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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
89/139

思いを言葉に 13

  文化祭まであと三日。教室は出し物の小道具で満ち、授業中にも作業をする生徒が見て取れるほど空気が変質していた。当然それは放課後まで冷めることは無く、部室に着くまでの廊下でも喧騒が収まることは無かった。

 しかし、文化祭ももう間近だという事実を突きつけられながら部室に集まってみれば、本当に同じ学校内の風景なのかと問いたくなるほど静まり返っていた。

「先輩、つまんないです」

 茶髪の後輩がホチキスをカチカチとならしながら言う。そんな立花さんをまぁまぁとなだめながらソウがてきぱきと作業を進めていく。その手にあるのは言わずもがな折れと永沢さんが先日印刷してきた原稿用紙だ。

 ソウのぞんざいな扱いが気に入らなかったのか、立花さんはあからさまに頬を膨らませたのだが、俺の幼馴染は作業に集中とばかりにコピー用紙の裏表を見ながら重ねていく。

 そんな二人を見つめながら、俺と永沢さん二人は苦笑いを携えて本の背表紙に黒いテープを張っていた。

 みんなして一冊づつ作っていくのも効率が悪いとのことで流れ作業にはなっているのだが、いかんせんホチキス止めに任命された立花さんは暇で暇で仕方ないと言いたげだった。

 いつもの通り男子の向かい側の最も廊下側に腰かけた間城、珍しくその前に腰かけ面倒くさそうにため息を吐く真琴、そして真琴の左側で楽し気な表情を浮かべながら手を動かすソウの三人でばらばらのページをひとまとめにしている。それを受け取って立花さんがホチキスで止めているのだが、いかんせん二秒とかからず終わってしまう作業故、立花さんは暇で仕方ないと言いたげに唇を尖らせているのだ。

 彼女はもともと部誌づくりに協力的でないこともあって、熱心に紙束を集め続ける三人とは違ってやる気らしいものを感じ取れなかったから仕方なくはあるのだが。

「松嶋先輩、面倒じゃないんですか?」

「すぐに終わるから」

 先輩も仲間でしょと言いたげに俺のことを見つめる立花さん。だが、それに頷いてあげることはできずに苦笑いを返した。

 すると彼女は裏切られたとばかりに唇を尖らせる。そしてそのままやりたくないというオーラを放ちながらソウが差し出した紙束を受け取る。

 そんな顔をしていてもまじめにやってはくれるんだなと思って見ていると、彼女は俺のことをちらりと見て言った。

「先輩も、ちゃんと小説完成させたんですね」

 嫌味っぽく、またしても裏切られたと言いたげに口にした立花さんに苦笑いを返すと彼女は子供の様に膨れてしまう。

「私だけ詩って、なんか仲間外れみたいです」

「そんなことないでしょ」

 自分でそうしたのに仲間外れも何もないだろうと思いながら苦笑いを浮かべると、彼女がホチキス止めした冊子が俺のほうへと差し出される。

 永沢さんもいるのにわざわざ俺に差し出すということは文句の代わりなのだろうかと思ってそれを受け取り、ホチキスの芯がむき出しになっている背表紙の部分にテープを張っていく。

 たった五十部の部誌だけれど、彼女は乗り気で作ったわけではないからこんなにも面倒くさそうなのだろう。

 結局彼女の書き上げた百文字をようやく超えたかという程度の詩は、どこかのアイドルグループやらバンドやらの歌詞をごちゃまぜにしたようなものだった。

 当然真琴とソウも苦い顔をした。しかし今更それを没にする余裕もなく、なあなあで彼女の短い詩は完成したというわけだ。

「……真面目にやれ」

 そんなことを考えていると、廊下側から鋭い声が飛ぶ。振り返ってみれば手を止めた真琴が立花さんを、そしてついでに俺のことをぎろりと睨んだ。

「え、俺関係ないでしょ」

「先輩も同罪ですよ!」

「えぇ……」

 共犯者ができたのが嬉しかったのか、立花さんがそんな風に言う。俺はそれにぼやき声をあげながら背表紙に張ったテープを指の爪で伸ばす。

 すると、ソウが思い出したように声を上げた。

「そういやハル、今年も場所は図書室の横だ」

「あー、部誌売る場所?」

 いきなり言われたので何のことやらと思ったが、図書室の横と言われて思い至る。去年も文芸部は図書室の隣にある空き教室で部誌を販売したのだ。

 俺が首を傾げながら問うと、ソウはその通りと言いたげに笑顔を浮かべた。なにも誇らしげにするようなことは無かったと思うし、そもそもそれを俺だけに言うのもなんとも的外れだと思っていると、ソウが紙束をまとめていた手を止め、人差し指を立てて言う。

「古本市とかも同じ教室で、まあ去年とほぼ一緒だな」

「あー、そうなんだ」

 言いながらまた立花さんからホチキス止めをされた部誌を受け取ってテープに手を伸ばす。するとそうしたとき、ソウがはあとため息を一つ吐いてからこそりと、俺の耳元によって秘密めいた音で言った。

「漫研も、同じ場所だ」

「……ぁ」

 言われて、俺は反射的に彼女のことを見た。元漫研部員の彼女のことを。

俺はため息を吐いてから、またいらない気でも回してくれているつもりなのかと思ってソウのことを振り返る。

 しかし俺の幼馴染はなんとも言えない表情で俺のことを見ていた。

 どこか不安そうな、その笑顔を見てソウの言わんとしていることが分かった。

 ソウは、あの時のようなことがまた起きてしまうんじゃないかと思っているのだろう。まだ暑かった七月に起きたあのことを思い浮かべながら。

 俺はそれを理解して、もう一度彼女をちらりと見た。当の彼女は俺たちのことなど気にした様子もなく部誌の背表紙張ったテープを丁寧に伸ばしている。

 そうか、文化祭だ。去年のことを思い起こせば簡単に想像できたはずなのに、自分のことにばかりかまけていて忘れていた。文芸部と漫研、同じ部誌を販売するという形式上、一か所にまとめられるのは当然のことだ。わざわざ人数の少ない文芸部にほかの場所を用意してくれるはずがないのだから。

 だから、文化祭の時には会ってしまう。顔を合わせてしまう。彼女を追い詰めたあの上級生に。

 そう思うと、いきなり不安と恐怖が募り始める。

 俺はそれを紛らわすために、止まっていた手を動かす。

 そして、また一部完成とばかりに、まだ積み上げ始めたばかりの部誌の山にそれを乗っける。そうして視線を戻してみれば正面に座る彼女が同級生の二人でふっと笑顔をこぼしているのが見えた。

「そういえば楓知ってる? 後夜祭、先生たちがバンド演奏するんだって」

「そうなの?」

「噂だけどね」

「本当なら見てみたいかも」

 後夜祭がどうという話をしながら笑顔を交わす二人を見ながら、思う。

 本当に彼女は表情がよく動くようになった、と。

 出会った当初は怖がり警戒し怯えていたり、恐怖に涙をこぼしたりと、いい表情と呼べるものはなかなか見れなかった。それが最近、変わってきた。

 ついこの間までは笑顔も作り物だったけれど、今はそんなことは無い。迷ったように、申し訳ないと言うように笑う姿も確かにあったけれど、ここ数日は何かが吹っ切れたように表情が明るくなった。

 笑顔も増えた、言葉も増えた、目も合わせてくれるようになった。

 それはどれもいい変化で、だからこそソウの言葉を聞いて不安が募る。

 もしも、またあの時のようなことが起きてしまったら、彼女はどうなってしまうのだろう。

 元に戻ってしまう、なんてことはないかもしれないけれど、きっとまた自分を責めてしまうだろう。迷惑をかけることを嫌う彼女なら、またごめんなさいと口にするだろう。

 だから俺は視線を向けた。同じ気持ちを抱いているであろうソウに。

 けれどソウは、ニッと笑顔を浮かべると、心配するなと言いたげに学ランのポケットをガサゴソと漁った。そして今度は俺に耳打ちするではなく部員全員に向けて言った。

「そういや、文化祭の当番だけどこんなんでいい?」

 そう言ったソウは学ランから取り出した四つ折りの紙を円卓のど真ん中に広げる。ソウの声を聴いて、談笑していた彼女たちは会話を止め、黙々と作業をしていた真琴たちもその手を止めてそのプリントへと視線を向けた。

「とりあえず適当に組んだから、なんか都合悪かったら行ってくれ」

 言われて、俺も四人と同じようにそのプリントをのぞき込む。ソウとは同じクラスだから俺のクラスのシフトも知っているのでクラスの出し物のシフトと被るなんてことは無いだろう。俺からは特に言うこともないだろうなと思って見てみると、決してそんなことは無かった。

 一日目と二日目の一番最初、午前中一時間半ほどの時間帯のところに俺の名前があった。

 永沢さんの名と共に。

 俺は反射的にソウのことを振り返る。ジトっとした視線を向けてみると、ソウは今一度得意げな笑顔を浮かべた。

 どうやら先ほどのソウの自信ありげな態度はこれのことだったらしい。すぐに助けられる位置に配置してやったから心配するな、ということなのだろう。何一つ問題の解決に近づいてなどいないが依然ソウは得意げに笑っている。そしてそのまま机の下で親指を立てた。

『ナイスだろッ』

「…………」

 何一つ感心できずに絶句するしかなかった。

 もしも、ソウが俺のことを信頼してこんな役目を任せてくれたのならば、自信はないけれどそれなりに善処しようと前向きな気分にもなれただろう。しかし、今のソウの態度を見るに、またいらぬお節介を焼きたかっただけのように思う。

 まるで冗談半分に任命されたような気がして気分が落ちる。当然ため息も漏れた。

 今まで俺がしてきた恋愛に関する質問にもまともにとりあってくれなかったというのに、こういった不要な根回しには抜かりがないところを見るとため息だってつきたくもなる。

 昨日と言い今日と言い、こんなにもあからさまな態度で根回しされてしまうと彼女がその事を気付いてしまうんじゃないか、と不安に思いながら正面に座る彼女を覗う。もしかしたら嫌な顔でもされてしまっているんじゃないかと嫌な想像が浮かぶが、それでも彼女のほうを見た。

 彼女は、驚きに目を見開いていた。そして俺のほうを見て、どうしようと困ったように隣の同級生を見る。

 いきなりの挙動に驚いて固まっていると、溌溂とした声が響いた。

「いいんじゃないですか? 私も楓もクラスとはかぶってないので」

「ぇッ…………」

 立花さんが言うと、永沢さんは再び驚いて小さく机を揺らした。

 その拍子に彼女の手元にあった黒いテープが机から落ちた。

 彼女はそれに気づいて小さく声を上げたが、それよりも大事なことがあるとばかりに立花さんの耳に唇を近づけ何かを囁く。

「……え? 別にいいけど……。なんで?」

「ぇ…………」

 それを受けた立花さんは不思議そうに首を傾げる。すると永沢さんは虚を突かれたようにその場で固まってしまった。

「どうしたの、楓?」

「え、だって…………」

 突然の出来事に、俺たちだけでなく耳打ちをされた立花さんまでもが頭上にクエスチョンマークを浮かべる。永沢さんはそれに納得いかないと言いたげに声を上げようとするが、ちらりと俺に向けた視線が俺の視線と交わって言葉が止まった。

 物静かな彼女の、らしくない行動に部員全員がどういうことかと彼女に視線を向け続ける。すると彼女もそれに気づいたのか、どうしようと言いたげに全員の顔を見回してから、再び俺のほうを見た。

 しかし、俺は彼女の行動の理由がわからずに首を傾げることしかできない。

「予定あわない? ならいくらでも返れるから気にしないでいいよ」

 何も言えない俺に変わって声を出したのは部長のソウだった。彼女はその声に振り返り、焦ったようにその場で手を小刻みに動かす。

 けれど、しばらくそうするとはたと何かを思い出したように動きを止め、俺を、次いで立花さんを見てから小さく深呼吸した。そしてそうすると、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら、いつものように、静かな声音で言った。

「……すみません、クラスのシフト、覚えてなくて。でも、美香が大丈夫って言ってるので、大丈夫です」

 そう言い切ると、彼女はぺこりとお辞儀をした。騒がしくしてすみませんと言いたげに。

「そう? まっ、これでよさそうならこれで決めちゃうけど」

「はい、大丈夫です」

 ソウが確認とばかりに彼女にもう一度問うと、物静かな彼女は思いのほか明るいトーンで返事をした。

 俺は、彼女の挙動を見るにそれをうのみにはできなかったが、こんな風に話が収束してしまった以上それをもう一度掘り返すなんてことはできなくて、何も口にはできなかった。

 彼女の言葉が、全部が全部嘘だとは思っていない。けれど、何か違うものが混ざっていたような気がしてしまうのは確かだ。

 何度も俺のほうを見たことも、確認するように立花さんに問いかけたことも。きっとそれは、何か理由があったはずだ。

 けれど、それが何なのか、なぜそんな行動をしたのかはわからない。だから俺は妙なもやもやを抱えながら窓の外へと視線を向けた。

 するとその時、視界の端に円形の黒いシルエットが見えた。俺と永沢さんの机の間のところにあるそれは、先程彼女が落としたテープだ。

 俺はちらりと彼女が立花さんらと何か話している姿を見てそれに手を伸ばした。

「あ、すみませんっ」

 すると、椅子を引く後で気づいたのか、彼女が素早い動作で立ち上がる。

 ガタリと、机と椅子を鳴らしながら伸ばした彼女の手が、テープへと迫る。迷惑を駆けまいと思って焦っているのだろう、俺の動くスピードよりもはるかに速い速度で手が伸びる。

 けれど、俺が先に手を伸ばしていたから俺のほうが先にテープに手が届く。指先でそれに触れ、反射的につまみ上げようとする。

 しかしそれは後から覆いかぶさるように立ってきた手に阻まれてしまった。テープどころか、俺の手まで握ってきたそれは、当然彼女のものだ。

 俺は少し驚きながらも、そんなに焦らなくてもいいのにと思いながら彼女に苦笑いを浮かべようとした。

「――」

 けれど、俺の表情は苦笑にはならなかった。

 彼女の頬が、朱色に染まっていたから。

 頬どころか首元まで、それこそ熱が出たんじゃないかと心配になってしまうほど、彼女は顔を紅潮させていた。

 それに驚き、目を見開いたまま彼女を見つめていると、彼女のまなざしが、ゆっくりと俺へと向けられた。

 焦ったように、驚いたように振り返った彼女は。その赤い顔もそのままに、羞恥に苛まれたように瞳を潤ませていた。

 時が止まる。実際に止まったりはしないけれどそんな感覚だった。

 音も匂いも感じなくなり、ただ目に飛び込んでくる彼女の顔だけが鮮明に映る。おぼろげに彼女の手の感触も感じ始めたかと思ったときにはもう、彼女以外のものが何も見えなくなった。

 なんでそんな顔をする、そうは思わなかった。ただ純粋に驚いた。

 彼女がそんな顔をした事に、そんな顔を俺に向けたことにただただ驚いた。

「ッ……すみませんッ」

 しばしの間彼女と見つめ合っていたが、彼女は思い出したように奥歯を噛み、息を呑んで顔を逸らした。そのまま触れていた手も離れて行ってしまう。

 彼女と見つめ合ったのは、どれくらいの時間だっただろう。数える余裕なんてなかったけれど、決して長い時間じゃなかったと思う。ほんの数瞬数秒。手が触れていたのだって一瞬のことだったかもしれない。

 けれど、長く感じた。そしてそれでいて短くも感じた。

 気持ちの波に左右され、時間の概念すらもあやふやになりながら指先で微動だにしなかったテープを拾い上げる。そしてそっけなく「はい」と言ってそれを彼女のほうへと差し出した。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 礼を言った彼女は、こちらを見てはいなかった。

 彼女は注意を払って恐る恐る、テープの端をつまむように持って俺の手からそれを受け取る。俺はそれにこれまたそっけない返事を返して手を引っ込めた。

 引っ込めた指先には、彼女の熱が残っている。細すぎるくらいの彼女の、柔らかな指の感触が。

 俺はそれを再確認しながらその手を隠すように学ランの影へとしまった。

そうした時、それを遠くから見ていた一人が、ため息を吐いた。

「お前ら、仕事しろ」

「え、あ、ああ」

 言われて、真っ先に声を上げたのはソウだった。けれどいつものような笑顔を浮かべず、驚いた顔のままうわ言のように返事をした。

 それに続いて皆うわ言の様に「すみません」や「ごめん」などと口にして、自分の手元へと視線を落とす。

 その時、みんながみんな俺たちのことを見ていたんだということに気付いた。

 そのことに何か思ったりはしないが、見られていた事実と、みんなの反応を見てそうなんだと再確認した。

 だから俺は座りなおした時机の下でこっそりと、二人の友にある頼みをした。


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