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03:望月の欠けたることもなし

 ストレッチ素材ののびのびパンツは人気の商品だ。

 楽ちんな履き心地だけど、細く見える。


 私は最悪な気分で、ラブリー・ピンク、じゃなかった、ハッピー・ピンクを履いてアテンドを始めた。

 いわゆるフューシャピンクのパンツは色味が派手なこともあって、苦戦が予想されたからだ。


「私、讃岐 輝夜は、身長168センチのMサイズを履いています。

ゲストの加賀さんは……」


「私は身長158センチのSサイズです」


「どうぞご参考になさって下さい。

ブラックは、全サイズ、残り半数となっています」


 やっぱり無難な黒は売れる。

 白も着実に数を減らしている。紺、茶もいい。黒が完売すれば、こちらの色に流れるお客さまも多いだろう。

 とすると、黒を推して先に完売までもっていった方が、他の色に注目してもらえるかもしれない。

 リアルタイムで刻々と状況が変わる生放送のテレビショッピングでは、余計なことを考える暇がなくていい……っと、そんなことを思っている段階で、すでに余計なことだ。

 

 ラブリーじゃなくって、ハッピー、ハッピー。そう、私もハッピー。こんなに楽ちんだけど、とっても細く見えるパンツを履いているんだから。


「ブラックは合わせやすくって、一本あるととても便利ですね。

ハッピー・ピンクは、まさに! ハッピーな気分になれそうな色です」


「はい! 甘すぎないピンクで、大人の女性にこそ、着こなして欲しい色だと思っています」


 ピンクは難しい色だけど、それがなかったら、黒、白、紺、茶で画面が地味になるし、ちょっとだけ冒険してみたくなるような、わくわく感が欲しいのだ。

 このストレッチ素材パンツは人気があり、毎年、少しづつリニューアルして販売されている。だから、黒は持っているお客さまも多いのだ。ピンクはそういったお客さまにもアピールできるだろう。


「昨年のブラックをお持ちのお客さまは、この新色のハッピー・ピンクをお試しになるのもよろしいかもしれません」


 丹野さんに引き続き、今回のゲストの加賀さんも慣れた人で助かる。

 不意に感情が溢れてきて、泣きだしそうになるけど、それを画面の向こう側に知られる訳にはいかない。


「このサイドのステッチのおかげで、細く見えますよね。それに屈んでも、腰の辺りが浮かないも良いです。

どんな動きにも対応して、苦しくありません!」


 私は細身のパンツを履いたまま屈伸して見せた。加賀さんも、昔、バレエをやっていた身体能力を活かし、Y字バランスを披露した。

 これはこのパンツを売る回のお約束みたいなものだ。


「加賀さんのY字バランスは、いつもながら素晴らしいですね。こんなに足が上がるなんて……!」


「こんな動きは日常ではしないとは思いますが、これだけ動けるのがこのパンツの特徴なんです」


 イヤホンからプロデューサーの声がした。


『電話繋ぐよ〜。

ハッピー・ピンクをお買い上げの”ニイナ”さま』


 血の気が引く。

 ニイナ? 

 あのニイナ? そんなはずはない。


「お客さま、こんばんは。夜分遅くに、お電話、誠にありがとうございます。

ショッピング・アテンドの讃岐 輝夜です。

お客さま……ニイナさまでよろしいでしょうか」


「はい、ニイナです」


 その口調は落ち着いていて、私は考え過ぎだと自分を叱った。


「今回はハッピー・ピンクをご注文下さったと?」


「ええ、ピンクの”S”サイズです」


 前言撤回。一転、嫌な感じの言い方になった。

 なるべく淡々と、決まった質問をする。

 

「そうですか。ありがとうございます。

どこら辺がお気に召しましたか?」


「えー、特にどこがって訳じゃないけどぉ」


「そうですかぁ」


 誰よ、この女の電話繋いだオペレーター。

 しかし、オペレーターを責める訳にはいかない。商品を注文する時点では、さぞかし調子のいいことを言ったのだろう。そうしてオペレーターを騙し、生放送でアテンドに絡んでくる”お客さま”がいない訳ではない。

 そういう”お客さま”をうまくあしらうのも、アテンドの仕事だ。

 何よりも、この”お客さま”は、ショッピング・シャワー・チャンネルに対してでもなく、商品に対してでもなく、アテンドである私に嫌がらせしたいのだ。

 そんな理由で、この番組を台無しになんてさせない。絶対に。


「ご注文の商品は、すぐにお届けしますので、是非、楽しみに待っていて下さいね」


「ええ、すっごく楽しみぃ。

私ね、輝夜さんの大ファンなんです」


 とっとと電話を切ろうとしたのに、ニイナはそうはさせまいと甘い声を出した。


「――ありがとうございます」


「輝夜さんの持っているもの、どれも欲しくなっちゃうんですぅ」


「そうですかぁ」


 だから私の彼氏も欲しくなっちゃったんですかぁ? 

 

 モニターで自分の顔を確認する。

 顔、引きつってないわよね。


「さっきのバッグも買っちゃった。

なんだっけ、ラブリー・ピンクぅ? お揃いの財布とパスケースも買ったわ」


 アテンド人生、五年。初めて客に販売拒否したくなった。


「ピンクがお好きなんですね」


「輝夜さんが持っていると、なんでもみんな素敵に見えるからぁ。

やだぁ、本当にピンクばっかりですね!」


 笑い声が素直に響いてこない。嘲笑されているみたいだ。私のセンスがダサいって。


「彼がぁ、好きな色かなって。どう思いますぅ?」


 あなたの彼? それは私の彼ですが? ああ、だから聞いているのか。将司が好きな色を。


「そ……そうですね」


「男性の方は、女性がピンク色の物を身に着けるのを好ましいと思っているとの調査がありますよ」


 加賀さんが助け舟を出してくれた。彼女にしてみれば、ここぞとばかりにハッピー・ピンク色のパンツを売込む機会と捉えている。二重に助かる。


「そうですよねぇ。可愛いですものね、ピンク色。

でもぉ、私としては、もっと若々しい明るいピンクがいいかなぁ」


 「ちょっとおばさんみたい」という声が、クスクス笑いの中に小さく聞こえた。


「左様でございますか。次の商品開発の参考にさせていただきます」


 加賀さんのこめかみが、ちょっとだけひくついたようだが、笑顔を崩さずに模範解答で返す。

 私は申し訳なくてたまらなくなった。生放送で、事情を説明出来ないのが悔しい。


「それでは、ニイナさま。この度は、誠にありがとうございました!」


 プロデューサーも、様子がおかしいのに気付いたのか、私が電話を切り上げる言葉と共に、回線を外してくれた。

 すぐさま在庫情報のチャイムが鳴り、それが良い切っ掛けとなって、番組の空気はまた活気のあるものに変った。


「ブラックは全サイズ、ウェイトリストとなりました。

ウェイトリストになりますと、商品がご用意できるか確約できません。

残りのお色の方も、全サイズ、ご用意数、半数以下となっております」


 ありがたいことに、この回も、順調な売れ行きを示してくれた。

 

 ほっと一息吐き、取りあえず、コーヒーでも飲んで頭をはっきりさせようと戻ると、更紗ちゃんが意を得た様に湯気の立ち上る紙コップを持ってきてくれた。


「お疲れさまです。

あの……さすがです」


「ちゃんと出来てた?」


「はい! 私生活の駄目っぷりにはビックリしましたけど、仕事に関しては出来る人だと思います。

さすが”完売の輝夜”と呼ばれるだけあります」


 更紗ちゃんの瞳に、尊敬の光が戻ったのを見て、私は自分がアテンドとしての仕事をやり遂げたのだと確信した。


「にしても、あのニイナって、なんて奴!

もう、こっちからやり返してやりましょうよ!」


「どうやって?」


「簡単ですよ。

あの写真を週刊誌に売っちゃえばいいんですよ。

グラビアアイドルなんですから。スキャンダルです。

人気のある清純派女優でもないから、そんなに話題にはならないかもしれないけど、評価は下がると思いますよ」


「そうね……」


 あまり気がのらない様子の私に、更紗ちゃんが焦れた。


「やらないんですか?

あっちからあんな写真送ってきたんです。どう使われようとも、文句言われる筋合いないですよ。

ちゃんと保存してます?」


「まずは……将司の話を聞いてみないと……」


「聞かなくたって、あんな明確な証拠があるのに!?」


「でも……」


 もしかしたら、酩酊していて、ニイナに連れ込まれたのかもしれない。服は脱いでいたけど、何も無かったかもしれない。


「輝夜さん、お人よしすぎます」


 折角、取り戻した敬意はあっさりと失われた。

 そこに、真理子さんが駆け込んでくる。


「輝夜ちゃん!」


「……は、はい!」


 真理子さん鬼の形相に、私は紙コップを両手で握りしめる。熱い液体が入ったそれは、頼りない感触がした。


「今すぐ、あなたのショッピング・シャワー・チャンネルのカスタマーアカウントを確認しなさい!」


 なぜ? と問えるような雰囲気ではない。

 言われた通りに再び、スマホで確認すると……私は心臓が縮み上がった。


「なにこれ!」


 購入履歴がさっきよりも増えていた。

 あのニイナが彼に買ってもらうと言っていたストレッチ素材のパンツはなかった。電話注文だったから、私のアカウントが使えなかったのだ。

 だが、その前の回のバッグと財布、パスケースは注文されていた。ピンクだけでなく在庫のある色は全て買ってある。それから、手当たり次第に、私の名前で注文が入っていた。

 将司はスマホに私のアカウントもパスワードも記憶させていたのだ。ロックさえ外せれば、そのスマホを使ってショッピング・シャワー・チャンネルで買い物し放題になるという寸法だった。ニイナが将司のロックを外せるのは、すでに既知の事実である。


「輝夜さん、今すぐキャンセルしないと、とんでもない支払いになっちゃいますよ」


「でも、一晩に、こんな……一気にキャンセルをかけるなんて……!」


「届いてから返品するよりもマシです!

ブラックリストに入りたいんですか?」

 

 ショッピング・シャワー・チャンネルは注文当日ならば、キャンセルが可能だ。そこで、人気がある商品や、その日限定価格の商品を取りあえず確保した後で、買うかどうか決めるお客さまも多かった。それがウェイトリストで注文を受け続ける理由でもあった。表向きは新しく商品を手配するということになっているが、多くはキャンセル分が流れる。

 また、商品が届いた後でも返品が出来た。

 勿論、あまりに過度なキャンセルと返品を繰り返すなどの悪質な場合はブラックリストに入り、最悪、アカウント停止、取り引き中止となる。

 ニイナが一時間余りで注文した商品は百を超えていた。

 ショッピング・シャワー・チャンネルのアテンドが、自社のブラックリストに入る訳にはいかない……!


「ごめん、一時間前に気付くべきだった。

とにかく、キャンセルしなさい。それからパスワードを変えるの。メールアドレスもよ!

お届け先は大丈夫?」


「真理子さん、私、馬鹿……」


「可哀想なくらいにお馬鹿ちゃんよ。

それが分かってるだけも、良かったわ」


 将司からはまだ、弁解も謝罪のメッセージもない。寝ているんだ。

 泣きそうになりながら、私はキャンセル出来る分のものは、全てキャンセルした。

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