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39:月を盗んだ女

 家に帰ると更紗ちゃんが、仁王立ちで待ち構えていた。


「何考えているんですか! 輝夜さん!

朝帰りどころか、今、何時だと思っているんですか!?」


 母親に叱られる娘のような気分だ。


「ごめんなさい……えっと、更紗ちゃん、帰って来てたのね」


 そちらはお泊りしなかったか……。怖いからではなく、倫理的な感情からに違いない。あちらは結婚前提の清廉なお付き合いで、こちらは先の見えない爛れた関係だ。


「当たり前じゃないですか!

どうせ、お願いされて断りきれなかったんでしょう。なんですか、その都合のいい女の典型みたいな行動。

本当に止めて下さい。

もっと自分を大事にしようとか思わないんですか?」


「大事に……してもらったもの」


「う……っわー」


 ドン引きされた。

 

「ごめんね。

心配してくれてありがう」


「そうですよ。

まだ気を許したら駄目です。

……あの課題、まだ連絡はないので、どうなるか分かりません」


「そう……更紗ちゃんはどうするの?」


 清澄さんに想いが通じたのならば、これ以上、竹取の嫁取りに付き合うことはない。


「可能ならば、受け続けることにしました」


「更紗ちゃん!」


「だって、もし続けるとして、私が脱落して、他のが合格しちゃったらどうするんですか?

竹取征吾はその人と結婚しなければならなくなるんですよ。

清澄とも相談しましたし、隆道兄さまににも、様子を見て欲しいと頼まれました。

そして、輝夜さん、私、まだここにいますからね」


 私が征吾さんとズルズル関係を深めていかないようにとの監視役兼、嫌がらせ対策だ。

 多分、更紗ちゃんがいなかったら、征吾さんがここに入り浸るか、私が征吾さんに会いに行って帰ってこないか、その二つになるだろう。どちらもよろしくない。


「いいですよね? 生活費は入れますし、家賃も折半しますから」


「お願いされて断りきれないような都合のいい女みたいな行動は、しちゃいけないんじゃなかった?」


「それとこれとは別です! 輝夜さーん!」


「ウソウソ。

こちらこそ……嬉しいわ。ありがとうね」


 私の周りには、こんなにいい人たちがいたんだ。

 改めて、分かった。

 だから、恥ずかしくないように生きたいのだけど――。



***



 数日後、私と更紗ちゃんは、竹取物産の本社に呼び出された。

 大きな会議室だ。通常ならば、ここに本社、及び、関連企業の役員たちが居並ぶはず。その際に、序列を一目で分からせるであろう縦長に設置されたテーブルの先に、数人の人影があった。

 最上位には人はおらず、対面する形で、老齢の男女が座っていた。

 遠すぎて、霞がかかっているんじゃないかと思うほどだが、女性の方は竹取会長と思われる。その後ろに立っていた長身の男性が、私を認めて歩いてくる。

 征吾さんだ。

 今日は厳めしいダブルのスーツ姿で、髪の毛を上げて額が露わになっているから、眉間に寄せられた皺が目立つ。簡単に言えば、恐ろしく近寄り難い。この人、本当にこの間と同じ人なんだろうか。

 目が合った。

 征吾さんの眉間の皺がなくなり、口の端が上がり、私の体温は上がった。


「お呼び立てしてしまって申し訳ないです。

……菅原嬢も」


「いいえ」


 更紗ちゃんは警戒して、逆毛のたった猫みたいになった。

 どうぞ、と言われても、どこに座っていいのか分からない。下座? では、会話も出来なさそうだ。

 迷っていると、征吾さんが誘ってくれたので、竹取物産側の上座に座ることになった。私の隣には征吾さんがいて、その向こう側には父親である竹取社長がいる。親子揃って大柄なので、その先にいる小柄な会長の姿はほとんど見えない。僅かに、テーブルの上で組まれた手と着物の袖口の間から、紫色の石を連ねたブレスレットを視界に収められるのみである。 

 挨拶をした方がいいかも分からない。

 すると、ちょうど私の向かい側に座っている女性が先に口を開いた。


「はじめまして。

あなたが讃岐輝夜さん?」


 美人だった。

 赤いワンピースに、同色の高いヒールの靴。黒いジャケットに同色の細いベルト。耳元と手首に金のアクセサリーが魅惑的に揺れる。

 明るく染められた髪の毛は、綺麗に巻かれ、目じりを跳ねあげたアイライン、マスカラだけに頼っていないのが分かる長くたっぷりとした睫、形のよい唇は上品な色の口紅でさらに鮮やかに彩られている。

 圧倒的な美人であるが、その辺の男性には近づけもしない力強さがあった。

 

「そうです。

失礼ですが、あなたは?」


「あら? 私をご存知ないのね。

征吾から聞いていないの? どろぼう猫さん」


 隣の更紗ちゃんがもし、本当に猫だったら、尻尾を太くし、背中を丸めてフシャーっと威嚇していただろう気配を発した。

 でも、猫は私の方だった。それもどろぼう猫。実際に言われると背筋が凍る単語だ。

 しかも、目の前の美人は、征吾さんを呼び捨てにした。その上で、隣の征吾さんも「香穂」と窘める。

 お知り合いですか? とぎこちなく視線で問えば、「彼女は車持くるまもち香穂かほ嬢です」と事実だけを伝えられた。


「そう。

私は車持香穂。

征吾の婚約者候補の一人」


 「あなたは違うでしょう?」と言わんばかりの勝ち誇ったような香穂さんに、更紗ちゃんが言い返した。


「だったら私だってそうよ!」


「他の男と通じている女に、資格があると思っているの?」


 どうやら全部、知っているようだ。彼女はさらに言う。


「私と征吾は付き合っていたのよ」


 なんとなーく、そんな気はした。


「結婚の約束まであと少しだったのに……彼のお祖母さまが反対したせいで、上手くいかなかった。

そうでしょう? 征吾」


 そうなの!? 征吾さん!

 若干、眩暈がしてきた。これはなんと言えばいいのだろうか……二股?

 膝の上に置いた手に、弁解するように征吾さんの手が重なった。この場合、振り払うべきなのだろうが、そうする前に、征吾さんの方が離れた。


「いいえ、お別れしたのは、私自身の意志です。

祖母の意向はまったく関係ありません。

その際にお話ししたように、あなたとは価値観が合わなくなったので、これ以上、関係を続けることは出来ないとの判断です」


「嘘よ。

あんなにお祖母さまのやり方に反発していたのに、どうしてそんな風になってしまったの?

竹取家の後継ぎを外すとでも言われた?」


「それも違います。

確かに、祖母と私の考え方に齟齬がありました。

全てが間違っているとは思いませんが、私も……未熟でした。今はそれを認められます」


 征吾さんが項垂れた。もう一度、テーブルの下で、そっと手を握られた。


「……それを輝夜さんが教えてくれたのです。

ただ物を売るだけが、商売ではないと」


「はぁ?」


 香穂さんは俄かには信じられない様子だ。


「あなたが未熟だなんて、あり得ないわ!

なるほど、竹取会長はこの会社をここまで大きくした立役者だわ。

素晴らしい経営者だったかもしれない。でも過去の話よ。

時代は進化しているし、消費者の求めるサービスも変っている。

それなのに、竹取物産の考え方は古すぎるわ。もっと効率的に利益を出せる方法があるのに、それを採用しない。

あなただって、そう言っていた。

変るべきだって。私もそれに同意して、一緒に変えていこうと語り合ったじゃないの」


 「一晩中ね」と思わせぶりな台詞と視線が送られた。

 征吾さんは香穂さんにも、あんな風に情熱的で愛情深い行為をしたのだろうか。したに決まっている。恋人同士だったんだもの。

 前回は彼氏を奪った女性との対面で、今回は元カノとの遭遇とは……穏やかではない。

 それに、香穂さんの言う内容にも心がざわめく。


「私はあなたのこと、まだ愛しているわ。

だから、あなたのお祖母さまが出した、こんな馬鹿げた課題に付き合っているの。

そりゃあ、現場の社員には販売能力は必要かもしれないけど、私や征吾は違う。

会社を導く存在なの。その辺りの能力を評価してもらわないと」


 そこまで言ってから、香穂さんは竹取会長の方に訴える。


「松子さま、それでも私は、課題に取り組みました。

それなのに何もしていない女が、横からちょっかいを掛けて、かっさらっていくなんて……約束に反します」


 それは真っ当な意見だ。香穂さんから席を一つ空けて座っていた彼女の祖父の車持二三人ふみとと名乗る男性が、「そうだ。香穂の言う通りだ」と賛同の声をげた。

 すると竹取会長が重々しく答える。


「大層な自信があるようだけど、あなたは竹取の嫁には相応しくない。

課題に取り組んだというが、では、結果を言いましょう。

――あなたは不合格です」


「はぁ?」


 心外、不愉快、怒りといった気持ちが、その短い言葉に含まれていた。


「なぜよ!

言われた物は全部、売ったじゃないの!」


 椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、両手をテーブルについて叫んだ。


「全部、売れとは言っていないでしょう?

私が求めたのは、売り方ですよ」


 『孫の嫁は、物を売る経験をしている者、その苦労と楽しさを知っている者でなければならない』

 竹取会長は、最初からそう言っていた。


「あなたの売り方は感心しないわ。

と言うか、売ってもいないわね。

お金で雇った人間に、お金を渡して商品を買ってもらうのは、商売とは言わないね」


「だから何よ?

この私がそこの売り子みたいに、あんなくだらない安物をちまちま売れというの?

そんなのは、それこそ、そこの売り子がすればいいのよ!」


 ”売り子”というのは、私のことだろう。蔑むような視線が刺さる。

 征吾さんが握っているのとは反対側の手で、彼の手を抑える。でないと、怒り出しそうだから。ついでに、更紗ちゃんも止めないと。

 それから私は征吾さんの手を振り払って、立ち上がった。

 私は多分、自分のことを大事にしていなかった。だから、将司に雑に扱われたんだ。

 でも、それじゃあいけない。

 自分が好きでもない商品は、他人には勧められない。自分が一番、自分のファンでなくっちゃ。

 侮辱されたら、私が怒らないと。

 それに、大体のことは許せるけどねぇ……たった一つだけ、許せないことが私にはあるのよ!


「ご高説、お見事ですけど、結局は、自分で売る自信がなかったんじゃないの」


「――なんですって?

私だって、やろうと思えば、いくらだって売れるわよ。

ただ、そんな無駄な労力を掛けている暇はないってこと。

私はね、あなたと違って、与えられたものをただ売っていればいい立場の人間じゃないの。

車持コーポレーションのマーケティング部長として、販売計画を立てたり、忙しいの。

分かる?」


 香穂さんは腕組みしていた手をほどき、右手を軽く一振りした。やや長めで尖らせた爪はヌードカラーのネイルがされていて、白いフレンチカラーに塗られている。あれで引っ掛かられたら痛そうだ。

 最近、アテンドとしてテレビに出ていないせいで、まったくネイルをしていない自分の手を見る。

 うん、大丈夫。

 しばらくジェルネイルを休んでいたおかげで、爪自体は元気になっている。キャットファイトになっても、負けないと、自分に言い聞かす。


「それくらいのことが出来ると言うのならば、自分でやるべきでした。

不必要な人間に、物を買わせるなんて、不合格になって当然です!

作った人間にとっても、買った人間にとっても、なんの益もない商売なんて、商売じゃありません!」


 「はぁ?」という声に、「そうよ! 輝夜ちゃんの言う通りよ!」という、場違いな歓声が飛んだ。「もっと言ってやって!」とも。

 立ち上がったおかげで、征吾さんとその父親の頭を飛び越えて、竹取会長の姿がよく見えた――。

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