プロローグ
「歴史修正主義」という言葉は、文章の主題や文脈によってさまざまな意味をもちます。そのいちいちについて解説することはしません。ただ、本書における歴史修正主義の意味だけを述べておきます。
「権力によって歪曲されたり捏造されたりした歴史を修正すること」
これが歴史修正主義です。いつの時代のどのような権力であっても、権力は世に知られたくない事情を抱えています。だから、それを隠します。そして、権力に都合のよい歴史を創作します。これが正統史観です。
具体的な事例をあげてみましょう。薩長両藩が天皇をかついで徳川幕府の権威に対抗し、戊辰戦争によって権力を奪取したのが明治維新です。この権力交代に際し、薩長両藩は錦旗を掲げることによって徳川幕府や会津藩や長岡藩を朝敵と決めつけました。これは一方的なレッテル張りであり、プロパガンダでした。言われた方の佐幕派にしてみれば、
「なにを馬鹿なことを言っておるか」
というところだったでしょう。事実、会津藩主の手元には攘夷の密勅があったのです。しかし、戊辰戦争に敗北した佐幕派は反論の機会をことごとく奪われました。敗者の立場からすればひどく理不尽で不条理なことでしたが、朝敵とされてしまったのです。
明治政府にしてみれば、スケープゴートとなるべき「悪」をつくっておかないと新権力の正統性を世の中に説明しにくいという事情がありました。そして、権力の側に立ち、その正統性を理論化して世に広めていく役割をになう歴史学者がいます。かれらを歴史正統学派といい、その史観を歴史正統史観といいます。かれらは、悪くいえば御用学者です。権力の面子を守る人々です。ですが、権力にとっては必要な人材です。権力交代にともなう混乱をおさめて社会を安定化させるには、嘘でも捏造でも活用して権力の正統性を理論化し、それを人々に周知し、理解させ、人心を落ち着かせる必要があるのです。
「それはおかしい」
という歴史家も現れます。それが歴史修正学派です。彼らは敗者の代弁者であり、権力に対して反論します。旧幕臣や旧会津藩士や旧長岡藩士の言い分を代弁し、真実の歴史を書き記し、権力が歴史のどこをどのように歪曲させたのかを分析します。その成果は、ときの権力によって封殺されてしまいます。しかし、時が流れ、権力交代の史劇がはるか遠い過去になると、ようやく世に容れられます。
佐幕派の言い分は、日本が大東亜戦争に敗北し、薩長の流れをくむ日本帝国が終わったおかげでようやく世に知られるようになりました。
第二次世界大戦の戦勝国アメリカにおいても正統学派と修正学派の論争が生じています。たとえば原爆投下をめぐる論争です。
正統学派の歴史学者は基本的にアメリカ政府の公式見解を支持し、アメリカ軍の原爆投下を正当であるとします。アメリカは独立、自由、統一のために戦ったのであり、これらの価値は戦って勝ちとらぬ限り手に入らないと述べ、アメリカ政府の戦争政策を擁護します。
これに対して修正学派は、政府見解を信用しません。当時の客観情勢からすれば原爆を使用せずとも日本の降伏は確実だったとし、アメリカ政府はソ連を牽制するために原爆を投下したのだと推論しています。アメリカ政府は、戦後の国際政治を考慮して原爆の威力を世界に示すべく原爆の使用に踏み切ったのであり、無辜の市民二十万人を一瞬で虐殺したその意図は非人道的であったと批判します。
歴史修正主義者は、必然的に権力に反抗することになりますので現世利益には縁のない人生を送ることになります。地位や名誉や金銭に恵まれることは稀です。それでも歴史の真実は、こちら側にあるようです。
歴史修正主義者が何を主張しようと権力は黙殺するだけです。その権力が新権力によって打倒されてはじめて歴史の修正が本格的に始まります。それがいつになるのか誰にもわかりません。歴史を修正しても個人的な利益に結びつくことは少ないようです。にもかかわらず、損な役回りを果たす人々がいるのです。
正統学派と修正学派は立場が正反対ですから、仲が悪くなります。正統学派が修正学派を非難するとき「この歴史修正主義者め!」と罵ります。ときに高飛車であり、権威主義的です。それも当然です。正統学派こそがときの権威なのですから。正統学派の背後には権力がついており、大学教授や評論家や研究員などの社会的地位を与えてくれます。だから正統学派は強く、驕り高ぶってさえいられます。社会的地位も金もない歴史修正主義者は歯を食いしばって耐えながら細々と研究を続けていくほかはありません。
そんな諸事情のため「歴史修正主義者」というレッテルには、何か侮蔑的な響きがあり、さらには邪悪な者、おぞましい者、歴史を改悪しようとする者といった悪印象さえまとわりついています。このため「歴史修正主義者」というレッテルを極端に恐れる風潮ができあがっています。
しかし、すでに述べたとおりの理由から、歴史修正主義者はけっして悪者ではありません。むしろ正義の人です。たとえ権力にとって都合の悪い歴史であっても、それが真実であれば、それをそのとおりに歴史に書き記そうとする人々です。
歴史を捏造する意図はむしろ正統学派の歴史家にこそあるのです。彼らは地位と名声と報酬を得て、学者としての栄耀栄華を極めるでしょう。一方、歴史修正主義者は、その生前には報われもせず、世の中から歯牙にもかけられないでしょう。運よく名をなしても社会からの激しい批判に曝されるでしょう。それでも現権力が消滅すれば、正統学派の盛名は消え去り、歴史修正主義者のなかの何者かが不朽の名声を得ることになります。本書は、そんな歴史修正主義者の列伝です。