貴女が眠る、今だけは
彼女を好きになってしまったのは何時からだろうか。
初めて会った時の事を今でも覚えている。
5歳の時だ、私に弟が出来たと聞かされると共に専属の侍女が着くと言われた。彼女は私と同い年で、少しだけ生まれるのが早かったから、侍女と言えど姉が、友達が出来たと嬉しく思ったのを今でも思い出せる。
嗚呼思い出した。その時だ、その時私は彼女に一目ぼれしたんだ。
彼女の濡れ鴉の様に艶やかな黒髪が、気高さを現したような細く鋭い目が、覗き込めば吸い込まれてしまいそうな何処か恐ろしく、でもその恐ろしさが美しい深淵の如き瞳が。そうあなたの目が好きだった。貴女の容姿は美しかった、5歳の内からその美しさは証明されていて、ちょっと嫉妬しちゃう位。
でもそんな貴女は成長する毎に更に美しくなった。
17になって。私の前でだけ見せる、腰まである波打つ黒髪は光に照らされるとキラキラと輝いてまるで天の川の様。冷たさを思わせる長い睫毛に縁どられた光を吸い込む瞳は強い意志を浮かばせ、女としては長身でありながら、程よく鍛えられ引き締まった、それでいて柔らかくスラリと通った美しい身体は同性だろうと見惚れるくらい美しいの、お茶会の度に私の想い人は綺麗なんだぞって鼻が高くなってしまう。
容姿は如何にも冷静沈着な女性に人気のある美人に思えるでしょ?でも内面はとっても可愛いのよ。
胸が小さくてお尻が大きいのを気にして、お姉さまが作らせた豊胸ブラをこっそり買って付けてたり。可愛い物が好きで私室にはぬいぐるみは沢山あったり、騎士と姫の逃避行なんて恋愛小説が大好きなの。
もし、私が無理やり連れ去ったらどう思うのかしら、少なくとも、彼女にとって私は騎士ではなく魔王かもしれないわね。
美しい貴女をこうして抱きしめる度、自己嫌悪と狂う程の恋心がこの身を蝕んでいく。
いまでも思い出す、こうやって貴女の優しさに付け込んで、何かしらの理由を付けてそれを免罪符に自分を騙す汚さを。
◇◇◇◇
初めて貴女と共に寝たのは9歳の頃だったか。
あの日は叩きつけるような豪雨と轟くような雷鳴の酷い夜でした。
私は、結ばれてはいけない恋をしたせいか、歪に成長してしまい嵐程度で怯える事なんてありませんでした。が、貴女は違いましたね。不安げに顔を俯かせ、雷鳴が轟く度身体を撥ねさせ小さく悲鳴の声を漏らして、本当にかわいかった、本当に可愛かったんですよ?雷鳴が轟く度に無意識にか組んだ手を臍に当ててたのを見た時はあまりの可愛さに笑い声をあげてしまう程に。
恥ずかしそうにむくれながら怒る貴女は本当に愛らしくて、罪滅ぼしと、好きな人の不安を取り除いてあげたいというちょっとした下心を混ぜた親切心で一緒に寝ようと提案してあげたのです。
始めは遠慮する貴女だったけど、余程雷が怖いのか、最後にはおずおずと布団に潜りこんできたときは余りの可愛さに治癒魔法を覚えたことを過去の自分に感謝しながら鼻頭を抑えていましたよ。
「あったかいですね」
同じ布団に潜り、身体を密着させながら私を見上げる貴女ときたら、魔性でしたよ、ええ、貴女が将来私以外にそんな顔をすると想像しただけで目の前が血の色に染まるくらいにはヤバいですよ。
でもそれ以上に、貴女と体温を共有するのが、貴女の匂いに包まれるのが、貴女の身体を抱きしめるのが、貴女に抱きしめられるのが、貴女と寝床を共にするのがどれだけ倒錯的だったか。
あの時程嵐に感謝したことはありませんでしたね、例えこの恋が実らなくても、なにかしらの理由を付ければ、家族とも共に寝たりして特別感を無くせば、優しい貴女はきっといつまでも私のこの願いを聞いてくれるでしょうから。
「...オフィーリア?もう眠った」
悪魔のささやきとはこの事なんでしょうね。
眠ってるあなたになら、この愛を囁いても大丈夫と声が聞こえた気がしたんですもの。
「オフィーリア......好き......誰よりも好き......愛してる......」
この恋は実ってはいけない。私のこの気持ちを彼女がしっても、例えそれを受け入れても、彼女は幸せにはなれないから。
「だから......好きになってごめんなさい」
だけどせめて今だけは、眠っている貴女にだけはこの愛を囁かせて。
◇◇◇◇
「...ん。おはようございます、コーディリア様」
「おはよう、オフィーリア」
腕の中で貴女が目を覚ます。使用人が起きるには遅い時間だけど、誰にも文句は言わせない。これは、この時間だけが私の生きがいだから。
「コーディリア様は相変わらず早起きですね。まだ6時過ぎですよ」
当たり前じゃない、貴女の寝顔を見て、貴女を起こす。まるで夫婦、いえ婦婦の様で素敵じゃない。もう10年以上続いた習慣は今更変わらないわ。
「起きたって言っても、貴女が目を覚ます直前よ」
まぁ、6時前から起きてましたって言ったら貴女は怒るだろうから決して言わないけど。
「それならいいのですが、きちんと睡眠時間は取ってくださいね。コーディリア様は第3王女なのですから」
「分かってるわよ。それより着替えましょ、今日も私が着せてあげる」
分かってる、私は王族で、貴女は侍女。それに貴女の家は没落して身分も相応しくない。まあ、例え身分が釣り合おうとこの国では同性婚は出来ないのだけれど。
悲しいかな、どれだけ教会で「結婚とは二人の魂を結ばせる尊い儀式だ、故にその形は問われない」なんて同性愛を認めますみたいな事を言われても、実際に同性婚が出来るわけではない。同性愛に対する迫害は無いけど、それでも白い目で見られる程度には異端だ。
だから決してこの気持ちは伝えない、私は王女、彼女は侍女。この近くて遠いもどかしい関係のままでいるべきなの。貴女が不幸にならない為には。
「いつもいらないと言っているのに、どうせ聞かないのですよね」
「流石オフィーリア、良く分かってる!」
「10年以上言われれば慣れますよ、どうぞお気の済むまで」
眠る彼女を抱きしめるのも最高だけど、こうやって起きている彼女の身体に触れられるこの時間は朝の爽やかな空気も相まって、世界が私と貴女だけになったような神聖な気持ちになれる。
寝間着を脱がすと貴女の美しい肌が晒される。日に焼けて尚、いや健康的に見える分より一層美しく美味しそう。
「今日は豊胸ブラは良いの?」
「...付けます」
拗ねちゃって可愛い。貴女には巨乳は似合わないわよ。その造形美が崩れちゃう。
それに巨乳なんて良い物でもないのよ?悪い所を上げればキリが無いって位に不満が出るわよ、貴女が拗ねるから言わないけど。
「ではお次はコーディリア様、本日はどのようなドレスになさいますか」
確か今日は孤児院への慰問と商会で顔合わせだったわね、動きにくいドレスでは子供達と遊べないわね。
「動きやすくて、華美すぎないので、あぁ、色は青を基調とした白で」
「かしこまりました、幾つかお持ちします」
他の貴族だったら朝の支度はもっと大勢の使用人でするものだけれど、私だけはギリギリまでオフィーリアと二人で支度するわ、二人っきりの時間は少しでも欲しいのが乙女心でしょ。
◇◇◇◇
支度を終え、食堂に向かえば既に6人の家族の内3人が席について食事を始めていました。
「おはようございます、お父様、お母様、アリスティアお姉様」
「おはようコーディリア」
「おはよう、今日もよく眠れた様ね」
「おはようコーディリア、偶にはお姉ちゃんと寝ても良いんだよ」
現国王であるお父様と正妃であるお母様、そして優しく明るいお姉様。他国では珍しいとおっしゃられますが、我が家では基本朝食は家族皆で取ります。恐らく正妃ただ一人でありお父様である陛下が愛妻家である事が理由なのでしょう。
他国では世継ぎの事もあって第二妃など取りますが、我が国では正妃ただ一人の元4人の子に恵まれ、両親の愛情の元育っていますから、継承権争いでドロドロしていないのも理由でしょうね。
「ところでクローディアスお兄様とアレンディスは?まだ起きてないのでしょうか」
「二人は朝早くに起きて剣の打ち合いに出てるわよ」
「またですか」
席に着きつつ、ここに居ない二人の兄弟について問えばお父様が苦笑いし、アリスティアお姉様が答えてくれます。
クローディアスお兄様は既に王太子として受勲しておりますが、末の弟アレンディスへの愛情が深いのか、少ない時間の合間を縫って剣の打ち合いに励むのは日課になりつつあるような。
そんなお兄様のお陰で私達家族は継承権争いや王位とは無縁に、王族としては驚く程自由に過ごせている訳ではあるのですが、如何せん末の弟であるアレンへの愛情が深すぎて身体を壊さないか心配です。
「あやつは優秀ではあるのだが、如何せんなぁ、アレンディスへの愛は深すぎて、アレンディスに何かあった時が恐ろしいよ」
「まぁ良いではないですか、クローディアスは王として過不足ないですから、やるなら国に益を齎す様にやりますよ」
「いやあの、お母様そういう問題ではないと思うんですが」
お母様の発言にお姉様もお父様も顔を引きつらせていますが、確かにお兄様なら私怨だろうと国益に持ち込みそうですわね。
クローディアスお兄様、現王太子を言い表すなら、王になるべく生まれた人。でしょうか。
お兄様は勉学に置いても、武術や魔術に置いても、執政能力に置いてもあらゆる面で才を発揮する天才ですわね。
王として完璧でありつつ、家族愛に溢れる素晴らしいお兄様は出来すぎている位に完璧な方です。
「それよりコーディリア、今日はお姉ちゃんと寝ようよ」
「ごめんなさいお姉様、今日もオフィーリアと寝たいのですが」
「むー!オフィーリアに妹が寝取られたー!」
お姉様は普段はしっかりとした方なのですが、身内だけになると奔放な側面が色濃く出てきて困ってしまいますわね。ほら、不穏な事を言うからオフィーリアがおろおろしている、可愛い。
「すいませんお姉様。明日は私の誕生パーティーでしょう?だから緊張して、オフィーリアが一番落ち着くの」
始めはオフィーリアと共に眠るのを怪しまれない様に、という理由でお姉様やお母様と共に寝るようにしましたが、お姉様はそれを大層気に入ったのかこうやって自分から良い寄ってくる始末。お姉様と眠るのは嫌ではないのですが、あくまでそれは隠れ蓑。私はオフィーリアと眠りたいのです。
「そう言えばコーディリアの誕生パーティーは明日ですわね、盛大に祝わってあげましょうか」
「うむ、それにコーディリアの結婚相手もその場で見つかれば尚良しだな」
結婚。
分かっている、私は王女だから、女だからいつかは男性と結婚し子を成さねばならない。もしかしたら素敵な男性と出会い、普通の幸せに落ち着くかも知れない。幸い私は男性に嫌悪感を抱いている訳では無いから、普通の幸せに落とし込むことはできるとは思う。
お父様もお母様も私が不幸になる様な男性の元へは嫁がせないだろう。
でも、でもですよ。もし叶うなら、例え王族である事を捨てようと、コーディリアの名を捨てる事になろうと、オフィーリアと二人で過ごすことが出来るならと思ってしまうのです。
オフィーリアと二人で、名前も故郷も捨て、長閑で平和な田舎の一軒家で、二人慎ましくも幸せに生きれればそれは何物にも代えがたい幸せではないでしょうか。
◇◇◇◇
「おーじょさまー!」
「こーでぃりあ様ー!」
「皆久しぶり、まずはシスターにお話があるからオフィーリアと遊んでてねー」
「コーディリア様!?ちょ!待ちなさい貴女達!女性のスカートをめくらないの!!」
2週間ぶりの孤児院への慰問。
私が受け持つ公務の中で一番好きな時間。
オフィーリアと二人で子供に囲まれて過ごすのよ、こんなの疑似結婚生活でしょ。そうでなくとも子供は好きですから、こうやって慰問に来て心癒されているんです。
「お元気そうで安心しました、コーディリア様」
「シスターも、お体に差し障り無いですか」
「コーディリア様のお陰で、子供たちもお腹を空かせずに日々過ごせてます」
「それは良かった、それで子供たちの弟子入り等の様子はどうですか」
孤児院への援助は完全な慈善活動ではありません。
孤児院にいる子供たちに文字や計算を教え、手先の器用な子はその道のどなたかに弟子入りさせたり、計算や頭の回転の速い子は将来文官にするべくどこかの貴族の養子に入れたりと、皆将来この国に役立つように日々学んでいるのです。それを私は支えているだけ。施しはしない主義なんです。
「そうですね、この2週間の間に3人の子が弟子入りの話が来まして、コーディリア様には申し訳ないのですが」
「分かっています、その弟子入り先を教えてください、特に問題が無いか調べときます」
「誠に感謝致します」
例えどれだけ国が豊かになり平和になろうと、子供を食い物にする人間は絶えません。孤児院上がりの子供はそういう大人からすれば格好の餌な為、こうやって事前調査は必要な事なのです。
この後、シスターと必要な連絡をいくつか済ませオフィーリアの元へ向かうと、手癖の悪い子供にスカートをまくれ上げられ、その煽情的なガーターベルトと美しすぎる太腿を奇跡的に見せられ血の海に沈んでしまいました。
オフィーリアには申し訳ないですが、その子供に心の中で合掌したのは言うまでもありません
◇◇◇◇
孤児院への慰問が終われば今度は商会です。
この商会、始めはオフィーリアと亡命しても暮らしていけるように、と立ち上げたんですわよ。
同性婚が出来る国を探しつつ、国内外へ通じるように、商会を発達させてきました。今では周辺諸国へ通じる大商会へと成長しました。確か、そのきっかけがアリスティアお姉様の要望のあった豊胸ブラだったような。今では貴族平民問わず売りに出し、服飾から貿易、人材派遣まで致しております。
「本日はお忙しい中、お越しいただき誠にありがとうございます」
「壮健そうですわねアントーニオ、商会の方は如何?」
「コーディリア様のお陰で、職員一同英気を滲ませながら働いております」
商会長のアントーニオと二三挨拶をかわし、今日の本題に入ります。
今日は新興国家からの商人との顔合わせ。彼の国の商人が我が商会を懇意にしたいと言って来たのです。
かねがね、件の新興国家の話は聞いていましたが、直接その国の方と話す機会に恵まれませんでしたので、今日は聞きたいことをたっぷり聞きましょうか。
「そういえば、貴国では女性の社会進出が顕著だとか」
「ええ、我が国では身分や性別に囚われず、実力主義を取っていまして、相応の実力さえあれば女性だろうと男性だろうと関係なく登用します」
実際に、彼の国では政治を担う職種の半数に女性が登用されている様で、我が国でも平民の高級文官や女当主は居ますが如何せん未だに男尊女卑の文化が根付いています。
そんな我が国からすれば彼の国は異質に思われるかもしれませんが、私として逞しいと思いますわね。
「それは素晴らしいですわね。それに、貴国では同性婚なども認可しているとか、思い切った決断ですわね」
私が彼の国に惹かれたのはこれですわ。
彼の国では同性婚が認められ、実際にそうした人が居るだとか。私もオフィーリアと共に、その国に亡命すれば籍を入れられるのでしょうか。
「ええ、この大陸に新しい風を。という考えで行われた政策ですが、これのお陰で我が国に流れてくれる人が多く誇らしい限りです」
素晴らしいですわ。
本当に素晴らしい。
◇◇◇◇
公務を終え、雑事を済ませると夕食の時間を迎え、食堂に向かう。
食卓には朝には見えなかった兄と弟の姿が。二人は私の姿をみると笑顔を浮かべてきます。
「コーディリア、遅かったな、何かあったか?」
「少し雑務に手間取っただけですわ、クローディアスお兄様は相も変わらずお仕事を済ませるのが早いですわね」
「なに、大事な家族との交流の機会を逃すわけにはいかないからな、その為なら仕事なんぞ早急に片付けるに限る」
「兄上、お気持ちは分かりますがもっと王太子としての自覚をお持ちください。焦って仕事をして何か重大なミスが発生すれば困るのは文官なのですよ」
クローディアスお兄様の溢れる家族愛を、アレンディスが窘める。
クローディアスお兄様がアレンディスに構いすぎる所為か、アレンディスはクローディアスお兄様への当たりが少々強い。まぁ、嫌ってる訳では無く、お兄様の王太子としての背を見て過ごしたからアレンディス自身もそうあるべきだと厳しく律しているのでしょうけど、少なくともこれも愛ですわよね。
「ははは!すまんなアレンディス。だがここ最近は例の新興国家絡みで忙しくてな、家族との時間が取りにくいのだ。分かってくれ」
「親交の時間が足りないとおっしゃられますが、なんだかんだ言いつつ毎日時間を取っているではないですか」
「アレンディスがやけに反抗的!?これは…反抗期……父上!母上!祝祭を!!祝祭を上げましょうぞ!!」
始まってしまった。賑やかな食卓も楽しい物ですが、これは騒がしい、の部類ですわね。クローディアスお兄様の暴走をお父様とお母様で抑えつつ、お兄様の先の発言で気になった所がありますわね。
「クローディアスお兄様、かの新興国家関連で何かあるのですか」
「む?コーディリアは彼の国に興味があるのか?」
「ええ、目新しさが目立つものですから、惹かれる物がありまして」
「ふむ。まぁ問題ないか。いやな、彼の国に触発され女性の社会進出や同性婚の認可などを我が国でもすべきとの声が上がってな、それが一定数いる物だからどうしたものかと思ってな」
鳥肌が立ちましたわ。彼の国の風がこんなにも早く我が国に吹き込むなんて。ここでお兄様とお父様が同性婚を認可されれば私とオフィーリアの未来へ一歩近づくのでは。
「しかしクローディアス、女性の登用は良いとして、同性婚はどうするべきだ。そこらは教会の管轄であろう」
「おっしゃる通りです父上、既に教会側に意見を問いましたが、我が国で同性婚は難しいかと」
その言葉で身体の芯が冷え切ったような感覚に陥ります。分かっている、分かっていた。この国ではそれは出来ないのだと。
「まぁ、私としても同性婚は無くても良いかと思いますがね。わが国では取り立てて同性愛に偏見も無いですし」
お姉さまやお母様の視線を感じる。まさかバレて無いですわよね?大丈夫、お兄様やお父様には気づかれていないのですから。
「そうだコーディリア、明日は国内外から人が集まる。そろそろお前も婚約相手を見つけてもいい年だろう」
思い出したようにお父様が口を開く。聞きたくない事を。
結婚。
分かっている、貴族の娘として、王族として生まれた以上子を成すことは責務の一つだ。
それに私は恵まれている、優しい家族に囲まれ、王位を巡って兄弟で争うことも無く、自由を許され恋愛結婚を許されているのだから。
分かっている、分かっているけど、男性と結婚し、子を成し、王族として生きる。
普通で普遍の幸せに落とし込む。
そうあるべきだけれど。
「コーディリア」
お母様の声が耳を撫でる。
「貴女の好きにしていいのですよ」
その微笑はまるで私の全てを許すかのように、その眼差しは私の心の内を見透かすかのように。
その言葉が毒の様に心に染み広がった。
◇◇◇◇
お母様の声が耳から離れない。
お母様は好きにしていいと仰られたが、私が心のままに行動したらそれは国への、家族への最低最悪の裏切りになるんですわよ?
「オフィーリア、今日も一緒に寝ましょう」
「またですか、昨晩もご一緒しましたよね」
「ほら、明日は大変じゃない?だから、ね?」
「……はぁ、仕方ありませんね」
優しいオフィーリア。そんな貴女の優しさに付け込んで、何かしらの理由を免罪符にこの欲求を満たす私の汚さ。
でも抑えられない、眠る貴女にだけ愛を囁ける。貴女が眠る間だけ貴女を感じられる。
嗚呼、このまま本当に好きにしてしまいたい。
貴女を無理やり連れて二人だけで一生を過ごすの。
嫌がる貴女を縛って、逃げられない様に手足を切り落とすの。それで貴女に唾を吐かれながら食事を与え、羞恥に身悶える貴女の下の世話をするの。私が居ないと生きられない身体にして、私への増悪で胸一杯にしながら私と共に生きるの。
ああ!嗚呼!!なんて甘美!なんて倒錯的!!なんて醜悪で美しいの!!
勿論、貴女と思い通じ合い愛し合うのも素敵ね。
物語の騎士と姫の様に、全てを捨て、世界の果てで二人だけの世界で生きるの。
二人だけの世界で、溶けあう様に唇を重ね、全てを共有するの。金銭も、食事も、命も人生も。
想いを通じ合わせた二人は最後まで愛を貫いて死ぬのよ。
まぁ、この想いが叶う事は無いのだけれど。
だって叶ったら貴女は不幸になってしまうから、貴女に子を産む喜びを、家族にあう機会を、後ろを気にせず歩く自由を奪ってしまうから。
貴女の幸せが一番だから、私のこの想いが届いてはいけないの。
「オフィーリア、私ね、亡命しようとおもうの」
貴女が眠ったのを確認して、貴女にだけ心の内を告げる。
「この国に居たら貴女を諦められない。かと言って、他国の男性と結婚してこの国を出るのは違うと思う。だから、全てを捨てて後悔の中で貴女を忘れるわ」
この国に居れば例え貴女と離れようと貴女を追ってしまう。他国に嫁ぎ貴女と離れても、普遍の幸せの中で燻ぶった恋心が私を苦しませる。
だから、全てを捨て、国を、家族を裏切った後悔で貴女への気持ちを誤魔化すの。
最低でしょ?自分の気持ちを誤魔化す為だけに多くの方を傷つけるのだから。多分、お父様もお母様も、自発的に国を捨てたと知れば、なんだかんだ家族みんな許してくれると思う。あの人たちは皆優しいから。何かあったのだろうと推量してくれる。
「馬鹿だっておもうでしょ?でもね、もう抑えきれないの」
日々募るオフィーリアへの愛は抑え込まれすぎて歪な形をしている。
オフィーリアが自分以外に笑顔を向ける、オフィーリアが自分以外の女になる。オフィーリアには幸せになって欲しいから離れると言った。あれは自分への嘘。本当は幸せになるオフィーリアを見たくないだけ。幸せになったオフィーリアを見た瞬間、嫉妬で狂ってしまうのは明白だから。貴女の幸せを奪いたくない。
「貴女が私以外の誰かと幸せそうに過ごすと考えただけで、理性がねじ切れそうになるの。それこそ貴女を殺して私だけの物にしたい位に」
だからこれで最後にする。これ以上狂う前に貴女の前から消えてしまうの。
「愛してる。愛してるわ。ごめんなさい、好きになってごめんなさい。」
ゆっくりと身体を起こして貴女から離れる。後ろ髪をひかれる思いでベットから抜け出す、半端な事はしたくない。
明日婚約者を選ばなくてはいけないから、今日、全てを捨てて逃げる。後悔や罪悪感が重ければ重い程貴女への想いを誤魔化せるから。
「愛しています、コーディリア様」
オフィーリアに背を向け、窓に脚を掛けた瞬間。今だけは聞きたくなくて、最も聞きたかった声が背中に届き、心臓をわしづかみされた様な衝撃が走る。
信じられない気持ちで、ゆっくりと振り返ると、月明りに照らされたベットの上で上体を起こし、その鋭くも愛らしい目が私を見据え、何かを堪えるかのように唇を噛み締めていた。
「オ…フィーリア?」
掠れた声で名前を呼べば、貴女が微笑むように目尻を下げる。しかし口元はまるで自虐気に歪められている。
「私も、この気持ちは生涯隠し通すつもりでした。初めてあった時に貴女に恋し、苦悩しながら共に過ごし。それでも侍女としてコーディリア様と共にいられればそれでいいと。可笑しいですよね、コーディリア様が私以外の男性と幸せな家庭を築く光景を幻視するたび嫉妬で狂ってしまいそうになるのに」
まるで罪を告白するかのように淡々と語られるオフィーリアの気持ちに、歓喜と困惑で頭がおかしくなりそうになる。
「コーディリア様に毎晩愛を囁かれる度、歓喜で狂いそうになりながら、必死でそれを抑え込み、眠ったふりをして貴女の寵愛を独占していたのです」
あぁ待って。寝たふりだったの!?恥ずかしさで溶けてしまいそうな位身体が熱い。
「でも、コーディリア様がこの国を捨てると仰られて、しかもそれが私の為と嘯いた保身だと仰られて、生まれて初めて怒りが湧いて、思わず起きてしまいました」
本当に救えない。オフィーリアに怒りを向けられて喜んでいる私が居るんだから。
「どうして私を浚ってくれないのですか!!愛してるなら!例え憎まれようと、共に居たいと思えない程度の愛なのですか!!」
「違う!!」
オフィーリアへの愛を疑われて思わず声を上げてしまう。
「私が!!どれだけ苦悩したか!!この愛が受けいられないのなら、貴女の全てを奪って私だけの物にしようと何度思ったか!その程度の愛!?馬鹿にしないで!!貴女の為なら全てを捨てられるわ!!貴女へのこの愛なら例え憎悪を向けられようと歓喜に湧くわ!」
私がどれだけ我慢したか、我慢のしすぎでどれだけ歪んだか。
愛する人にその愛を疑われて平常ではいられない。
激情のままに吐き出すと、オフィーリアが近づいてくる衣擦れの音が聞こえる。
「ならばこのまま私を浚ってください。私の傍から離れないでください、置いてかないでください」
まるで壊れ物を扱うかのようにオフィーリアに抱かれ、そんな甘言がほんの少し残った理性を溶かしていく。
「良いの?子を産む喜びを知れないのよ?」
「コーディリア様と共に居る事が至上の喜びです」
理性が溶ける。
「もう二度と家族に会えないかもしれないのよ?」
「寂しく思わない訳では無いですが、コーディリア様と家族になれば解決ですよ」
悍ましく濁った歓喜が全身を巡る。
「オフィーリアの食事も、排泄も、命も人生も何もかも私の物になるのよ?私以外の人に会わせないよ?」
「それを言うなら私も同じ気持ちです。コーディリア様の全てを独占したいです。貴女が社交で他者に笑顔を向ける度、貴女の四肢を切り落とし監禁し私だけの物にしたいと何度思ったか」
その言葉を聞いた瞬間、理性の鎖や常識の重圧から解き放たれた醜悪で、独占的で、蠱惑的な本能と言う名の獣が解き放たれた。
「オフィーリア」
「コーディリア様」
「愛してる」
「私も、愛しております」
「誰にも貴女を見せたくない」
「なら世界の果てに二人で向かいましょう」
「一生離れたくない」
「では二人を鎖で繋ぎましょう、例え何時いかなる時であろうと決して離れる事の無いように」
「貴女の全てを頂戴」
「魂の一かけらに置いてもコーディリア様だけの物です」
一筋の涙を流し、月明りに照らされるオフィーリアは女神すら嘲笑う美しさで、その蠱惑的な唇が自然と重なる。
柔らかくて、甘くて。唇を重ねただけなのに脳が蕩けてしまいそうになり、背骨を電流が伝い狂ってしまいそうになる。
唇を重ねるだけ。たったそれだけの行為が、月明りの元で行われたそれが、私とオフィーリアの魂を結び付けた様な儀式に思える。
どちらともなく離れる。名残惜しいけど、思いが通じたならこの後幾らでも、どこまでも出来る。だから今だけは我慢。
「行きましょうか、コーディリア」
「行きましょう、オフィーリア」
オフィーリアを着替えさせ、共に窓際に向かう。
満月だけが決して離すまいと、固く握られた私達を見つめる。
全てを捨て、愛する人とだけ生きる。酷く倒錯的で、独善的。家族も国も裏切って駆ける月下の時間が、世界に私と貴女二人だけと錯覚させる。
眠る貴女に囁く愛とはまた違う。二人で愛を囁き合いながら生きて、死してなお貴女に愛を囁くわ。
これが愛に狂った女の生き方。