3・殺人鬼とご対面
屋上へは、何の邪魔も罠もなく、すんなり行けた。
エレベーターを使えたらもっと楽だったのだが、間の悪いことに、下半身だけの患者を乗せたタンカが扉に挟まり延々と開閉しているので、使う気にならなかった。
が、どのみち屋上までは直行できないのだから別に構わない。
若いうちから楽することを覚えてはいけないのだ。
エレベーターを諦め、手遅れを通り越してる急患を乗せたタンカを押さえる男性看護士のそばを通る。
その破れた腹からは、はみ出た腸が、蛇みたいに床でのたうっていた。
踏まないように注意しながら、俺は階段へと向かった。
もし潰したら中身出てきそうだからね。えんがちょ。
階段を、急ぎもせず、のんびりもせず上がっていく。
モップを持つ手に力がこもる。
屋上にいるのが、これで勝てる相手だとはこれっぽっちも思わないが、しかし今の俺にはこれしかない。
欲を言えばショットガンとか置いてて欲しかった。
日本の病院じゃ無理な話か。日本じゃなくても無理だろうが。
いよいよ屋上に来た。
鍵の空いてる扉を引き、建物の外へと出る。
ぬるい夜風が顔を舐めてきた。
「…………あらら、あらららららら」
しくじりのマヌケ声が口から勝手に出てきた。
やっちまったな、と、思った。
正直、心のどこかで舐めていたのだろう。
十代の体力とリーチの長い棒ならどうにかできるかもしれない。
そんな、わずかな勝機を持っていたのは、否定できない。
でも、まさかこんなのが待ち構えていたとは。
「──どっからどう見ても悪質な化け物じゃん」
そいつは、胴体や下半身は、シャツとジーパンを穿いた小太りの男性という感じだが、他がえらいことになっていた。
上半身は醜く膨れ上がって人としての原形がなく、いくつもの大きな目玉がついていた。360度視界カバーできそう。
腕は長く太い触手となっていて、背中からも同じものが一対。
よく見ると、触手の先端は異なっている。
腕触手のはチェーンソーで、背中触手のは注射器だった。
それらで病院内の人々を切ったり刺したりして、肉にしたのか。
……ん?
なんで明かりが何もない屋上で、はっきりと、この化け物の姿を細かいところまで見れるんだ?
お月様も雲に隠れてるよな?
……いや、そんなこと後回しだ。
危機的な状況だと思いがけない力が出たりするというから、これもそうなんだろ。
火事場の馬鹿力ならぬ土壇場の暗視力だ。
今はただ、触手四本対モップ一本という、この圧倒的不利な戦力差をどうやって覆すか必死に考えろ。
でないと──また死ぬぞ。
両手で唯一の武器を持ち、腰を落として構える。棒術とか知らんがとにかく構える。
やりたくないけど、やるしかねえ。
先手必勝。
腹をくくり、あちらが何かする前に全力の突きをかましてやろうと駆け出す、その直前、
「お待ち、して、おり、ましたぞ。テンガイさま」
化け物が、その頭部だか何だかわからない部分を前のめりにして──お辞儀らしきものをしてきた。
「へ?」
肩透かしを食らい、つんのめってコケそうになる。
堪えた。
「贄の、味は、いかが、でしたか。ご満足、いただけ、たのなら、光栄に、ござい、ます」
たどたどしい口調。
人の言葉を、なんとか吐き出しているといった様子だ。
「贄って……あ!」
すぐにピンときた。
「もしかして、俺が死んでる時に何かしたのか? 病院内の人達の血でも、飲ませたとか」
「左様で、ござい、ます」
化け物はまた頭を下げた。
わからないことはまだまだ多いが、すくなくとも、こいつは(今のところ)敵ではないようだ。
バトルにならなくて、ホントによかった。
勝てる気しなかったもん。
で。
この化け物が言うには、自分はかつて、ヨシモトという名のただの人間だったらしい。
死んだ後、俺のおかげで黄泉帰ったそうだ。
「俺は何もしちゃいないぞ」
「何も、なさらず、とも、おられるだけで、充分なので、ございます」
はあ。
そういうものらしい。
「ですが、あなた様は、いまだ、まどろんでおられました。それ、ゆえ、お目覚めの、手助けにと、ここの者どもの、生き血を、搾り集め、捧げた、次第に、ござい、ます」
だからすっきりと復活できたのか……。
「それにしては体も服も汚れてないな」
化け物の話によると、大量の生き血を俺にぶっかけたら、それが全て霧のようになって俺の口へと吸い込まれていった……とのこと。
それでか。器用だな俺。
……ってオイ。
「どうやってぶっかけたんだ?」
聞きたくないけど、気になって聞いてみた。
「これで搾り上げ、吸い取った、後、あなた様、に、まんべんなく、降り注ぎ、まし、た」
背中から生えた、注射器つき触手をグネグネと動かし、ヨシモトさんだったものが、俺の予想通りの説明をしてくれた。
嫌な予感が的中した。
つまり、俺は病み上がりならぬ死に上がりだったところに、こいつのゲロを浴びせられてリフレッシュしたって事になる。
まあ厳密にはゲロではないが、だとしても気分的には辛い。
やっぱり聞かなきゃよかった。
……でもそうなると、ここで働いていた人達や訪れていた患者がこいつに皆殺しにされたのは、間接的に俺のせいってことか……。
ちょっと悪いことしたな。
だが、そうなると、気になる点がある。
どうして俺への飲み物にされた連中は、誰一人として、外に逃げ出さなかったのかだ。
「なんか自動ドア動かなかったんだけど、もしかしてこの中から出られなくしてたとか?」
「その、通り、です。境目を、断ちまし、た」
「なるほど、境目ね」
よくわからないが、結界とかそんなやつなんだろう。
見た目にそぐわぬ芸達者な奴だな。
暴れまわるくらいしかできなそうなビジュアルなのに。
「……ぬぬっ」
「ん、どした?」
化け物が、警戒の色が含まれた呻きを漏らす。
「不埒者が、ここに、入り込んで、きま、した。搾り、かすどもが、やられており、ます」
「警察か?」
なわけないと思いつつも、聞いてみた。
銃声や怒声が全然聞こえてこないからね。
「いえ、おそらく、我らの敵、で、あります」
我ら、ね。
俺も含めるの止めてほしいんだが……でもまあ、俺が元凶なんだから仕方ないのはわかるが……。
やっぱりこれ、考えたくないから後回しにしてたけど……これだよな。
俺の中にみなぎっていた、ワケわからん『力』のせいなんだろう。
復活できたのも、その力が解き放たれたからなのかな。
悪役一直線かぁ……こんだけ死人出しといてヒーロー系やスローライフ系路線にいくのは今更無理だよな……いやまだ諦めるの早いか……?
これからの未来図を不安視していると──カツン、カツンと、階段を上ってくる足音が、静かな夜に響いた。
何者かが、こちらに近づいてきている。
足音からして複数ではない。
……それってつまりは、あれだけいたゾンビどもを、瞬く間に倒して来たってことだ。
しかも一人で。
すげー手練れじゃん。
やばいよ、どうしたらいいのこの状況。
出口は一ヶ所しかないのに、そこから来てるんだよ。
飛び降りる?
秘められた力が解放されてる今の俺ならいけるか?
いけなかったら死のダイビングになるがどうなんだ?
やはり、こいつの戦闘力に期待するしかないのか? それとも今来る奴に命乞いすべきか?
……………………でも、変だな。
さっき、この化け物と戦おうとした時も、今もだが、恐怖心がピクリとも揺さぶられない。
厄介事を回避しようと、迷ったり困ったり不安になったりはするけど、同時にどこか晴れ晴れとした気分で、何が起きてもどうにかなるだろ感が凄いのだ。
死ぬ気になれば何でもできるというが、それをさらにパワーアップさせたらこうなるのかもしれない。
そんな開き直りみたいな爽快感に俺が包まれていると、そいつはついに階段を上りきり──
入口のドアを開けて、姿を見せたのだった。
作中では語られませんが、主人公をトラックでキルしたあと別のトラックに激突して死んだのがこのヨシモトさんです。