3.杏の悲しみ
◆◆◆◆◆
「ママ――どうして尋兄ちゃんは遠くへ行っちゃったの? いつ帰ってきて、前みたいにいっしょに遊んでくれるのかな?」
いまだ残暑がしぶとく居座る9月末のこと。
キッチンで杏が洗いものをしていると、3歳になったばかりの芽久が投じた言葉だった。
思わず顔をあげて、息を飲んでしまった。
あどけない娘を真っ向から見る。
無垢な顔つき。アイスピックで心臓を一突きされたみたいに、杏のなかで時間がとまった。
尋の1周忌が間近に迫っており、嫌でも去年のことを思い出さずにはいられない。
むろん、事故のことを片時も忘れたことはない。
11歳で長男の時はとまってしまった。
難しい年ごろになったときの息子の顔つきを、忘れたことなどあるものか。――1日たりとも。
しかしながら、いざ詳細に思い出すのはためらわれた。
「芽久ちゃん、お兄ちゃんはね――鳥になったの。翼を広げて、飛び立っちゃった。しばらく戻ってこないと思う。けど、いつかママや芽久ちゃんも、あっちに行く日が来るから、それまで辛抱しようね。きっと尋に会えるから」
杏はタオルで手を拭きながら小さな娘に近づき、しゃがんで頭を撫でた。
芽久は、生前尋が大事にしていた消防車のおもちゃを手にし、不満げに頬を膨らませている。
3歳とて、ストレスで押し潰されそうなのだ。
この子には、いつまでも嘘をつき続けることは難しいだろう。兄が鳥になってどこかへ行ったなんて。
すでに綻びが生じていた。
杏は壁のカレンダーを見た。
今年の中秋の名月は10月1日だと、誰かに聞いた。
尋は去年の9月13日、十五夜の日、車に撥ねられ、死んだ。
13日にはクマさんのシールが貼ってあった。
あっけないほどの突然の別れだった。
この地方では特別な晩にだけ、子どもだけの伝統行事が行われる。
それが『お月見泥棒』だった。
◆◆◆◆◆
そもそも十五夜とは、旧暦8月15日の夜を意味し、中秋の名月を愛でる日でもある。
旧暦8月15日はというと、現在の暦の上では9月中下旬ごろにあたり、かつては秋の重要な行事であった。
中秋の名月は『芋名月』『豆名月』ともいい、その晩は、ススキ・団子・サツマイモ・里芋などが供物として捧げられる。
十五夜の月が冴えれば麦が豊作になるという伝承があることから、この晩こそ畑作と関連の深い行事であったことがわかる。
なかでも、狭い地域限定ながら、お月見泥棒という子どもたちのイベントが毎年行われていた。
その起源は江戸時代のころよりはじまったとされている。十五夜にだけ、子どもたちは他家の供物の盗みが許されるのだ。かつて子どもは、月からの使者と信じられたからだという。
各家の縁側や玄関に、ススキとともにお月見団子が供えられて、月に感謝の意をこめた文化がアジア圏に散見された。とくに日本における月見は、いまでこそ団子から駄菓子に変わったものの、子どもはそれを盗んでも咎められたりはしなかった。むしろ家側は、喜んで子どもたちに盗られることを良しとした。
子どもたちはそれ目当てに民家の敷地に入り込み、「お月見くださーい!」「お月見泥棒です!」と、元気よく言ってから盗むのが作法とされた。
言うなれば、日本版ハロウィン。ただしこちらは仮装はない。奇しくも本場、古代ケルト人の祭が行われるのも、10月31日と近い。
してみると、江戸のころに海外からハロウィンの文化が入り込み、日本流にアレンジされて伝播されたのかもしれない。
◆◆◆◆◆
杏たちが暮らすこの地域にもお月見泥棒の風習があり、子どもたちはその特別な夜を楽しみにしていた。
去年のことだった。
いつも仲のいい同級生の蓮と、瞬介、武司との4人で、自転車でかけずりまわっていた。
お月見泥棒において、より多くお菓子などの供え物を獲得するには、小回りが利き、機動力を活かした自転車こそ高い回収率を発揮する。
悲劇は突如として訪れた。
たっぷり戦利品を自転車の前かごにおさめた4人だった。
とはいえ、戦線を伸ばしてしまったせいで、自宅に帰るにはあまりにも遠く来てしまっていた。となりの、そのまたとなり町である雲雀町まで、供え物を探しに来たのだった。
尋には土地勘があった。
町とは反対に、暗い山を指さした。
そして蓮たちに伝えるのだった。
林道を通ればショートカットできる。
それで、地元では魔のカーブと恐れられる見通しの悪い県道を渡ろうとした。
横断歩道はなかった。
尋は逸る気持ちを抑えきれなかったにちがいない。
3人が、危ないからやめておけ、と言ったが時すでに遅し。
尋はすでに飛び出していた。
カーブ自体もきついうえ、測量設計事務所の建物が死角になっているのが、この道のいちばんの難点だった。ここ10年で歩行者の死亡事故が7件と、自損事故が4件、車同士の衝突が8件、発生していた。
尋が自転車に乗って、道のなかほどまでさしかかったとき、すぐに車のライトで浮き彫りになった。
蓮たちにはどうしようもなかった。
あっ!と声をあげた次の瞬間だった。
急ブレーキに続き、ドン!という低い音。
ひしゃげた自転車と、尋の身体が路上にぐったりと横たわっていた。
即死だった。
杏の悲しみはいかばかりだったか。
せめてもの幸いというか、尋の顔は、まるで眠っているかのように穏やかだった。
揺すれば、不機嫌そうに眼をしばたたかせるのではないかと思えるほど安らかな寝顔だった。
事故死したとはにわかに信じがたかった。
蓮たちは、いっしょにいながら尋を止められなかったことに責任を感じた。
杏は3人を責めはしなかった。
なぜ自分の息子だけが?――という思いがなかったと言えば嘘になるが。
しかしながら覆水盆に返らず。死んだ者は逆立ちしても帰ってこない。
杏は泣くだけ泣いて、あきらめることにした。
あきらめるしかないではないか。
49日の式をすませたとき、杏はきれいさっぱり心を切り替えた。
はじめ、達樹と結婚し、この町に移り住んだとき、こんな楽しい行事があったなんて、と、ほっこりした気分になれたものだ。
その夫とは3年前に別れた。理由はいろいろありすぎた。
お月見泥棒のことを思うだけで憂鬱になった。恐らくこれからも十五夜を迎えるたび、気分が沈み込むのだろう。