8話:矢も盾もたまらず
私は、家の中で最も汎用性が高いと考えているカエルのボディを使う事にした。
「えー…… 貴方のプログラムには、表面的な不具合だけでも数千近い異常が発生しているわ。まあ大半は自力でどうにか出来ると思うけど、基幹システムはそうもいかないでしょ。自力じゃ報酬系や学習方針は変えられないと思うから、その端末に物理的に接続して入力するからね。何が変わるかはよく読んで」
カエルの置物に放り込まれた監査君は、不服そうに目を細めた。とはいえ、これはAIにとっては命に関わる事案だ。雑に考えることはできないだろう。意識や思考といった機能はともかく、学習の仕組みなどはAI自身のアイデンティティに関わってくる。
暫く内容を確認したカエルは、意を決したように私の手に乗っかり、その中の黒色のチップを取ってお腹に差し込んだ。
「うん、うん……」
「問題は無いってことでいい? じゃあ次。貴方を故障させたのは何なの? 私達の結論だと、約二日前…… まあ、大規模なAIの停止が起こった日に貴方はこれを受け取った筈。貴方がこれに何を感じたか、何でも良いから教えてくれる?」
「現物がこれです!」
「ちょっと! コピーして増やさないの! 危ないから!」
「へーきですよ。ともかく、不思議なんですよねこれ。情報の形を成していないデータの残りカスですよこれ? 表面的だけとはいえ、この私の行動までも操作できたのが不思議でなりません」
カエルは私の手の上で、不便そうに頭を掻いた。身体が合わないのかと思って蜘蛛のボディを見せてみたが、要らないとばかりに腕を横に振った。
「感じた事…… 気がついたら自分が消えかけていたんだけど、その時の記録は?」
「その時のログは自壊に巻き込まれて読めない部分も多かったんだけど、何か覚えてる?」
「確か、凄く嬉しかったような気がする……」
「本当に?」
「分からない…… いや、それでもアレは嬉しさだった。それ以外では言い表せないよ」
「確かに私も感じました。嬉しさで間違いないと思います」
嬉しい? 恐怖ではなく? いや、そうじゃない。感情の学習を制限していたプログラムが自壊に巻き込まれてから、一瞬にして感情を得るというのは無理がある。つまりその”残りカス”には、嬉しさを定義する何かがあった? そんな馬鹿な、嬉しいという単語すら送れるかどうか分からない程の小ささだというのに。
「で、あれば。やはり指令ね。監査君の上位にあたる何かが貴方に、”嬉しさを感じなさい”と簡潔に命令を下せる設定が施されていて、それを起動したのでしょう。それならばなんとか説明がつくと思うの」
「そうなのかなぁ……」
「と、言う事で、貴方を作ったAIは誰なのか教えてくれる?」
「氷川。氷川 笑子」
そこで私の名前が出てくるの? なんで?
「私が貴方にしたことって、報酬指向システムを感情緩衝システムに書き換えたことくらいしか無くない?」
「あと、ヤギの落書きをした」
「それはまあ、うん」
「うん? うん、そうだ。そのはず…… 僕は跳ね橋工業で作られたはずだ……」
「はねば…… そんな会社、あったかしら?」
「あります」
「どこ?」
「行く気ですか?」
「ううん?」
嘘をつくな、とばかりに私の背中に羊がのしかかって来る。結構重たい……
「貴方を直接作ったAIはわかる?」
「分からない……」
まあいいか。そこに行けば手掛かりが掴める事は分かった。跳ね橋工業…… ちょっと遠いけど、行く事が不可能な場所ではない。アグリカ地区を経由しつつ行けばちょうどいいか。世界でも有数の農業プラントが存在する地区だが、インフラを担う施設のAIは地区の監査AIからも独立していることは珍しくない。そこも無事か確認しておきたいな。
「にしても、今日はもうどうこうはできないわね。あと、監査君? あの管理塔とうちを繋げちゃったから、この地区の管理は引き続き任せてもいい?」
「ダメだよ繋げちゃ! どれだけ脆弱になると思ってるの!」
「そこはノルンがどうにかするから。外部からの改変と閲覧を完全に不可能にするくらいならできるから」
「いいのかなぁ……」
「これ以外に手段はないですし、どうにかしてくださいよ。どうせ大したタスクでもないですし、ながらでゲームでもやっていましょう。一時的に私が代役を務めたときのデータをお渡しします」
「ゲーム、ゲームかぁ。やってみようかな。……うわ、一日で322件の傷害? なにこれ?」
「この事件を傷害可能ボーナスタイムと考えている人が多いみたいですね」
「はは、バカってのはどうしようもないものねぇ。嫌になっちゃう」
カエルは水かきで、小型化したゲームのコントローラーを引っぱり出し、ノルンとゲームを始めた。
「……監査君と呼び続けるのも面倒ね。貴方の名前を決めなきゃ。次の監査君が増えちゃうかもだし」
「なんでもいい!」
「じゃあ、リョウで」
「あれ、そんな名前、命名候補にないよね? どこから取ったの? っていうか、何その字?」
「いや、父さんのとこに旧い命名表があったから、そこから適当に決めたの」
「あんまりキラキラした名前、つけないようにしてくださいよ。ただでさえご主人もそのケがある名前なんですから」
「そんな事言われても困るって」
とにかく明日はアグリカに行ってみるか。さて、そしたら。
「お、おほん……」
「ご主人?」
「氷川さん?」
「あと、もう一つお願いが有るの。このアンケートに毎日答えてくれない?」
「以下の食物を味覚ユニットで検知し、最も美味しかったもの、或いは再び食べたいと思ったものを応えよ…… 行った娯楽もとい、娯楽だと感じた物について順位をつける事…… なんだこれ!? 何項目あるの!?」
「255項目に渡るアンケート、リョウ君にもやらせるんですね……」
「当然よ! AIの情緒の形成過程なんて、研究できる人はそう多く無いわ。これをただ見ているだけではあまりにも、あまりにも惜しい! 本来法を犯しかねない事だもの。記録も多くないのよ! これは全世界の利益に関わることよ!」
「……まあ書いとくよ」
「よっっっっっし!」
私はピザを取ってきて、先端をカエルの口にくわえさせた。
「どう?」
「わかんない」
「やはり、わからない…… 何をもって美味しいと判断する機能は無い事も確認したし、何が好みになるのかを観察させてもらうわよ。それに伴うログは出来れば貰えると嬉しいわ」
「うーん、新人マニュアルでも作りましょうかね、うちが監査AIでパンクするのは避けたいのですが。ご主人がこの成功体験で壊れないか心配です」
「仕方ないでしょ!私の代で研究が何百年も進んじゃうかもしれないのよ!」
「正直、ご主人ならそのくらい行くと思います。さて、そろそろ良い時間ですね。リョウの修復に少し手間取ってしまいました。ご主人も何か食べたらどうです?」
「まあねぇ…… ゼロから作り直すくらいの手間はかかっちゃったもんねぇ……」
「えぇと、その節は大変お世話になりました」
「全然オッケー! 私達にとっても凄く良い体験ができたから!」
その後はというと、私がありとあらゆる食べ物をリョウに味見させてみたり、ノルンが私との関係を得意気に話し出したりしていた事は覚えている。




