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31:愛別離苦

 小さい頃に出会った二人は、さっき見聞きしたマサくんとナオちゃんみたいだった。

 清澄さんは更紗ちゃんをよく構っては遊んでいた。

 ある夏の日、更紗ちゃんの幼稚園は、系列であるこちらの幼稚園にお泊り保育にやってきた。本物のお寺で、朝から修行を体験するというカリキュラムの為だ。

 とはいえ、子ども相手のことなので、お楽しみもある。夏だったので、花火大会とか、肝試しとか……。

 親元を離れた夏合宿だったこともあり、テンションが上がった子どもたちは、怪談話をはじめてしまった。それにはこのお寺にまつわるものもあって、怖がりだった更紗ちゃんはすっかり怯えてしまったそうだ。清澄さんはここで生まれ育っていたので、墓地といえど、怖いと思ったことがなかった。そう伝えればよかったのに、怖いからと、トイレに行く時など、ついてきて欲しいと頼まれるのが嬉しくて、つい、更紗ちゃんにいろいろと吹き込んでしまったらしい。


「あんなに怖がって嫌がっているんだから止めればよかったんだ。

それに肝試しだって、無理に参加させてしまって」


 驚かすような仕掛けがある訳でもなく、数人グループで墓地を突っ切って、奥にある札を取ってくる程度の、ちょっとした冒険であり、本来的には『ご先祖さまの眠る場所なのだから、恐ろしい場所ではない』ということを、後から話す予定のはずのものだった。


「更紗が俺にすがりついてくるのが可愛かったから、『大丈夫。俺が守るからって』」


 何事もなく、行って帰って来れるはずだった。

 それなのに、疑心暗鬼に陥ってしまった幼い更紗ちゃんは、ちょっとした風の音にも怯え、ついに、何かの弾みで茂みが大きく揺れたのをきっかけに、恐慌状態に陥ってしまい、清澄さんの手を振りほどき、列を離れ、闇雲に逃げ出してしまった。肝試し用にほのかに照明がつけてあった経路を外れ、気が付いたら、真っ暗な墓地の中で迷子になってしまったそうだ。

 その心細さ、恐怖はいかばかりか。

 更紗ちゃんが座っていた分厚い座布団を頭に被って、座卓に突っ伏した。


「ごめん!

ごめんなさい!」


 清澄さんが土下座した。


「ずっと謝りたかったんだ。

小学校も、中学校も、高校まで同じだったけど、俺が謝ろうと近づいても、顔を真っ赤にして、逃げて行くばかりで話も出来なかった。

その間にも更紗はどんどん綺麗になっていくし、俺には冷たいのに、他の男や、兄さんとは屈託なく笑いながら話すのがとても悲しかった……」


 頭を上げた清澄さんは、更紗ちゃんを憧憬の眼差しで見た。


「こうやって、直接、謝れてよかったと思うのも、俺の自己満足なのも分かってる。

けど……本当にごめんなさい」


「……らないで……」


 座布団の下から、更紗ちゃんが声を振り絞って何か言っている。


「更紗?

俺さ……俺に今度こそ、更紗を守らせて欲しい。

身体も鍛えたし、修行も真面目にやった。

多分……大体のモノから更紗の事、守れる。そうなりたい。

だから、けっこ――」


「止めて!」


 更紗ちゃんが座布団をかなぐり捨て、立ちあがった。真っ赤になっているのは怒っているからではない。


「私、無理なの!」


「更紗」


「――ごめん……なさい」


「なんで更紗が謝るんだよ」


「ごめんなさい」


 二度、謝罪を口にすると、更紗ちゃんは私に懇願した。「帰りましょう。輝夜さん、お願い、一緒に帰って下さい」

 私が動かないので、無理に腕を引っ張り上げようとした。


「あ、駄目! ちょっと待って!」


 足が……足がしびれているのよ、更紗ちゃん。

 案の定、立ったはいいものの、足の感覚がなく、よろめいてしまった。


「危ないですよ」


 すかさず、征吾さんが支えてくれる。


「あ、ありがとうございます」

 

「いいえ、どういたしまして」

 

 一応、他人である私たちは、その通り、他人行儀な受け答えをした。すぐに離れるべきなのも分かっていたが、何分、足が思うままに動かないので、結局、征吾さんに頼る羽目になってしまう。


「とりあえず、今日は帰った方がいいですね。お送りしましょう」


 清澄さんが「更紗!」ともう一度、呼ぶと、更紗ちゃんは「征吾さんとは結婚しないから」とだけ言い残し、重文の仏像を見に行ったふりをして、聞き耳を立てていた文屋さんと橘さんの間を強引に抜けて、征吾さんに支えられた私と一緒にその場を後にした。


「そんなんで納得出来るかよ!」


 清澄さんの慟哭にも似た叫びが聞こえた。




***



 私の部屋には、今日もお客さんが訪れた。

 この間のように、冷凍食品を駆使しようにも、手の込んだ料理をする時間も心の余裕もなかったので、温めるだけで食べられるレトルトのカレーにする。簡単に食事が出来るので、これが食卓に出る率は高く、もう残りはない。レンジで温めるご飯はとっくになくなったので、ちゃんとお米を炊いて、密封容器に入れて冷凍庫に保存してあるものを使う。冷凍庫に余裕ができたからこそ、可能になったことだ。そろそろ底が見えてきたことに関しては、買った物を有効活用出来た証拠で嬉しいけど、心細い。減給期間はあと一カ月はある。これでなんとかやっていかないと。

 密封容器は大小様々、用途目的別に揃っていた。空気を抜き、真空状態にして、保存性を高める道具もあるから、そのうち活用しよう。うん、そのうち。いや、明日にでも。

 カレーライスの上に、ハンバーグでも乗せようかと、更紗ちゃんに聞けば、力なく首を振られた。


「すみません。何か買ってくるべきでしたね。

この間からご馳走になってばかりでした」

 

 いえいえ。最初の日は、手土産にお菓子を持って来てくれた。

 しかし、生野菜が欲しい。ここしばらく、ダンディ・清原さんご自慢のスライサーの出番がない。

 今日の所は、このオオノフーズの野菜ジュースで栄養を補助してもらおう。

 寂しい食卓……最近の私だと通常営業だけど……を、更紗ちゃんと囲む。お酒は無しだ。


「更紗ちゃんは、清澄さんのこと好きなの……よね?」


「分かりますか?」


「うん……なんとなく……」


 と言うか、あからさまに。あれでは、清澄さんが納得出来ない気持ちも分かる。

 更紗ちゃんは随分と、素直に心情を吐露しはじめた。吐き出さなければ、とても辛くて耐えられないのだろう。


「清澄は、あんな風に言ったけど、そうじゃないんです。

ちゃんと私を守ってくれた。

あの後、暗闇の中、助けに来てくれたんです。

そして、『ここは俺のお父さんのお父さんのずーっとお父さんたちが、ちゃんとみんな成仏させてきたから、何も怖くないよ。仏さまが見守ってくれているから、大丈夫だよ』って、言ってくれたんです。

まだ小さかったのに、転んで足を擦り剥いた私を背負ってくれて、何度も休憩したけど、お寺まで戻ってくれた。

もう下ろしてとお願いしても、『更紗は俺が守るから』って、怖くないようにずっと励まし続けてくれた。

清澄はすごいなぁ、格好良いなぁって、思ったんです。

お嫁さんになりたいなって……」


 それから、更紗ちゃんは清澄さんのお嫁さんになるべく努力した。

 その頃から、お寺はなんとなく清澄さんの方が継ぐのだろうという雰囲気だったそうだ。更紗ちゃんが「すごいな」と思ったように、清澄さんは小さい頃から、率先して祖父や父と一緒に朝のお勤めに参加していたからだ。

 そんな信心深い子どもだったのに、更紗ちゃんが嫌がることをしてしまったのは、本人的にはそんなに怖いことだと認識出来なかったせいだ。

 相手の身になって考えることが出来なかった小学一年生男児は、自らの行いの重大性に気付いたものの、それは後の祭りだった。マサくんへの説教は、自分と同じ境遇の子どもを生みださないためにも、さぞや真に迫っていただろう。

 しかし、更紗ちゃんは決して、清澄さんのことを嫌いになった訳ではなく、むしろ逆だった。

 更紗ちゃんが綺麗で素敵な女性になったのと同じく、清澄さんも逞しく立派な男性になった。互いに恋する二人だ。


「清澄って、ラグビー部の主将だったんですよ」


「そんな感じね」


「だから私、チアリーダーになったんです。

応援したいから」


 今もポニーテールがよく似合う更紗ちゃんに、チアリーダーの姿はよく似合っただろう。絶対に可愛い。清澄さんでなくてもメロメロだ。


「たまにローアングルを狙う、嫌なカメコがいるんですけど……清澄が試合中なのに客席に駆けあがって追い払ってくれたりしました。

当然、学校や部では問題にはなりましたが、『自分たちを応援してくれる子を守らないで、何を守るんだ!』って……素敵でしょ?」


 正義感が強く、男らしい。更紗ちゃんだけでなく、多くの女子生徒の憧れだ。


「試合で勝つと、私にだけこっそり合図をしてくれるのがとても嬉しかった」


 なのに更紗ちゃんは素直にその好意を受け取れなかった。一時期、清澄さんは更紗ちゃんが兄の大伴准教授が好きなのではないかと疑っていたらしい。

 その誤解を、更紗ちゃんは敢えて解くことをしなかった。

 彼女には致命的な悩みがあったからだ。


「清澄が怖くないって、あんなに言ってくれたのに、やっぱり怖いんです……その……アレが……」


 怪奇現象とかそういうのが。


「だけど頑張ったんですよ!

怖い話に慣れようと、たくさん読んだり聞いたりしたんだけど」


 彼女の努力は、不幸にも逆効果になってしまった。


「ますます怖くなっちゃって。

もしかしたら科学が解決してくれるんじゃないかって、そっち方面に走ったんだけど、勉強すればするほど、科学では解明できないことが出てきて……」


 それであんなに非科学的なものを必死に否定していたのだ。

 そして勿論、並行してお寺のお嫁さんとして必要な素養とか、知識とかも密かに身に着けていたらしい。ただ、寺に寝泊まり出来ないのが問題だった。家庭は別の場所に築くという手もあるらしいが、更紗ちゃんが納得しない。


「ただでさえ、重責を担う清澄に、それ以上、煩わしいことを増やしたくないから。

人は好きの人のためならば、どんなことでも頑張れるというのなら、克服出来ない私は清澄のこと……好きになる資格ないんだ。

清澄は私を守るために、あんなに努力してくれたのに……私は出来なかった――」


 自分のために寺を捨ててくれとは言わなかった。むしろ言わせることを恐れた。

 更紗ちゃんは僧職としての清澄さんを尊重しているのだ。それ込みで好きなのだ。


「清澄には清澄に相応しい、立派なお嫁さんを迎えるべきだわ」


 冷めたカレーを前で、更紗ちゃんは涙を落した。

  

 なんて声を掛けていいのか分からなかった。幽霊なんていない。いたとしても、見たことのないものを、怖いとか怖くないとか判断することが出来ない。


「母は、生きている人間が、この世で一番、怖いといいます。人と人の気持ちが通じ合わないことが、もっとも不幸で恐ろしいものを生み出すのだと」


 更紗ちゃんの母親は、娘の悩みを理解し、竹取家の課題をこなす間に、本当に好きな人と結婚したいと思うように促したかったのだ。なのに、更紗ちゃんの努力は、別の方向に向かって発揮されてしまう。征吾さんのために努力出来るのならば、征吾さんの方が好きなのかもしれない、と。その状況こそが、すでに恐ろしいもののような気がしてきた。


「そうね。私もそう思うわ。

どんなにいい商品を売っても、買ってくれた人がそう思わなかったら、意味がないし……まして、クレームなんかに発展したら……」


「――輝夜さん。物を売ることから離れて貰えません?」


 そうは言いつつも、更紗ちゃんの顔に少しだけ笑みが戻った。


「だって怖いのよ。クレーム電話。

私、学生の頃、オペレーターのバイトしていたの。

その時、経験したこと忘れられないわ。

ほとんどの人はいいお客さんだったけど、中にはクレームを入れるのが趣味みたいな人もいた。

そうなるともう、何を言っても伝わらない。通じ合わない。自分が電話の向こうで、何を相手にしているのか分からなくなって、とても怖かったわ。夢にも出てきたくらい。

赤ん坊のために、お墓から飴を買いに来る幽霊の方が、ずっといいお客さんよ。

優しいお母さんだわ。怖がるなんて、失礼なほどに――」


「輝夜さん……」


「ご飯、食べようか? 温め直す?」


 呑気に電子レンジにカレーライスの皿を突っ込んだ私は、まさか次の日、自分自身が恐れていたものに直面することになろうとは、その時はまだ知らなかった。


 翌朝、私より先に起きた更紗ちゃんがテレビを見て、叫んだ。


「輝夜さん! 大変です」


「なぁに?」


 これまた手を引っ張られてテレビの前に立たされる。

 画面には日曜の朝だというのに露出度の高い服を着て、胸の谷間を強調させた可愛い女の子が映っていた。

 すっごく可愛いニイナだ――。あの。


『え、ニイナちゃん彼氏いるの?』


 司会者が若手グラビアアイドルの掟破りとも言える発言に驚きつつも、喰いついた。


『はい!

とても優しい人なのに、性格の悪い彼女さんに人格を貶められていたのを、私が救い出したんです』

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