52・悪神の御姿
人助けしたら怒られた。
凄い目で二人と三匹がこちらを睨んでいる。今にも俺を殺しにかかりそうなほどに。
でも助けられたこともまた事実なので、その事実が負い目という名のブレーキとなって襲ってはこないようだ。襲ってきたところで触手の餌食にするだけだが。
へそに口づけしたくらいで何をそんなに目くじら……いや怒るわそりゃ。
急いでいたからそこまで深く考えなかったが、なかなかマニアックなエロ行為を一方的にやっちまったんだな。
まあ神がかけてきた呪い解いてやったんだから、それでトントンということでひとつ納得してほしい。無理かな。そうだね、無理だね。なら時間が恨みと恥じらいを風化させてくれるのを待とう。いつかいい思い出になると信じて。
気を取り直す。
今やることは、俺の背中に殺意の刃を突き刺している奴らへのご機嫌取りではない。
神殺しだ。
いや神還しとでも言うべきか。
どっちにしてもやることは変わらない。入れ物をぶっ壊すだけである。
「あと一息かな」
羅喉とかいう、星の神さまの入れ物にされている、人の肉で作られた仏──屍楽天。
どこまで壊せば器としての役割を果たせなくなるのかは不明だが、そこについては深く考える必要はない。
果たせなくなるまで叩いて生ゴミにすればいいのだ。
「んん?」
力を溜めた触手で再度叩いて弱らせてから、詳細不明砲で終わらせる。
そう目論んでいたんだけど。
──妙な変化が起きている。
屍楽天の破損した部分から、緑色の……肉のようなものがうごめいているのだ。なんじゃこれ。
「再生……してんのか?」
確か、病院の地下にいた個体も、肉体のダメージを回復させていたはずだ。
ならこいつも……。
「……いや、違う。おかしい」
緑色のなにかが、ボコボコとマグマのように沸騰して、屍楽天の壊れた部分から噴出しようとしている。
その色は、厳密にいうと青っぽい緑──いわゆる青銅色ってものだろう。
……いや、それって時間が経って変色したものだから実際の青銅色は違うとか……そこはまあどうでもいいや。そこは大事じゃない。大事なのは、いったい何がボコボコしているのかだ。
再生という感じではない。
じゃあ何だと言われても困るが、もっと危険な事が起きそうな予感がしてならない。
「なんだよ兄さん、もう一押しってとこで腰が引けたのか?」
隣にきていた風船屋が挑発的な言葉をかけてきた。この喋りにも、もう慣れたもんだ。
「ああ……嫌な雰囲気がしてさ、あれ」
「あれ?」
「あの、青緑の……」
「はぁ? なに言ってんだ?」
風船屋が「目開けたまま寝言こいてんのかオメー?」と言わんばかりの顔をした。
あー、俺しかわからないやつか、あれ。
「いやいい。なんでもない。こっちの話だ」
見えてないから会話が噛み合わない。
「だから、その、何か起きそうな感じがしてな。つい攻めるのをためらってる」
「キヒヒッ、バケモンの兄ちゃんよ、ここまできてそりゃねーだろ!」
「わかるさ。それはそうなんだ。だけど、変にちょっかいかけたくないヤバさが感じられるのも確かでな。困ったもんだ」
根ノ宮さんがいてくれたらなぁ。わかりやすく教えてくれそうなのに。
「じゃあどーすんだよ」
「怪しげな様子の原因がわかればいいんだが……」
「じれってーなぁ……!」
俺が煮え切らない態度を取りすぎたのか、ついに風船屋が髪の毛を乱暴にくしゃくしゃにして、しびれを切らした。
「もういいって。だったらオレが試してやんよ。どうヤバいのか、しっかり見極めんだな兄ちゃん!」
「あっオイ」
止める暇もなかった(止めても無駄だったと思うが)。
よくわからない不吉な何かが始まりそうな壊れかけの屍楽天へ、風船屋ご自慢のカラフルなフワモコ爆発天使たちが群がっていく。
肉の仏が、みるみるうちに、わたあめの仏みたいになっていく。
あれだけたかられては、もうどうやっても防ぎようがない。木っ端微塵になるしかないだろう。
(ま、やらせてもいいか)
刺激するのもどうかと思ったが、大技の前兆だとしたら先に潰しておかないとまずいかもしれん。
お手並み拝見だ。
「バン♪」
そして。
風船屋が、自分のプリンみたいな色合いの頭を指鉄砲で撃つような仕草をした、直後。
屍楽天に無数にたかっている式神が、一斉に膨らんで破裂──しなかった。
──代わりに。
肉が、噴火した。
青緑色の、まがまがしい肉が。
「なんだぁ!?」
風船屋が、初めて動揺した大声を出した。
それも当然だ。こんなの見たら大声くらい出すだろう。つーか見えるんだな。
屍楽天の身体を突き破って実体化した(俺以外にも見えるならそうなんだろう)、肉の溶岩。
それは、風船屋の式神を瞬く間に全部呑み込んでしまった。喰ったのだろうか?
「こ、これは……これはまさか!」
やっと呪いを自力で引き剥がしたらしい眼帯おっさん──鳳が、震える指で、半壊から七割壊くらいになった屍楽天を、いや、屍楽天から出てきたものを差した。
その指の震えは、呪いによるダメージからか、それとも神への抑えきれない恐怖か。
ちなみに神主おっさんは床でへたり込み、井上雑魚は倒れたまま石ころのように静かになっていた。どちらもダニはついたままである。
「あらら、中身のお出ましか」
青緑マグマが何かを形作っていく。
やがて、俺の想像だにしていなかったものが、その姿を現した。
屍楽天の上半身、その左側がキレイに吹き飛び、そこから巨大な青緑色の頭が生えていた。
乱雑に伸びたザンバラ髪の頭にあるのは、二本のねじくれた角だ。
額にひとつ、左右に二対。計五個の瞳で、俺をじろりと睨み付けている。
これが、羅喉とかいう神か。
……なんで頭だけなんだこいつ。
バランスが悪すぎて、なんだか、壊れかけの仏像の後ろから巨人が顔だけ覗かせてるようにも見えるぞ。
「や、やべえな。流石にこれはブルっちまうわ」
風船屋の声に、震えが混じっている。こいつも眼帯おっさんのように恐怖しているのだ。
三頭身のデフォルメじみたこの造形に、そこまで威圧感あるとも思えないが……いやまあ、圧迫感はそれなりに感じるけどさ。
「どした? 星空の神さまとご対面して腰が引けたか?」
さっきのお返しだ。
「なんで、そんな平然としてられんだよ、あんた……」
結構ビビっているようだ。
すっかり、あの小悪党めいた笑いも、余裕ある言葉もなくなっている。わからせられた後みてえ。
「そ、その通りです」
「恐れを知らんとは、こ、このことだな……」
銀髪コンビの声がわりと近いところから聞こえてきた。
振り向くと、二人ともさっきまでの強気が嘘のように反転し、不安そうに、俺の後ろにいた。式神どももだ。
まるでその様子は、怯えて俺の背に隠れているかのように見える。ふふ、可愛いところもあるじゃないか。
それで、こっからどうするか。
入れ物壊せばそれでいいと思ってたら中身が溢れてラスボス第二形態みたいになったんだが、もしかして完膚なきまで叩き潰さないと駄目なのか?
「はあ…………結局、神とガチンコかよ……」
うまくいかないもんだな人生。もう人じゃないけど。
ま、もう他に道はないし、いっちょやってみるか。
どうせ交通事故で一回死んでる身だ。
「んじゃ、派手にいくとすっかあ……!」




