06:喰われた月
会社のエントランスロビーまで降りると、オペレーターの女の子たちが固まって立ち話をしていた。
私が近づくと、一斉に、こちらを見る。
もしかして、すでにアカウント乗っ取りの件が社内で噂になっているのかと思った。
しかしどうやらそうではないようだ。
オペレーターの女の子、赤江絵梨南ちゃんが進み出た。何があったのか、涙目になっている。
「どうしたの!? 悪質クレーマーにからまれちゃった?」
テレビショッピングのオペレーターは、お客さまと直接やりとりする最前線の仕事だ。良いお客さまも居れば、残念ながらそうではないお客さまも居る。
オペレーターの中には、数か月持たずに辞めていく子も多い。
「からまれたの、輝夜さんじゃないですか。
私が変な女の電話、繋いじゃったせいで……すみませんでした」
ぺこりと頭を下げられた。
あのニイナの電話を繋いだの、絵梨南ちゃんだったか。
「受け取った時は、すごく愛想が良くって、いいお客さまだと思ったんです。
輝夜さんのファンだから、是非、直接話してみたいって、強くお願いされてしまって」
「気にしないで。たまにあるのよ。
それに、そんなにからまれた訳じゃないわ」
「でも……なんだか部長に叱られているって……私、帰る時はもう輝夜さんは退社しているかと思って、だけど、一応、確認したんです。
そうしたら、部長に呼ばれているって聞いて……もしかして、例の電話の件じゃないかって。
大丈夫ですか? もしかして……泣いていました?」
「それで心配して待っててくれたの!?」
深夜勤務のオペレーターだ。仕事が終わったら、すぐにでも帰りたいだろうに。こうして私を待っていてくれた。
ひたすら申し訳なくなった。
「違うの!
えーっと、多分、後で社内に掲示が出ると思うんだけど……私、個人情報の取り扱いで重大な違反をおかしてしまって……それで注意を受けていたの。
絵梨南ちゃんが繋いだ電話とはまったく関係ないから!」
いや、まったく関係なくはないけど。本当のことは言えない。
そうだ、言えないような愚かなことをしていたんだ。
オペレーターの女の子たちが戸惑ったような顔をした。彼女たちは個人情報の取り扱いに対して、かなり厳しく教育されている。アテンドの私が違反をしたと聞いて、驚いたのだ。
私は絵梨南ちゃんに頭を下げた。
「迷惑かけてごめんなさい!」
「いえ、そんな……違反って……」
オペレーターの女の子の一人が、「それって私たちにも関係ありますか?」と、ちょっと厳しい口調で聞いてきた。自分たちの仕事が増えたり、面倒なことになるのは御免蒙りたいのだ。
「もう解決したから大丈夫。
ただ、改めて個人情報の取り扱いについての注意喚起がされるかもしれないけど」
守っている人にとっては、腹立たしいだろう。
「本当にごめんなさい。これからはもっともっと気を付けます」
先ほど、部長たちに謝ったのと同じようにオペレーターの女の子たちに謝罪した。
オペレーターの女の子たちは、仕事終りで、私を一時間近く待っていたこともあって、長く話すことを望まなかったようだ。
「いいですよ」と口々に言って、散会した。
絵梨南ちゃんも「誰だって間違いはありますよ。むしろ輝夜さんも失敗するんだって、親近感を持ちました。また頑張りましょうね」と励ましてくれた後、帰っていった。
私も、自分の家に帰る。
そこには将司が待っていた。いつものように「おかえり。今日は遅かったね」と言いながら、私を抱きしめようとする。
調理学校には行かなかったようだ。それどころではないからだろう。
それをかわして、リビングに行く。
「怒ってるのか?」
「あたりまえでしょう!」
「ごめん、悪かった」
「それだけ? それで済むと思っているの!?」
将司の人の良さそうな、呑気そうな顔に腹が立つ。
「悪かったと思ってる。
これ以上、何も言えないよ。
でもさ、俺だって、寂しかったんだ」
将司はソファーに座り、私を手招きする。
「寂しかった?」
「うん。
輝夜は仕事が大事で、頑張っているのも分かる。俺も応援してきた。
でもさ、夜はいないし、帰って来ても寝てる。最近、デートもしてない。
勿論! それでいいって言ったのは俺だけど、やっぱり寂しいよ」
しゅんとして言われると、そうか私も悪かったな、と思う。
将司に甘えて、彼のことおざなりになっていたのかもしれない。
「ごめん」
隣に座ると、頭を撫でられた。
「うん。
いいんだ」
そうか?
なんだか違和感を覚える。私、これでいいんだっけ?
身を離す。
「輝夜?」
「あの女は? ニイナは?」
「あ、彼女?
いや、ちょっと行きつけのバーで知り合っただけなんだけど、彼女もさ、大変みたいで。
グラビアアイドルなんて華やかな仕事に見えるけど、実際は嫌なことばっかりらしくって、いろいろ愚痴を聞いてあげていたんだよね」
将司は聞き上手なのだ。私の仕事の愚痴もよく聞いてくれた。
「そうしたら、彼女、すっかり俺のこと、頼りにしちゃって」という気持ちも分かる。
「でさ、俺は輝夜がいるから、そんな気はなかったんだけど、彼女がさー。
誘ってきて。俺は困るって言ったんだけど……可愛いし胸もおっきいし……輝夜ともご無沙汰だったろう?
それでちょっとクラッときちゃって。つい……悪い!」
「俺、最近、輝夜がよそよそしい気がして、ふて腐れてたんだ」と手を合わせて頭を下げる彼に、私は逡巡した。
反省しているし、確かに生活時間はすれ違っていた。まだ若い男の将司とすれば、誘惑に負けちゃうかもしれない。
私がもっとしっかり将司と向き合っていたら、こんな真似はしなかったのだ。私が悪いんだ。
「じゃあ、本気じゃない?」
「当たり前だろう!
あの子だって本気じゃないよ。俺みたいな冴えない男。
芸能界にはかっこいい俳優とかいっぱいいるんだぜ。
もう二度と、会わないから! 頼む、許して。俺にはやっぱ輝夜だけだって、今回のことでよーく分かった。
つまり、今回のことは二人の仲をより深めるのに、大切なスパイスみたいなもんだったんだよ」
横から抱きしめれた。「輝夜、怒ってくれたの嬉しいよ。浮気されても、別に〜と無視されるかと思った」と囁かれる。
「そ……そんなはずないじゃない。私……」
「将司のこと、好きだもの」と言いかけた時、スマホが鳴動した。
「電話なんて後にしろよ」
「でも、会社からかもしれない」
そうだ。私、今日、仕事で重大な失態を犯したのだ。その処分がもう出たのかもしれない。あの竹取の御曹司が、あのアテンドはクビにしろと言ったかもしれない……そんな人には見えなかったけど。とにかく早く出ないとますます心証が悪くなる。
「なぁ、仕事なんかいいから、仲直りしようよ。おまえ、明日、休みだろう?
どっかに出掛けて、美味しい物でも食べようぜ。フレンチのフルコースとか良くないか? 俺は焼肉が好きだけど、今日は、おまえの好きなところに行ってやるよ。ああ、鉄板焼きでもいいかも。そこならおまえも俺も、どっち満足出来そうだ。そうだ、そうしよう!
そんで素敵なホテルにでも泊まってさ。いいシャンパンでも開けて、そこで仲直り、な?」
腰に回された手を外す。
忘れていた。ピアスの件も聞かないといけなかったんだ。
自分が馬鹿な女だって、自覚したくせに、また馬鹿なことをする所だった。
そして、「俺より電話の方が大事なのかよ」と言う将司を振り切って出た電話は、私がいかに馬鹿なのか、また新たに自分に教えてくれるものだった。