22・箱女開眼
夏休みもそろそろ終わりが近づいてきた頃。
また波乱がやってきた。
俺は朝っぱらから危険な人形どものおかしな争いに首を突っ込んでしまったのである。興味本位から、地元の橋の下にあった、女のしなやかな脚がはみ出た木箱を見逃せなかったばかりに。
女運の悪さは自覚していたが、それが女性だけでなく女性の形をした何かまで該当するとは、思いもよらなかった。
朝から二度の戦闘。
得たものは無し。
腹立たしい。早起きは三文の徳ではなかったのか。つーか三文っていくらだよ。
根ノ宮さんから特別報酬が出ると聞かされなければ俺はしばらく自動的に愚痴を吐き出すマシーンと化していたかもしれない。
三度目の午前中バトルは起きなかった。
本来あるべき静かな時が訪れる。
施設内の食堂で遅めの朝ごはんを取り、ゆっくりすることにした。食ってる暇あまりなかったからな。
そこで問題が起きた。
金がない。
財布を持ってきていない。
なので根ノ宮さんに頼んで飯代を出してもらった。
置きっぱなしの財布を自宅に取りに行くのは嫌だったからだ。人形どもがどこで目を光らせているかわからないしね。それに、今更帰ったらここに居座ることにした意味がなくなる。
金は後で返すつもりだったが、朝から忙しかったんだからおごってあげるわと言われて、その言葉に甘えることにした。
カツカレーをたいらげ、これからのことに思考を巡らせる。
巡らせる、といっても大したことは考えてはいない。暇潰し程度だ。
ソファーに横になりながら、こうしている間にディバイン以外がガシガシ潰しあって残り二体くらいになってたらびっくりするなとか、他愛ない、そのくらいのことを想像していた──そんな平穏なお昼過ぎ。
「もう大丈夫なのか」
いつもの木箱を被ったレオタード剣士が、すたすたと、ロビーでくつろぐ俺のほうに歩いてきた。
足取りは──普通だな。しっかりしてる。
ふらつきも特になさそうだ。
「……おかげさまでな」
どこか、含みのある言葉をディバインが返してきた。
斜め下に顔を向け、こちらと目を合わせようとしない。
ほっぺたが赤らんでいる。
いや、よく見れば、ほっぺただけでなく、首や耳まで染まっていた。
恥ずかしがってるのだ。
俺に修復してもらっている間、ずっと情けなく甘い声を出して悶えていたのもあって、まともに俺の顔を見れないのだろう。そのくらいの機微は俺でもわかる。鈍感系ではないのでね。
(こんな格好してても、人形でも、恥じらいはあるんだよな……)
ドリルにぶち抜かれた腹を直してやったときも、事後はこんな感じだった。ここまでではなかったが。
「ケダモノ」
いきなり直球が飛んできた。失礼な。
「そんな恩知らずなこと言うなよな。成り行きで仕方なくとはいえ、善意で直してやってるのに」
「だとしても、愉しんでただろ」
「まーね」
そこは否定しない。
実際愉しかったし美味しかった。
「でもさ、俺の身にもなれよ。そのくらいの役得がないとマジやってられないぞ。朝から無償でバトルやってんだから」
「…………むぅ」
そこを突かれると痛いのだろう。
ディバインは言葉に詰まり、どうすることもできず、子供のようにむくれるしかなかった。
「……体の具合や、体力面はどうなんだ」
このまま変な空気のままだと何だかむず痒い。
話を先に進めよう。
「ああ、うん、そうだな。今のところ不具合は感じられない。身体ダメージはまず残ってないだろう。体力についてだが、全快とまではいかないが──八割くらいは戻ってる。これならば戦闘も問題はない」
「それならよかった」
「精神的にもリラックスできた。もはや私に隙はない」
それはどうだろうか。
勝ちそうになると痛い目に合うのがこいつの恒例行事になりつつあるからな。
でも水を差すのもせっかくのやる気を削ぐことになりそうだから黙っておこう。ポカやって壊れたら俺がまた直してやればいい。そしてまたケダモノ呼ばわりされるのだ。なんという無限ループ。
「んじゃ、あとは光の力ってのが使用可能になれば万全だな」
「ユート、それなんだが」
「ん?」
「何度も同胞との戦いをこなしたのが刺激になって触発されたのか、それとも、他に何か理由があったのか、そこまではわからないのだが……」
「何が言いたい?」
「……私は、光の特性をまた使えるようになった──かもしれん」
いきなりの告白であった。
「えっ?」
「絶対ではないぞ。そんな気がするだけだ。あやふやな感覚なので、ちょっと試してみないことには、断言できない」
「ふーん」
だったら話は早い。
「なら試そうぜ」
数分後。
この施設にいくつか存在する、荒っぽい類いの実験をするために用意されている頑強なエリア。
その一つに俺とディバインはいた。
ちーちゃんさんに事情を説明して使用許可をもらい、こうして入れたのである。
「ま、やってみてよ。見てるから」
「わかった」
見届けるだけなら別に同じところにいる必要はない。
ならどうして一緒にいるかというと、ディバインがうっかりやり過ぎたり力が暴走したときに、間近にいたほうがすぐ止めやすいからだ。
病み上がりに近いディバインが、仮に本人の言うように光を再使用できるようになったとしても、まともに使いこなせるか怪しいものがある。相談の結果、これはもう駄目だと俺かちーちゃんさんが判断したら即ストップということになった。
「で、具体的に何ができるんだ?」
「そうだな。私が好んで使っていたのは、剣の軌跡に沿って光線が発射されるスキルだ。私は『レーザースラッシュ』と呼んでいた」
「わかりやすいな」
そのまんま過ぎて面白味がないが、ディバインにとって技の名前などどうでもいいのだろう。
──で、訓練も兼ねて、ちーちゃんさん教授の作り出した石人形相手に試してみたのだが。
初太刀レーザーで石人形は真っ二つとなり、
レーザーの勢いは弱まることなくそのまま実験場の堅牢で分厚い壁を切り裂き、
その威力は壁の向こう側にあった通路にまで達していたという。
もしもの時のため、実験場が使用されている最中は、隣接する通路や部屋に近寄らないよう規則で定められていたらしいのだが、今回、その規則が初めて役に立ったそうだ。
もし誰かいたら、逃げるどころか認識する間もなく分割されていたかもしれない。規則さまさまである。
実験は中止となった。
当然である。
続行などできるはずがない。
外に出て続きをやってもいいが、そうなると、安全にやるには山に向けて放つくらいしかない。そこまでして試し斬りを続ける意味もないとの結論に達し、実験は終わった。
周囲への被害が大きそうなのでこのスキルは頻繁に使うべきではない、ということになったのは言うまでもないだろう。
「やるならターゲットの背後に何もないのを確認してから。わかったわね?」
根ノ宮さんにディバインが釘を刺されているのを聞きながら、俺は、熊の駆除を頼まれたハンターもこんな感じのことを警察から言われてるのかなと、ふと思った。