55・去る者、逃げ切れぬ者、滅ぶ者
俺「器さえ壊してしまえば宿っている神はまた星空に還るそうだが、別に神そのものを倒してしまっても構わんのだろう?」
ということで(実際にこんなこと言ったわけではないが)実行した俺。
実行した結果なめらかに上下に分割された神。
神の分割を為し遂げたことにびっくりギャラリー。
びっくりどころかぴくりとも動かなくなった井上。
この場に居合わせた面々はだいたいそんな様子である。最後に紹介した、全国にいる井上の中で抜きん出てクズなこの井上は、もう死んでるんじゃないかな。
『グオオ……なんたる…………この……ような……偶然が…………馬鹿な……』
頭の中に、神の嘆きが届いた。
が、これまでのように強く響きはしない。
「うわ、まだ生きてやんの」
なんでこの状態で生きていられるのかわからないが、とにかく羅喉神は弱ってはいるがまだ死んでない。
やはり神だけあって普通の生き物の理屈が通じないようだ。粉微塵にしたら流石に死ぬとは思うが。
それでも生きてたらどうしたらいいんだろうね。
「失礼、入らせてもらうぞ!」
聞き覚えのある低めの女性の声が、力強く、はっきりと、入口の方向から聞こえてきた。
足音が近づいてくる。
床を叩くその足音からして、小走りとかではなく、早足でこちらにやってきているらしい。貴族とか政治家とか、アニメや映画で偉い人が急いでるときにやるやつだ。
誰が近づいているかはもうわかっているが、一応振り向く。
しかし、神への警戒は怠らない。
死にかけとはいえ神は神。どんな最後っ屁をかましてくるかわかったものじゃないからな。
「お久しぶりっすね」
予想していた通りの人物に、声をかけた。
青みがかった黒髪ショート。サングラス。見事に着こなしてるスーツ。いかにも男装の麗人という見た目にそぐわぬ巨乳。やっぱデカイ。これはデカイ。
天原さんだ。
身体能力がアクションゲームのメインキャラ並に人間離れしているお姉さんである。俺も人のこと言えないが。
「ん? まだ、別れてから半日も経ってないはずだが」
「色々あったんですよ。今日という日がとても長く感じるくらい、色々と」
「そうか。大変だったようだね。それについては後から聞かせてもらうとして……」
天原さんの顔に緊張が走る。
額に皺を寄せ、ううむと呻いた。
絵に描いたような女傑でも、本物の神の目前では恐れを感じるらしい。
「君がやったのか、少年」
こちらに向いた天原さんの顔の角度が、少し下がった。
サングラス越しのその瞳は、俺の右手首辺りからニョッキリ生えている一本の剣を見据えているようだ。
「やりました。まだ完全には終わってませんけどね。これで半分こにしただけです」
腕を上げ、手首剣を顔の高さくらいまでかざす。
「大したものだね、君も、その剣も。まさか神すら倒すとは。おそらく……君は私よりも強いだろう。これは、一対一ではとても勝てそうにないな」
話しながら、彼女の視線は手首剣から、八本の触手に、そして背中の輪っかへと、次々と変わっていった。
実に興味深そうに。
……だが、それだけではあるまい。
俺の強さを確認し、どのようなことをやれそうな身体なのかをじっくり見極めようとしているはずだ。力を物色している、そう感じてならないのだ。
その証拠に、点線のようなもの──殺意の矢印の群れが、天原さんのサングラスの奥から列をなしている。
だが、その色は薄い。
これまで何度も見た黒ではなく、灰色に近い白だ。
これはつまり、殺意や敵意、悪意などのない、戦意や好奇心による視線だからなのだろうか。
「手放しで褒めてくれるのは嬉しいですけどね、どうせ、もしやり合うことになったら素直に一対一なんてやらないでしょ?」
天原さんは答えず、ニヤリと笑うだけだった。
同時にサングラスから伸びる矢印が消えた。物色は終わったらしい。
「間狩たちも、無事で何よりだ」
先に送ったのはいいが、やはり不安もあったのだろう。どこかホッとしたような天原さんだった。
「ところで、ここに来たってことは……そちらは上手く制圧できたんですか?」
「ああ」
何人かは逃がしたが、ほとんど捕らえるか仕留めるかしたと、天原さんは続けて言った。
捕らえられた中に、あのスナイパー姉さんや仕込み杖使いのおっさんは、果たして、いるのかいないのか。
「七星の……鉄人天原か」
くぐもった男の声。
多少は持ち直したのか、ふらつきのなくなった眼帯おっさんこと鳳が、十メートルもあるかないかの距離で天原さんと向き合っていた。
もっと離れていたはずなのに、こんな近くまで来ていたのか。間狩たちもただ黙って見てないで一言くらい俺に言えよな。
にしても、鉄人天原とはまた凄い異名だ。
鉄人。
……なんとなくだが、そんな呼ばれ方をすることになった理由が推測できた。
つまり、そう呼ばれるほど、これまで天原さんは頑強でタフな肉体にものを言わせて生きてきたのだろう。つくづくワイルドな人だ。
「ほう、私の異名を知っているのか。その眼帯、風貌、五鈷杵…………ふむ、あなたが鳳玄角か。安愚羅会の実質的なナンバーツーだと聞いている。顔を合わせるのは初めてだな」
へえ、ナンバーツーときたか。かなり有能だったんだなこのおっさん。
それと、手に持ってる両端が鳥の足みたいに尖ってる棒、ごこしょ?って言うのか。五個所?
勉強になるな。明日には忘れてそうだけど。
「あとはあなた一人のみ。組織を裏切り全てを賭けた一世一代の大博打も、ここでドボンのようだ。もう諦めて投降するのを勧めるよ」
「一人……だと?」
鳳が、不思議そうに呟く。俺も不思議に思う。
一人?
そんなはずがない。
井上が頭数に入らないのはわかる。カスみたいなもんだからな。
けど、あの神主みたいな装いの神経質そうなおっさんがいるのに、あと一人はないだろう。床に崩れ落ちてるあの姿が、天原さんに見えてないはずないと思うんだが……。
「まさか…………!」
鳳は、神主おっさんのほうを凝視すると、何かを察し、何も持ってないほうの腕をそちらに振った。
ぐさりと、神主おっさんの頭部に、短い棒が刺さる。袖口にでも隠していたのか。
ごこしょとか言うやつの、先端が分かれてない、一本だけになってるタイプに見える。いっこしょ?
「あっ」
死んだと思ったが、違うことが起きた。
神主おっさんの身体も衣服も、周りのチョウチョ式神も、何もかも、紙吹雪のように散ってしまったのだ。
まさか死んだらそうなる体質でもないだろう。偽者だったに違いない。
「おのれ、いつの間に……」
自分を見捨ててさっさと一抜けされていたことに、眼帯おっさんはギリギリと歯ぎしりしていた。
「ふふっ、早々に見限られていたようだね、鳳玄角」
天原さんが鼻で笑う。
「奴らの損切りは早い。復活させた羅喉神の恩恵にあやかるよりも、『神降ろし』の成功データだけで満足したのだろう。器が大したものではないため、神もそこまで力を行使できないと、そう踏んだのかもしれん」
天原さんの言ってることはわかる。辻褄も合っている。
あの神主おっさんは、欲張らずにおさらばしたのだろう。
しかし、だとしたらだ。
いったいどのタイミングで本物はいなくなったのだろうか。
最初から偽者というのも、あり得ないはずだ。あの嫌味なおっさんは聖剣と聖槍を用いた儀式を執り行っていたはずなのだから。
では、いつだ?
いつ逃げた?
(……………………あ)
そうではないかと考えられる場面が、ひとつ思い浮かんだ。
あれだ。あの時だ。
そうだよ、あそこしかないぞ。
俺が屍楽天に触手を叩き込んで、激しい光や衝撃がこの広間を包み込んだ、あのヤバかった瞬間だ。
どう逃げたのか、方法まではわからないが、それしか他にタイミングがない。
衝撃を防ぎきり、ゴミを見るような目を井上に向けていた時には、もう神主おっさんは本物ではなかったのだ。
「ま、逃がしちまったものは、仕方ないよな。あっちが一枚上手だったってだけのことだ」
追跡は七星機関の連中に任せればいい。俺は今やるべきことを優先しよう。
「トドメといくか」
再び腕に力を溜める。どこまでやれば神が死ぬのかわからないから全力でいくしかない。
今度は左腕だ。
詳細不明砲のときの溜め方を、さっき剣生やしたときの要領で、どこまでも増大させていく。
腕そのものというより、こう、開いた手の前に光の力をひたすら集束させていくイメージ。
すると、剣のときよりも容易く、新たな技が形となって現れた。
「おお、珠だ。光の珠だ光の珠」
俺の利き腕に生えた剣。
その剣の刃についていた模様、それと同様のものが表面に刻まれている珠が──具現化したのだ。
後はどうするかは……決まっている。
もしまた広範囲に被害が出ても、間狩たちの防御は風船屋におんぶにだっこで、俺は自力で凌げばいい。
「ほい」
俺が『行ってこい』と念じると、光の珠は、前に突き出した左手から目標へと一目散に飛んでいった。
それを止めるものはない。
もはや羅喉神には抵抗する力も残されていないようだ。
何の抵抗も壁もなく、すんなり光の珠は、残骸のような神にぶつかり、
『おのれえええぇぇ…………!!』
神の、怨みに満ちた絶叫が頭の中で響き渡り、そして──
この大部屋の屋根を突き破り、そのまま天まで届きかねない、光の柱のような大爆発を引き起こした。
光の砲撃を大きく上回る一撃。
切り札と呼んでもいい、恐るべき破壊力の一撃だった。
「おお、やった。今度は大丈夫だぞ!」
嬉しいことに、こちらの攻撃だけが通ったせいなのか、光の珠が持つ特殊効果のせいなのかはわからないが、破壊の余波は来なかった。
それでも光と衝撃と音は凄かった。
凄かったが、このくらいなら防御など必要ない。風船屋も式神で守りを固めていたが、無事に済んでいた。
後には何も残らない。
羅喉神も、その入れ物だった屍楽天も、後方の壁も、壁の向こうに存在していた倉庫や、打ち捨てられていた廃車なども、欠片もなく消し飛んでいたのだった。




