16・路地裏の決戦
ナユタが主役みたいになっとる……
近づくものを蝕む美しき死の華。
異能を用いる殺し屋の末裔。
一人は、綾辻那裕太。
一人は、風切北斗。
日が傾き、夜の足音がそろそろ聞こえてくる路地裏。ゴミ箱の中身をぶちまけたような狭間で対峙する二人の関係は、抜き差しならないものとなった。
話し合いの余地はもはやない。
いや、ナユタはともかく、北斗には最初からそんな余地など一坪たりともなかったのだが。
かくして。
唐突に、この奇怪で危険で姦しい物語の主人公である天外優人を前回同様蚊帳の外にして、彼らの戦いは始まった。
まず、先に打って出たのは北斗だった。
「小手調べといこう。この程度で死なないでほしいな。仕事は楽に越したことはないが、簡単すぎるのもそれはそれでつまらない」
右腕を肩の高さまで上げ、弦楽器でも奏でるように、指を動かす。
その手には、何も持ってはいない。
ただ、空気を優しく撫でただけに見えた。
「?」
今のが攻撃なのだろうか。ただ腕と指を動かしただけにしか見えなかったが。
でも、小手調べと言った。
それならやはり──
「あ」
ナユタには、なぜそんな動作をしたのか理解できず──いや、すぐに理解できた。
北斗が何を仕掛けてきたのかわからず、疑問に思ったのとほぼ同時に、首に細い何かが絡みついてきたのだ。
「ほら、ほどかないと終わるよ」
ナユタの首に絡みついた、恐ろしく見えにくいもの──不可視と言っても過言ではない糸──が、鋭利に絞まっていく。
その細い首を、切り落とそうと。
しかし。
「……ん?」
糸を伸ばしていた指から伝わる感触。
この美しい少年の首にかけた糸が、ほどけ、制御を失い指から離れたと、感触がそう告げていた。
しかも、それだけではない。
「やられたね」
糸使いの少年は、右手を見た。
「薬指。感覚まで薄れてる」
それは、ナユタの首へと糸を伸ばしていた指だった。
「ほんのわずかなやり取りでこれか。本気ではなかったとはいえ、あの一瞬で無効にして、反撃までやるなんて……驚きだ」
「もう、やめたらどうかな」
ナユタの声は、依然として涼やかで、ゆったりとしたままだ。
「余裕綽々だね。もう格付けが済んだとでも思ってる? だとしたらお気楽すぎるよ」
言いながら、北斗は右手薬指に糸を巻きつけた。
「これは『癒し糸』といってね。疲れや悪いものを取り払うんだ。ほら、この通り」
その糸が効いたのだろう。
青白くなっていた薬指に、血色が戻っていた。
「ふぅん。だったら、お互い無傷みたいな、もの、だし、なおさら、止めるべきだね。後悔する、前に……引き下がったほうが、いい」
「ご忠告ありがとう。だけど、これを受けても同じことが言えるかな」
北斗が、スッと右腕を振り下ろす。
今度は本気だ。
小手調べや様子見ではない、殺すつもりの糸が繰り出された。
ナユタの頭上へ舞い降りていく、いくつもの見えざる死線。
それは、さながらギロチンの雨のように、無慈悲にナユタに襲いかかる。
「…………ふぅっ」
ナユタは逃げも隠れもせず、唇を尖らせ、顔を上げ、頭上へと息を吹く。
たったそれだけ。
それだけで十分だった。
「──散らされたか」
北斗が繰り出した無数の死線。
それらは、いとも容易く消し散らされた。
だが、先程とは違い、北斗本人の指や手にまでダメージは届いていない。
本気の殺意が込められた糸だったからだ。だから、ナユタの息と相殺する形で、糸が散ったのだ。
ナユタがそうであるように、
この少年もまた、尋常ではなかった。
「止めない、なら、仕方ない」
今日初めて、ナユタの瞳に不吉な光が灯された。
「今度はこちらの、番と、いこう」
ナユタが、サイズの大きいパーカーの長い袖をゆらりゆらりとはためかせながら、くるりと一回転した。
今日の昼間、天外優人の前で披露した、あのゆったりとした舞いだ。
「…………!」
北斗の背筋に冷たいものが流れる。
舞いが終わるのを待たずに、いや、悠長に待っている場合ではない。
ほとんど反射的に飛び退いた。
──彼ら二人だけの路地裏に、死の風が吹いた。
ポリバケツの陰にいた野良猫や、その野良猫を恐れてゴミの中で息を潜めていた鼠、知性など無いも同然のハエやゴキブリなどが、苦しみもがく暇もなく息絶えた。
しかも、それだけにとどまらない。
すぐさま死骸がボロボロに崩れ、風化していく。
路地裏にいた全ての生き物が、何の痕跡も残せぬまま、この世から消されていったのである。
ナユタが、意識せず漂わせているのではなく、明確に、己の意思で力をふるった結果がこれだった。
有無を言わせぬ死を、逃れられぬ劣化を、もたらす力。
この世にあってはならない力。
それをナユタは有しており……しかも、さらに恐ろしいことに、ナユタ本人は、その力の効果的な使い方をわかっているのだ。このように。
ならば。
だとするなら。
いかなる異能者、いかなる怪物が、女神のように美しき、この少年に勝てるのだろうか。
「──とっさに糸を引いて、逃げてよかった。もう少しチンタラしてたら骨も残らず消えていたね。我ながらいい勘だったよ」
声は上から聞こえた。
ナユタが、声の聞こえてきた方向──さっきまで北斗がいた場所の上方へ、目をやる。
そこにいたのは、地上から十メートルほど離れた空間に浮かぶ、北斗の姿であった。
足場は何もない。
糸を周囲に張り巡らせ、宙ぶらりんに近い形で浮かんでいた。
あらかじめ、逃走用の糸を事前に上へと伸ばしており、それを使って一気に飛び退いたのである。
「……逃げ足は、一流かな」
皮肉ではない。
本心だった。
純粋というべきか、天然というべきか。
ある種の間の抜けたところが、この絶世の美少年にはあったりするのだ。
「ふふ、それはどうも。おぞましい災いの化身に褒めていただけて、身に余る光栄だね」
北斗は皮肉と受け取ったらしい。
当然である。
「本当に、死ぬまでやめないんだ」
「まあね。僕が死ぬか、キミが死ぬか。あるいは相討ちか」
「このまま、なら、私が、生き残ることになる」
「いや、それはどうだろう。実は一つ名案が浮かんでね。それを実行してみようと思うんで、ぜひ付き合ってほしいな」




