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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 15

 俺の通う学校の文化祭は、十一月第一週の土日二日間で行われる。

 一日目と二日目、どちらがより混雑するかと言われれば、やはり祝日に設定されている日曜日だ。

 しかし、人が来るからと言って我らが文芸部の部誌がよく売れるなんて言うことは無い。最近じゃ活字を好んで読む人なんて少ないし、いくら部員も増えて部誌自体が厚くなったとしても売れ行きが良くなるなんて言うことはあるはずがない。この場に訪れた人のほとんどは、すぐ隣で部誌を販売している漫研が目当てだった。

 もともと枚数の少ない部誌ではあるが、昨日一日の売り上げを見ても、去年同様二桁行けばいい方、とてもすべて売り切るなんて言うことは不可能だろうなと思わされる減り方だった。

 そんなにも売れ行きが良くないと、売り子として立っているこちらとしては退屈なことこの上ない。だから自然と隣にいる彼女と交わす言葉も多くなっていた。

「今日もあんまり人こないね」

「そう、ですね」

 俺の呟きにあははと苦笑いを浮かべる彼女に同調して、俺も苦笑いを浮かべる。

「まあ去年もこんな感じだったからね」

 自嘲気味に言えば、彼女もまた同じように笑顔を返してくれた。

 昨日に続いて今日も、午前中一発目の売り子担当となった俺たちは、まだ人も少ないこの時間帯に暇を持て余していた。気まずいなんて言うことはありはしないが、こんな調子でもう三十分。昨日も同じようにしていたことを考慮すればその何倍もの時間こうしているのだ。そのため、話題も尽きてきてしまった。

 だから俺は昨日同様、すぐ隣にいる漫研のスペースへと視線を向けた。

 そこには、つい先日資料室で顔を合わせた、懐かしい顔が。

 ちらりと視線が合って、彼が小さく会釈する。俺もつられて会釈を返せば、見つめ合っているというのも気まずかったのだろう、彼の視線は漫研の仲間たちへと向けられた。

 けれど俺は、その楽しそうに笑う彼ら彼女らをじっと見ていた。

 部誌が売れないのも、漫研が隣にいるのも去年と全く同じことだ。けれど、今年はずいぶんと違っている。

 去年は――今年初めまでは沈んだ顔ばかりだった漫研の部員たちは、笑顔であふれている。陰鬱な空気など一切感じないまでに、彼ら彼女らは楽しそうだった。

 見れば、そこにあの三年生たちの姿はない。

 漫研の引退時期がいつかはわからないが、部誌を出す文化祭までは引退なんてしないだろう。文化部に取って文化祭は大一番なのだから。

 けれど、そこに彼らの姿はない。もともと真面目に活動しているというタイプの人間ではなかったけれど、去年はその姿を見せていた。

 だから昨日見たときはどうしたのだろうと思った。

 三年生の彼らは、夏休み明けくらいから漫研に来なくなったらしい。

 理由は単純、受験のことだそうだ。彼らももう三年生。進学や就職を目の前にすると、もう悪いことはできないのだろう。夏にあったあの騒動でかなり痛い目を見たらしい彼らは、次第に姿を現さなくなったという。

 永沢さんの同級生たる彼から聞いた話なので自分で見たわけではないが、漫研はもう以前のような居辛い環境ではなくなったようだ。

 俺はそのことに少なからず安心すると同時に、拍子抜けしてしまった。

 隣にいる永沢さんは、漫研とのごたごたがある。だから顔を合わせるようなことがあれば、また何かが起きてしまうのではないかと心配していた。ソウも同じく心配していたから、半ばからかうような形で俺を付き人に任命したわけだ。

 しかし、蓋を開けてみれば警戒すべき三年生の姿はなく、それどころか文芸部よりも人数の多い漫研は賑やかで楽しそうなオーラを放っていた。漫研の生徒たちが永沢さんに向ける視線も棘のあるものではないし、むしろクラスが同じ人もいる分彼女の表情は柔らかかった。

 前と比べるまでもなく明るい雰囲気になった漫研の面々を見て、俺は安堵のため息を吐くと同時に再び名も知らない後輩の彼へと視線を向けた。

 彼は同級生らしき女生徒と仲睦まじく笑顔を交わしている。それこそ旧知の仲だと言いたげな、もしもそうでなければ恋人同士なのではないかと勘繰ってしまいそうなほどに満たされた笑顔を。

 俺はそれを見て、ため息を吐くでも目を見開くでもなく心臓を大きく脈動させた。

 普段の、事情も何も知らない俺であればぶしつけな妄想を繰り広げてしまいかねない状況だけれど、今回はそうはいかなかった。何せ、勘繰るも何もないのだから。

 二人は、付き合っているらしい。

 昨日まじまじと二人を見つめていた俺に、永沢さんが教えてくれた。彼女のクラスでも有名な話だと。

 クラス公認カップルの二人は、もう付き合って長いらしい。明確にこの日からなんていうことは同じクラスの永沢さんでも知らなかったけれど、どうやら夏にはもう付き合っていたのだという。

 夏ごろと言えば、言わずもがな彼と初めて会った時のことを思い出す。彼と初めて言葉を交わした時のことを思い出す。

 あの時は、震えながらも精一杯思いをため込んだ彼の声を聴いて、永沢さんに恋をしているのだろうなんて思っていた。漫研に戻ってきて欲しいと切に願う彼の姿に焦がれるほどの思いを垣間見ていた。

 けれど、恋人がいたという事実を知ってしまった今、その時の俺の解釈が間違っていたんだと数か月越しの答え合わせが果たされる。

 あの時の彼の気持ちは、純粋に同級生に戻ってきて欲しいと、苦痛を与えるような空間にはもうしないと伝えたかっただけなのだ。それを俺は恋心だなんて決めつけて、勝手に一人舞い上がっていたのだ。

 的外れもいいところ、思い出せば羞恥を感じてしまうほどに何も見えていなかった。あの時から、つい最近までずっと。

「はぁ……」

 俺は自分に呆れてため息を吐いた。がっかりしたのではなく、これに関してもまた拍子抜けしてしまって。

 そう思っていると、視界の端で黒髪が揺れた。

「先輩?」

 ため息を吐いた俺を、不思議そうに見つめる彼女。

 どうかしたのかと問うようなその瞳を見つめながら、俺は苦笑いを浮かべて言った。

「あ、いや……なんか幸せそうだなって」

「? …………あっ」

 俺の言いたいことが理解できなかったのか、彼女はついさっきまで俺が視線を向けていた先を見ると、そこでようやくそれに気付いたようで小さく声を上げた。

「そう、ですね」

 戸惑いがちに言った彼女は、俺と目が合うとにこりと笑って視線をそらしてしまった。

 俺はそんな彼女を横目に、すぐ真後ろにある窓から中庭をちらりと見降ろした。

 文化祭の中でも、中庭は特に賑やかな一帯だ。簡易的な屋台が軒を連ね、多くの人が通る導線にもなっている。わずかに空いたスペースを見ればそれは全部屋台の裏側、屋台で販売する物の材料だったり電気を繋ぐ配線だったりで結局は人が通るような場所ではない。その様子を見ればわかる通り、この学校で中庭で出店を出せるということは、教室で出し物をするクラスや部活動に比べて大幅に人の入りが激しくなる。だから毎年学内で売り上げ一位を取るのは中庭の出店のどこかだし、年功序列に従って出し物の位置決めをするこの高校では毎年三年生がそれに選ばれる。

 もちろん、例外もある。三年生がほかの場所を希望したりすれば、その分下級生にその権利が舞降りてくるのだ。

 そして今年は、そんな例外の年だった。全部で五クラスある三年生の内三クラスが合同でお化け屋敷をやることになったのだ。当然、それだけの人数で一クラス分のスペースしか使えないなんて言うことにはならず、そもそもそのスペース確保のために三クラス合同にしたらしいそのお化け屋敷は、例年通りなら立ち入り禁止となる校舎の四階を丸々使って催されている。

 盛況の具合など知る由もないが、それだけ大きな看板である以上、今年の出し物一位の座はそのお化け屋敷が取ったようなものだろう。そんなことは誰もが思っているところだったが、俺たち二年生としては一位が取れる取れないよりも、中庭を使える権利が得られるということのほうが重要だった。

 そんなことがあったおかげで俺たち二年一組のクラスは、今俺の見下ろす先でフライドポテトの販売をしている。よく目を凝らせば、エプロンを付けてフライヤーの前に立っているのは俺の幼馴染の姿だ。

 俺はその背中にがんばれ、なんて他人事のようなエールを送って小さく嘆息した。

 二つ用意されているフライヤーのもう片方を見てみれば、恋人が出来たばかりだというあの物静かなクラスメイトの姿があった。

 黙々とこなされた仕事をする彼は、静かではあるけれど沈んでいるという表情ではない。それもそのはずだ。気を落とすような出来事は何もないのだから。

 見れば、彼のすぐ近くには彼女の姿がある。修学旅行を期に付き合うようになったという彼女の姿が。

 先日の教室での出来事の顛末は、クラスでそれなりの話題になった。というのも、今二人が一緒に居る現状を見てわかる通り、あのカップルは破局するなんてことは無く今なお仲睦まじく、さらにいえば数日前よりもその距離が近づいたようにも思えた。

 理由は、単純でいてとても大胆なものだった。

 告白の答えを先送りした彼女は、後日彼氏を連れて相手に会いに行ったらしい。そしてそこで堂々とこう答えたのだという。「この人が好きだからあなたとは付き合えない」と。

 そんなことがあったから、噂になりはしてもクラス内で冷やかされたり、からかわれたりする事の無かった二人は、今ではクラス公認の有名なカップルになっていた。

 だから吹っ切れてしまったんだろう。まるで隠すように静かに付き合っていた二人が、一緒に居る姿をよく見るようになった。今二人が同じ時間帯にクラスの出し物の仕事をしているのも、それをよくわかっているクラスの面々にそう促されたからだ。

 誰でもいい、少しでも条件が良ければ乗り換えられるような簡単な付き合い方。そんなものが嫌いだと、あの告白を共に見ていた悪友は言っていた。

 そう見えたからこそ、真琴はあの出来事に憎悪すら抱いていたのだろうが、それは見事に的外れだった。

 結局あの答えは、誰もが羨むような堂々とした物言いで決着がついたし、あの二人は前にもまして幸せそうだ。もしも真琴の言うような換えの聞く関係性であるならばきっとそんな結果にはならなかっただろう。

「…………」

 真琴の見たものは、確かに事実なのかもしれない。そういう付き合い方をする人も世の中にはいるのかもしれない。

 だけど、みんながみんなそうかと言われればそれは違うし、そんなインスタントな付き合い方をしている人はきっと少数だろう。世の中を見て回ったわけではないし、俺自身今まで恋愛経験が豊富だったわけではないけれど、きっとそうだと思う。そうだと信じたい。

 少なくとも、教室で真琴が目にして吐き捨てたものは真琴が嫌っていたようなものではなかった。だから、恋愛を、色恋すべてが嫌いだと言いたげな悪友も気付いてはいるんだと思う。だから、あの時真琴は間違っていないなんて言ったのだと思う。

 俺は、雲の浮かぶ空を見ながら覚悟を決めて一つ息を吐いた。

「永沢さん、えっと。後夜祭って見に行く?」

 いつだか後輩二人が話していたことを思い出して訊いてみる。

 後夜祭は文化祭の終わった四時過ぎから六時ごろまで行われる、いわゆるお疲れ様会のようなものだった。参加は自由、後夜祭では文化祭のステージには立てなかった有志のバンドやダンスグループなんかの催し物もあったりと、学生側としてはそれなりに魅力的なものだ。

 もしかしたら、永沢さんも出し物はしないにしても観客として参加はするのではないかと思って尋ねる。しかし永沢さんは不思議そうに首を傾げた。

「え、いえ……」

 そんなこと考えてすらいなかったと言いたげな彼女を見て、俺は苦笑気味にそっかとだけ答えた。そしてまた一呼吸。

 隣に漫研がいるとはいっても、こういった場に来る人は限られている。文化祭の花と言えばステージの出し物だ。わざわざ図書室の隣に足を運ぶ生徒なんて数えるほどしかいない。漫研の生徒もいるにはいるが、それでも静寂には程遠いから小声でしゃべれば秘密めいた会話もできてしまう。

 焦る理由は、もはやない。

 漫研の彼には、もう恋人がいる。今更永沢さんとどうこうなるなんて言うことは考えにくい。だから別に焦る必要なんてないのだ。

 けれど、もう頼んでしまった。頼んだのだ。文芸部の部長副部長の二人に、そしてその二人を通してほかの部員にも。

 だから、もう引くことはできないし、引く気もなかった。

 それでも、やっぱりそれを口にするとなると緊張もする。周りに人がいる環境では喉も詰まる。

 俺はそれを誤魔化すように数度息を吐いてから、彼女に向きなおった。

 言う言葉は、たった一言。これを口にできないようではその先を伝えることなんてできはしない。

 俺は緊張とわずかな不安に押しつぶされそうになりながらも、息を切らしたように深く呼吸を繰り返してから、やはりどこか逃げ腰に口にする。

「えっと、じゃあ文化祭が終わってから、ちょっといい?」

「? はい、いいですけど」

 彼女は、文芸部としての打ち上げか何かだとでも思っているのだろうか、不思議そうに首を傾げるばかりだ。

 だから俺は、その意味がほんの少しだけでも伝わる様に息を吸ってから口にする。

「文化祭が終わったら、部室に来て欲しいんだ」

「はい、わかりました?」

 それでも、彼女はなんのことかわかっていないようで首を傾げた。

 何もここでそれをほのめかすようなことをする必要はない。けれど、俺は少しでも彼女にそれを意識して欲しくて、往生際悪く言葉を付け足す。

 そんな継ぎ接ぎにも似た行動だったから、彼女の目を見て言うことはできすに自分の手元を見た。そしてそのまま、言葉だけは伝えようと声をすぼませることはせずに、彼女に言った。

「二人だけで、話がしたいんだ」

「…………」

 彼女は何も答えない。俺の言わんとしていることが伝わったのか、それとも理解されなかったのかどっちなんだろうと思ってちらりと彼女を覗ってみた。

 視線の先の彼女は、真っ赤になりながら目を見開いていた。


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