28:琴線に触れる
大学なんて、久しぶりに入る。
春休みなのだろう。学生の姿は少なく、警備員さんが視線だけで門から入って来た私の動きを追った。
「すみません、大伴准教授にお会いしたいのですが」
用があって来たということをアピールしつつ、本当に場所が分からないので聞いてみる。
「大伴准教授?」
警備員さんは、警備員室の中にいる仲間を振り返った。
「文学部哲学科の東洋思想専攻の先生なんですが」
「ああ……」と、一人の警備員さんが頷いた。「それなら、文学部棟の五階だよ」
「ありがとうございます」
案内してもらった通りに、歩いていると、向こうから二人組の女子大学生がやって来る。
「あ! 輝夜さん!?」
「本当だ! 輝夜さんじゃないですかー!」
静かな構内に、若々しい声が響いた。
文屋さんと橘さんだ。
「こんにちは!」
「どうしたんですか?」
「大伴准教授にお会いしたいの。
今日は、ご在室かしら?」
「多分、来てますよ。私たちも今から行くところです」
大伴 隆道。
文屋さんと橘さんの指導教官。
征吾さんの高校時代の同級生。
そして、大伴清澄のお兄さん――。
「輝夜さん、もしかして、うちの先生、気になってたりします?」
橘さんがいかにも興味津々といった様子で聞いてきた。
「え? 違うわ。聞きたいことがあるの」
「なんだー。残念。
大伴准教授は輝夜さんのこと、気にしていたから、これは恋の予感? と期待したのに」
「そう思う! 私にいろいろ探りを入れてきたりして。
この間、教える代わりにケーキ奢ってもらっちゃった」
他人事だと思って、文屋さんも面白そうだ。そして、ちゃっかりしている。
おそらく、大伴准教授が私のことを気にしているのは、征吾さんのことがあるからだ。彼は『高校の同級生』という、距離感のあるような言い方をしたが、親友といっていい仲なのだろう。事情を知った上で、シェルフェスティバルに征吾さんを連れてきたのだ。
「大伴准教授は学生たちに人気があるんですよ」
「優しそうな人だものね」
「そう見えるけど、ゼミだと厳しいですよ。
だから大伴准教授目当てで選んだ学生がそんなはずじゃなかったって!」
文屋さんは先生目当てではなく、ゼミを選んだのだろう。軽薄な同級生に対して、やや皮肉っぽい。そう言えば、彼女は杏子さん派だった。しっかりとした考え方をしているのだ。
広い構内を移動する間に、それを裏付ける話が出てきた。
「哲学科だなんて、就職も難しいしね」
「そう言えば、文屋さんは哲学科だったのね、てっきり経済学部か商学部かとばかり」
熱心に就職活動の準備をしている彼女の印象から、そう思っていたので、大伴准教授が哲学科の先生と知って驚いたものだ。
「だからこそ、ですよ」
ねー、と二人の哲学科の学生は顔を見合わせた。
「文学部なだけでも不利なのに、哲学科だなんて現実で何の役に立つの? って聞かれちゃいますよ。
私も親に、折角、大学に行くのなら、社会に出るのに役に立ちそうな勉強をしてって、お願いされました」
それでも文屋さんは東洋思想の勉強をしたくて、親を口説き落とした。その代わり、必ずちゃんとした会社に就職すると約束して。
「今から情報収集をして、ボランティアとか社会経験を積んで、資格も取って、いくらでも人事にアピールできるネタを作っておかないと!」
その意気込みたるや見事。
「でも、本当は学んだことを役立てたいんだよね。
卒論よりも就職活動の方に力を入れないといけないのも、なんだかなって」
橘さんがぶらぶらとトートバッグを揺らした。中には難しそうな本がぎっしり詰まっている。春休みなのに、大学に来ている真面目な学生さんだ。
友達の言葉に、文屋さんは口を尖らせた。
「もう、こっちが踏ん切りをつけて、就活に邁進しようとしているのに、そう言うの、やめてよ。
少しだけだけど、自分の好きな勉強が出来て良かったわ。
大伴准教授もいい先生だし……輝夜さん、どうです? うちの先生、まだ独身ですよ。
それに、珍しく哲学一本でご飯が食べらている人間です」
つまり優秀なのだ。
その大伴准教授は私の訪問に驚いたものの、歓迎してくれ、コーヒーを淹れてくれた。
「インスタントですみません。下の自販機でカフェラテを買ってきましょうか?」
「いいえ! お構いなく」
征吾さん、どこまで私のこと、話しているのだろう。
「連絡もせずにお伺いして失礼します」
頭を下げると、大伴准教授はふら〜っと、立ち上がって行ってしまった。仕事の邪魔をされて怒っている? と思いきや、彼は衝立の向こうに声を掛けた。「お客さんが来ているから、必要な本を取ったら、隣のゼミ室で待っていてくれるかな。壁際じゃなくって、真ん中の方でね」
その声に、文屋さんと橘さんが顔を出す。くすくすと笑いながら、「はーい」「先生、がんばってね」と隣室に入って行った。
「すみません。うちの学生が」
「いいえ。ここまで案内してもらって、助かりました。気持ちの良い学生さんたちです」
ニコリと笑った大伴准教授は、若くして大学の先生になったのだ。その年だと、女子大生たちの相手はなかなか大変だろう。
「それで、お話というのは、征吾のことですか? それとも、うちの弟?」
「どちらもです」
「そうですね……どちらもあなたに関係のある話だ」
「で、どちらから?」と聞かれて、つい、「征吾さんの……」と答えてしまうのは、我ながら自分本位だ。更紗ちゃんの恋より自分の恋を優先しまった。
「どんなことをお知りなりたいのでしょう」
「どんな……」
会いに来るなら質問を考えておくべきだ。
頭が真っ白になる私に、大伴准教授は腕組みをした。これがゼミなら叱り飛ばされそう。
「征吾の気持ち?」
「それは知ってます」
即座に返答すると、苦笑された。「あいつは仕事が早いから」
ああ、恥ずかしい。でも、おかげで聞くことを思い付いた。
「大伴准教授は征吾さんと今でも仲が良いのですか?
征吾さんは少し前に、過労で倒れられたと聞きました。その時の話はご存知でしょうか?」
「……らしいですね。
いろいろと心労がたたったようです」
なぜか面白うそうな口調だ。
「とても仕事が……お好きとか?」
悪鬼のような仕事ぶりとは聞けない。
「悪鬼みたいに?」
「――そう聞きました」
「そうですね。あまり感心出来ない働き方でしたね。
人は生きるために仕事をするのか、それとも仕事をするために生きているのでしょうか?」
それって何かの問答なのだろうか? 答えないといけないのかと、悩んでいると、大伴准教授はその必要はないと軽く手を振り、もっと具体的な質問になった。ただし、答えにくいという点では同じくらいだ。
「……そんな男と結婚しても、家庭を顧みなさそうで不安になりましたか?」
大伴准教授自身が、更紗ちゃんにそう言った。竹取征吾は結婚生活に向かない男だ。
「以前の征吾さんはそうだったかもしれません。だから、誰でもいいから結婚を……という話になったんだと思います。
でも……あの……自惚れかもしれませんが……」
コーヒーを一口飲んで、間をとったが、続く言葉が出なかった。
「ええ、求婚してくるということは、ある程度は家庭生活にも関心を持ちはじめていると考えられます」
代わりに大伴准教授が言ってくれる。
「そう思いますか?」
「思いますよ。
あなたはそれを確認したかったのでしょう?
もっとも私は征吾の友人ですから、彼の都合のいい解釈を吹き込んでいるかもしれないと疑わなければいけませんよ。
――逆に、征吾に不利な方に誘導するかもしれない」
そんなことはないと微笑んでみせると、大伴准教授は首を横に振った。
「征吾はあなたをとてもお人よしな女性だと教えてくれました」
お人よし?
それって褒め言葉のようで、どこか揶揄を感じなくはないか?
「学生たちから聞いても、確かにそうですね」
その笑みが、意地の悪いものに見える。
やっぱり、私、何か騙されている?
「そういう所が、可愛いらしいと、征吾が言ってました。
仕事はあんなに出来るのに、私生活では迂闊な所なども心の琴線に触れたらしいですよ」
「そう……ですか」
素直に喜べない。だから、征吾さんはどこまで私のことを話してるの! まさかヒモに貢いで騙されたことまで教えていないでしょうね!
大伴准教授の表情を伺うが、そこまでは読めなかった。
「ええ。壮一郎はひたすらあなたの仕事ぶりを尊敬しているようです」
壮一郎……今度はすぐに分かる。小野さんだ。
そうか、征吾さんと小野さんが高校の同級生なら、小野さんと大伴准教授もなんだ。
大伴准教授は、小野さんにまで私のことを聞いたようだ。仲良し三人組だったのかもしれない。ちょっと想像できない。忍び笑いが漏れてしまった。
「どうかしましたか?」
「お三人の高校時代を見てみたかったなって」
「――うちの実家に来れば、卒業アルバムがありますよ。
どうですか? お越しになりませんか?」
更紗ちゃんを連れて――と、大伴准教授は私を、彼の実家のお寺に誘った。
「ここで聞くよりも、見た方がすぐに分かりますよ。
更紗ちゃんにも、清澄と話し合って欲しいし」
私は更紗ちゃんを上手く誘えるかな? と悩んだけど、意外とあっさりと同行を約束された。その顔は、すでに真っ赤だった。きっとずっと会いたかったのだろう。ただ、口実がなかっただけ。更紗ちゃんは、私に……と言うよりも、私をエサにした大伴准教授にうまいことつられてしまった。




