04:明けの月
四時の回。
これが終われば、帰れる。
帰って、将司に事の次第を問い質すのだ。
ニイナとの件で、休憩時間はほとんどないけど、大丈夫。
大丈夫でないのは、今回のゲストだ。
メーカーから派遣された小野さんは男性社員で、今日が初めての生放送だった。誰だって初めてはあるし、慣れないのも分かる。
しかも広報部でも営業部でもなく開発部だ。真面目で商品知識は豊富なだけでなく、見た目が素朴な青年風の整った顔なので、今回のターゲットの高年齢層に受けると思われての抜擢だろう。にしても、もうちょっと人選を考えて欲しかった。
『早朝の四時の回で見ている人も少ないですから、もっと気楽に構えると良いですよ』
始まる前にそう声を掛けたが、ガチガチだ。
そして早朝だからと言ったものの、実はこの時間帯も楽しみに見てくれるお客さまは多い。
「今朝のお届けします商品はこちら!
オオノフーズの毎日健康、青汁林檎ジュースです。
こちら国産にこだわって、手絞りの風味を感じさせる独自製法で作った、非常に飲み易い青汁なんですよね」
「――」
小野さん、お願い、せめて相槌を打って。
「青汁と言うと、飲みにくいというイメージを持たれる方も多いですが、こちらは林檎をミックスしていて、さらに蜂蜜も加えて、とっても美味しいので、長く続けられると思います」
「――」
「えっと……それでは、ちょっと失礼して味見してみます。
こちらは缶入りで飲みきりサイズとなっております。いつでも新鮮な青汁林檎ジュースが飲めて便利ですね」
プルトップを慎重に開ける。新人の頃、なかなか開かなくて力任せに開けようとしたら、中身が盛大に噴出してしまったことがある。それだけでも放送事故だが、なかなか開かなそうな固い蓋は、ターゲットである高年齢層に忌避感を抱かせるので、絶対に避けたい。
軽やかに開け、用意してあったグラスに青汁を注ぐと、一口飲む。
「あ、美味しいですね〜!
全然、青臭くなくって、美味しいです。
しかも、美味しいだけでなく、栄養もとっても豊富なんです」
私はフリップを取り出し、説明を始めた。
本当は小野さんの仕事だけど、立っているだけでやっとそうなので、全部、仕切ることにした。
缶を開け、一口飲み。また飲む。
美味しく栄養価が高まる飲み方として、牛乳と混ぜたものも飲む。炭酸水でも割ってみせる。
空きっ腹に水分が溜まって、気持ち悪くなってきた。
番組が終わった頃には、げっそりした。
「あの……すみませんでした……」
小野さんがようやく言葉を発した。
「いいの、緊張したでしょう」
「――はい。
それに讃岐さんのしゃべりに呆気にとられて。よくあんなに話せますね」
私、怒ってもいいですか?
二人で黙っていたら放送事故でしょう。あなたが、一言も話さない、何もしないから、私が率先してやったのー。
「小野さん、この青汁林檎ジュースどう思っているんですか?」
「……よい商品だと思います! 私は小さい頃から、これを愛飲していまして、入社して初めて開発に携わった品でもあります」
そうだ。小野さんは事前の打ち合わせで、この青汁林檎ジュースがいかに美味しいのか、健康にいいのかを語り、多くの人に飲んで欲しいと言っていた。これを飲んで、自分を大事に育ててくれた祖父母や両親に、長く健康でいて欲しいのだと、熱く語っていた。その時は――。
私はそれを聞いて、彼がこの商品のことを大事に思っていることに対して感動したこと、実際にこのジュースは美味しかった話をして、こう続けた。
「その想いを、お客さまに伝える手伝いをしたかったの。
だからこの青汁林檎ジュースの良さを、お客さまに向けて話しただけです」
「あ……」
小野さんは何か言いたそうだったけど、これ以上は無理。
もう帰りたい。
「次は頑張りましょうね!」
青汁林檎ジュースの売れ行きは良かった。丹野さんのバッグ同様、ショッピング・シャワー・チャンネル開局以来の看板商品でもある。次回の取り扱いも確実にあるだろう。その回に小野さんが出演するかは、メーカー側の判断だけど、私はそう言うと、彼をおいて自分の机に戻り、あの忌々しいスマホをバッグに投げ込み、退社しようとした。
が、呼び止められた。
インターネット事業部長とカスタマー担当部長代理が呼んでいると言う。
二十四時間生放送のショッピング・シャワー・チャンネルだ。誰かしら責任者が夜勤をしているのだが、それにしたって肩書が上すぎる。
どうも今日は朝早くからお偉いさんが視察にくるとかで、その準備で、重役クラスたちが早朝出勤をしているらしい。
昨夜の十時の回も含めて、四回の放送分、全て完売近くまで持っていった手腕を評価され、お褒めの言葉を貰えるのならば勇んでいっただろうが、嫌な予感は当たって、例のキャンセルの件での追及だった。
「勿論、君がこんなことをするとは思わないので、調べさせてもらったが、どうも讃岐くんがオンエア中に注文が集中しているね」
「それにすぐにキャンセル手続きと、パスワード変更の届け出も出ている。
もしかして、アカウントを乗っ取られたのかな?」
「――はい。申し訳ありません」
胃がムカムカする。
「いや、もしかしたらどこかで顧客情報が漏れているのではないかと思ってね。
そうなったら一大事だ。君一人の問題ではない。
なぜすぐに報告しなかった?」
「現状を確認する為に、担当部局を緊急招集している。
思い当たる節はあるかい?」
まずい。
まさか彼氏にアカウントもパスワードを教えていた挙句、浮気女にそれを使って買い物されたなんて知られたくない。
しかし、こんな朝っぱらから叩き起こされ、挙句に、徒労に終わる検証作業をさせられる同僚のことを思うと、被害者ぶりっ子して言い逃れする訳にもいかない。いずれ、アカウントが乗っ取られている可能性があるカスタマーアカウントは私だけだと分かるだろう。
「竹取の御曹司がいらっしゃると言う日に、こんな問題が起きるなんて」
「征吾さまはいつ頃?」
「もう来ているはずだ。なんだって、こんな時間帯に……」
「二十四時間動いている会社を昼間見ただけで分かったつもりにはなりたくない、という意気込みは評価したいが……」
インターネット事業部長とカスタマー担当部長代理の会話からすると、今日、来る、と言うか、来ているお偉いさんは、ショッピング・シャワー・チャンネルをアメリカの企業と共同で運営している竹取物産の御曹司・竹取征吾らしい。
「あの……」
「なんだね?」
カスタマー担当部長代理が険しい顔つきで私を見た。
「アカウントの乗っ取りは私の不注意なんです」
「どういうことだ?」
「あの……し、知り合いに! 知り合いに教えてしまったんです、私が」
「なぜ」「どうして」という当然の疑問を呈すインターネット事業部長とカスタマー担当部長代理に「どうしても欲しい商品があって」と説明する。
「それで悪用されたというのか?」
「悪用と言うか……その、ちょっとした悪ふざけだったようで」
「その悪ふざけが我が社にとって、どれだけ迷惑で、損害を出しているか分かっているのか?
そのせいで、商品が手に入らず、諦めてしまった顧客がいる可能性を考えないのか?」
「そもそも、アカウントとパスワードを他人に教えるなんて、君のプライバシーに関する意識はどうなっているんだ?
個人情報の取り扱いに関する講習の間、君は寝ていたのかね?」
「我が社のコンプライアンスにも関わることだ。すみませんではすまないぞ」
インターネット事業部長とカスタマー担当部長代理のもっともな言葉の数々に、私は言い訳できるわけもなく、ひたすら頭を下げた。
「すでに緊急招集をしてしまった。中にはもう電車に乗っている者もいる。
休みの者もいたんだぞ」
「まったく、讃岐くん、君には失望したよ。
後日、改めて処分を下すから、そのように」
一時間、たっぷりと絞られた私は、個人情報の取り扱いに関する研修を受け直すことと、なんらかの処分をされることが決まった。
とりあえず、クビは免れたようだ。
「この失態は、今後の活躍で取り返すことを期待しているよ」
と、言われたから。