36:月長石の導き
大学の春休みは長い。
まだ人気の無い構内を歩き、大伴准教授の部屋に行く。今日は更紗ちゃんも一緒だ。
そこで文屋さんと橘さんと合流する。
『就職活動のアピールのために、いろんな経験をするのはいいけど、折角だから、大学で学んだことを活かしてみない?』
そう二人を誘ったら、なんと文屋さんに「私、大学に残ることにしました」と大学院進学を決めたことを報告された。
「本当はずっとそうしたいと思っていたんです。
諦めるのが辛くて、逆にあんな風に就活に必死になることで、気持ちを逸らそうとしていたことが分かりました。
どんな結果になっても、一度、きちんとぶつかってみようと思います。
後悔したくないから」
とは言え、文屋さんはやっぱりしっかりしていた。
「それに石橋杏子さんと小野壮一郎さんに、それぞれ声を掛けてもらちゃった。
いざという時は、ご相談下さいって」
あの二人の言う事だ。社交辞令ではないだろう。
「勿論、今回の輝夜さんの件も協力を惜しみませんよ。
哲学カフェって、一度、やってみたかったんですよね」
「それに、竹取物産にも伝手を作ってみたいし」と、これまたちゃっかりしている。
――そうなのだ。
竹取家からの三つ目の課題をこなすために、私が計画したのが哲学カフェだ。
お茶や、それに合うお菓子を食べながら、気軽に哲学問答をする場を作る。そして、その場は、大伴准教授の実家のお寺なので、実は寺カフェでもある。寺カフェもまた、普段はじっくり話すことのない、僧侶との対話が出来ることで、密かに人気があるらしい。
清澄さんも、もっとみんなに気楽にお寺に来てもらいたいと思い、自身の寺でも計画しようとしていたそうだ。なので、話しはすぐについた。清澄さんは、知り合いの住職にも声を掛けてくれた。今は本堂でコンサートやライブなんかをしているアクティブなお坊さんたちだという。
***
桜が咲き始めた境内に、白いテントがまぶしい。今日はよい天気だ。風も無いので温かい。
寺カフェ×哲学カフェはすでに人が列をなしている。若い女性が多いようだ。
「みんな、何かしらの悩みを抱えているんですね」
出店準備をしながら、更紗ちゃんが列を眺めた。お坊さんと話すための整理券配布列だ。
または大伴准教授が進行役になっておこなうディスカッションの入場待ち。文屋さんと橘さんは、大学の入学式で割引券付のチラシを配った。「私たちの哲学サークルへの新入生勧誘にも使わせて下さい」実に抜け目がない。
もしくは、各店こだわりの焙煎とブレンドで淹れるコーヒーの飲み比べ待機列もある。オリジナルのコーヒーカップ付のチケットで、三杯分のコーヒーが飲めるし、足りなければ、別料金でコーヒーの追加も出来るし、手作り焼き菓子とも引き換え出来るようになっている。それらを楽しみながら、様々なテーマで話し合ったり、悩みを相談するのだ。
「輝夜さん、おはようございます! 今日はよろしくお願いしますね」
「あ、美弥さん! こちらこそ!」
貫田太一と美弥さんが挨拶に来てくれた。太一さんが所属する劇団による演劇もあるのだ。太一さんが書いた脚本は、抽象的というか、シュールというか、私にはよく分からなかったが、哲学組には「すごく深いです」「考えさせらますね」と好評なので、そういうものなのだろう。
様々な催しがある中、私と更紗ちゃんがやるのは、数珠ブレスレット製作体験である。
伸縮性のある紐に、好きなパワーストーンを通して作ってもらう。ただ、作る前に、石の名前や効果については、敢えて説明はしない。作る人が、好きな色であったり、直観的に選び取ったものが、今のその人に必要な石だということにしたのだ。出来上がったら、数珠の意味と、石についての説明をするこにしている。
「これを売るためだけに、ここまで大袈裟になるとは思いませんでした」
「人は大根を買いに、電気屋さんにはいかないでしょう?
こういうものに関心がある人が集まる場所に出した方がいいと思ったの」
ハンドメイド市でも良かったのだけど、ハンドメイドを謳うには、私は素人すぎるのよね。
竹取物産が用意しただけあって、石自体の品質は良いものだ。相談に乗ってくれた美弥さんは、「私が何か作りましょうか」と申し出てくれたけど、そこまで甘えられない。
小さな穴に糸を通していく作業は、精神も集中される。自分で石を選び、作った物は、より愛着もわくだろう。それを身に着けることで、心の平安が保たれれば、幸いである。石はちゃんと、清澄さんに祈願・供養してもらい、売り上げは寄付にまわす。
それになによりも、このイベントを通じて、更紗ちゃんと清澄さんとの関係をなんとかしたかったのだ。だから、会場はこのお寺でなくてはいけない。
彼女はこの数か月で大分、変ったと思う。
イベントの準備をするという理由で、お寺に足繁く通って、清澄さんとブースの配置や電源の確保、テントの手配、設営、搬入、搬出などの相談をしていた。
最初の頃は、昼間しか行けなかったが、いつしか、夕方や夜まで帰ってこない日が出てくる。
『怖くないの?』と聞くと、更紗ちゃんは首を横に振った。
『もう怖いものなんてないですよ!』
『いつの間に……』
『母が、本当に怖いのは人間だっていう意味、分かりましたよ。
いるかいないか分からない存在に怯えるよりも、確実に存在していて、危害を加えてくる人間の方がよっぽど怖いってことが、よーく!』
あの怒涛の二週間で、私も更紗ちゃんも人間の恐ろしさに触れてしまった。
ショッピング・シャワー・チャンネルに寄せられた、多くのやり場のない憤りのはけ口のような電話を受けとり、ネットやテレビでは連日、謂われなき攻撃にさらされた。更紗ちゃんは、私に送られた匿名の悪意に満ちた手紙も読んでいた。私には応援の手紙だけ選って、届けてくれたのだ。これで人間不信までなったら大変だ。
『いい人にも出会えたわね』
『輝夜さんが一番、お人よしですよ……でも、そういうところが素敵ですよね。
征吾さんが好きになるのも納得です。あの人にはきっと、輝夜さんの気持ちが届きますよ。
なんだか、ひどく言ってしまってすみません。
私だって、清澄に甘えていました。清澄は私のことを分かってくれている。まだ大丈夫。まだ他に好きな人は作らない。まだ許してくれるって。
なのに、他人のこと批判ばかりしていました』
そんなことないよ、更紗ちゃんは頑張っていたよ、と言うと、ほら、そういう所! と注意された。
『でも、自分を肯定されるのは嬉しいです。
人は迷ったり悩んだりするから、自分が信じるものに心を預けて、勇気をもらったり、安寧を得ようとするんだわ。
輝夜さんが言った通りです。
それを上手く出来ないと、自分自身が恐ろしいものに変容してしまう。それこそが、とても怖いことなんですね。
清澄も、そういう人たちを救おうと頑張っているから、私は好きなんです。
この気持ちを残してしまったら、後悔した上に、ひどく拗らせて、私は自分が一番、醜くて、恐ろしいものになるような気がします。
だから、輝夜さん、もう一度だけ甘えさせて下さい。
私を、励まして下さいませんか?』
『勿論! 清澄さんがいれば、更紗ちゃんに怖いものなんかないわ!』
覚悟を決めた更紗ちゃんは、熱心に店番をし、用意された石は、必要な人に行きわたった。
夕刻、きちんと計算して準備したはずなのに、なぜか一粒だけ残った月のような色の石を持った更紗ちゃんは、何も言わずに、どこかに行ってしまった。
それを聞いた清澄さんは、いなくなった彼女を、幼い夏の日に辿りつけなかった場所で見つけ出すことが出来た。
それでめでたし、めでたし。
寺カフェ×哲学カフェも無事に終了した。




