08:再び満ちるまでの暗闇
ここにあるのはガラクタなんだろうか。
手前にあった箱を適当に選んで開ける。入っていたのは、掃除用品だ。
「オノデラの万能クリーナー。これ一本で家中、ぴっかぴか。
セットのスポンジを使えば、さらに楽にお掃除できます」
自然に謳い文句が出る。これは私がアテンドとして初めて紹介した商品だ。宣伝に偽りなし。ショッピング・シャワー・チャンネルのロングラン商品。
将司の掃除が楽になるように注文した気がする。
私はそのお掃除セットを持ってリビングに行く。
将司は掃除をしていると言っていたが、最初の頃に比べれば、随分と適当になっていた。ぱっと見は綺麗だが、よく見れば、あちこちに埃が積もり、キッチンも汚いのが分かった。
自分も、自分の部屋も、ぞんざいに扱われていた気がした。
それもこれも、将司の「俺がやるから」という言葉に甘え、全てを任せっきりにしていたせいだ。
「こういう隙間って、汚れが溜まっているの、見ていても気が付かないフリ、していませんか?
でも、この隙間スポンジを使えば、大丈夫!」
さすが万能クリーナー。あっという間に綺麗になる。私は気をよくしてどんどんと掃除をして回った。
「掃除機もあったわね。
音が静かなのに、パワフル! コードレスで軽いので、部屋中どこでも疲れ知らずでお掃除できます」
蒸気で汚れを落とすのもあった。「100度の高温で落とすので、同時に殺菌も出来ます。この取り替え用ヘッドを使えば、広い面を効果的にお掃除できますよ」
リビングとキッチンが綺麗になると、悲しみも薄くなっていく気分だ。
お腹が空いたので、冷凍庫から将司が”注文しておいてやった”地方都市の老舗パン屋さんのパンを焼き、ジャムを塗ったものを食べた。
「天然酵母のパンです。美味しく焼くコツは、本日、ご紹介したスチームトースターで焼くことですが、お持ちではないご家庭では、表面に適度な水を吹き付けてみて下さい。そうすると、ふっくらしますので、お試しになってはいかがでしょう。
ジャムは優しい味のミルクジャムです。こちらも、お店で長く愛された、素朴で懐かしい、何よりも、このパンによく合う味です。
単品でもセットでも、ご注文いただけます。
では、失礼して、一口いただきますね」
誰もいないので、全部、実演してみせる。
もともと、私は落ち込んだ時は、テレビショッピングを見るという人間だった。小気味よい語り口調と、便利だったり驚きだったりする機能に、どんどんと売れていく様子を見ていると、元気になれるからだ。
気に入った人と物の回は録画して何度も見る。
「竹取さんのこと、言えないわね」
不意に、さっき会ったばかりの竹取征吾のことを思い出した。
『私、あなたのファンなんです。
生放送でも見ていますが、それができない番組は録画して見ています』
同じだ。私にもファンの実演販売人がいて、そうしていたじゃないか。
小学生の頃からの筋金入りだ。実際に、会いにも行っている。
その人に教えてもらった。
自分こそ、その商品の一番のファンであれ……と。
『なぜって……あなたの仕事ぶりはとても素晴らしいと思います。
私が普段、興味が無い商品の時も、見ているだけで楽しいし、欲しくもなります。
どんな商品でも、愛情を持って紹介しているのがよく分かります』
パンは美味しかった。
私はちゃんとしたものを売っている。竹取さんの言葉が、優しいミルクジャムのようにじんわりと心に甘く響いた。今日、あの人に会っていて良かった。
そうでなかったら、自分を見失っていたかもしれない。
「ガラクタなんかじゃないわ」
ちゃんと使えば。そして、使ってみれば便利なものばかりだ。私は自信を持って紹介していたし、それをちゃんと見てくれている人もいる。
私は自分の仕事に誇りを持っている。
私にも悪い所はあったかもしれないけど、それだけは譲れないのだ。
それを否定する将司とはやっていけるはずがない。
コーヒーで最後の一口を流し込むと、私は将司の部屋に向かった。
思ったほど”物”はなかった。
以前、サーファーになると言って買ったボードも、同じくスノボも無いと言うことは、売ってしまったと思われる。
将司の部屋には私も立ち入りを歓迎されていなかったけど、他の人も同様だったようだ。
そのせいで、インテリアにこだわりをみせた様子はない。
代わりに、外出はよくしていたと思われる。服と時計、靴は良いものが揃っていた。特に服は大量だ。
「こいうい時は、この衣類圧縮袋に限るわね!
季節の衣替え、保管で困っていませんか? この衣類圧縮袋を使えば、コンパクトに収納出来て、押し入れやクローゼットに余裕が出来ますよ。
小さ目のサイズはご旅行にも使えます。こうしてくるくる巻くだけで、空気が抜けて、ぺったんこ!
大きいのは掃除機で空気を吸い出して下さいね。時間経過にともなって戻ってくる可能性がありますが、そういう時も、このベルトをしておけば、大丈夫ですよ」
将司の持ち物を全部、まとめる。かなりコンパクトになった。やっぱりこれ、すごく使い易い。もう一式欲しいけど……しばらくは何も買えないんだ。
ただ、私が注文した物を返品するのは止めよう。ブラックリストに載るのが怖いからではない。必要だと思って買ったものだ。その判断を、大事にしたかった。
その分、家計は苦しくなるけど、仕方がない。
いっそ将司みたいに、この荷物を売り払ってしまいたいけど、後で難癖をつけられるのは嫌。
ほとんど私のお金で買ったものかもしれないけど、未練はない。さっぱりと将司に渡してしまおう。手切れ金代わりだ。
しかし、これをどうやって将司に渡すのかが問題ね。取りに来てもらうのは避けたい。もうこの部屋に、将司を入れたくないもの。
でも――将司がこの部屋に住めなくなったら、どうなるの? 彼は働いていないし、貯金もないはずだ。いきなり追い出すなんて、ひどかったかしら? 猶予期間を作った方がいいのだろうか?
性懲りもなく、荷物の前で悩んでいると、チャイムがなった。
鍵はまだ替えていないので、将司ではないのは分かった。彼はこの部屋の合い鍵を持っている。だからこそ、鍵を替えるのだけど。
訪問者は、その鍵を替えてくれる鍵屋さんだった。それに管理人さん夫婦。
鍵屋さんが作業している間に、管理人さん夫婦と話す。
「鍵、どうしたんだい? 落としたのかい?」
「それとも、あの男のせい? ついに別れる決心をした?」
「おい、おまえ……」
奥さんの踏み込んだ質問に、旦那さんの方が慌てた。夫婦ともに元自衛官だったという二人は、定年を迎えても、まだ立派な体格を保っていた。
廊下が狭く感じる。さらにその廊下には、将司の荷物が出されていた。しかし、私はそれをもう一度、部屋の中に戻そうとしていたことに気付いた。
「あの男、追い出すんだろう? その方がいいよ。輝夜ちゃんなら、絶対、もっといい人いるから!」
そう言って、将司の荷物を指差した。彼らは将司が昼間っからブラブラしていたのも、夜中に出歩いているのも知っていた。
知らないのは一緒に暮らしていた私だけだったじゃないの。もう、しっかりしなさい、自分!
私は手に持っていた荷物をドスンと落とした。
「この荷物、うちで預かってあげるよ。もうあの男をこの部屋に上げちゃだめだよ」
「でも、ご迷惑ですから」
「迷惑なんてないよ。と言うか、もしも、輝夜ちゃんがあの男を部屋にいれて、何かあった方が一大事で、迷惑だ。
うちにはこの旦那がいるし、大丈夫だよ」
将司が自棄になったからと言って、暴力に訴えるタイプではないとは思うけど、正直、そうしてくれると助かる。
「入居者の安全と安心を守るのが、私らの仕事だからね」
旦那さんが軽々と将司の荷物を持ち上げる。「これだけ?」
私が頷いた。それで決まった。
将司にメッセージを送る。
『荷物をまとめました。
管理人さんに預けたので、引き取りに来て下さい。
一週間以内に引き取りが無い場合、廃棄します。
あと携帯は今日中に解約します』
既読はついたが、返信はなかった。構うものか。
管理人さんには後で何かお礼とお詫びの品を持って行こう。あの箱の山の中に、相応しい物がある気がする。イタリア産のワインとか。冷凍庫の訳あり明太子はどうだろうか? 形が不揃いなだけで、味は最高級品と同じものだ。ご贈答用よりも、気安く受け取ってくれそうだし。
頭の中で品物を選びながら将司の部屋を掃除していくと、馬券や舟券がちらほら出てきた。彼は”物”よりもギャンブルにお金を費やしていたようだ。おそらく、部屋にある以上に負けが込んでいるに違いない。
ため息を吐く。
それから大量の宅配便の控えが出てきた。宛先はどれもバラバラで、全国各地に散らばっていた。これがショッピング・シャワー・チャンネルで買ったものを、第三者に売った時のものだろう。
「ここの住所を使われてるのが嫌だわ」
将司の携帯が使えなくなった場合、取引に差し障りが起きて、私に何か請求されるようなことがあっては困る。これ以上は、お金出せないの、本当に。
タブレットで大手のフリーマーケットアプリを検索してみると、将司と思われる出品者が出てきた。
「最近はしてないみたいね」
意外にも、出品者の評価は良かった。
『すぐに対応してくれたのが良かったです』
『良い所だけでなく、悪い面もきちんと説明してあって、納得して買えた』
自分が欲しい物ではなく、確実に売れそうな物を選んで出品している。
物に対して愛着が無い分、適度な距離感があって、客観的な説明が出来ている。しかし、うたい文句は魅力的。
ただ綺麗なだけの写真ではなく、気になる角度を押さえた写真を複数枚、あげている。
そして、外面がいいから、受け答えも丁寧――。
おかげで、妙なトラブルはなく、また、ここ最近は、すぐに使える現金としての後期の授業料があったせいか、出品はなく、残っている取引もなかった。
不幸中の幸い……と言うことにしておこう。
昨日から寝てもいないので、フラフラしてきた。
眠りたいが、将司が戻って来るのが怖い。
私は頭だけでなく、心もフラフラしている。これほど将司の屑っぷりを見せつけられたというのに、まだ情け心が残っているのが分かる。
時々、どうしているか気になるし、心配になるからだ。
その気持ちを振り払うには、粛々と将司と決別する手続きを取り、彼とは会わないようにしないといけない。会ったらきっと、言いくるめられてしまう。
そこで、私は化粧して、出掛けることにした。
鏡の中の顔は、何度も泣いたせいで、ひどい有様だ。
担当しているスキンケア商品と美容器具、家電でお手入れしてるとはいえ、二十五を過ぎると、なかなか肌の曲がり角もきつくなる。
片方だけのピアスを外す。
竹取さんに拾ってもらったのは、どこにしまったかしら。思い出さないと。
しかし、私が思い出したのは、ピアスの在処ではなく、彼の言葉だった。
『輝夜さんはすっぴんも綺麗ですね』
うわっ……。
寝不足と悲しさで青白かった頬に赤みがさす。
「あの人、すごく”いい人”だったわね」
将司も、すごく”いい人”だったけど、ね。
気を引き締め直し、鏡に向かい直し、周囲にLED電球が取り付けられたそれのスイッチを入れる。
「暗い所で化粧をしていませんか? 家を出て、外の明るい場所で見たらビックリ!
ファンデーションが濃すぎたり、アイラインがガタガタだったり、チークがムラになっていたり……。
折角のお出掛けなのに、ガッカリしちゃいますね。
でも、このLED電球付きの鏡を使えば、もうそんなことはありません。
いつでもどこでも持ち運べる明るさの下で化粧すれば、ワンランク上の仕上がりになります。
付属の拡大鏡はアイメイクの時に、抜群の威力を発揮します!」
ともすれば、挫けそうになる気持ちを奮い立たす。
ファンデーションを手に取る。
「この度、ショッピング・シャワー・チャンネルの美容部門年間ベストセールス商品となった、マジカル・ファンデーション・ツイジーのご紹介です。
これ一つでコンシーラー要らず。染みもそばかすも魔法のようにカバーします。
ほんの一滴で、この伸び。そして、このカバー力。磁器のような滑らかな肌へと導きます」
去年のクリスマスコフレで買って残っていた、きらめくダイヤモンドパウダーを見つけたので、それもはたく。
ちょっと派手すぎるかも。
でも、いいか。
今の気分にはそれくらいじゃないと。
「秋の新色アイメイクセットは、数量限定。お早めにご注文下さい。
秋色の落ち着いたこっくりとした深みのある上品な色合いです。
新商品のロングロングボリュームマスカラ・バタフライは、あなたの睫を長くボリューミーに演出します。
瞬きする度に、蝶々の羽が羽ばたくような仕上がりになります」
極細筆のアイライナーで目を囲む時だけは、口を噤む。
こすっても落ちないとはいえ、号泣したら、さすがにパンダになりますよ、っと。
「このチーク! アイシャドウにも、口紅にも使えるんですよ〜。
これで化粧ポーチから物が溢れる煩わしさから解放されますね」
とは言いつつ、それは出先での話。万能チークではなく、新色のリキッドルージュを唇に塗ると、さっきまで死霊のようだった顔が、活き活きと甦るようだ。
箱の山から気に入って買った洋服を探し出す。明るい色が好きなのは元からだったけど、確かにピンク色が多い。
苦笑しながら、ピンクとオレンジのツイードのワンピースに着替えて、かるく髪の毛を整える。
仕事用のバッグから中身だけすっぽりと取り出し、別のバッグに入れる。どちらも丹野さんの会社のバッグだ。
「バッグインバッグがあれば、移し忘れとはおさらば。
出先で、あれがない! これを忘れた! ということがなくなります。
仕切りが六つもあって、財布や携帯が取り出しやすいデザインなのも嬉しいです。
底には交通系ICカードが入れられるポケットがついていますよ」
玄関の鏡の前でくるりと回り、全身を確認する。
うん、大丈夫。
男に裏切られて、泣きじゃくっていた女とは思うまい。
靴はヒールが低く、クッション材が入った疲れにくくて歩きやすいもの。
……ショッピング・シャワー・チャンネルの商品は些か楽に流れすぎていることは私も認めよう。
ウエスト総ゴムとか、伸びる素材とか、お尻を隠す丈感とかが売れるワードだ。
人間、楽なのがいいにきまっている。でも、たるんでしまった肉に気付いた時はダイエットが必要だ。
ショッピング・シャワー・チャンネルでは勿論、その辺もぬかりない。健康器具から食品まで、あなたの生活に合わせてお選びください。
私は途中でお腹が空いた時のために、ナッツバー(チョコ味)をバッグに突っ込み、上着の代わりに厚手の大判ストールを巻きつけると、新しい鍵を持って部屋を出た。
最初の目的地は、将司の通っていた学校。そこで退学の手続きをする。それから、携帯会社。携帯も解約する。
悪縁が切れていくのを実感していく。贅肉よ、さらば。
軽くなった足取りで、私はあるデパートへと足を運んだ。