37:星の衝突
更紗ちゃんが戻ってこないけど、撤収は征吾さんが来てくれたので、問題はないだろう。
彼は”隆道さんの友人、清澄さんの兄貴分として”、計画の段階から寺カフェ×哲学カフェの手伝いを申し出てくれた。当日の今日も、丸一日、ここにいる。この間みたいに、仕事で席を外すことは無かったようだ。考えてみれば、あの時は、専務取締役就任直後の上に、会社は混乱しているし、本人はバイトをしているしで、尋常ではなく忙しかったのだ。
それを抜ければ、仕事の速さと配分を心得ている征吾さんは、本人が望めば、きちんと休日を確保できる。問題はその休日も、こんな風に動き回っていることだけど、「仕事ではありません。そんなことを言ったら、休日はみんな家に籠って寝ていろというのですか? 趣味で海に行ったり、ボランティアをしたり、デートをするのは疲れるからしてはいけないと言うようなものです」と反論されれば、その通りと頷くしかない。
そんな仕事ではない征吾さんのだが、最近、なんだか変ってきた。ガチガチのビジネススーツでないのは当然として、プライベート、もしくは人前に出ないから、服装になんて頓着しませんと言わんばかりの恰好でもない。
今日は淡い色のジャケットに、薄いピンク色のクレリックシャツ。ネイビーのズボンに明るめブラウン系の革靴と、春を感じさせるファッションだ。髪もほどよく整えていて、黒縁の眼鏡もお洒落の一環に見える。
ビジネススーツではあまりにも印象が鋭すぎるし、「格好いいけど、あのダサさだけはなんとかしないと、社食でも一緒に食事したくない」とオペレーター室で大不評だった私服と比べると、適度な抜け感ときちんと感があって、征吾さんによく似合った。
つい、見惚れてしまう。
「さすが輝夜さんです。全部、売り切りましたね」
じっと見ていたのを気づかれないように、慌てて作業に戻りつつ、なんてことのない話をする。
「おかげさまです。
そう言えば、今日も末松さまがいらっしゃったんです」
三度も会った。すごい偶然の上に、私は軽く変装していたのに、すぐに分かってくれた。あの明るい人に会うと、こちらも楽しくなる。
「……そうですか」
「紫色の石を選んで数珠ブレスレットを作って行かれました。
今日も、お孫さんのお嫁さんにしたいと、熱心に誘われてしまいました」
お孫さんに食べさせるのだと、手にいっぱいのお土産用の焼き菓子を持っていた。
とても可愛がっているに違いない。
「末松さまのお孫さんと言うと……十歳くらいかしら?」
征吾さんは遠い目つきになった。
「征吾さん?」
「お腹空きませんか?」
「はい?」
唐突に話題を変えられたけど、征吾さんのお腹が空いているのなら仕方がない。
「さっき頂いた焼き菓子がありますよ。
これをどうぞ」
「そうではなくて」
焼き菓子を渡そうとした手を、やんわりと下ろされた。
「ご一緒に夕飯はいかがですか?」
「いいえ、まだ……」
更紗ちゃんの件は解決したが、他の問題はまだのはずだ。
「この間はご一緒して下さいました」
「あの時は……」
なぜ「いいですよ」と言ってしまったのだろう。問いかけるまでもなく、私も一緒にいたかったからだ。
だから、征吾さんが「前回はあまりに失礼な振る舞いでした。仕事が終わらず、あなたを待たせているという焦りもあって、折角のお菓子も砂を噛むようでした。どうか私に、あなたと一緒に食事を味わう機会を与えて下さい」と言わなくても、「いいですよ」と誘いを受けてしまっただろう。
征吾さんの電話が鳴らなかったら。
「くそっ! なんでこのタイミングなんだよ。どうでもいい用事だったら、ただじゃ……あ、輝夜さん、ちょっとすみません……」
一瞬、恐ろしい言葉を吐きかけた征吾さんは、スマホを両手に挟んで謝った。彼の手の中でスマホが青白く光り、鳴動している。
「いいですよ。
緊急のご用事でしたら、後回しにするほど面倒になるものです。
相手の方も焦っているでしょう。早く出てあげてください」
「――ありがとうございます」
電話を受け取った征吾さんは眉を潜めた。目つきが凶悪になった。それから私の顔を見て、遠くの方に行ってしまった。周囲に憚る内容のようだ。今度も長くかかりそうで、もしかすると、食事も無しになるか、この間みたいなことになるかもしれない。
更紗ちゃんに「駄目男製造機!」と怒られないかしら?
でも、征吾さんは責任ある立場にいる人だ。それに、もし反対の立場だと考えれば、征吾さんもそうしてくれる。
待っている時間に片づけを終わらせればいいことだ。
「うーん、だけど一人だとちょっと大変かな。
誰か呼ぼうかな……」
小野さんとか? 私を師匠と呼ぶようになってしまったオオノフーズの御曹司も、このイベントに参加していた。不幸な失恋をしてしまったが、そのせいで征吾さんがまた警戒している。
「……一人で片付けよう」
私が腰に手を当てて呟くと、さっと影が落ちた。
「手伝おうか?」
そのありがたい申し出に、私は喜べなかった。
振り向かなくても分かるが、背中を向けたまま話すのも嫌だ。
「将司……」
私はその男の顔を見て、一歩下がった。
「そんな警戒しなくてもいいだろう?」
あれほど好きだった愛想の良い顔が、今では醜悪に見える。
「何の用? 用事があっても来ないで」
「輝夜」
「馴れ馴れく呼ばないで」
出来るだけきつい口調で言ったのに、将司は気にせずに近づいてくる。
「まだ怒ってるのか?
悪かったよ。
謝りに来てやったんだ。
まさかニイナがあんなことするなんて、思ってもなくて。
若くて可愛いから、チヤホヤされて勘違いした典型的な女で困ったよ」
椿さんと沙紀さんに連れられてやって来たニイナを思い浮かべた。
雨の中、捨てられたところを、拾われてきた猫みたいだった。あの子には確かに困らされたけど、ちゃんと反省した。それに比べて将司はどうだろうか。
まったく悪びれていない。謝罪の言葉なんて、口だけだ。ニイナを批判すれば、私が喜び、自分に非が無いと証明できると考えているのだ。
「もしそうだとしても、浮気したのは事実でしょう。
そうやってすぐに人のせいにするところに、もう愛想が尽きたの」
「違うだろう?
俺よりもいい男を見つけたから乗り換えたいだけなんだろう?」
そっちも浮気しているくせに、と言わんばかりだ。
「やめとけよ。
竹取物産の御曹司の相手なんて輝夜には似合わないよ」
征吾さんのことを知ってることに、驚きはしない。
不釣り合いだと言わないだけの配慮はあるようだ。それもそのはず、将司は私とよりをもどしたいと請う。
「いい家の男は、いい家の女と結婚するもんだ。
遊ばれているんだよ。気づけよ。
俺はお前を不孝にしたくない」
「あなたは私を、十分、不幸にしたわ。これ以上は、たくさん」
泣いたことは教えない。私にだってプライドがあるんだ。
「後悔するぞ。
お前には俺が必要なんだ。
大学に入る時、一回、別れたけど、またよりを戻したのは、そういうことだろう?」
「違う――」と声を上げようとした私の代わりに、低く鋭い声が言った。
「違いますよ」
私をじりじりと追いつめていた将司が、後ずさった。
「あなたのような男は、輝夜さんに相応しくありません」
そっと肩に手を置かれ、引き寄せられた。人によっては馴れ馴れしいと感じるかもしれないが、今の私には安心出来る行動だ。
「お前……」
将司が圧倒されている。この人は、強そうな人間には卑屈になるのだ。離れて見てみると、とても――とても残念な人としか言えない。
「行きましょう」
これ見よがしに、征吾さんが私に囁いた。
「でも……」
横目で白いテントを見る。まだ片付けが済んでいない。しかし、征吾さんに手を掴まれた。
「私と行くんです」
「は……はい――」
やや強引に連れ出されたが、そうしてくれなかったら、私の足は動かなかっただろう。
「後悔するぞ!」
後ろで将司が叫んだ。
「振り返らないで」
前を行く征吾さんが、私の手をぐいぐいと引っ張る。
参道を抜けて、待たせていた車に私を押し込んだ。
「征吾さん!」
ようやく戸惑いの声を上げた。いつも私のことを優先してくれる征吾さんにしては、乱暴だ。
「――すみません」
そう謝ったものの、征吾さんの様子はやはりいつもと違った。
怒ってるようだ。
私はどうすればいいのか分からず、ただ、車の座席に身を預けた。食事には行くらしい。征吾さんは隆道さんに、後のことを任せる旨の連絡をした。
それからは、車内には沈黙しかなかった。
「ごめんなさい」
やっぱり怒っているのだ。
「あなたは――どうして、あの男のことを忘れてくれないのですか?」
理不尽な怒りをぶつけられ、私は言葉を失った。




