぎる口をさらに広げる。
いや広げるなんてもんじゃない。口だけが身体よりもでかくなったのだ。牙もそれに応じて太くなり、一本一本がナイフくらいだったのが包丁より大きくなっている。
その巨大化した口で、てっきり俺の腕か脚でも豪快に噛みちぎるのかと思ったが、怪物は、己の口の中に俺を無理やり放り込んだ。
ばくりと、牙の生え揃った口が閉まる。
そうなると、どうなるか。
「ぬわああ! 汚ったねええぇ!」
もう手遅れだった。
あっという間に臭くて溶けるヨダレまみれになった。
最悪だ。
「くっそ俺の服が! 短パンまで! ああ臭せえぇ!」
駄目だった。
俺の身体こそ溶けはしなかったが、衣服はやはりボロ切れを通り越してドロドロになってしまった。つまり全裸である。
しかも臭い。こんな臭い液体まみれで素っ裸とか昔のバラエティーでもそうそうないぞこんなの。
もう嘆くことしかできねえ。
ちなみにだが、スマホは無事だったりする。
この連中を見つけた時、こっそり、近くにあった背の低いコンクリ壁の上に置いといたのだ。
もし連絡が必要になったときに通信機器が壊れていたら面倒だからな。万が一のことを考えておいてよかった。
現状は何もよくないけどさ。
この件が片付いたら一刻も早くシャワー浴びなければならない。臭いが取れなくなるよ。
それはそうとして。
俺をなぶり殺しにするって話はどこ行ったんだろう。これじゃ臭くてぬめぬめする閉所にいるだけだ。それはそれで辛いが。
やっぱこんなのが複雑な命令なんか理解できるわけ……なんて思っていると、
「お? そうか、そうきたか。マジで命令わかってたんだな」
口内のいたるところが盛り上がり、裂け、鋭い牙を生やした無数の口に変化したのだ。
その口が伸び、ピラニアのように俺の全身にかぶりついていく。
逃げ場はない。
「ウッフフ、そのまま、溶かされながら食い殺される恐怖におののくがいいわ! その様が見れないのは残念だけれどね! ウフフ、アハハハハハ!」
怪物の肉体越しに、女の高笑いが聞こえてきた。
──天外優人が、人工的に作り出された古き怪物に飲み込まれてから、そろそろ一分が経過しようとしていた。
「ベータ、そろそろ跡形も無くなった頃なのではなくて? ……ベータ?」
「ゴ、ゴゴグッ」
ベータと名づけられた、オセロットのクローンの成功体は、胴体もとい口元を押さえていた。
スーツ姿の才媛が、どうしたのかと訝しんでいると、
「グ、グゴ……」
それが最期の言葉となった。
パァアアアアアンンッッ!!
ベータの身体が、何匹もの大蛇めいた何かによって、内側から弾け飛んだ。
「あー、臭っせ臭っせ。たまらんぜ」
八つ裂きにされたように飛び散ったベータの代わりに姿を見せたのは、背中に輪っかと八本の触手を生やした、たっぷりと臭いとろみのついた天外優人であった。
荒れ狂った大蛇らしきものの正体は、この少年の触手だったのだ。
「な、なな、なななな」
才媛の、言葉にならない、驚きの声。
「な」しか口から出てこなくなっている。
もはや哀れに思えてくるほどの困惑ぶりであった。
「ご自慢の秘密兵器も、大したことなかったな」
「う、嘘よ。こんなことがあるはずが」
冷静さをどうにか取り繕った女が、数歩後ずさる。
「アステカの悪鬼がどうだとか抜かしてたけどさ……あれだ、アステカってことは、わざわざ南米くんだりまで行って、こんなもろい怪物のオリジナルの死骸を手に入れたのか? 無駄骨ご苦労さんなこったね」
「……馬鹿な。あり得ない。あり得ないわ。あっていいはずがないわ」
女はワナワナと震えていた。
「こんな、アステカが北米大陸の文明だったことも知らない低知能の触手小僧に、私のベータが、完成品のオセロットが……」
「うるせーな」
間違いを指摘された優人が、顔をしかめながら頭を掻いた。
「別にそのくらいいいだろ。紛らわしいんだよその辺の古い文明って」
大きなくくりを作ってひとまとめにしてもいいんじゃないか、その方が覚えやすいし受験生にも好評だろうと、そう優人は思った。これを名案ととるか愚策ととるかは個々人の判断にお任せしよう。
「まあ、地理や世界史の話はさておき」
優人が、一歩前へ出る。
「年貢の納め時ってやつだよ。見苦しい真似はもう止めるんだね」
ネバついた液体まみれで、しかも全裸でありながら、優人は股間を隠すこともなく、堂々と凄んでみせた。
立派な変質者の凄みであった。




