34:五蘊盛苦
一度、車を乗り換え、征吾さんが待つ車に乗った。
今日の彼は完璧なスーツ姿に細い銀色のフレームの眼鏡をしている。竹取征吾として、朝から仕事があったようだ。座席にゆったりと身を預けているのに、緊張感を発しているように見える。
「お久しぶりです」
「昨日、お会いした気がしますが」
「えっと……そうでしたね」
雰囲気が違いすぎて、別人に会っている気分なのだ。
「そうですね。お久しぶりです。
たった半日、顔を見ないだけでも、とても会いたくてたまりませんでした。
一日千秋とはこういう気持ちなのですね」
鋭い空気が、一転、和らいだ。
征吾さんの愛情表現は直球すぎて、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「お疲れではありませんか?
お休みなのに呼び出してしまって、すみません」
「征吾さんこそ、お仕事中ではないのですか?」
「……いいえ、今日は休みです。輝夜さんに会うのに、仕事なんてしません」
「そう……なんですか」
じゃあ、なんでこんなにバリバリの戦闘モードみたいなスーツ姿なのか気になるが、それよりももっと気にすることがあった。
「ちゃんと休めているんですか?
征吾さんはお疲れですよ」
断定した。見た目はさっぱりしているけど、昼間はアルバイトして、その合間と夜に正規の仕事しているのだ、疲れていないはずがない。
むしろ疲れを感じて欲しい。
「いえ、とても充実しています」
久々に心置きなく仕事が出来て、とても楽しそうなのは伝わってくるが、それでいいのかという疑問が沸く。
「あの、征吾さん?」
「それに――輝夜さんを守るためです。
個人的な気持ちだけではありません。あなたはショッピング・シャワー・チャンネルの優秀な社員です。
アテンドとしてだけでなく、オペレーターとしても、非常に誠実で素晴らしい対応で、勉強になりました。
しかし、やはり私はあなたのアテンドとしての姿を見たい。出来るだけ早く復帰させてあげたいと思っています」
征吾さんはいつも私のことを見てくれて、ちゃんと評価してくれる。少々、過大すぎると思わなくもないけど。
「征吾さんこそ、お客さんにも、オペレーター室のみんなから信頼されていますよ」
事実を述べたのに、意外にも動揺された。長い人差し指がピクリと動いた。
「ありがとうございます。百人の人に褒められるよりも、嬉しい言葉をいただきました。
仕事中、輝夜さんへの励ましの言葉を、多く受け取りましたよ。
改めて、お客さまからの信頼の強さを実感した次第です。
――壮一郎も、そんな風にあなたを師匠として尊敬していたようです」
「へ?」
いきなり小野さんの話題になった。
車が減速して、駐車場に入っていく。ここは梅花谷家が経営している大型商業施設だ。
どういうことかと窓の外を見ると、オオノフーズの旗がはためいている。
入り口を借りて、キャンペーンをしているのだ。なんのキャンペーンかといえば、『青汁と青汁林檎ジュースの飲み比べチャレンジ』。
青汁だけのものと、青汁林檎ジュースの二つを飲み干すと、オオノフーズが扱っているお菓子や食品がもらえる抽選会に挑戦できる。
『どうぞ、お試しになって下さい。
お菓子などの景品が当たりますよ』
法被を着て、声を上げているのは小野さんだ。
日曜日なだけあって、多くの人が並んでいる。
青汁を飲んで顔を顰め、青汁林檎ジュースを飲んで驚いた顔をしている家族連れが、そこかしこに見えた。「結構、美味しいじゃない」「普通に飲める」「美味しい!」という声が聞こえてきそうだ。
「壮一郎が広報や営業と相談して企画したそうです。
ほら、飴を買う幽霊の話をした時、輝夜さんがおっしゃった言葉、覚えていらっしゃいますか?」
「えっと……」
私、何を言ったかしら?
「興味本位でも手に取ってもらえるのは大事だと。
物がよければ、そこから顧客も作れる、と。
今、青汁林檎ジュースは注目されていますからね。梅花谷家の椿さん経由で、全国の商業施設のイベントスペースを貸してもらい、試飲会をすることに決めたのです。
皆さん、噂の青汁林檎ジュースを自分の口で試してみたいと、結構な賑わいのようです」
もっとも――と、征吾さんは小野さんの方に視線をやった。「通りすがりに、吐き捨てられたりもしたらしいですけど」
「小野さんにも迷惑を掛けました」
「いいえ、それは違います」
きっぱりと征吾さんは言い、その理由を私に教えてくれた。
私の青汁林檎ジュースに関する音声データを流出させたのは、オオノフーズの社員であったことを。あの小野さんと一緒に来ていた女性社員が犯人だった。
私が青汁林檎ジュースを不味いと言ったのは、新しい飲み方を試す会議の時のものだった。片っぱしからいろんなものと混ぜたから、美味しく出来た組み合わせもあれば、そうでないものもあった。その上での発言であって、青汁林檎ジュース自体ををけなした訳ではない。台詞の前後まで聞いて貰えば、それが分かるはずだ。嘲笑ではなく、和気あいあいとした中での、楽しい会話だった。少なくとも、私にとっては。だが、オオノフーズの彼女にとっては、それがたまらなく許せないことだったのだ。
彼女は、小野さんが入社した当初から、彼のことが好きだったという。最初は一般社員だと思っていた。それでも、なかなか告白出来ないでいる内に、彼がオオノフーズの御曹司だということを知る。ますます、言いだせなくなった。
そして、小野さんはショッピング・シャワー・チャンネルに出演することになる。
『あの女に好き勝手されて、さぞや落ち込んでいるだろうから、慰めてあげようとした。
なのに壮一郎さんは、それからずっとあの女のことばかり話しはじめて。ずっと……。
気になって、一緒に付いて行けば、私、そっちのけで楽しく会話なんかして。
後から来たくせに、なんて図々しい女なの』
やはり嫌われていたのだ。
「私もそう思ってました」
「え?」
征吾さんは恥ずかしそうに俯いた。
「壮一郎はあなたを好きだとばかり」
自分が好きな人は、他人にとっても魅力的な人間に見えるに違いないと、思ってしまうのだ。
「壮一郎は否定しました。
あ! 勿論、輝夜さんに女性として魅力を感じないという意味ではありません。
それ以上に、ショッピング・アテンドとしての技量と志を敬愛する気持ちの方が強いそうです」
「そういうフォローは要りませんよ」
それでもつい、批判がましい視線になってしまう。
だって、征吾さんが小野さんを意識するから、こっちもちょっと気になってしまったじゃないの! 多分、それがオオノフーズの女性社員の敏感なアンテナに反応しちゃったんだわ。女と男がいれば、そこにカップルを作りたがるのは、悪い風潮だ。
「むしろ壮一郎は、その女性社員の方が気になっていたそうです」
征吾さんが暗い顔になった。
小野さんは、女性社員が自分と同じように私の仕事ぶりに興味を持ってくれたことを、とても嬉しく思ったらしい。それを機に、もっと仲良くなれるかもとまで、期待していたのに。
いくら自分のことを好きという理由があっても、徒に人を、さらに自社の商品まで貶めるような女性では、百年の恋も冷めるというものだ。
素直に告白しておけば、相思相愛になれた可能性があったのに、それを自ら潰したことを知り、女性社員は憮然としたらしい。けれども、いくら後悔しても、もう取り返せない。
彼女の処罰はすでに下っていて、本社から地元の小さな事業所に移動になったらしい。
オオノフーズの会長の温情とのことだ。
『人は誰しも間違いを犯す。
心の隙間につけ込まれることもあるだろう。
入社試験の時、君はオオノフーズへの熱意を語ってくれたね。
今でもよく、覚えているよ』
オオノフーズでは、商品をただ売るだけでなく、健康管理などの事業にも力を入れている。配達商品を配りながら、独居の人たちに声を掛け、時には集会所で茶話会や身体を動かすようなイベントを開催しているのだ。彼女はこれから、その仕事をするという。
「だから輝夜さんのせいではないのです。
どうかお気になさらず。
ニイナの件も、椿さんと沙紀さんのおかげで、解決したも同然です。
もう少しすれば、落ち着くでしょう」
「――本当に?」
どうにもスッキリしない。
オオノフーズの会長は、女性社員は心の隙間につけいれられたという。では、誰がつけ込んだの?
損害を受けた形になる竹取物産も、仕方がないと受けいれているように感じられる。
ニイナも妙なことを言っていた。私が大きな食品会社の御曹司に色目を使っている。そんなことを、なぜニイナは知っていたのだろう。
同じ人間が、同じネタで二人の女性を操っていたのではないか……?
「いろいろあって、不安なのですね。
大丈夫ですよ。私に任せて下さい」
「どうしてもっと上手に私を騙してくれないんですか?」
将司みたいに。
そうだ。私は将司にすっかり騙されていた。それはあの男には一切の躊躇がなかったからだ。
征吾さんは違う。いい意味でだけど、後ろめたさが見え隠れしている。おかげで、隠し事をしているのが私にだって分かったのだ。
「――輝夜さん」
鋭い視線に怯むことなく、私は訴えた。
「本当のこと、教えてください。
何が起きているんですか?」
「輝夜さんには関係のないことです」
「関係……ないんだ」
更紗ちゃんが教えてくれた例の女の影は、私には関係ないことではない。
「あの話、なかったことにして下さい」
「…………嫌です」
また叱られた大型犬みたいな顔だ。私はこれに弱い。
「じゃあ、教えてください。
――私のこと、よく思っていない人がいるんですよね?」
そのことを聞くのは勇気がいった。なぜだか口にするのがとても不吉な気がしたし、征吾さんに嫌がられるのも怖かった。
それでも聞いたのは、私も、征吾さんとの繋がりを絶ちたくなかったからだ。
征吾さんも、重い口を開く。
「そのような動きがあることは把握しています。
あなたを傷つけることになり、お詫びのしようがありません」
車はゆるゆると駐車場内を移動していた。オオノフーズのキャンペーンが行われている近くでは、人が多すぎて、目立つからだ。
「いいえ、あなただけではないですね。
ショッピング・シャワー・チャンネルに関わる全ての人々に、迷惑を掛けることになりました。
最悪な男です。私は……。
輝夜さんは……もう、こんな私に関わり合いたくないと思いましたか?」
沈んだ声だった。
征吾さんの胸元から着信音が鳴る。
けれども、彼はそれを受け取ることなく、私にすがるような視線を向けた。明らかに「そんなことないですよ」という答えを求められている。
この人って――。
はじめて会った時は、こんな人だと思わなかったのは確かだ。自立して、一人で生きていけるタイプの人間だと思った。その人が、こんなにも私を必要としてくれるなんて。
「いいえ……」
「本当に? 私に、あなたを守らせて下さいますか?
必ず、必ずなんとかします」
「……分かりました」
否とは言えない。言いたくない。けれども、これでいいのか自信もない。
征吾さんは一度、切れて、再び鳴り始めた電話を無視できずに受け取った。複雑な案件らしい、通話は長くかかった。
ここから家まで歩いて帰るか、タクシーでも拾った方がいいのだろうかと思いはじめた頃、電話を終えた征吾さんが私に向き直った。
「あの、お願いがあるのですが?」
「なんでしょうか?」
「どうしても処理しないといけない急ぎの用件が入ってしまいましたが、なるべく早く終わらせますので、今日は一緒に過ごして下さい」
仕事を抱えたまま、征吾さんがデートに誘う。
「……駄目ですか?」
何も解決していないのに、関係だけが深まっていく。
駄目に決まっているのに……口から出たのは「いいですよ」という言葉だった。




