思いを言葉に 16
「なんとなく、こうなる気はしてたんですよねー」
正午を迎える直前、立花美香は頬杖をつきながらこぼした。
松嶋陽人と永沢楓の二人に引き継いで売り子を任せられたのは立花美香と間城夕紗だ。
昼も近づいて人も多くなったが学内だが、それでもこの場に足を運ぶ人は少ない。それもそのはず、昼時ともなれば人が集まるのは中庭にある飲食系の屋台のほうだ。
数時間前と変わらず、そばにいるのは漫研の部員くらいのもの。
だから、気の抜けた声が出ても誰も咎める人はいない。むしろそれに同調するものすらいるのだから。
「まあ、いずれこうなるとは思ってたけどね」
一つ年の離れた夕紗が当たり前だと言いたげに口にする。それを聞いた美香ははあとため息を吐いた。
「なんか、うまくいかないものですねー」
そう言った言葉の意味は、夕紗には伝わらない。けれど美香はそれでいいと思っていた。ただ愚痴をこぼしたくなっただけだから、同情して欲しいわけでも共感して欲しいわけでもないから。
そう思っていたのに、夕紗は「あー」と何かに思い至ったように声を上げると美香に向けて言った。
「美香ちゃんは松嶋狙ってたんだもんね」
「あー、やっぱり気付かれてたんですねー」
けれど美香は驚いたりしない。当たり前のことの様に、けれど他人事の様にどうでもいい他言いたげに口にした。
「あれだけあからさまだしね。気付いてないのは松嶋くらいのでしょ」
受け答えする夕紗も、美香と同じようにどうでもいいと言いたげに、同じように頬杖をつきながら呟く。
二人とも誰も入ってこない教室の出入り口を見つめている。誰も来ないことをわかっているからこそ、そうしている。
「まあそうですよね、普通気付きますよねー」
美香は不貞腐れたふうでもなくそれが当然だと言いたげに声の抑揚もなく口にした。
それを見た夕紗は「普通はね」なんて言いながら頬杖を組みなおした。
二人の肘の先には、つい先日完成したばかりの部誌が並べられている。表紙はフリー素材を切り貼りしたもの、背表紙のところはホチキス止めを隠すように黒いテープが巻かれている。紙の質も安いコピー紙。低予算で作られたそれは見るからに安っぽさがにじみ出ていた。
二人は、それに触れもせず、頬杖をついている。とても売り子とは言い難い不真面目な態度だ。
そんな態度を直そうともせず、その手作りの部誌を一瞥した美香がふうと息を吐いた。
「でも、あからさまなのは夕紗先輩も一緒じゃないですか?」
「……どゆこと?」
美香のつぶやきに、首を傾げる夕紗。その声を耳にした美香は頬杖をついたままユサに振り返り、漫研には聞こえないようにと声を潜めて言った。
「先輩、振られましたよね」
ばさりと切り捨てるように言うと、夕紗は目を見開いた。そのまま暫し硬直すると、目尻を下げ、口元をわずかに垂れながらたははと笑った。
「気付かれてたか」
「当り前ですよ」
気まずそうに言った夕紗に対して美香は何をいまさらとばかりに切り捨てる。
「先輩、十月に入ってから部活来なくなったじゃないですか。毎日バイトってわけでもないのはすぐわかりましたよ。部室に来ても言葉数少ないし、総先輩とは全然喋らなかったじゃないですか。……修学旅行で告白したんだなっていうのは、すぐにわかりましたよ」
犯人に証拠を突き付けるがごとく、美香は言う。夕紗は観念したとばかりに苦笑いを浮かべると、一つ呼吸をしてから美香と同じく頬杖をついたまま向かい合った。
「同じ人に失恋した者同士だしね」
皮肉を口にした夕紗だが、美香は驚いた様子もなく無感情に「そうですね」とだけ呟いた。
夕紗は苦笑いを浮かべるとまた視線を扉のほうへと向けた。
同じ体制でいる二人の姿は、姉妹のように感じられるが仕草だけだ。髪の毛の色も茶髪とこげ茶色、髪形もセミロングとショート。体つきだってバイトに精を出している夕紗のほうがしっかりしていて身長も高い。
似ても似つかぬ二人はやはり先輩と後輩にしか見えない。
美香も夕紗も、自分たちが姉妹のように見えるだなんて思っていないし、そう見られたいとも思ってはいない。
しかし美香は、そう見えなくない人たちを知っていた。
「夕紗先輩。ほかの先輩たちが兄弟だとしたら、どういう順番だと思いますか?」
頬杖を崩すことなく、美香がつぶやくように言う。
夕紗はその声にちらりと視線だけで振り向いたがすぐ地視線を扉へと戻して、まるで聞こえていないと言うように「んー」と唸り声をあげた。
「上から総、松嶋、原君」
けれどそれは頭を働かせていただけで、興味ない体を装いながらもすぐに答えを口にした。
それを聞いた美香は興味なさそうに声を上げると、やはり呟くように口にした。
「私たちと違いますね」
「達?」
「楓とも話したんですよ」
言われた夕紗は「ああ」と納得したような声を上げると少しだけ声のトーンを明るくして言った。
「まっ、過ごした時間が違うから感じ方も違うでしょ」
「そうかもしれないですね」
そう答えた美香は、心ここにあらずといった感じだ。
失恋のショックからか普段よりも気分の落ち込んでいる後輩を見た夕紗は、それをどうにかしようとまた一段明るい声で言う。
「原君は、満場一致で末っ子じゃないんだ」
「楓は違うみたいですね」
他人事のように言った美香。しかし言い切るとふうと息を吐いて付け足した。
「私も、つい最近イメージ変わりました」
「長男に昇格でもしたん?」
「それはないです」
茶化すように夕紗が言うと、美香は真顔できっぱりと言った。
それが面白かったのか、二人はふっと小さく引き出すと先ほどよりも明るくなった空気のまま話を続けた。
「原先輩は、一人っ子ですね」
「兄弟じゃなくなっちゃったのか」
「そんなかんじです」
ふっと笑って言った美香は、頬杖を崩して椅子の背もたれに寄り掛かると、またぽつりと呟くように言った。
「親戚とかでもいいんですけどね。とりあえず兄弟じゃなくなりました。ニ、三日前に」
「……松嶋が決めた日から?」
夕紗が思い出しながら問えば、美香は手を伸ばしながら「その日ですー」と言った。
「松嶋先輩と原先輩が話してるの見ちゃったんですよねー。あっ、聞いたっていう方がいいですかね。それで、なんか違うなって思ったんですよ。兄弟じゃないなって。なんか、鏡を見てるみたいだなって、思ったんですよ」
「……そう?」
美香の言葉は、夕紗には理解できなかったようで首を傾げた。
けれど、それを理解してもらいたくて口にしたわけではない美香は「そうですよ」というだけでそれ以上何も言わなかった。
その代わりに、美香は思いを馳せるように天井を見つめて言った。
「うまく、行きますかねあの二人」
その言葉の意味を違えるはずもなく夕紗は同じように天井を見つめながら言った。
「そんなの、わかり切ってるでしょ」
「……そうですね」
美香は、愚問だったと自虐気味に笑った。
美香と夕紗だけでなく、文芸部の部員全員が理解していたから。




