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07:逃れる月

 私は電話の向こうの人が話すことが理解できなかった。電話は会社ではなく、将司が通っている調理学校からのものだった。


「え? どういうことですか?」


 リビングからキッチンに移動する。カウンター式のキッチンからは、リビングでスマホを弄りはじめた将司の姿がよく見えた。

 彼はきっとゲームをしているに違いない。一度、十万を超える課金の請求が来たので、私が無課金かお小遣いの範囲内で楽しんで欲しいとお願いしたら、そうしてくれるようになった。


「すみません、もう一度、お願いします」


 ちゃんと聞いていたはずなのに、内容が頭に入ってこず、私は調理学校の事務員を名乗る女の人にお願いした。


『ですから、藤原将司さんの後期の授業料が納付されていません。それに、彼自身、春に三日ほど通学した後、一度も授業に出席していません。

藤原さんの電話には何度も連絡をさせて頂いたのですが、どうもご病気か何かで出席できないようですね?

休学なさるのならばなさるで、手続きをお願いしたのですが、それもしてもらえません』


「え……」


 手が冷たくなって、スマホを落しそうになる。

 将司は学校に通ってなかった。じゃあ、毎日、どこに出掛けていたの? 彼は私が起きる頃には学校に行っていて不在で、私が出社する頃になって帰って来ていた。

 朝は出迎えてくれたけど、すぐに学校に行くからと出て行く。

 二人の生活がすれ違い始めていたのは確かだったけど、でもそれは、将司がちゃんとした料理人になる為に頑張っているからで、その間の辛抱だと思っていたのに。私だって寂しかったけど、我慢していたのに。

 それなのに……。


『藤原さんの保証人はあなたですよね?

後期の授業料をお支払いいただかないと、退学という形になります。

期日まで指定の金額を、指定の口座に振り込んで下さい』


「……わ、わかりました。ご迷惑をお掛けしてすみません」


 電話を切ると、脱力して、その場にへたり込んだ。


「輝夜〜どうした? 腹が減ったのか? 何か作ってやるよ。

この間、おまえの会社から、美味しそうなパンとジャムのセットを注文しといてやったから、それで朝食にしなよ」


「注文……しといてやったから?」


 私は床にへたり込んだまま、将司を睨んだ。

 彼は「あ、やばい」というような表情を浮かべ、すぐに引っ込めた。


「ごめん。そんな怖い顔するなよ。ちょっとした言葉のあやじゃないか。怒るなよ。

今、コーヒーを淹れてやるから」


「将司、話がある」


「なんだよ」


 立ち上がって、リビングに行く。

 将司は私の後ろを嫌そうについてきた。


「どういうこと? 今、学校から連絡があって、将司、全然、通学していないって!

後期の授業料も支払っていないって!

私、後期の授業料、あなたに渡したわよね?

『俺が振り込んでおくから』って、私から受け取ったわよね!?」


「あー、それなんだけど……友達がさぁ。金に困っているって言うから、貸しちゃったんだ。

金が無いと大変な目に合わされるって、頼まれたら断れないだろう?」


 私、なんでこんな男の言うことを信用していたのだろう。一度、疑惑を抱けば、怪しいとしか思えない。


「嘘。

なんに使ったの!? 学校に行かないで、毎日、どこに行ってるのよ!

なんで私のカスタマーアカウント使って、あんなにたくさん買い物したの!

そうよ! あの買い物! あの買い物した物はどこ? どこに置いてあるの?」


 将司の部屋の扉を開ける。


「おい、勝手に開けるなよ! 俺の部屋だぞ!」


 彼が私の前に立ちふさがった。隙間から覗いたが、注文履歴にあった大量の商品らしきものはない。


「どこにあるの?」


「輝夜、どうしたんだよ。落ち着けよ」


 宥めるような口調になった将司に、また身を引き寄せられそうになったので、逃げた。「そうやってごまかそうとしないで」


「ニイナのことで怒っているのは分かるけど、俺の話だって聞いてくれたっていいだろう。

おまえはいっつも、自分の愚痴ばっか聞かせて、俺の話なんて聞いてくれないじゃないか」


「そんなこと……」


「そうだよ。俺だって、いろいろあるんだよ。

友達づきあいもあるしさ。男には体面ってものがあるんだよ。

金が必要だったんだ」


「だから? だから授業料に手を出してもいいっていうの?」


 将司は頭を掻きむしった。


「しょうがないだろう!」


「何が、しょうがないの!?

私のこと、ずっと騙してたの?

学校に行かないで、私のお金で遊び歩いて、女の子引っ掛けて、その子に私が稼いだお金でプレゼントして……。

私、将司が調理師になってちゃんと就職したいって言うから、お金を出したのに」


「俺には合わなかったんだよ。あんな三流学校じゃ卒業しても、大した就職も出来ない。

もっといい学校に入り直そうと思うんだ」


 思えば将司はいつもそうだった。

 せっかく仕事を見つけても、俺には合わない。もっといい就職先があるはず。

 

「それじゃあ、いつまで経っても、何も身に付かないわ」


「――うるせぇな!」


 突然、大声で言われ、私は将司に押しのけられた。


「どうせおまえはご立派な社会人で俺は駄目男だよ。

おまえだってそう思って内心、馬鹿にしてたんだろう?

ちょっと煽てれば、自動的にご飯を作って掃除してくれる家政婦だと思っていたんだろう?

俺は別に料理人になりたい訳じゃない。おまえが勝手に盛り上がって、勝手に学校の資料を取り寄せて、勝手に入学の申し込みをしたんだろうが!

俺はおまえの期待に応えようとして頑張ったよ。でも、分かったんだ。俺に料理人の才能なんてない。

おまえの褒め言葉を信用したせいで、大恥かいただけだ! おまえのせいだからな!」


「そんな……私、本当に……」


 将司の作る食事は美味しいと思った。でもそれで、実際に料理人を目指せるレベルかどうかは、別の問題だったのかもしれない。


「そうだよ、全部、お前が悪いんだよ。

家政婦扱いしているくせに、小遣いも少ないしよ。

あれっぽちじゃ、飲みにもいけない。ゲームだって課金出来ないせいで、他の連中に後れをとってさ。

俺が付き合っている連中は、みんな金を持ってるんだ。俺だけケチな真似なんか恥ずかしくて出来ないんだよ。

そこら辺のことを考えるのが、”彼女”の役目ってやつじゃないのか?

なのに、クレジットカードも貸してくれないし。俺が自由に使えるのはお前の会社の通販商品だけじゃねぇか。

だから、そこで買った物を売って金にしてたんだよ」


「売った!?」


「ああ、どれも二束三文にしかならないガラクタばっかりだっから、何個も買う必要があってさ。面倒くさいったらなかったよ」


「ガラクタなんかじゃないわ!」


 動悸が激しすぎて、将司の言葉がよく聞こえない。

 彼は、腹いせのように私の部屋の扉を開けた。


「そうか?

お前さ、こんなに物、買って。一度も開けてない箱ばっかだよな」


 ショッピング・シャワー・チャンネルの箱。シャワーから降り注ぐように様々な商品が楽しげに踊る柄の、その箱が、山のように積まれていた。


「どうせお前もくだらないガラクタだと思っているんだろ?

寝ぼけた客騙して買わせて、お前こそ、詐欺師じゃねぇか。

俺のことばっかり批判するなよ」


 将司にカスタマーアカウントを預け、いつでも買ってもらえるようになり、私の買い物量も増えていた。どれも納得して、欲しくて買ったものだけど、こうやって封も開けられず、放置されていた。

 ガラクタを売っている……その言葉が何よりも胸に刺さった。


「なぁ? そんな落ち込むなよ。

おまえは最低な女だけど、俺はおまえを愛してやるよ。

二人でこれまで通り、仲よくやろうよ、な」


「触らないで!」


 床に押し倒されそうになったのを、突き飛ばす。


「なんだよ!」


「出て行って!」


「おいおい、輝夜。そんなこと言っていいと思ってるのか?」


 これまでも、喧嘩することはあった。いつも将司の口車に乗せられ、うやむやに許してしまった。いいや、むしろなぜか私が謝ることになった。でもそれは間違っていた。

 こいつは最低な人間だ。自分のことしか考えていない上に、努力もしないで、出来ないことを他人の責任に転換する、最悪な男だ。


「出て行って! もう顔も見たくない!」


「――出て行くさ! 俺には若くてピチピチのニイナちゃんがいるんだからな!

後から泣きついてきても遅いからな!」


 将司はそう言って、部屋から出て行った。

 私は心配して電話をくれた真理子さんのアドバイスにしたがって、速攻で部屋の鍵を替え……この部屋の家賃は高く、管理費もかなりの額だったけど、こういう時に対応が早いのは助かった……、それから将司の携帯電話を解約することにした。

 そして、自分の通帳と、もう一度、ショッピング・シャワー・チャンネルの購入履歴を見直した。

 返品可能な期間のものは全部返した方がいいのかもしれない。リボ払いは利息が加算されていくので、なるべく支払残高を減らすように手続きし直すことにした。

 そこで分かった事実は、私にはほとんど貯金が残されないということだった。

 全てを将司のせいには出来ない。私は自分の部屋の箱の山を見て、茫然とした。

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