35:逆鱗に触れる
家に帰ると、更紗ちゃんが真剣な顔をして考え込んでいた。
「どうしたの?」
電気をつけながら、不思議に思う。
怖がりの更紗ちゃんは、寝る時も小さな電球をつけないと眠れないのに。こんな黄昏時の薄暗い部屋に一人でいたなんて。
「お帰りなさい。輝夜さん。遅かったですね」
「ごめんなさい。いろいろあって。
お土産あるよ。征吾さんから更紗ちゃんに」
「ふーん。顔がにやけてますよ。……デート、そんなに楽しかったですか?」
「うん?」
楽しかったですよ。
二人の関係と、征吾さんの仕事の機密が漏れないように、ホテルの一室をとって、そこでアフタヌーンティーをするという人目を忍ぶ形の上に、征吾さんはほぼ仕事していたけど。征吾さんが仕事をしていると見て取った人々が、次々と新しい案件が持ち込みはじめたせいで、終わる様子がなかったからだ。
それを見て、オンラインゲームにはまっていた頃の将司を思い出してしまったのは秘密だ。『新しいクエストに誘われたー』と言う代わりに、『新しい仕事が……』である。
「なんですかそれ! ――全然っ、楽しくなさそう」
「楽しかったわよ!
征吾さんのために、紅茶を淹れたり、お菓子を手渡したり……」
そうだ、それなのに、私は楽しかったのだ。
征吾さんは、私が何かすると、ちゃんと目を合わせて、「すみません。ありがとうございます」と言ってくれた。たまに私がいるか確認して、嬉しそうな顔をしてくれる。一度、邪魔しないように、静かにトイレに行っていたら、部屋中探されていた。なぜ私がテーブルの下にいると思ったかはさておいて、それからは、一声掛けて立つようにした。
あとはずっと、征吾さんが仕事をする様子を横目で見ながら、ホテルが出している通販カタログを読んでいた。
ホテル内レストランの料理やお菓子から寝具、オリジナルグッズ、アメニティは分かるけど、部屋で使っている家具や香りまで売っているとは知らなかった。更紗ちゃんへのお土産は、そこから選んだ。諸々の代金は征吾さんが払うと言って聞かず、押し切られてしまったのは、どうかと思ったけど。曰く、迷惑料らしい。そうね、更紗ちゃんは自分の部屋にいられなくなったんだもの。
それから、スタッフさんに手渡されたウェディングカタログも。まぁ、気持ちは分からなくはないけど、それを読んでいるのを征吾さんに見られるのは憚られた。結局は、それを手にする羽目になったけどね。
最終的に別れる三十分前にようやく彼のパソコンは閉じられたけど、「美味しいお菓子でしたね」という話題に「そうでしたか?」という答えが返ってきた。彼にとって食事は栄養を摂れればいいだけのものらしい。
「心配よね。もっと食事の楽しさとか、知って欲しい」
「そんなのは、恋人が心配することじゃありません!
まるっきり、過保護な母親じゃないですか!
と言うか、パソコン操作しながら、食事するのって、行儀悪いだけじゃなくって、不潔です。
気にするのは、そっちの方です。
マウスは油まみれだし、キーボードの隙間に、お菓子のカスとか入ってますよ。
ばい菌の温床です。大腸菌とかうようよいるんだー! やだー!」
「更紗ちゃん、潔癖症?」
「常識です!」
そんな怒らなくてもいいじゃない。さっきと違い、ポニーテールが元気に揺れる。
「私、今まで、輝夜さんのこと、駄目男好きだと思っていたけど、違いますね。
輝夜さんは駄目男製造機です。
そうやって、何でもやってあげたり、許したりするから、男が調子に乗るんじゃないですか!」
「そ……そんなことない!
それに征吾さんは駄目男じゃないわ!」
将司はともかく、征吾さんのどこが駄目男なのよ!
私は抗議したが、更紗ちゃんはそれこそが、駄目男製造機なのだと言う。
「仕事は出来ます。その件に関して異論はありません。
が、それ以外に関しては、問題ありすぎると思います。
あれは隠れ駄目男です。
本当のことを言うと、私も真理子さんも、そして、椿さんも、輝夜さんは小野さんがタイプだと思っていました」
「征吾さんも同じこと言っていたわ」
それで事態がより、混乱したのだ。
「やっぱり!
だって小野さん、ぱっと見、駄目男っぽかったもの!」
「失礼よ、更紗ちゃん」
小野さんは駄目男じゃないわ。今日だって、慣れない仕事を、率先してこなしていた。
「はい。失礼でした。
小野さんは出来る男でした。今となっては、竹取征吾よりも小野さんをおススメしたい気分です。
輝夜さんのおかげで小野さんが奮起したのならば、余計に。だって、輝夜さんの気持ちが、ちゃんと届いた証拠じゃないですか。
でも、竹取征吾はどうなんですか?
輝夜さんを散々、巻き込んだのに、こちらから聞かなければ事情も説明しない。デートに誘ったくせに、ほとんど仕事をしている。しかも、輝夜さんのこと、都合よく扱っていませんか?
それを許していたら、輝夜さん自身がないがしろにされるかもしれないんですよ。
あの元彼と同じじゃないですか! それが心配なんです」
「征吾さんは……違うわ」
背中に向かって名前を呼んだら、将司は振り向かずに生返事をするけど、征吾さんはちゃんとこちらを見て、「なんですか?」と答えてくれる。なんなら自分の名前を呼んでくれて嬉しいですと言ってくれるのだ。それくらい違う。
「相手のどんなところも受け入れる輝夜さんは、すごく優しい人だと思います。
だけど、その優しさが、どんどん相手を助長させていくんです。最初が肝心ですよ」
そうか……私は将司のことを何でも面倒を見ようとしていたが、思い返せば、それは高校時代にまで遡る。
将司に宿題を見せてあげたりしていた。最初は一緒に勉強しようというはずだったのに、いつの間にか、将司は漫画なんか読んでいて、私が解いたのを丸写しにするのだ。
それから、よく忘れ物をする将司に、すぐに貸せるようにいろんものを常備していた。
デートに誘ったくせに、いつも遅刻されたし。あと、チケット代とか、よく立て替えさせられていた。あれ、返してもらってないなぁ――……。
いっつも、いいだろう、わりぃ、今度な、という言葉でなぁなぁにさせられていたし、こっちも許してしまっていた。
その甘さが、将司を駄目にしたのかもしれない。
「どうしよう……将司を駄目にしたの。私だわ!」
「あ……いや、そういう意味で言った訳じゃ……輝夜さーん!」
更紗ちゃんは私を必死で慰めてくれたけど、思った以上に衝撃が大きい。
「ごめんなさい! 前言撤回しますから。
輝夜さんはいい人なんです。それにつけこむような男が悪いんです」
そこに真理子さんから連絡がくる。なんでも椿さんと沙紀さんが私に会いたいと言う。
勿論どうぞ、ということで、部屋に招待したのだけど……。
「って、なんでニイナもいるんですかー!」
更紗ちゃんが叫んだ通り、なんと椿さんがニイナを連れて来た。髪の毛をバッサリ切り、化粧もしていないので、一瞬、誰か分からなかった。そう言えば、あの夜送り付けて来た写真では、化粧していた。私の自分の写真を送るのに、わざわざ化粧し直したに違いない。
服装もパーカーとジーンズという、露出度一切なしのカジュアルなものだ。
でも、すっごく可愛い。
「ごめんなさい」
中身もいきなり別人だ。
「あ……うん……えっと、将司は?」
「知らない」
捨てたのか、捨てられたのか。
「結局、私のことも金蔓だったんです」
将司が捨てたのか!
「なんてやつ! こんな可愛い子を! 何様よ!」
私が憤ると、ニイナはポツポツと語りはじめた。
「私……将司のこと、本当に好きだったんです……最初の方は……すごく……」
ニイナは女優になりたいと、今の事務所と契約したのだが、まずは名を売るためと、グラビアの仕事をすることになった。
その内、きっと、女優としての仕事を取って来るからという話を信じ、仕事を続けたという。
「でも、女優になるのに必要な演技の勉強とかもさせてもらえませんでした。
そんな時、別な事務所から声を掛けて貰ったんですけど、私が最初に契約した条件では、こちらから辞めると、とんでもない額の違約金を請求されることになっていて……」
社会を知らない、夢見る若い娘を騙すのは、さぞや簡単だっただろう。壮絶に腹が立ってきた。
「もうどうにもならない状況の時、将司に会いました。
彼、すごく同情してくれて、優しくしてくれました。
他の男みたいに、身体目当てにも見えなくて……」
傷心の娘に、将司はつけ込んだのだ。そういう所だけは恐ろしいほど達者なのは、悔しいが身をもって経験済みだ。
そう思うと、この状況、すごく気まずい。浮気された場合、恋人よりも相手の女の方に憎しみが向くと聞いたことがある。オオノフーズの女性社員もそれで、小野さんではなく私を攻撃したのだ。とは言え、今回の場合は将司の屑っぷりが際立つだけで、むしろ共感が勝ってしまった。
「才能があるのに認められない気持ちが分かると、慰めてもらえて嬉しかった。
彼も同じように苦しんでいると言いました。
今の彼女にも馬鹿にされていて、とても辛いという話を聞いて、私、許せないと思いました」
それでまさかニイナが私に浮気をばらすとは思ってなかったのだろう。しかし、私に家を追い出されても、将司はめげなかった。
今度はニイナのヒモになったのだ。
「事務所を辞めるいい方法を探してくれると約束してくれました」
そうして、お金をせびった。
私よりも、ニイナの方が年齢も、可愛さも、胸の大きさも、知名度も勝っているから乗り換えられたのだと僻んでいたが、そうではないらしい。
単に自分の言いなりになって、お金をくれる女の子が好きなのだ。
「そういう奴は、誰のせいとかそういうんじゃないわ。
これはと思う人間を見つけて寄生するのに長けてるいるのよ。
優しい子ほど、騙されちゃうの。本当に許せない」
真理子さんの言葉に更紗ちゃんが激しく頷いた。「そうですよ! 輝夜さんのせじゃないです!」
「ある日、将司が私に言ったんです。いい人に出会った。助けてもらえるかも――と」
その人物の言いなりになって、ニイナはテレビの生放送で告白したのだ。
グラビアアイドルに彼氏がいるのは人気に影響が出る。だが、そうすれば、女優へ転身する手助けをしてくれると約束された。
「その人は、事務所の契約関係もなんとかしてくれると言いました。新しい事務所にも紹介してくれたんですけど……」
「やめときなさいって、私が言ったの」
お淑やかな性質の沙紀さんがお怒りだ。
「前の事務所の方がマシってくらいの所に、売られそうになっていたのよ!」
ああ、もう、最低すぎて吐き気がしてくる。あいつを恋人にしていた自分が恨めしい。しかも、そんな風に育ててしまったのは私かもしれないのだ。
ニイナが私に弱々しく微笑んだ。
「白加賀さまが……お兄さまの劇団に私を推薦してくれました」
お兄さまの劇団というと…「うわぁ」と更紗ちゃんが悲鳴をあげるのも納得。
とてつもなく厳しいと有名な劇団だ。だが、そこの出身者は名優揃いなのも有名だった。俳優への登竜門であるが、まさしく、鯉が滝を昇るほどの努力が要求され、竜になれるのはごくひと握りの狭き門。この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよとまで言われている。いやいや、俳優になるという希望は捨てちゃいけないだろうと思うが、それくらい厳しいとされる。
「かなり厳しいけど、本当に女優になりたいのならば、そこで修行することね」
そう励ましながら、私はちょっと遠慮したいわ、という顔になるのは椿さんだ。「うちの娘もアイドルから女優に転身する時に、一年間、放り込んだけど、あのがんばり屋さんでも人相変っていたもの」
「この子、見所はあると思うから、頑張ればものになるかも」
「なにしろ根性はありそうだから」と、沙紀さん。その笑みは母性に溢れているが、母は母でも我が子を崖の下に突き落とす虎のようだった。
ニイナの事務所関係は椿さんと沙紀さんのパワーでなんとかしたそうだ。ついでに、ニイナ自身もきっちりお灸がすえられらしい。この二人に逆らえば、もう二度と、女優どころか、芸能活動も出来なくなるので、ニイナも大いに反省し、また、助けてもらったことに感謝の念を抱き、気持ちを改めたと、再度、私に謝罪した。あちらもそうなら、こちらも毒気が抜かれた気分だ。
それからニイナは、沙紀さんのお兄さんの劇団の人に迎えに来てもらい、帰って行った。三年ぐらいしたら、どこかでお目にかかるかもしれない。そうあって欲しいし、そうならなくても、彼女は今度こど、やりたいことに挑戦できる。やれるだけやりきった気持ちを持てれば、自分の至らなさを、他人に当てつけるような真似はしなくなるのだろう。
私は椿さんと沙紀さんに改めてお礼を言った。
「輝夜ちゃんにアテンドしてもらうの、楽しみにしてるから」
「また一緒に仕事しましょうね」
二人はそう優しい声を掛けてくれた。




