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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 14

「……お前、本気か」

 二人きりに部室に、そんな声が反響する。

 六時を回って外はもう真っ暗。つい数分前に聞こえていた談笑の声も、廊下を擦り歩く音も聞こえない。聞こえるのは秒針の音と、お互いの息遣いだけ。

 そんな静かすぎる部室の窓際で、やや攻撃的のも思える視線を向けてくる悪友がもう一度問う。

「本当にするのか」

「…………」

 俺はその試すような視線をまっすぐに見つめたまま、小さくこぶしを握った。

 真琴は俺の右手をちらりと見ると、呆れたように息を吐いた。

「……やっぱり真琴は、そういうの嫌い?」

 そんな悪友を見ながら問いかけると、ちらりと一瞥をくれる。

 しかし真琴は興味ないとばかりに視線を逸らすと、部屋の明かりのせいで星が隠れてしまった夜空へと視線を向けた。

 そんな態度をとられても、真琴が何かを言いたいことは明白だ。言葉の端々からにじみ出ているし、そもそも真琴が俺を呼び止めたのだから。

 だから、俺は真琴の言葉をじっと待つ。

 秒針が時を刻む音以外は何も聞こえない。窓の外を見ている真琴と、そんな悪友を見つめる俺の視線は交わらない。

 けれど、このままでは仕方ないと思ったのだろう、真琴がため息を吐いてからぼそりという。

「別に、好きにすればいい」

 不貞腐れたように言う真琴。当然その言葉が真琴の心の内でないことを理解している。

 俺は一つ息を吸ってから、真琴に問いかける。

「なんで、俺を呼び止めたの?」

 言った瞬間、真琴がちらりと俺を見た。

 けれどすぐに、その視線はどこかへと投げ飛ばされてしまう。

 俺は再び待つ。真琴の言葉を。

 そうしてしばらく待ち続けると、真琴はいつものように呆れたような、諦めたような溜息を吐いて俺に向きなおった。

「……別に、深い意味はない」

 嘘だ。何の意味もなく、真琴が俺を呼び止めるなんてことはあり得ない。

 真琴が何を言いたいかまではわからないけれど、何に対して言いたいのかはわかっていたから、俺はもう一度真琴に問うた。

「何で真琴は、恋が嫌いなの?」

 言った瞬間、真琴が今は関係ないだろとばかりにため息を吐いた。

 けれど関係ないなんてことは無い。真琴が恋愛ごとを嫌っているからこそ今こうしているんだ。だからこそ、真琴は今日俺を呼び止めたはずだ。

 俺は息を吸ってから、数日前に感じたことを、疑問に思ったことを口にした。

「昔、何があったの?」

「…………はぁ」

 言うと、真琴は深い溜息を吐いた。そして呆れ気味に言う。

「気にするようなことじゃない」

 真琴はそう言ったけれど、こんな風にあからさまにはぐらかされてしまえば気になってしまうのは仕方のないことだ。

 けれどこんなにも面倒だと言いたげにため息を吐いている真琴にしつこくそれを問い返すことはできなくて、俺は「そう……」とだけ口にした。

「……はぁ」

 すると真琴がため息を吐く、そのため息はどういう意味だと思って真琴の顔を覗ってみれば、その表情は諦観を滲ませていた。

「取材ってわけじゃないだろ」

 ため息交じりにそう言った真琴は吐き捨てる。

 俺の声を聴いて、表情を見て気付いてしまったのだろう。俺が真琴の過去に興味を示していることに。真琴は、勘が鋭いから。

 俺は少し申し訳なくなりながら視線を下げる。

 すると真琴はもう一度ため息を吐いてからやはり諦めたように言った。

「別に、聞いても面白くない」

 そう言い切ると、真琴は俺を見た。それでもいいか、と問いかけるように。

 俺は、声を出すことはできずに、固唾をのみながら小さく頷いた。

 真琴は、きっとそれを語りたくて俺を呼び止めたわけではないだろう。けれど過程はどうあれ真琴はそれを語ることを選んだ。たぶんそれには意味がある。それを語らなくては言いたいことを伝えきれないと思ったに違いない。

 憶測にすぎないけれど、そうでなければ真琴が自分語りなどするはずがない。さっきの様に、意味がないと口にするだけで何も答えてはくれないはずだ。

 だから、俺はじっと真琴の言葉を待つ。そんな真琴の言葉だから、聞き逃してはいけないと思って。

 しかし、真琴はなかなか言葉を発さない。悩んでいるのだろうか、真琴がため息を吐きながら部室の入り口へ視線を向ける。俺もつられて視線をめけてみるが何かあるわけではない。再び視線を戻すと、真琴と目が合った。

 真琴は、もういいやと言いたげな適当さ加減で、ため息を吐きながらひと息に口にした。

「元カノがろくでもない女だったってだけだ」

「………………」

 俺は待った、真琴の言葉を。どこからか聞こえてきた悪友によく似た声に惑わされそうになるが、俺もそこまでバカではない。真琴がそんなこと言うはずがないのだから。

 だから俺は待つ、真琴の言葉を。

 すると真琴は突然うんざりした顔を浮かべた。

「……オイ陽人」

「え、何?」

 いきなり呼ばれて首を傾げる。さっきまでの神妙な雰囲気はどこへやら、真琴はいつもと変わらない無気力を張り付けたような表情で俺を見た。

「お前聞いてなかったろ」

「……え?」

 真琴に問われて首を捻る。しっかりと耳を澄ましていたから何かを聞き逃したということは無いはずだ。そう思いながら視線だけでどういうことと問うと、真琴は盛大にため息を吐いてから言った。

「元カノがろくでもないやつだったって言っただろ」

「…………」

 俺はしばし硬直した。もちろんそれを聞いていなかったわけではない。ちゃんと耳には届いていた。けれどそれを理解することが出来ずに、それがどこから聞こえてきたものなのか理解するのに時間がかかって、俺は固まっていた。

 けれど、氷と同じで時間が経てば驚愕も緩み、硬直も解けていく。自分の体に熱が通るのを実感しながら動き出すまで暫し、俺はうるさくなった心臓の音と同じく声を大にして真琴に詰め寄った。

「え!? 真琴付き合ってた人いるの!?!?!?!」

 言うと真琴はうるさいと言いたげに顔をしかめた。

 けれど俺はそんなのお構いなしで矢継ぎ早に問う。

「えっ誰? って言うかいつ? 高校入ってから? 中学の時!?」

 さらに俺が詰め寄れば、真琴は鬱陶しいとばかりに俺から数歩距離を取り、うざったいと言いたげに俺を睨んだ。

「……中学の時だよ」

「誰?! クラスの誰か!?」

「……はぁ……」

 さらに俺がさらに詰めよれば、真琴は心底不快だと言いたげにため息を吐いた。そしてそのままぎろりと睨みつけるような視線を俺に向ける。

「落ち着け」

「あ、ご、ごめん……」

 俺は後退り、小さく深呼吸をした。そんな俺を見た真琴は再度ため息を吐いた。

「中学って言っても、一年の時の話だ」

「え、あー、そうなんだ……」

 一年の時の話と言われて、俺が知らないのも当然だなと思った。

 俺と真琴が知り合ったのは中学二年生の時だ。それまで真琴と面識がなかったのは、たんにクラスが一緒にならなかったからというわけではない。中学二年生の春、真琴は転校してきたのだ。それまで同じ中学にすらいなかった。だからそれまで面識がなかったのは当たり前のことなのだ。

 ゆえに俺は、中学一年生のころの真琴のことを知らない。

 見たことがないというのもあるが、真琴は自分語りをするタイプではないから今まで知る由もなかったのだ。

 納得して声を上げると、真琴はようやく理解したのかと言いたげにため息を吐いた。そしてそのため息が終わるとともに皮肉っぽく真琴が言う。

「俺にもお前みたいな時期があったんだよ」

「なんか貶されてる気がする……」

 言うと、真琴は呆れたようにため息を吐いた。そしてそのまま、俺の言葉など聞こえなかったかのように続きを語る。

「俺だって、最初から恋愛嫌いだったわけじゃない。人並にはそういう経験もした。中学の時まではな。………………俺の好きだった相手は、明るくていい子、そんな感じだった。中心人物って感じじゃないけど静かって程でもなかった」

 言いながら、真琴は懐かしむように窓の外を見つめた。

 それを見て、俺は意外だと思った。真琴に恋人がいたことはもちろんそうだが、真琴がこうやって誰かに思いを寄せていたのだというのを実感して、驚いた。

 俺の知っている真琴は、色恋が嫌いで、女性が嫌いで、物言わぬ植物が好きな根暗ともいえる男子だと思っていたから。

「付き合い始めたのは夏ごろ。まあ一か月ももたなかったけどな」

 そう言った真琴の顔は、残念そうではなかった。

 いつものように、どうでもいいことの様に無感情に、声の抑揚すらなく口にした。

「毎日電話しろだの、帰る方向も違うのに一緒に帰ろうだの、そんな面倒な事ばっかりだった。断ればキレるし、良い事なんかなんもなかった」

 過去の自分を思い出しながら言っているはずなのに、間城の様に懐かしむ様な雰囲気はなく、興味のない演劇でも見ているかのように淡々と無感情に話す。

 けれど、だからこそ真琴が絶望しているのであろうことがわかった。

「……だから、恋なんて意味がないって、思うようになったの?」

 俺は、恐る恐る尋ねた。真琴なら、そんな結論に至りそうだと思ったから。

 しかし、真琴は頷きもせずに言葉を続けた。

「でも、悪くはなかった。初めての彼女だったっていうのもある。別れようって言われてからも、追いかけようとした」

「…………」

 俺は予想外の言葉に、目を見開き固唾をのんだ。

 真琴らしからぬ言葉の連続に、驚いて息をするのすら忘れてしまう。

 こんなにも、普通の男子学生のようなことを言う真琴を見たことなくて、ただただ驚く。俺の知る真琴なら、そんなこと絶対に言わないと思っていたから。

 けれどだからこそ、昔そんな風に思うことのできた真琴が今のように変わってしまっただけの出来事があるんだ。そう思って、俺は真琴を見た。

「でも結局、追いかけるなんてしなかった」

 さっきまでとは打って変わって真琴の表情が苦しいものに変わっていた。

 息をするのすら辛いと言いたげに歯を食いしばっている。

 俺はまた、目を見開いていると、真琴がそれに気づいたのかため息を一つ吐いてからさっきまでと同様無感情なトーンで言った。

「そいつは俺と別れて二日後に新しい彼氏を作った」

「ッ……」

 その言葉を聞いて浮かんだのは、先日の告白現場だった。

 それを真琴も察したのだろう、ふっと息を吐くと言葉を続けた。

「別にそれだけなら、自分に魅力がなかっただけだって思えた。けどその後、そいつは二ヵ月で五人の男と付き合った」

「ごっ!?」

 言われて、頭の中で計算してしまった。一人当たり何週間付き合っていたのかと。

 けれどそれを計算して出てきたのは明確な数字ではなく、驚愕という言葉ばかりだった。

 真琴もかつてそんな風に思ったのだろうか、俺を一瞥すると語り続ける。

「要するにそいつは、恋人って存在が欲しいだけだったわけだ。相手は誰でもよかったんだろ。……こいつなら付き合ってくれそうだからって。少しでもいい相手が見つかれば簡単に捨てられるような、そんなもんなんだろ」

 言った真琴は、すべてを諦めたような、そんな顔をしていた。

 俺は、何も言えずに自分の足元を見つめた。

 俺は真琴の様には思うことはできないけれど、なんとなく、言いたいことはわかったから。

「だから、俺はそういうのが嫌いだ」

 真琴が吐き捨てるように言った。

 俺はそれをまっすぐに見ることが出来ずに、真琴の足元を見ている。

「いくらでも代わりのいる関係なんて無意味だ。その程度の気持ちならどうせすぐなくなる」

 真琴はあくまで自分には関係ないと、興味ないと言いたげに口にする。

 けれどその言葉からは、あの時感じたようなおぞましいものを感じる。妬み、憎み、敬遠しているかのような。

「俺、そんなものが嫌いだ」

 やっぱり最後には、吐き捨てるように言った。

 俺はその声を聴きながら、少し後ろめたく思いながら真琴に問う。

「…………だから、してほしくないって、こと?」

 俺の気持ちが、あるいは彼女の気持ちがいくらでも替えの利くようなものだと言いたいのだろうか。修学旅行の時のように。

 そう思ったが、真琴はばつが悪そうにそっぽを向いた。

「…………別に」

 消えてしまいそうな声で言った真琴は学ランのポケットに手を突っ込んだ。

「お前の好きにすればいい」

 言った真琴は、どこか申し訳なさそうだった。

 真琴は視線を逸らしながら、付け足すように言う。

「本気なら、それでいい」

 申し訳なさそうにしながら、それでもほんの少しだけ、俺を励ますように。

「…………うん、わかった」

 背中を押されたわけではないが、俺は頷いた。

 きっと、真琴に何と言われようと俺は自分の結論を変えなかったと思うけれど、それでも俺はその意思を証明するかの如く力強くうなずいた。

 すると真琴は、ふうと息を吐いてから、俺に問いかけた。

「二日目でいいんだろ」

「……うん」

 さっきの俺と同様主語は交えなかったけれど、その意味するところは分かったので頷く。

 真琴はそれにため息を一つ吐くと、上履きの底を鳴らした。

 見れば真琴は教卓のほうへと向かっていた。もう語るべきことは無いと思ったのだろう。俺も真琴同様いつもの定位置の机に向かい、その横に置いてあった鞄を拾い上げる。

 真琴が俺を呼ぶ代わりにチャリとカギを鳴らした。俺が速足気味に教卓の前まで行くと、真琴は行くぞと言いたげに俺を一瞥して廊下へ向かった。

 誰もいない文芸部の部室の電気を消して、廊下へ出る。人気がないからだろうか、まだ十一月前だというのに寒々しい。

 そう思いながら身じろぎするふりをして鞄を背負い直す。するとその気配感じたのか、真琴がぼそりと呟いた。

「お前は間違ってない」

「え?」

 問い返すように発した疑問符は、施錠音にかき消された。


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