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ジョン・ケインズ

挿絵(By みてみん)


 経済学者として高名なジョン・メイナード・ケインズは博学な人物でした。そのことはケインズ全集をながめるだけでわかります。ケインズは有効需要という概念を創造した経済学者であるとともに官僚でもあり、思想家でもあり、ジャーナリストでもあり、科学者でもあり、投資家でもありました。そんなケインズは、歴史修正の功績を後世に残しました。その舞台となったのはフランスの首都パリで開かれたベルサイユ講和会議です。

 第一次世界大戦後、戦勝国と戦敗国の代表がベルサイユ宮殿にあつまりました。講和条件を話し合うためです。戦勝国は、戦争によって生じた各種の被害と経費を敗戦国ドイツに賠償させようとしました。これは当時の国際常識でした。とはいえ問題がありました。戦勝国は、正当な賠償請求のうえに不当な請求を上乗せし、これをドイツ一国だけに請求したのです。戦勝国の代表者たちはドイツを眼の敵にし、ドイツに領土を割譲させ、国家の資産を没収し、天文学的な賠償を課そうと企てました。そうすることでドイツを弱小国家にしてしまい、後顧の憂いを絶とうとしたのです。

 ドイツによる復讐をおそれたフランスとイギリスは、ドイツ経済を破綻させてドイツを再起不能の状態にしてしまおうと考えました。そうすれば自国は安全だと思い込んだのです。だから、ドイツの重工業を根こそぎ壊滅させ、農業国家へ退化させようとしたわけです。

 さらに、講和会議に臨んだ戦勝国の政治家たちにはそれぞれ自分勝手な思惑を内心に抱えていました。講和会議で華々しい実績をあげ、自国世論の支持を獲得し、次期選挙に勝利したいという政治的な思惑です。そのため、できるだけ多額の賠償をドイツからもぎとり、自国民を喜ばせたいと考えていたのです。


 ケインズは、イギリス全権団大蔵省首席代表として講和会議に臨みました。戦勝国の画策するドイツ弱体化政策に深刻な誤謬が含まれていることにいち早く気づいたのはケインズです。ケインズの試算では、ドイツが返済できる賠償額の上限は百億ドルでした。ところが戦勝国は四百億ドルもの賠償をドイツに請求しようとしていました。戦勝国代表団は報復心に燃えるあまり、背信的で利己的な講和条件をドイツに押し付けようとしていました。その暴挙がめぐりめぐって自国経済をも破綻させるとは気づかぬままに。

 ケインズは経済学者だっただけに、誰よりも早くこの錯誤に気づきます。ケインズは欧州の経済構造を熟知していました。欧州経済はドイツ経済を主柱としてひとつの経済圏を構成していました。そのドイツ経済を壊滅させてしまえば欧州経済全体が大混乱に陥る。そうなればイギリスやフランスの経済も無事ではいられない。そのことに英仏首脳は気づいていませんでした。

 イギリス全権団内においてケインズは「過剰な賠償請求をやめるべきである」と訴えました。しかし、ケインズの意見は採用されませんでした。イギリス政府首脳は、目先の政治的打算のために将来の禍根に目をつぶろうとしたのです。

(講和条約によって平和がもたらされるどころか、むしろ欧州経済の破綻を招いてしまう。経済不況は社会的混乱を招くだけだ)

 ケインズは憂慮しました。そもそも世界戦争という巨大で複雑な現象の全責任をドイツ一国に負わせることは不条理でしたし、ドイツを戦争に駆り立てた為政者とドイツの一般国民とは立場が違います。まして、これから生まれてくるドイツの子孫たちとドイツ皇帝とはまったく無縁です。ケインズは、復讐心や遺恨によってではなく、寛容と分別によって講和条約が結ばれることを願い、そう主張したのです。が、ケインズの意見は却下されてしまいます。


 そんな折も折、「十四箇条の平和原則」という高々とした理想を掲げてヨーロッパに乗り込んできたのがアメリカ大統領ウイルソンです。ケインズは、ウイルソン米大統領に大きな期待を寄せます。

 ウイルソン大統領の掲げた平和原則の第一条は秘密外交の廃止を謳っていました。この原則が守られるならば、不当な賠償をドイツに請求することは不可能になります。ウイルソン大統領が英仏の不当な賠償請求をことごとく否定してくれるのではないか、とケインズは期待します。

 しかしながらケインズの期待は完全に裏切られることになります。ウイルソン大統領はベルサイユ講和会議においてまったく精彩を欠き、指導力を発揮できぬまま、むしろ無能をさらけだしてしまったのです。

 欧州の戦後体制を定める米英仏伊の四国首脳会議は、ロイド・ジョージ英首相とクレマンソー仏首相によってつねに主導されつづけました。ふたりの老練な政治家は、ドイツ経済を壊滅させるために天文学的な賠償金をドイツに課して弱体化させ、それにより自国における政治的優位を得ようとしていました。これに反論すべきウイルソン米大統領は、その堂々たる体躯を、ただ木偶の坊のように椅子にあずけているだけでした。

 戦勝国とはいえ英仏両国は経済的に疲弊しきっていました。多額の債務を抱え、人材も物資も欠乏し、アメリカの参戦によってようやく勝利を得られたというのが実情です。だから、ウイルソン米大統領が断固たる姿勢を示せば、英仏をはじめとする戦勝国はアメリカに従うほかありませんでした。たとえば、「戦時債務を早急に支払って欲しい」とウイルソン大統領が発言すれば英仏両国は震え上がったでしょう。

 ウイルソン大統領は講和会議を牛耳ってもよい立場でした。そもそもドイツ帝国が休戦を交渉した相手はアメリカだったからです。アメリカが休戦を実現させたのです。そして、ドイツと休戦協定を結ぶ際に「十四箇条の平和原則」をウイルソン大統領が唱えたのです。国境変更による併合もなく、賦課金もなく、懲罰的な賠償要求もないという原則でした。ですから、休戦を実現したウイルソン大統領が圧倒的な経済力と軍事力を背景にして影響力を行使すれば、さすがの英仏首脳も黙らざるを得ないとケインズは思っていました。もし平和原則が破られるようなことになれば、それを高唱したアメリカは恥を世界に曝すことになります。だからこそケインズはウイルソン大統領に期待したのです。

 しかし、結局、ウイルソン大統領は平和原則のほとんどを実現させることができませんでした。欧州で発達した会議外交というものについてアメリカ政府といえども無知で無策でした。ウイルソンという人物は敬虔なキリスト教徒でしたが、機敏な機知と巧妙な外交的駆け引きを駆使する能力にはまったく欠けていたようです。四国首脳会議におけるウイルソン大統領の無能ぶりをケインズは間近で目撃し、おおいに失望したのです。

 ベルサイユ講和会議の実相は歴史教科書に述べられているような誇らしいものでは必ずしもありませんでした。平和原則は踏みにじられました。英仏両国は米独間で結ばれた休戦協定を破りすて、醜い欲望の饗宴に興じたのです。

 ケインズは講和会議の進展を憂慮し、抗議しました。ケインズには欧州経済の先行きが手にとるようにわかりました。講和条約によってもたらされる欧州経済の結末を極彩色の地獄絵図として脳裏に思い浮かべることができました。まずドイツ経済が壊滅状態に陥り、さらにドイツ経済の壊滅が欧州全体の経済に波及して大規模かつ広域的な経済不況をもたらす。欧州の治安は乱れ、平和は訪れない。

 ケインズは意を決し、チェンバレン英蔵相に講和条件の緩和を進言しました。チェンバレン蔵相はケインズの説得を受け容れ、ロイド・ジョージ首相に直言することを許しました。ケインズは勇躍して首相の説得に当たりました。しかし、ロイド・ジョージ首相はケインズの提案を受け容れませんでした。

 ケインズは絶望し、辞表を提出してパリを去ります。そして、「平和の経済的帰結」を出版し、パリ講和会議の内幕を暴露しました。この論文こそケインズが勇気ある硬骨漢だったことを証しています。歴史がつくられつつあるまさにそのとき、その歴史に含まれる巨大な欠陥を目撃したケインズは、つくられつつある歴史を修正しようと試みたのです。

 「平和の経済的帰結」のなかでケインズはベルサイユ条約の破壊的意義を論じています。まず欧州経済の歴史的経緯を述べ、その不可分の一体性とドイツ経済の重要性をあきらかにしています。そして、敗戦国だからという理由でドイツ経済を破綻させれば、欧州全体が経済的な破滅に至ることを実証的に示しました。

 興味深いことに、ケインズはスキャンダラスな事柄まで書いています。ベルサイユ講和会議の主役というべきウイルソン米大統領、ロイド・ジョージ英首相、クレマンソー仏首相らの会議場における立ち振る舞いを詳細に描写したのです。

 ケインズによれば、会議の主導権を握っていたのはクレマンソー仏首相です。ケインズの観察では、クレマンソー仏首相だけが明確な構想をもち、その構想を会議のなかで実現していく交渉力を有していたようです。英米伊の三首脳はクレマンソー仏首相に常に圧倒され、翻弄されるばかりだったようです。クレマンソー仏首相はごく短い言葉しか発しませんでしたが、当意即妙なその言葉が強い迫力と説得力をもっており、議論の趨勢を決していきました。

 おなじ戦勝国でありながら首脳たちは意見をしばしば対立させました。そのようなときクレマンソー仏首相は「敵国ドイツの味方をするのかね」と皮肉の効いたセリフを発して英米伊の首脳を沈黙させました。クレマンソー仏首相はドイツに対して強い偏見を持っているようでした。それは、フランスの将来に対する切実な心配の裏返しだったようです。

 第一次世界大戦の直前、ドイツは人口と工業力において圧倒的にフランスを凌駕していました。戦争の結果、独仏の立場は一時的に逆転しましたが、ウイルソン大統領の平和原則を守ってドイツに寛仁大度な処遇を与えれば、ドイツは短期間のうちに復興し、その優勢な人口と工業力でフランスをふたたび圧倒するにちがいない。これがクレマンソー仏首相の憂慮でした。フランスの安全保障を確保するためにクレマンソー仏首相はドイツに「カルタゴの平和」を与えようとしたのです。つまり、ドイツを農業国家に退化させ、ふくれあがったフランスの戦争債務をドイツに背負わせ、ドイツを弱体化させようとしたのです。

 そんな思惑の持ち主であるクレマンソー仏首相にとって、ウイルソン米大統領の平和原則は空想的な理想論というだけでなく、フランスの将来に害をなす邪論でした。ですからクレマンソー仏首相は、「十四箇条の平和原則」に拘束されているような素振りをいっさい見せず、徹頭徹尾、平和原則を無視しました。

 こうしたクレマンソー仏首相の底意をケインズは見抜き、また、仏首相としてはそのように行動せざるをえないことを理解していました。そのうえで、そこに含まれる誤謬をケインズは暴露します。クレマンソー仏首相は仏独二国のことしか考えておらず、欧州全体という視野に欠けていたのです。つまり、欧州全体がひとつの経済的有機体であることを理解していませんでした。ドイツ経済を壊滅させれば、欧州経済が破綻し、フランス経済も無事ではいられない。だからこそケインズはドイツ経済を復興させるべきであると懸命に説きました。しかし、会議の帰結はクレマンソー仏首相の思いどおりになってしまいます。

 クレマンソー仏首相の成功は、裏を返せばウイルソン米大統領の挫折です。すでに触れたとおり、ドイツとの停戦協定を成立させたのはアメリカです。その際にウイルソン大統領が「十四箇条の平和原則」を公表したのです。これにドイツが同意して停戦が成立しました。ウイルソン大統領は平和原則を実現させるためにこそ大西洋を渡ってパリに乗り込んできたのです。

 アメリカには圧倒的な軍事力と食糧供給能力と経済力がありました。欧州諸国の戦時債権を一手に引き受けていたのはアメリカでした。そこにウイルソン米大統領の道徳的威力が加わっていたのです。ベルサイユ講和会議はウイルソン米大統領の独擅場になっても不思議ではありませんでした。アメリカ国民もドイツ国民もケインズもそれを期待したのです。アメリカ大統領が平和を実現してくれるはずであると。

 しかし、期待は裏切られます。交渉の現場でケインズが観察したウイルソン米大統領は、学究肌の神学牧師に過ぎませんでした。ウイルソン米大統領にはユーモアもなく、交渉に必要な弁論術もなく、交渉すべき諸項目に関する基礎知識や欧州についての一般教養さえ欠けている様子でした。当意即妙な駆け引きや険呑な雄弁術を自由自在に使いこなすクレマンソー仏首相には一方的に翻弄されつづけました。堂々たる体躯と哲人ふうの風采はただの虚仮(こけ)(おど)しに過ぎませんでした。一言でいえば愚鈍だったのです。

 尋常ならざる第六感を働かせるロイド・ジョージ英首相もウイルソン米大統領に自由な弁論を許しませんでした。会議外交の伝統を有する欧州各国は、新大陸からやってきた新参者を意地悪くあしらったといえるでしょう。

 機略と創意に欠けるウイルソン大統領を補佐すべきアメリカ代表団も迂闊でした。高邁な理想を表現した平和原則を実行に移すためには具体的なプログラムが必要不可欠でしたが、それをまったく用意していなかったのです。

 ロイド・ジョージ英首相が一場の演説をぶつと、それがフランス語に翻訳されます。その間にロイド・ジョージ首相はウイルソン米大統領に近づいて密談する。そこへアメリカ随員が駆け寄って大統領に助言しようとし、イギリス随員も駆け寄って首相を助けようとし、さらにフランス随員も駆け寄ってきて英米間の密談内容を知ろうとする。議場は総立ち状態となり、議事は混乱する。そんなことがくり返されました。

「それは親ドイツ的である」

 これが殺し文句でした。敗戦国ドイツに対して宥和的であることをタブー視する反ドイツの激情にベルサイユ講和会議は支配されていました。そして、この集団心理には牧師的頑固さを有するウイルソン米大統領も抗うことができませんでした。たびかさなる協議の末、「十四箇条の平和原則」は完全に骨抜きにされます。

 そもそもアメリカとドイツの間で結ばれた停戦協定は条件付き降服でした。だからこそドイツは武装を解除したのです。しかし、いつのまにかドイツは無条件降伏したことにされてしまいました。アメリカは結果的にドイツを裏切ったことになります。

 ウイルソン米大統領の掲げた「十四箇条の平和原則」は、今日、歴史教科書に誇らしく記述されており、その結果として国際連盟が設立され、平和が実現したと評されています。しかし、歴史教科書には決して引用されることのないベルサイユ講和条約の秘密条項は、平和原則とは似ても似つかぬ内容です。平和原則は狡猾な詭弁と策略的な解釈とによって骨抜きにされたのです。平和という名のオブラートに包まれた講和条約の中味は、敗戦国ドイツの領土を分割し、その経済を壊滅させ、ひいては欧州大陸全体の経済を破滅させる悪魔的なものでした。クレマンソー仏首相の思惑どおりに、いやそれ以上の「カルタゴの平和」が推進されることになったのです。

 ドイツ代表団全権のランツァウ外相は、休戦協定が守られていないことを指摘し、抗議しました。これに対してウイルソン米大統領は無言で応じました。穴があったら入りたかったに違いありません。

 ドイツ経済を、ひいては欧州経済を破壊するベルサイユ講和条約の条項はケインズにとって戦慄の黙示録であり、ドイツから諸々の資産を奪うという略奪の計画書でした。略奪項目の一部を掲げると次のとおりです。

 ダンツィヒおよび海外領土とそこにある全ドイツ資産、アルザスおよびロレーヌ地方の全ドイツ資産、国際河川(エルベ川、オーデル川、ドナウ川、ライン川)の管理権、ザール炭田の所有権、シュレージェン炭田の所有権、すべての外洋航海商船、内陸航行用船舶の大部分、関税自主権、機関車および貨車、等々。

 これらの措置はドイツ経済の心臓を麻痺させ、血管と神経を切断するものでした。これに加えて、ベルサイユ講和条約にはさらに過酷な条項が含まれていました。それが懲罰的な賠償です。

 この懲罰的賠償をウイルソンの平和原則は禁じていました。ウイルソン大統領は米連邦議会における演説で次のように賠償条項を説明していました。

「いかなる懲罰的賠償金の請求もおこなってはならない」

 しかし、この原則は、戦勝国の政治家と官僚によって巧妙に無視されます。ドイツに対する懲罰的な賠償額は爆発的に膨張し、ケインズを悲嘆させるような天文学的金額となりました。

 ドイツ軍によって連合国の民間人が受けた被害は甚大でした。それがさらにおそろしいまでに誇張されました。見渡す限り、家の一軒も樹木の一本も田畑の一反もなくなった殺伐たる新戦場を目撃した人々の感情が、こうした理不尽な被害額の大膨張を肯定したのです。

 英仏の戦時内閣は国民から圧倒的な支持を受けていました。なにしろ戦争中でしたから国民はごく自然に挙国一致の態度を示したのです。しかし、戦争が終わると風向きが変わり、圧倒的だった内閣への支持が急速に失われていきました。そして、英仏国民は感情のままに政府に要求しました。

「ドイツに支払わせよ。レモンから絞りとれるだけのものを。いや、もうすこし多く」

「ドイツから一切をはぎとってやれ」

「カイゼルを絞首刑にせよ」

 戦勝国の指導者たちは国民からの支持を維持する必要に迫られ、政治的メッセージを国民に向けて発しました。

「ドイツの野郎どもを勘弁するつもりはない」

 この政治パフォーマンスの最終幕がベルサイユ講和会議だったのです。クレマンソー仏首相とロイド・ジョージ英首相の主要な関心は次期総選挙だったのです。これが賠償額を膨張させる要因となりました。

 こうした事情から敗戦国ドイツの支払い能力が客観的かつ冷静に検討されることはありませんでした。ドイツの支払い能力がどうであれ、ともかく要求したいだけの賠償額を要求したのです。戦勝国の台所事情も苦しかったからです。こうして実現不可能な賠償条項が作文されていきました。

 アメリカだけが、唯一、欧州諸国間の軋轢を解きほぐす国力と理想を有していましたが、アメリカ代表団は何らの建設的提案もできませんでした。むしろ不慣れな国際会議の場において戸惑うばかりでした。

 結局、ドイツの支払い能力が冷静に検討されることはなく、戦勝国が受け取るべき賠償金の総額が明確に計算されることもありませんでした。賠償範囲があまりに広がりすぎたため試算そのものが困難だったのです。

 それでもケインズは経済学者としての能力を最大限に発揮して、可能な限りの試算をしました。すると、ドイツの支払い能力は連合国側の要求額の二割ほどにしか達しないことがわかりました。

 戦勝国の求める賠償金を支払う能力がドイツにはない。それをわかっていながら戦勝国はドイツに対して過重な賠償を課しました。ドイツ代表団は抗議しましたが、敗戦国の主張は無視されるだけでした。

(このままではドイツが破産国家となり、数十年間にわたって債権国から資産をとりたてられることになる。講和条約はドイツを奴隷状態におとしいれ、何百万人というドイツ国民の生活水準を低下させ、その幸福を剥奪することになる。そして、その余波はヨーロッパ全域へと及ぶ)

 ケインズは危機を感じました。

「この平和条約はヨーロッパを平和にしない。むしろヨーロッパを破滅に導く」

 ベルサイユ講和条約には敗戦国を「よき隣人」に変えようとする条項がまったく含まれていませんでした。ドイツ経済の破綻は欧州経済の破綻をもたらし、英仏経済にも深刻な影響をおよぼし、そして、ドイツ国民のこうむる不幸と憤激は、将来、激しい憎悪となって欧州を呑み込むに違いない。

 そう考えたケインズは、ドイツを悪魔化するに違いない条約案を改善しようと力を尽くしましたが、その意見が容れられることはありませんでした。疲れ果て絶望したケインズは辞表を提出してパリを去り、「平和の経済的帰結」を出版したのです。

 この論文は大きな反響を呼びました。その衝撃的な内容は賛否両論を巻き起こしました。ケインズは、戦勝国の言論界から激しく批判されました。しかし、ケインズが憂慮したとおり、欧州経済が早くも破綻しはじめてきたため、批判どころではなくなりました。

 ロシア、トルコ、ハンガリー、オーストリアでは人々が飢餓、寒気、疾病、無政府状態に苦しめられました。英仏をはじめとする欧州各国も異常なインフレーションと物価上昇、あふれかえる失業者の群れ、資本家の自信喪失、共産主義の台頭などの現象に直面し、茫然自失の状態となりました。戦勝国のフランスにおいてさえ失業者があふれかえり、家庭の主婦が売春をして生計を立てるような状況となりました。

「資本主義体制を打倒する最善の道は通貨を台無しにすることだ」

 これはレーニンの戦略です。それを、こともあろうに資本主義国の指導者たちが講和条約の美名のもとに推し進めてしまったのです。ケインズは書いています。

「いかなる社会秩序も、およそ自らの手以外のものによって滅びることはない」

 ケインズは第二次大戦の勃発さえ予言しています。

「もしわれわれが故意に中央ヨーロッパの窮乏化を目指すとすれば、私はあえて予言するが、容赦なく復讐がやってくるだろう」

 不幸にもケインズの予言は的中し、およそ二十年後に第二次世界大戦が勃発します。


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