44・んちゅんちゅトレイン
右を向けば深いキス。
左を向いても深いキス。
逃げ場のない口づけの特急列車だ。
ディバインのは、なんだか本人もよくわかってない衝動に突き動かされた幼い本能のようなキスで、
ミスショットのは、大人の女性がじっくり若いツバメを味わうような、楽しみながらやってる感がよくわかるキスだった。
「なんでいきなりこんなことしたわけ?」
「わからん」
包帯まみれのディバインが言った。
予想のついていた答えだった。
まともな様子じゃなかったからな。俺を取られるとか、敵の側に回られたのかもとか、俺への好意とかが混ざって弾けたのだろう。
落ち着いてくれてよかった。
「わからんが、やらないと奪われると……ただ、それだけだった」
「で、剣士さま、ご感想は?」
ミスショットが口元に手を当て、いやらしい笑みを浮かべながら訊いてくる。
「まだ、ふわふわしてる」
「ふわふわ」
「そうだ。ふわふわだ」
ふぅ、と、ディバインが息をつく。
その凛々しい顔は満足感に満ちて、かつ、いまだ火照っていた。
人間の女性の、満足した『事後』もこんな感じなのだろうか。
間狩の母さんの場合は、息も絶え絶えで、燃え尽きたような様子だったからな。まあ、あの場合は呪いで弱っていたってのもあるし、そうでなかったら今のディバインみたいにスッキリしていたのかもしれない。
「何も覚えてないのか」
「そうなるな。とにかく、無我夢中だったのと、き、気持ちよかったのと……それだけはわかっている」
途中、言葉を詰まらせながらディバインが語る。
俺がどさくさに紛れて息を吹き込んでいたせいだろう。
明らかにディバインは、むちゃくちゃなキスの最中に──時折ビクビク痙攣してたから、おそらくそうだと思うが──何度か達していた。終盤では俺がキスの主導権を握っていたくらいだったからね。
そして、好意や発情や独占欲などの混じった昂りを出しつくし、冷静さを取り戻したのだろう。
つまり今のこいつは賢者タイムだ。
元気になってきてるのは、ボディが完治したので、体力活力もそれに応じて戻ってきたからかもしれない。自己修復の機能持ちだし。
「気持ち良かった……ねぇ。ま、そんだけびちゃびちゃになってればなぁ」
「ううっ」
ミスショットに指摘されると、ディバインは凛々しさから一転、恥ずかしそうに顔をうつむかせた。
びちゃびちゃというのは、汗だけではない。
まあ、その……具体的に言うのも何だからぼかすが、汗じゃない液体が、デリケートな部分をぐっしょり濡らしていた。
全身を覆う包帯は二種の汁まみれでひどい有様だ(もう損傷ダメージはないから不要だが)。
これは、以前のディバインにはなかった機能である。
過去、二度に渡って息を吹き込んだが、こいつの身体から出てきたのは汗と喘ぎ声だけだった。
思い返せば、間狩の母さんも、似たようなものを出していたな。似たようなというか、あれが真っ当な液体で、ディバインのが作り物なのだが。あれはうまかった。
この機能追加は、やはり俺のせいだろう。
俺が、これまで女性達にやった治療を、いつものようにディバインに何度もやり続けたことで、きっとバージョンアップされたのだ。
あるいはもしや──何かのタガが外れて、解禁されたのか。
「まずいことをしてしまったのではないか」という気もするが、もうなってしまったものは仕方ない。大事なのはこれからだ。
この休戦で、事態はどう変わるのか。
本当に今も存在するかどうかわからないアサルトマータクリエイターが、何らかの動きを見せるのか。
まだ残っている、敵対的な人形ども──ネヴァモアとスパイラル、そして、遭遇すらまだなチック・タックは、どこで何をしているのか。
(もう、俺がやれそうなことはほぼ全部やった。後は『待ち』だな)
今後について話し合わないとな。ミスショットのことも(警戒も含め)紹介しないといけない。
こんな廃墟の暗闇にいる必要は、もはやない。
外に出て、根ノ宮さんとグロリア先輩に、さっさと合流しよう。
あの人達のことだ。無駄に町中をうろうろするような真似はしそうにない。俺達が戻ってくるのを、先輩の自宅か、もしくは土建屋事務所のあった更地で待機しているのではないか。
根ノ宮さんがこちらの先を詠めれば、合流も簡単なんだけど、困ったことに、アサルトマータが絡むと極めて詠みにくいときている。
こちらから動かねば。
「本当にこんな奴を信用するのか」
下へ降りるため、階段へと向かう途中。
ディバインが、俺を挟んで反対にいるミスショットをジト目でにらみつけた。
木箱をかぶった蒼髪のレオタード剣士と、黒コートの前を全開にした緑髪の狙撃手との間に、見えない火花がバチバチと散る。
不審者を怪しむ不審者の図である。
「完全には信用してないが、まあ、いいんじゃないかな。悪い奴かもしれないが、不愉快な奴じゃないし」
「私は不愉快だがな」
やはりこの二体はウマが合わないようだ。あまりからかうなと、ミスショットのほうに後から一言言っておくか。
「ヒヒ、女の嫉妬は見苦しいぜぇ?」
ミスショットが抱きついてきた。
一言言っとくかと思ったそばからこれである。
「やめろ。私の相棒に嫌な匂いをつけるな」
「やめな~い」
心底楽しそうにそう言うと、犬がマーキングするように体をこすりつけてきた。
ディバインの顔が瞬時にひきつる。
言えば言うほどやりたがる。
見た目だけなら、クールで、かつ気だるげな大人の美人さんなのに、中身はこのウザさ。あの風船屋を身体だけ大人にしたらこんな風になるのではなかろうか。
ちなみにライフルだが、手に持ってはいない。背負ってもいない。
コートの中にしまっているそうだ。
どんな方法かはわからない。たぶんディバインの木箱と同じ原理でしまわれているのだろう。
ラノベでよくあるアイテム収納ボックスみたいなものかなと、そんなことを思っていると、
下り階段のほうから、明かりがやってきた。
「……ど、どうしてですか」
聞き覚えのある、男の声。
困惑しているその声を発したのは、ミスショットのところまで俺を案内した、あの少年だった。
どこか嫌味な物言いのあの少年が、階段を上ってきて、その手前で、懐中電灯でこちらを照らしながら拳銃を突きつけている。明かりの正体はこいつだったのか。
「おや、どうしたんだい、坊や」
ねっとりとした、しかし、どこか冷めた声でミスショットが言った。
俺に対してのときとも、ディバインに対してのときとも違う、どうでも良さげな声色だった。
「その、は、箱女とどうしてつるんで……そ、それになんで、その男なんかに……」
少年は鼻が折れ、盛大に顔や衣服を血まみれにしていた。
誰がやったのかは、そりゃ、俺のそばにいるこいつだろう。
「やれやれだな。拳銃をもぎ取って、パンチだけで済ませてやったというのに」
「他の奴らは?」
「命に別状ない者が、この少年を含め二人。血止めをしたら助かりそうな者が一人。あとの三人は駄目だった」
加減する余裕がなかったんだな。
銀の剣や、足に巻かれていた包帯に、返り血らしきものがついていたから、やっちまったんだろうなとは思ってた。でも自分の身を守るためだから問題視はされないさ。操られていた奴らの運が悪かっただけだ。
「ま、魔女さんから離れろ……このクズ。そこの箱女も……おっ、お前の差し金なんだろ」
少年が悪態をつく。
銃口は俺に向いていた。
俺にしか見えない、敵意と殺意による矢印が、俺の顔へ一直線に列を作っている。
「やっぱ女難の相があるのかな、俺」
「モテる男の性ってやつかねぇ、フヒヒヒッ」
「魔女さん、そ、そいつから離れて。で、でないと魔女さんに、当たるかも。だから……」
「やめな、坊や」
「い、嫌です」
「アタシの言うことが聞けないの? 誰がその拳銃を、力を与えてやったのか、忘れたのかい? その力でやりたいことをやっといて、ここにきて逆らうのかい?」
俺に抱きついたまま、ミスショットは淡々と告げる。
おふざけの要素など、そこには一切残っていない。
これが素のミスショットなのだろうか。ちょっと怖くなってきた。
「そ、それはそうですけど…………でも、嫌だ。そんな奴と魔女さんが……そんなの、み、見たくない。嫌だ、そんなの嫌だ」
首を振ってイヤイヤするたびに、鼻血が床に散る。
「いいか。これがアタシからの最後通告だ。二度は言わない。こいつに向けている、その拳銃を──降ろせ。そして足元に落とせ。今すぐだ。十秒だけ待ってやる」
冷酷にミスショットはそう言った。
「う、うう」
いよいよ、崖っぷちに立たされた少年。
顔をくしゃくしゃにして、絞り出すように呻いた。
「追い詰めすぎじゃね?」
「そうかい? 自分の身が危ういってのに、ユートったら、寛大なんだねぇ…………んちゅ」
「あっ、こら!」
ディバインが叱るが、そんなものお構い無しとばかりに、またおふざけモードに切り替わって俺の頬に唇を押しつける。
それが、少年の心の琴線を、かろうじて繋がっていた正気を──断ち切ったらしい。
「やめろぉお!!」
ついに限界を越え、少年が吠えた。
狙いを定め、引き金を引こうとした、その時。
くるり
「えっ……?」
銃口が、
拳銃を持つ腕が、
百八十度、内側を向いた。
ドォンッ!
ミスショットにお説教されてる間も、ずっと拳銃に力を溜めていたのだろう。
そのサイズからは、決して出せないはずの破壊力。
強力なショットガンを至近距離から発射したかのように、少年の頭も、首も、胸元も、たったの一撃で吹き飛んだ。
「……馬鹿だねぇ。誰が与えた力だと思ってんのさ」
ミスショットは、力なくゆっくりと倒れていく少年に、冷たく吐き捨てた。
ひとかけらの情もなく。
「貴様の甘言に乗って、人の道を外れ──その末路が、これか」
ディバインの言葉には厳しいものがあった。
他のアサルトマータと違い、そこそこ人間に友好的だからなこいつ。
「無理強いはしてないぜぇ? 楽チンで爽快な人殺しの道を選んだのは、こいつ自身さ。殺さずに痛みと恐怖だけ与えるって選択もあったし、なんならさぁ、アタシからの贈り物を拒否った奴だっていたしな」
「ならしょうがないな」
撃ち殺して解決することに味を占めた奴には当然の末路だ。
選択を与えたミスショットも悪いっちゃ悪いが、アサルトマータのこいつに道徳について語ったところでな……。
俺もそんなこと言うガラでもないしさ。復活したあと間狩にめちゃめちゃキレられたからな。
だから水に流そう。終わり終わり。
どこの誰だったかもわからない、名前すら知らない少年の死体をまたぎ、俺は二体のアサルトマータと共に階段を下りていったのだった──




