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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 11

 真琴が帰宅して唸ること一時間。いつもは真琴が座っている教卓の前の椅子に腰かけた俺は、手も動かさずにひたすらのパソコンのディスプレイとにらめっこをしていた。

 どうしよう、全然進まない。そうに呟いてしまいそうになりながらも、このままではいけないと気分を変えるためにふうと息を吐く。

 しかしそれももう何度試しただろうかと考えた瞬間、体の空気を入れ替えるはずに吸い込んだ息がそのまま漏れ出した。結局気分は何一つ変わらず、残ったのはまだ書きたいことの半分しか書けていないデータ上の原稿と、一時間かけて何一つ進まなかった無力感だけだ。

「はぁ……」

 気が抜けてしまったからだろうか、必死に我慢していたため息が漏れ出る。

 やる気がないわけではないのに気力が続かない。書こうと思っても指が動かない。どうすればいいんだと思いながら突っ伏し、物言わぬ液晶に視線で問いかける。

「松嶋、休憩したら?」

 液晶の奥からそんな声が聞こえた。もちろん中からではない。液晶の奥、パソコンの向こう側にある円卓からだ。

 体を起こし、その声のした方を向く。そこには大丈夫かと問いかけるように俺のほうを見ている間城がの姿があった。

「あー、うん。そうするよ」

 俺自身、このままパソコンと二者面談していてもらちが明かないとは思っていたので間城の提案を素直に飲むことにした。

 ギィと嫌な音を立てながら椅子を引き、足を引きずるようにいつもの定位置に向かう。その間もほか四人は楽しそうに談笑している。

 俺はそれを少し羨ましく思いながらも、その楽し気な会話に入るほどの気力は残っていなかったので、ソウの真隣りの椅子を静かに引いて腰かける。

 あまり気を遣わせまいと気配を消してはいたのだが、それでも付き合いの長い幼馴染は俺の一挙手一投足ですべてを察したのか、俺のことをちらりと見るとおもむろに立ち上がる。

「ハル、なんか飲み物買ってきてやろうか?」

「え?」

 珍しく気を遣ったソウに驚いて声を上げると、ニカッとまぶしいくらいの笑顔が返ってくる。

「執筆中は飲み物片手にやらねぇとな」

「あー、なんか甘いものお願い」

「おうよ」

 財布を取り出してソウに差し出す。すでに立ち上がっていたソウは俺の財布を受け取り部室を後にする。脳が疲れ切っているからか、財布ごと渡してしまったがソウに悪用されることはないだろう。

 そう思いながら頬杖をついてふうと息を吐けば、斜め前に座る後輩が溌溂とした声を上げた。

「先輩、私パソコン使ってていいですか?」

「ん? いいよ?」

 力なく返せば立花さんはニコッと笑って教卓へ向かう。その後ろ姿を見るに真面目に執筆するという雰囲気ではないなと思いながらその背中を見送る。

「松嶋」

 すると話し相手を失って暇だったからなのか、円卓の対角線上にいる間城が俺を呼んだ。

「んぁ?」

 力なく振り返りながら疑問符を口にすれば、なんとも言葉にしにくい声が漏れ出る。聞き方によっては真琴の様にぶっきらぼうにも聞こえたであろうそれについて何か言われるかと思って待ち構えていたが、間城は気にした風もなく俺に問いかける。

「小説詰まってるの?」

「見てのとおりです」

 声どころか歩き方から何まで疲れ切っている自分を見てくれと手を広げて間城にアピールする。

「流れとかまだ決まってないの?」

「いや、それは決まってるんだけど」

「じゃあなにで詰まってるの?」

 苦笑いを浮かべて言うと間城は不思議そうに首を傾げる。俺はそれを見て少し言葉に詰まった。

 今手が止まっている理由は他でもない。ついさっき起きた出来事のせいだった。

 二年一組で行われていた告白。それのせいで何一つ文章が浮かんでこない。浮かんでくる言葉と言えば、どうして、くらいのものだった。

 なぜ、彼氏がいるのに断らなかったのか。それがわからない。いや半ば気付いてはいるんだ。その意味を。けれど理解したくない。

「考え事でもしてるの?」

「あっと……」

 気遣ってそう言ってくれたであろうことはすぐに分かったが、何と答えればいいのか迷ってしまった。

 ついさっき教室で告白してる人がいたんだけど、なんて話始めるわけにもいかないし、そもそも簡単に口にしていいものなのかと考えてしまう。

「描写とかそういうのじゃなければ聞いたげるけど?」

 俺の心を知ってか知らずか、間城は話してみろと言いたげに頬杖をついた。

 俺は少しだけ悩んで、こういう話は多分間城くらいにしかできないだろうなと思い至る。幼馴染と悪友の二人はまともにこういう話をしてくれないだろうし、真琴に関してはもうこの話には一切触れたくないと思うだろう。

 だから俺は、ぽつりぽつりと言葉を選びながら間城に問う。

「あーと……。恋人がいる相手に告白って、どうすればいい?」

「え、松嶋告白するの?」

「ごめんそうじゃなくて! 小説の話そう小説の話!!」

 間城の不思議そうな顔を見てから、自分が何を口にしたか理解して早口に言った。

 焦りながらも正面に座る永沢さんを見ると、不思議なことに彼女は目を見開いていた。それに驚いて俺も目を丸くすると誤魔化すように苦笑いを向けられる。

 今のは、どういう意味だろう。そう思いながら彼女のことを見つめるが苦笑い以外に返ってくるものはない。

 気になりながら見つめ続けると、彼女ではなく真横からギギギという音がした。見れば間城がソウの席を陣取って俺の話を聞く体制に入っていた。

「どういうことなの?」

「あー、いや……えっと、小説とか漫画の話なんだけどさ。もしも、もしも好きな人に恋人ができたりしたら。告白しようって思うものなのかな?」

「……なんか、松嶋にしてはドロドロした質問だね」

 間城が心底意外そうに目を丸くしたが、それには俺も同感だった。

 こんな質問をするなんて、俺自身想像もしなかった。俺ならもっと単純な、一対一の恋愛の話を口にするだろう。そう思う。

 けれど、だからこそ、想像もしなかったそれがどういうものなのか知りたい。彼氏がいるのに告白されて答えを保留するのはどうしてか。そうは聞けなかったけれどその糸口になりえる問いにはなったと思う。

 俺の問いに、間城は数瞬だけ悩むそぶりを見せたのち、軽いトーンで答えた。

「人それぞれじゃない?」

「いや、それはそうかもだけど……」

 拍子抜けするほど軽々とした答えに苦笑いを浮かべる。

 そんな俺を見て、間城は付け足すように言う。

「まあでも、する人はすると思うよ」

「……それは、けじめとかそういうために?」

 俺が問うと、間城は軽い調子のまま「んー」と悩むそぶりをした。

「それもあるんじゃない?」

「そっか……」

 間城なら、そんな風に言う気はしていた。相手に恋人がいないことを知っているとはいえ、勝ち目のない告白をした人なのだから、間城がそっち側だというのはなんとなくわかってはいた。

 ものすごい勇気のいることだとは思うけれど、それでもする人はいるんだなというのを改めて実感して心の奥底で感心の念を抱く。しかし、間城の言葉はまだ終わっていなかったようでぽつりと付け足された。

「あとは、まあよっぽどの自信が無いと無理だけど、奪って見せる、みたいな感じとか?」

「…………」

 それを聞いた瞬間、あの会話がリフレインした。けじめとして言いたかっただけだと諦めたように言った男子生徒を引き留めた声が。

「それって、どうなの?」

 気付いた時には、尋ねていた。そんな告白をして、されてどうなるのか。やっぱりわからなかったから。

「ほとんどの場合はうまくはいかないんじゃない?」

「ほとんど?」

 うまくいかないというのもどういうことか気になったが、それ以上に殆どと口にしたことが引っかかってそれをうわ言のように繰り返した。

 すると間城はどこまでも軽い感じで、自分には関係ないと他人事の様に口にする。

「だって、奪って奪われてって。それうまくいきっこないでしょ。だって恋人いる方からしたらその相手に本気じゃなかったりとか、条件だけ見て気持ちが移っちゃうようなものなんだし。そんなのじゃうまくいかないでしょ」

「恋人がいるのに、告白されてすぐに断らないって、どういう意味?」

「迷ってるんでしょ」

 食い気味に問えば、間城は当たり前のことの様に断言した。

「それって、やっぱり今の彼氏より告白してきた方がいいと思ったから?」

「彼氏? ……あー、どっちもどっちだから迷ってるんだよ」

 間城が一瞬不思議そうに首を傾げたが、すぐに納得したように声を上げると質問に答えてくれる。そしてやはりどうでもいいことのように付け足して言う。

「ま、うちはそういうのよくわかんないけどね。好きなら好きで、好きな人と付き合えばいいのにって思う」

「男らしいね」

「女らしいの」

 俺が言うと間城は不服だと言いたげに一蹴する。そしてそのまま少し恥ずかしそうに視線を逸らした。

「女の子は誰しも好きな人の一番になりたいものなんだよ」

「乙女チックだね」

「ハズイからやめて」

 俺がからかって言うと間城は手の甲でしっしと追い払うようなしぐさをする。それでも恥ずかしさは消えてくれなかったのか、間城は空気を変えるために咳払いをした。

「とにかく、松嶋の小説、どんな展開にしてもいいんじゃないの? 松嶋の書きたいように、松嶋にしたいようにすれば」

 俺が念押しした前提を覚えていてくれたのか、間城はそんな風にアドバイスをくれる。

「ありがとう」

 決してアドバイスを求めていたわけではないが、疑問に思っていたことが多少は消化できたことに感謝を伝える。

 すると間城はそれで満足したのか、いつかの様に達観した風に言った。

「好きな人に恋人とか好きな相手がいても。どうするかは本人次第だよ。告白しても誰も悪くないし、うまくいってもうまくいかなくても悪いことなんてない」

 それは、間城自身に向けて言っているようにも聞こえたけれど、後輩たちのいるこの場でそれを口にすることはできずに俺は黙ってうなずいた。

「人それぞれ自分で決めればいいんだよ。松嶋も好きに書いたらいいじゃん」

 まるで自分は小説を書きなれた、それこそプロの作家だとでも言いたげな雰囲気で間城が言う。それが間城本人のイメージと大きくずれていて苦笑いを浮かべた。

 それとほぼ同時、パソコンに向かい合っていた立花さんが「完成!」なんて大きな声を上げた。

 また何かのパクリなんじゃないだろうかななんて心配しながらも、俺は他人の心配をしている場合ではないことを思い出す。

「ありがとう、すっきりしたよ」

 俺は振り返って、幼馴染の定位置に座っていた間城に礼を言った。

 間城の言う通り、人それぞれなのかもしれない。あの女生徒も、どんな結末であれ決めるのはあの子だ。それを外野がとやかく言っても意味がない。真琴はあれを見て思うところがあったのかもしれないけれど、俺は疑問に思っただけ、それが解けた今、これ以上そのことを考える必要もない。

 そう思うと、頭が少し軽くなった気がした。

 疑問も解けた、ソウも差し入れを持って帰ってくる頃だろう。そろそろ書けるかもなんて思って、俺は立ち上がるために椅子の背もたれに手をついた。

 けれどその瞬間、消え入りそうな声が聞こえてきた。

「自分で、決める……」

 声の主は、前髪で顔を隠していて表情はうかがえなかった。


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