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13:今宵の月を

 第一印象、疫病神。

 次の印象は、芸術家。

 どちらも偏見かもしれない。もう一度、冷静に見てみよう。

 男は長髪で、色の抜けたジーンズに、くたびれたシャツ、擦り切れたジャケットを着ている。無精ひげに眼鏡。

 景気の悪そうな顔をしている。

 表情は憤怒。

 怒っているのだ。何に対して? その視線は真っ直ぐ、美弥さんに向かっている。

 美弥さんは冷静だった。ただ、はじめて会った時は戦場に赴く武士のような面持ちが、今は切腹前の侍のようだ。似ていて非なる覚悟。


「太一さん」


 名前を呼ばれた男は、手に持っていた封筒を美弥さんに投げつけた。


「――何をするの!」


 私が抗議すると、「関係ない奴は黙っているがいい!」と怒鳴られた。


「はぁ? 関係なくないわ! 私は美弥さんの……友だち……なんだから!

あなたこそ、誰よ!」


「友だち? 友だちだと?

それなのに俺のことを知らないとは……美弥。

俺はお前には相応しくない恋人だったよ。

恥ずかしくて、お友だちには言えなかったんだろうね」


 男は美弥さんの恋人と名乗った。自分で申告した通り、お嬢さまには似つかわしくない相手だ。だけど、そういうことだってあるだろう。

 私が引っかかったのは、その男の言い方が、やたらと芝居がかっているものの、ひがみっぽい内容が将司のそれにそっくりだったことだ。合わせ技で腹が立つ。

 美弥さんは封筒を取り上げて、男に差し出した。「これは太一さんのものです。使って下さい」


「こんなもの!」


 再度、男が振り払う。

 落ちた封筒の口が開き、帯封がされたお札が覗く。大金だ。通行人が寄って来たので素早く拾ったが、なんだろう……屈辱的な気分になる。

 思い当たる節が無い私でもそうなんだから、貫田かんだ太一はよほど腹に据えかねたのだろう。なぜ、フルネームが分かったかと言えば、封筒に書いてあったから。


「手切れ金なんかいらない。金に目がくらむような男だと思っているのか。

俺はお前とは違う。

お前みたいに”ダイヤモンドに目がくらんで”、恋人を捨て、金持ちのおやじと結婚するような女と一緒にしないで欲しい」


 まさか足蹴にしないわよね! そうはさせない!

 私は思わず、先に太一を足蹴にしていた。

 

「太一さん!」


 地面に転がった太一を、美弥さんが庇う。


「美弥さん! どいて! こいつに天誅を下してやる!」


「止めて下さい!」


「なんでよ! こいつ最低だわ! 美弥さんがどんな気持ちなのか、まったく理解していない!

この私でも分かったのよ!」


 憶測だけど。

 多分、貫田太一は役者か何かだ。それも売れない小劇場系。理想ばかり高くて、テレビドラマとかに出演する連中を見下しているタイプ。どういう縁か、その売れない役者とお嬢さまの美弥さんは出会い、恋に落ち、付き合った。


「私と太一さんの何が分かるって言うんですか!」


「美弥さんは、その男にお金を渡したかったんでしょう?

自分がどんな風に言われても構わない。手切れ金という形でも、お金を渡したかった……」


 美弥さんの目が大きく開かれた。当たり。

 後ろの太一の目が泳いでいる。


「美弥さんはねぇ、本当は竹取征吾なんかと結婚したくないのよ」


「嘘だ! 俺はお金なんて、美弥にせびったことなんて一度もない!」


 心外だとばかりに叫んだ太一に、私はとびっきりの軽蔑の眼差しを向ける。


「でも、愚痴ったでしょう?

自分には演技の才能があるのに、誰もそれを認めてくれない。

分かる人に見てもらえればきっと、認められるのに。

それにはお金が無いんだ。金を稼ぐために働けば、自分の才能を磨く時間がなくなる。自分の素晴らしい感性が俗にまみれる。

ああ、自分の才能を見出して、お金を出してくれる篤志家がいればいいのに――そんな風にねちねちぐちぐち美弥さんを責めたんだわ」


 将司はいつもそうやって、私からお金を巻き上げていた。

 その言葉をそのまま言ってやると、太一は「な……なんでそれを……」と驚いた。


「分かるわよ! この大根役者! あんたこそ、”ダイヤモンドに目がくらんで”大事なものが見えていない大馬鹿じゃないの!」


「太一さんは大根役者じゃありません! 脚本家です!」


「……あ、そうなの、ごめんなさい」


 あの優しげな美弥さんが怒っている。


「それに、太一さんには才能があります」


 一切の疑いを持っていない言葉だった。


「みんなに舞台を見てもらえれば、分かってもらえるんです!

太一さんの夢を叶えるのに、私、何にも出来ないから……せめて……これだけでも……」


 私から封筒を奪い取り、太一に向かって差し出した。自分を”身売り”したお金だ。


「私が出来ることはこれだけなんです。だから受け取って下さい」


 太一は、ノロノロとそれを受け取った。


「ちょっと! 男なら受け取るんじゃない!」


「いいえ!」


 美弥さんは太一のこととなると、途端に人が変わる。一喝されて、怯んだ。

 でも、言っておかないといけないことがある。美弥さんは隠し通して、竹取さんと結婚するのだろう。その想いを。

 私はレシピ集を取り、太一に渡した。


「これも持って行きなさいよ。

あなたのために、美弥さんが作った料理なんでしょう?」


 お嬢さまは食品ロスに関心のある意識高い系のセレブではなかった。お金の無い恋人のために、部屋に出てくるあの虫にも耐え、節約料理に励む一途な女性だった。

 太一のことを将司と重ね合わせていたけど、これまでの会話から分かったことは、少なくとも太一は美弥さんからお金を取ってはいなかった。二人で慎ましく暮らしていたのだ。


「全部、美味しそう。

美弥さん、あなたとご飯を食べるの、すごく幸せだったのよ。

だから、全部、美味しそうなの」


 美弥さんがお客さんに伝えたかったのは、全て、自分がもう手に入れられない幸せな家庭像だった。


「太一さん……ずっと、応援していますから……もし、結婚してお金が自由になったら……」


「その必要はない」


 太一は美弥さんの言葉をさえぎり、封筒を握りしめたまま、野次馬をかき分けて走り去った。

 集まった人は、突然の修羅場が終わり、美弥さんを憐れそうに見ながら去っていく。ただ、何人かは面白そうに残る。若い男が近寄って来たが、慰めるというよりも、付け入る、と言った方が間違いのない雰囲気だ。

 その若い男の足が止まった。


「大丈夫ですか?」


 竹取さんが戻って来たのだ。いや、もっと前からいたのだろう。手渡された紙コップは、少しぬるかった。

 美弥さんにはココア。私にはあのカフェラテだ。


「休憩しませんか? 早いですがお昼にしましょう。何か買ってきます」


 せっかく美弥さんが商売のコツを掴んだというの、太一のせいで台無しになってしまった。仕切り直すのに、いいかもしれない。

 寄って来る面白半分の野次馬たちを、竹取さんはあの鋭い視線で遠ざけた。

 

「お昼、私が買ってくるわ。美弥さん、何が食べたい?」


 竹取さんがいれば、変な輩はよってはこまい。悄然としていた美弥さんに聞くと、彼女は青白い顔に微笑みを作った。


「私、お弁当を作ってきました。

おむすびとサンドウィッチです。忙しくても、手軽につまめるから。早く食べて、早く売らないと」


 美弥さんは最初から覚悟していたじゃないか。太一に誤解されても、憎まれても、構わないと。

 だから後悔なんてしない。見た目の儚げで頼りなさとは違い、中身は強い人間だった。

 いそいそとお弁当包を開くと、綺麗に握ったおむすびと、きちんと水分を切ったシーチキンとかいわれ大根のサンドウィッチ、それから、たこさんウィンナーと卵焼きまであった。

 竹取さんが感心の声を上げる。

 うん、もう、結婚しちゃいなさいよ。美弥ちゃんは、すごくいいよ。太一のことも、すぐに忘れちゃうわ。だって、竹取さんもすごくいい男だから……。


「温かいお茶もあります。私たちは買っていただいた飲み物があるので、どうぞ」


 美弥さんは、あれ? この人の名前、なんと言うのかしら? という顔をしながら、お茶を注いだ。


「ありがとうございます」


 竹取さんは、あくまで名乗らず、しれっとした顔で、美弥さんの美味しいお弁当を食べ始めた。


「ねぇ、美弥さん? 竹取征吾さんとはお見合いしたのよね?」


 気になったので聞いてみることにした。


「はい」


「どんな方?」


「さぁ?」


 そう言えば、竹取さんがこの課題をどう思っているかすら、「さぁ?」という答えだった。結婚相手に関心がなさすぎる。


「会ってみた印象でもいいの」


「会ったこと、ないです」


「え!?」


 お見合いと言っても、写真のやり取りで、それすらも美弥さんは見ていないらしい。


「見ても仕方が無いですから」


 相手がどんな人間だろうと、竹取物産の御曹司と結婚すれば、貫田太一を援助してもらえる。美弥さんはそういう約束で、お見合いを承諾したのだ。下手に先入観があっても、辛いだけなのだ。


「そう……なんだ」


 悲壮すぎる。


「でも、こうなってみて良かったかもよ。

竹取さんと結婚した方が幸せになれるわ」


 黒ぶち眼鏡の奥の視線がなぜか痛い。


「輝夜さんは征吾さまをご存知なのですか?」


「知らないけど! 知らないけど……いい人そう……っ!」


 竹取さんが手を滑らし、お茶をこぼした。シートに熱い液体が広がる。


「大丈夫ですか?」


 美弥さんがすぐに布巾で拭いてあげる。

 「大丈夫です」と、その布巾を取りかけて、美弥さんの手を握ってしまった竹取さんは「すみません!」と、ますます慌てて、折角、立てなおしたカップをまた倒してしまった。

 何をしているんだろう。

 しかし、これはいい雰囲気のような気もする。場を外した方がいいかも。


「違いますからね」


 真顔の竹取さんが、なぜか私に向かってそう言った。

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