14:百年後の月も
お弁当を食べ終わると、美弥さんは悲しみも迷いも振り切って商売に精を出した。
先程の騒動の余韻で関心度が高い。それすらも逆手にとって人を呼んだ。
白いボウルはポツポツとだが、売れた。
これならば、もしかして? という気持ちになった時、またもたあの疫病神、貫田太一が戻ってきた。
「太一さん?」
美弥さんの語尾に疑問符が付く。
私も頭の中に「?」が飛び交う。
一時間くらいしかしていないのに、彼の髪の毛は短く切られ、スーツを着ていた。手にはコンビニの袋。そこから、太一が取りだしたのは、履歴書だった。
「美弥、俺、就職する。だから結婚しよう」
突然の決意表明に、私は唖然とし、美弥さんは「駄目よ!」と叫んだ。
「駄目よ! 太一さんには才能があるの!
私のために夢を諦めるなんて、そんなの絶対、駄目!」
「俺の夢は、美弥と一緒にいることだ。
美弥がいないと意味がないんだ!
美弥の犠牲の上に叶える夢なんて、なんの価値もないんだよ!」
私は自分がヒモに騙されたからといって、美弥さんの恋人も同じような性根の腐った男だと決めつけていたのを反省した。
「太一さん……」
「美弥……他の男なんかと結婚するな。
俺、ちゃんとした仕事に就く。贅沢はさせてやれないけど、幸せにするから」
そして、太一は準備よく、指輪を差し出した。まさかと思うけど、あの手切れ金で支度したんじゃないわよね? 別れるつもりがないのなら、石橋家に返さなくてもいいの?
「駄目」
「美弥!」
太一の悲痛な声に、美弥さんはきっぱりを顔を上げ、恋人から履歴書を取り上げた。そこにあったのは、あの”覚悟を決めた“顔だ。ただし、戦地に赴く武士でも切腹前の侍でも無い。幸せに向かって突撃するお姫さまの顔。
「私が就職します」
「え……」
「考えてみれば、太一さんに養ってもらおうなんて思っていた私が悪いんです。
大学を卒業したら家事手伝いになって、お嫁さんになるのを待っているだけなんて……」
お嬢さまとして育てられた彼女は、それが普通だったのだろう。
「でも、美弥が働くなんて……」
「はい。今まではそう思っていました。
でも、今日からは違います。私、本当は知らない人とお話するなんてすごく怖かったし、物を売るなんて出来ないと思っていました。
だけど、太一さんのためと思ったら出来たんです。
それって、つまり、太一さんのためなら、お勤めすることも出来るんじゃないかって……いいえ、そうじゃない。
私、自分のためにも、そうしたいんです。輝夜さんに助けてもらったけど、一人でこれだけのことが出来るって分かって、嬉しかった」
「美弥……」
「太一さん!」
おもむろに、二人は手を取り合った。そのままいなくなりそうだ。
「ちょっと待った!」
私は止めた。
「輝夜さん、すみません」
「いや、私はいいけど……」
竹取さんを見る。頷いた。そうか、いいのか。
許可を貰ったので、私は美弥さんが必死で売りこんでいた白いボウルを二つ、手早く包むと、差し出した。
「お祝い」
私の物じゃないけどね。
美弥さんもそう思ったのか、クスクス笑った。「ありがとうございます」はじめて見る、心から幸せそうないい笑顔だった。
それから二人、手に手を取って駆け出して行った。
「お幸せに!
”貫一”! 成功してもしなくても、美弥さんを粗末に扱ったら、私が足蹴にしてやるからね!」
そう叫ぶと、太一は振り向いて「幸せになります! 必ず!」と答えた。
そして、今度こそ、二人の姿は小さく遠くなっていった。
フリマに集まった人から自然と拍手が起きた。
私はパン! と大きく手を叩くと、声を張り上げた。
「さて紳士淑女のみなさん! よってらっしゃい見てらっしゃい!
今なら、この幸せのレシピ集がついた、幸せの白いボウルがお買い得ですよ」
「売る気ですか?」
黙って見ていた竹取さんが聞いてきたので、私は「当たり前じゃないの」と返した。
「私を誰だと思っているの? ”完売の輝夜”よ。
それに、こんなに在庫を残して、どうしろって言うのよ」
買い取りとか無理だから。私、本当にお金無いの。石橋家から報酬ももらえなくなったし。
「お手伝いします」
邪魔だったからか、もう素顔を隠す必要がないからか、竹取さんは黒ぶちの眼鏡を外して、前髪をかきあげた。
強い視線に晒されて、私はつい顔をそむけた。大体、お客さまに対応しないといけないんだから、見つめ合っている暇なんかないし。
美弥さんと太一の”愛の劇場”のおかげで、ただの白いボウルは、幸せの白いボウルになった。
それから飛ぶように売れて、無事に完売することができたのだ。
「最後の一個ですよ。お客さん、運がいいですね」
そう言って、渡し終わった後、さすがに脱力した。
「お疲れさまです。さすが輝夜さん。改めて……その……尊敬の念を新たにしました」
「今日のは私の力と言うよりも、美弥さんのおかげだわ」
「そうかもしれませんが、一度、ひきつけた客を離さなかった話術、見事です」
「……聞いても構いませんか?」
誇らしい気持ちでスケッチブックに『完売』の文字を書いて出す。撤収は他の店舗と足並みを揃えないといけないので、あまり大っぴらにはできない。とりあえず、細かい物はしまい、すぐに撤収出来るように準備するくらいしかできない。竹取さんは居座ったのと同じくらい自然に、それも手伝いはじめ、帰る様子がなかった。
「なんでしょうか? なんでも聞いて下さい」
鋭い目つきが、期待に満ち溢れた瞳に見えるのが不思議だ。
「なぜここに?」
とても基本的なことを聞く。
すると竹取さんは決まり悪そうに押し黙った。
別にいいけど。
私は新聞紙や段ボールをまとめはじめた。
「私の結婚についての話、お聞きになりましたか?」
ようやく言葉を発したので、手を止めて向き合う。
「ええ、聞きました。
なんでも婚約者候補に五つの課題を出して、それに合格した人と結婚なさるそうですね」
どうしても皮肉っぽい口調になってしまう。
「はい」
なにかもっと説明があるのかと思ったのに、竹取さんは事実だけを認めた。
言い訳されたら失望しそうだけど、されないのもモヤモヤする。
「ですが、石橋美弥さんとは結婚出来ないと思いました」
「貫田太一の件ですか?」
「そうです。彼女は彼と付き合っていた。半同棲状態だったのです。
それが家のために無理矢理引き離されました。本人も……納得したとはいえ、相手に心を残している状態では……誰も幸せになれない結婚なんて、したくありませんでしたから」
「だからここに?」
投げやりになった美弥さんと違って、竹取さんはしっかりと身辺調査をしていた。
「美弥さんを説得しようとここに来ました。まさか貫田太一がここに来て、あんなことになるなんて」
竹取さんは口元に手をやった。さすがに今回の課題の件を恥ずかしいと思っているようだ。そうであって欲しい。
けれども、私に「それを、さすが輝夜さんです」と感心されても困るのだ。
「私はただ、男で痛い経験をしたばかりだったからです。
それだって酷い誤解と偏見でした。
太一……さんは、将司ほど最低な男じゃなかった……」
あーあ、私って、本当に、男を見る目がないわ。真実、夢を追いかけている男と、ただのヒモじゃあ、雲泥の差だ。
「失礼ですが……その……彼とは?」
「将司ですか?」
竹取さんが頷いた。
「別れました」
素っ気なく言う。竹取さんは下を向いて「そうですか」とだけ言った。
また沈黙が落ち、居心地が悪くなった私は、明後日の方向を見て呟いた。
「美弥さん、幸せになれるかしら?」
「それとなく、援助はしたいと思っています。
実際、貫田太一の才能は認められつつあります」
「そうなんだ!」
良かった。そう笑うと、竹取さんも笑った。
「あの、よければ今夜、お食事でもいかがですか?
輝夜さんのこと、巻き込んでしまったようです。お詫びに――」
「いえ、結構です。私も、勉強になりましたので」
早く帰って、この美弥さんのレシピで何か作ろう。ショッピング・シャワー・チャンネルのグルメ部門で抜群の売り上げを誇る、とっても美味しい野菜スープの素がある。生姜をたっぷりすりおろして、ネギの和風スープパスタにしてみよう。秋風が涼しい。身体が温まりそうだ。
「――そうですか」
「代わりに……石橋家の人に、事情を説明してくれませんか?」
あの石橋家の和泉さんがやって来た。事情を聞いたのかもしれない。肩を怒らせ、ずんずんと歩いて来る。
「お任せ下さい」
そう請け負ってもらったものの、意外にも和泉さんはあっさりと美弥さんの駆け落ちを認めた。
「それでいいんです……それが美弥さまの幸せならば」
今度は和泉さんが、美弥さんのようなあの悲壮な覚悟を決めた表情になった。
***
後日、美弥さんから連絡があった。
「就職先が決まりました」
早い。しかも、給料もいい。変な所じゃないわよね?
訪ねて行った美弥さんと太一さんの部屋は、古くて狭いアパートの一室だった。
けれども掃除は行き届き、物は少なかったが、心豊かな生活を感じられた。
私と将司が借りた”部屋”とは大違いだ。
あの白いボウルには美弥さんが漬けたというぬか漬けが盛られていた。めちゃくちゃ美味しそうで、実際、すごく美味しくて、はしたなくも、私はもりもり食べてしまった。ああ、白いご飯が欲しい。
「私、幼稚園の先生になるんですよ」
お茶を差し出しながら、美弥さんがそう言った。
恐るべし、お嬢さま。
良妻賢母を育成するという、今時、時代遅れのようなお嬢さま大学の家政科で、美弥さんは管理栄養士だけでなく、幼稚園教諭と保育士の資格を取っていた。
確かに、良妻賢母には必要な知識だ。
しかもそれだけではない。
「その幼稚園、仏教系の学園なのですが、英語教育と日本の伝統文化への造詣を深めることを教育の目標として掲げているんです」
お嬢さまのたしなみとして、英語はペラペラだし、お茶とお花は勿論、着付け、礼法、日本舞踊もできた。どれも名取クラスだ。ピアノは標準装備で言うまでも無い。楽器ならお琴も出来る。
ハイスペック!! 私は感嘆した。
かくして、あっという間に私立の幼稚園への就職が決まった。太一さんが就職先を見つけるよりも確実だし、万が一、別れても、自立できそうだ。
「学生時代、バイトもしていなくって、働くの、はじめてなので、大変なことがたくさんあると思いますが頑張ります。
子どもも、好きですし」
そもそも、太一さんと出会ったのも、美弥さんが幼稚園でボランティアをしている時に、彼が率いる劇団が劇をしに来たことにはじまる。
「え? ボランティアしてたの?」
「はい」
美弥さんはなんということもなく返事をした。
いや、それ、賃金発生していないけど、普通に社会経験だと思う。
「えっと、じゃあ……頑張ってね」
それほど心配しなくても大丈夫そう。
と言うか、「生活が落ち着いたら、二人の子どもが欲しいね」なんて幸せの絶頂にある新婚夫婦を心配するくらいなら、自分の身を省みた方がいい。
「輝夜さん!」
帰ろうとしたら玄関先と言っていいのかよく分からない空間で呼び止められた。ぬか漬けを手渡されるのかと思ったら、それだけではないようだ。
「なに……かしら?」
「姉のこと……お願いします」
はじめて会った時のように、美弥さんは私に深々と頭を下げた。
「はい? お姉さん?」
突然のことに、私は戸惑う。
「はい。姉です。次は姉の番だと思います」
へ? 姉の”番”ってどういう意味なのだろうか?
とりあえず、しばらく食事には困らなそうだ。美弥さん手製のぬか漬けに、電子レンジで温めるだけで食べられる個食パックのご飯の在庫があるから。
これさえあれば、朝にご飯を炊き忘れても、夜に疲れて帰った時も、あるいは災害時の時も、備えて安心、いつもあなたの側にほっかほかの優しさを――。
うん。ほかほかのご飯は、男と違って、私を裏切らない。




