43・拳と拳
方針は決まった。
さっそく一人狩ってみた。
バレていない。
血液を失い乾いた遺体をしまい込んで隠したからというのもあるが、それを抜きにしても……どうにも警戒心がないように感じる。
外に気が向いてるのだろう。
間狩達がこちらに向かっているのは百も承知なのだから迎え撃つ心構えはあるはずだ。しかし、放置してある死体が動きだして内から布陣を食い破ろうとしてるなんて、誰一人想像すらしてはいまい。
絶好だ。
さっきの棒持ってた奴がいなくなったことに誰も気づいていない。
次いこう。
俺は新たな犠牲者のもとへ行くため、通気口を我が物顔で這いずり進んでいった。便利な専用通路だなこれ。
(今度はこいつといくか)
廃工場二階。
事務室ぽい部屋。
書類などをいっぱい挟んだファイルが、これでもかというくらい棚に収められ、忘れ去られている。
そんな部屋の中、ヒゲのいかついおっさんが、パイプ椅子に腰掛け、タバコをふかしていた。
床を灰皿代わりにしてるのだろう。足元に吸い殻が何本も転がっている。
強そう。
これはいかにも強そうだ。
俺が人間だった頃なら、こんなのに勝負を挑もうなんて絶対に思わなかっただろう。でも今の俺には、愚かにも単独で部屋に陣どってる獲物にしか見えないんだな、これが。
はっきり言って人食い殺人鬼か人の味を覚えた猛獣とやってること変わらんな俺。
でもやらないと。
いつ襲おうか通気口から気を伺う。
そしたら、
「さっさと出てこい。俺はあまり気の長いタチじゃないんだ」
その見た目に似合った、渋く低い声。
見つかった。
いや、さっきからこちらをチラとも見てないから、視界によるものじゃないな。なら、見つかったではなく、耳つかったと言うべきか。もしくは鼻つかった?
んなつまらん言葉遊びしてる場合でもないな。
ひとつ猫の鳴き真似でもしてやろうかとも思ったが、そんなカビの生えたごまかしなんてこのご時世に効くはずもない。
不意打ちを諦め、俺は通気口の網戸?みたいなのを強引に外して(壊して?)部屋の中に降り立った。これ外さずに中に入るのはトコロテンじゃないと不可能なんでね。
「よくわかったな」
「殺意を飛ばしすぎだ。嫌でも気づく。どこの誰かは知らんが、少しは抑えておくんだな」
「勉強になるね。次から気をつけることにするよ」
「次から、か。俺も舐められたものだな」
ピン、と吸いかけの煙草を指ではじくと、懐から何かを取り出して、両手に一個ずつはめる。色とかテカりとかから見るに金属製だ。
あれって、あれだよな。
手につける武器。
メリケンサック、ってやつだよな。
「さて、血と肉のつまったサンドバッグにでもなってもらうか」
そう言って、軽快にリズムを取りながら、手を交互に素早く動かし始めた。
ジャブ。
フック。
アッパー。
ストレート。
ボディブロー。
喧嘩自慢のそれっぽい動きではない。プロの動きだ。
全然詳しくないし興味もあまりないが、それでも拳のキレが違うのがわかる。
「ふぅん、ボクシングスタイルね。退魔師ってのは千差万別なんだな」
「そっちも武器を持て。そのくらいなら待ってやる」
「そりゃご親切に──」
背中に片手を回し、いかにも隠し持っていた武器を取り出す仕草をしてみると、不意にボクサーおじさんがこちらの間合いに飛び込んで──
「──どうもっと!」
「む!?」
胸のど真ん中を狙ってきたパンチにこちらのパンチをぶつけ、相殺してみた。
「ふん。抜け目のない小僧だ」
ボクサーおじさんが飛び退いて離れる。
離れると、再び、さっきの軽快なリズムを刻み、そして俺との間合いを取り始めた。
「喋りすぎだよおっさん。こっちが武器構えるまで待つんなら、何も言わず見てりゃいいだけのことだろ? わざわざ告げたってことは、それをやらせたかった……違うかい?」
「大人しく心臓を止められていればよかったものを」
「心臓ならついさっき撃ち抜かれたよ。年上のお姉さんにね」
「ほざけ」
いや本当なんだけど……まあ、冗談か比喩に思うわな。
でも、この態度にはひっかかるものがある。
もしかして、そのこと(死体のふりして運び込まれた俺について)知らないのか?
情報の共有とか伝達が、ろくにできてないのか?
うん、そうなんだろうな、きっと。
これはいい。いい状況だ。
ますます暗躍するのに都合がいい状況だ。
それぞれが好きなように動いて、俺のことも伝わってない。
俺はさっきの要領で、目に力を込めてボクサーおじさんを凝視する。
いくつもの点線──小さな矢印の列が、ボクサーおじさんの両拳から、俺の身体の各部位に向かっている。殺意の列だ。
その中でも一本だけ太いやつが、俺の顎へと伸びていた。
ああ、そうか。
これが本命なのか。
きっと他の列はフェイントとかなのだろう。
こんなこともわかるのか。便利だな。使えば使うほど性能が良くなるのか。
自分の伸び代に驚愕と満足しながら、俺は、ほとんど先読みに近いこの視界をどう扱ってやろうかと、そう思ったのだった。




