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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 9

 部活動が解禁されるテスト最終日。午前中にはテストも終わり解放された俺たちは、まだ昼食も済ませ文芸部に集まり、いつものようにグダグダとしゃべっていたのだが、

「ではそのようにお願いします」

 久しぶりに顔を出した顧問の先生が、神経質なまでに丁寧な口調でそう占めくくる。

 それに返事をするものは一人もいなかったが、気にするそぶりも見せずに先生は部室を後にした。

 数瞬、時間が止まったかのような間があった。きっとみんながみんな同じことを思ったからだろう。皆無言のまま、俺の左隣にいる真琴を見つめた。

 真琴はあからさまに視線を逸らしたが、そんなささやかな抵抗では口を開きかけたソウは止まってはくれない。

 俺の幼馴染はニカッと笑うと、顔の前で手刀を作って肩をすくめた。

「ってわけで文化祭の部誌なんだけど、全部パソコンで打ち直してくれ」

「嫌だ」

 ノータイムで否定の言葉が返ってくる。けれどソウは悪びれた様子もなくハハハと笑って真琴に詰め寄る。

「いや頼むよマジで」

 しかし真琴はまるで害虫でも寄ってきたかのように嫌悪感溢れる視線をぶつけると、椅子をガタリと鳴らして数歩距離を取った。

「なんで俺が全員分の原稿をパソコンに書き直さなきゃいけないんだよ。自分でやれ」

「あっははー」

 真琴が口にするなりソウは乾いた笑顔を浮かべた。

 それは俺も同じで、苦笑いを浮かべる。俺の正面では悪いことなど何もしていないのに永沢さんがうつむき気味に真琴の様子をうかがっている。

 彼女の気持ちも、わからなくはなかった。俺も内心申し訳ないとは思っている。けれど、こうなってしまった手前、真琴に頼むしかなくなってしまったのも事実なのだ。

 文化祭も来週末に迫った今日この日。珍しく顔を出した顧問はねぎらいの言葉や部誌の進捗を聞くでもなく、ただ機械的に指示を出してきたのだ。部誌に掲載する作品をすべてパソコンで打って統一するようにと。

「なあ頼むよー」

 ソウは嫌な顔を浮かべ続ける真琴に必死で頼み込む。しかし真琴はため息を吐くだけで首を縦には振らない。

「絶対に嫌だ」

 断固拒否する真琴に、ソウも困り笑い。その外側でただ見つめているだけの俺たち四人は何とか真琴が折れてくれないものかと願っている。

 けれど、そんなものが真琴にとどくはずもなく、いきなりやってきた締め切り間近の仕事としつこく縋り付くソウに向けて苛立ちをあらわにしながら吐き捨てるように言う。

「そもそも、完成してないやつだっているだろ」

「ぅっ」

 真琴が口にした瞬間、喉の奥に何かがつかえた。俺がそれを飲み下せずにいると、ソウがふっと笑う。

「まあそれでももうみんな終盤だろ。完成してるやつから手を付けてくれりゃいいからさ」

 フォローのつもりで言ってくれているのだろうが、この中で一番進みが悪いと言っても過言ではない俺は、名指しされているかのように肩身が狭くなる。

 そしてやはり、真琴は断固として首を縦には振らない。

 それもそうだろう。文化祭まで残り一週間弱。その間に六人とは言え部員全員分の原稿をパソコンで書き直さなくてはいけない。さらに文化祭まで一週間弱ということは、それよりも前に印刷して本にしなくてはいけないのだ。一週間どころか数日で書き上げなくてはいけない。

 そんな大変な役目を進んでやりたいなんて思うはずがない。真琴ならなおさらだ。

「俺はもう書き終わってるから誰かがパソコン使って書けばいいだろ」

 真琴が視線で教卓の上にあるノートパソコンを指し示すが、ソウは笑顔で返す。

「この中ならマコが一番慣れてるだろ。頼むよー」

 ソウは笑顔のまま、真琴に縋りつく。ソウの言う通り、この中でパソコンの扱いに最も長けているのは真琴だ。

 細かい機能の話になると俺たちと大差はないかもしれないが、事タイピングに関しては真琴の右に出る者はいないだろう。後輩たちの腕前は知らないにしても、毎日のようにパソコンで文章を書き連ねている真琴に頼む流れになるのは当然のことだ。

 しかし当の真琴は、自らの体にしがみつこうとしたソウをひらりとかわしながら寄るなとばかりに距離を取る。そしていつものごとくため息を一つ。

「マコ頼む、マジでッ」

 それでもソウは諦めずに真琴に寄って行く。

 両手を合わせてひたすら頼み込む。大して気持ちも籠っていなそうな、軽薄にも見える笑顔を携え頼むというよりは拝むといった方がいいほどに手をすり合わせている。

「……はぁ」

 すると真琴は大きなため息を吐く。これ以上時間を無駄にしたくないと、あきらめと妥協に満ちたため息を吐き出すと、我が部のデジタルライターは不服だと言葉尻ににじませながら妥協案を口にした。

「完成してる奴だけならやってやる」

「じゃあ俺の頼むわ」

 真琴が口にするや否や、ソウは俺の隣の席へと戻って鞄をあさった。あまりの変わり身に真琴が再びため息を吐くが口にしてしまった以上仕方ないと思ったらしく、それ以上何も言わずに俺の隣で鞄を漁っているソウに無感情な視線を向けている。

「んじゃ、ほかにも完成してる人がいたら出してくれ」

 鞄をあさりながらソウが言う。文化祭まではもう十日を切っている。この場で全員が原稿用紙を差し出しても何の不思議もないのだが、ソウの呼びかけに答えるものは一人もいなかった。

 俺は声も出せずに苦笑いするだけ、立花さんは自分には関係ないとばかりにそっぽを向いている。永沢さんも申し訳なさそうに俯くばかりだ。

 そんな俺たちを見もしないで、鞄から原稿用紙を取り出したソウが笑顔で言う。

「あっはは、みんなまだ未完成か」

 図星の俺は何も言えずに苦笑いを浮かべた。

 後輩たちからも、返事はない。それを肯定と受け取ったソウは「んじゃ」と真琴に振り返り、手を目いっぱい伸ばして俺の背中越しに原稿用紙を差し出した。

 小説を書きなれている友人二人を肩越しに見ながら、俺はふうと息を吐く。

 二人は小説を書くことに慣れているから当たり前のようにこんなやり取りをしているのだが、そのほか四人はそうはいかない。

 二人とは違う。そう簡単に書き切れるものではないのだ。手を付けてみてその難しさをようやく理解した。二人が息をするように作り上げていた数々の作品は、すさまじいの労力を費やしてできていたのだと思い知らされた。

 だから、二人以外が原稿用紙なりなんなりを差し出さないのはわかり切っていた。

 しかしそんな中、たった一人だけパサリ音音を立てて数枚の紙束を差し出した人がいた。

「うちのもお願いするね」

「おっ、はいよ」

 ソウが間城それを受け取り真琴へ経由する姿を見ながら、俺は目を見開いていた。

 いつもバイトばかりであまり部室に顔を出さない間城が真っ先に原稿用紙を渡したことに少なからず驚きがあったからだ。

 去年の今頃。間城はバイトにばかりかまけていて、まともに部活動に参加していなかった。それまでも物語どころ歌詞やポエムすら書いたことのなかった間城は、わざわざ部誌に参加しようとも思わなかったのだろう。俺と一緒で、ソウに書けと強要されるまでは全く手を付けていなかった。

 そんな様子だったから、間城が作品を完成させたのは印刷日当日とかだったはずだ。だから、意外だと感じた。

 ここ最近あまり部活に顔を出していなかった間城が、ソウと真琴に続いて作品を作り終えていたことが。

 普段の様子やここ最近の進捗状況を鑑みるに、二人に続いて仕上げてくるのは永沢さんあたりだと思っていたからというのもある。

 そう思いながらちらりと永沢さんのことを見ると、ソウも同じことを思ったのか同じように彼女に視線を向けて声を投げた。

「楓ちゃんは、まだ完成してない?」

「あ、すみません。あともう少しなんですけど……」

 申し訳なさそうに頭を垂れて尻すぼみな声で謝罪代わりの言葉を口にする。ソウはそれを見て「いいよいいよ」と笑顔で返す。

 それでも迷惑をかけることを嫌う彼女は気にしてしまうのだろう。小さな声ですみませんと口にする。

 ソウはそれに屈託のない笑顔で返すと、俺たちのほうへと視線を向けた。

「大丈夫だよ、ハルよりは進んでるし」

「あはは……」

 名指しで言われ、俺は苦笑いを返すしかできなかった。

 テスト前に書けると根拠のない自信を得てからはや一週間以上。決して全く進んでないということはないのだが、それでも完成まではようやく折り返し地点というところ。テスト前に聞いた永沢さんの進捗にも届いていない。

 からかうように口にしたソウだが、それでもその瞳には不安の色が少なからず見て取れた。ちゃんと間に合うのかと、心配しているのがひしひしと伝わってくる。

 それは、俺の右斜め前にいる後輩にも向けられていた。

「美香もなんか書かね? ほんと短いのでいいからよ」

「うぇ……」

 ソウに言われるなり、立花さんは吐き気をもようしたとばかりにうめき声をあげた。その姿がテスト前の俺とよく似ていて苦笑いが漏れる。

 すると立花さんは心底面倒だと言いたげなけだるいトーンでソウに言う。

「今からじゃ完成しないですよー」

「詩とかそんなのでもいいからさ」

 励ますようにソウが言うが、立花さんは今更無理だと言いたげに唇を尖らせた。そんな彼女の様子にまたしても乾いた笑みを浮かべると、俺の正面でふっと噴き出す音が聞こえた。

 見てみれば、永沢さんが優しい笑みを浮かべている。いつか見た、穏やかさをそのまま張り付けたような笑顔ではなく、心の底から、意識せずに漏れ出た表情で。

 それを見た俺は、驚きと同時に安らぎにも似た何かを感じながら思う。

 ああ、彼女はこんな風に笑うんだと。

 出会ったころ、思いのほか明るく笑う姿を見て、もしかして彼女はもともとそんな明るい性格なんじゃないかと思ったことがあった。けれど今ならそれが間違いだったんだとわかる。

 あの時の笑顔は、周りに気を遣わせまいと飾り付けた仮面に似たようなものだったんだ。

 迷惑をかけることを嫌い、気を遣わせてしまうことを嫌い、自分のために何かをしてもらうことを嫌がる彼女は、声をあげて笑うのではなく、誰にも気づかれないように、気付く暇もないほどに、小さく、静かに微笑むのだ。

 俺は彼女のそんな一面を見て、自然と頬が緩んだ。

 そして同時に、思う。やっぱり、俺は彼女に惹かれているんだと。

 恥ずかしげもなく、そう思った。思えてしまった。

 だからより一層俺の頬は緩み、口角が気持ち悪く湾曲する。それを隠そうと口元を手で覆い、そのことを悟られまいと頬杖を突くふりをする。

 気付かれまいと、精一杯隠す。

 恥じることなど何もないのに、隠してしまう。

 自分自身の行動なのに不思議で、つい噴き出してしまいそうになる。

 自分の気持ちがわかるだけに、この行動がおかしくて仕方ない。きっと俺が部誌に掲載しようとする作品が恋愛ものであったなら、こういう思ったことをそのまま書き出していたんじゃないだろうかと、意味のないことを考えた。

 そんな穏やかな気持ちに浸っていると、俺の斜め前に座る後輩が大きな声を上げた。

「わかりました! じゃあ今から書きます! すぐ書き終われば原先輩に頼めますよね?」

 言いながら立花さん勢いよく真琴のほうを向く。

 それに対して真琴はそんなこと言ってないとばかりに顔をしかめるが、立花さんは関係ないとばかりにソウから事前に渡されていた原稿用紙を取り出してシャーペンを叩きつけるように何かを記し始めた。

 俺たちは明らかに形だけで終わらせようとしている立花さんに若干の苦笑いを浮かべた。

「陽人」

「ん? なに?」

 抑揚の無い低い声に振り返ると、いつの間にか椅子に座りなおしていた真琴が俺を見ていた。

 いきなりどうしたんだろうと思いながら不愛想な友人を見上げていると、その視線がちらりと俺からそれる。

「お前、今日からパソコン使って書け」

「え?」

 言われて真琴の視線の先を見やれば、いつも真琴が我が物顔で占領している教卓が目に入った。そしてその上には当然、見慣れた古い型のノートパソコンもある。

 目線の先にあるあれを使えということだろう。それはすぐに分かった。しかし俺は首を傾げる。

「真琴はどうするの?」

 真琴はソウと同じでもう作品をかき上げている。もともとパソコンで書いていたため今更書き直すということもないだろう。

 しかし、ソウと間城の小説は別だ。二人の小説は原稿用紙に記されている。真琴はそれを今からパソコンに打ち直さなくてはいけないのだ。もし俺がパソコンを使ってしまえば真琴はその作業をすることが出来なくなってしまう。

 そう思って尋ねたのだが、真琴は心配いらないとばかりに学ランのポケットをあさった。

「……真琴?」

 しかし何かを取り出すために突っ込んだはずの手はそのまま動かなくなってしまい。代わりにポケットへと向けられた視線が俺のほうへと向けられる。

「USBでデータ持ってくる」

「あー、家に忘れた?」

「教室」

 その言葉を聞いて苦笑いを浮かべた。少し間抜けだ。それを口にすれば拗ねられてしまいそうなので黙ってはいるが、そう思わずにはいられなかった。

 俺が力なく笑みを浮かべていると、突如大きすぎる声が響いた。

「できました! これで大丈夫ですよね!」

 その声を鬱陶しいと思ったのであろう真琴は睨むように目を細めて、ついさっきまで原稿用紙と格闘していた立花さんのことを見る。対して彼女はそんなの気にしたそぶりもなく今しがた書き終えた原稿用紙を笑顔で差し出す。

 真琴はうざったそうにその原稿用紙を見下ろしながら、ふんだくる様にそれを手に取る。

 そしてチェックするとばかりにその場でそれに目を通し数秒。ため息とともに真琴はその原稿用紙を突き返した。

「却下」

「なんでですか!?」

 没にされたのが気に食わなかったのか、立花さんは声を荒げた。そんな彼女に対して真琴は興味なさそうに淡々と理由を告げる。

「歌詞丸パクリ」

「…………」

 真琴が口にするなり、立花さんは目を逸らしてしまう。それを見て俺だけでなく部員全員が苦笑いを浮かべ、真琴はため息を吐いた。

「陽人、間城と総の分はやる。あとはお前がやれ」

「え、間に合う気がしないんだけど……」

 自分の分だけならばなんとかなりそうではあるが、後輩二人の分もパソコンに落としこまなくてはいけないとなると不安しかない。パソコンを使いなれているわけではない俺は焦りと不安を募らせる。

 しかし真琴は心配するなとばかりにぶっきらぼうに付け足す。

「終わり次第俺もやってやる」

「あ、それなら……」

 真琴が手伝ってくれるというのなら安心できる。大丈夫だという確証まではないけれど、肩にのしかかる重みは大分軽くなった。

 ほっと胸をなでおろしていると、真琴は無言のまま踵を返す。そしてそのまま振り返りもせずに廊下へと向かっていく。

「じゃあ、俺も書き始めるよ」

 俺はそれを横目に立ち上がり、教卓の上のノートパソコンを見据えた。

 真横で「がんばー」とヤジを飛ばすソウを無視して机の横にフックにかけてあった鞄を漁り、ついこの間から鉛の色が付き始めた原稿用紙を取りだろうとする。

「あれ?」

 しかし、テスト期間で大して物の入っていない学生かばんから目当てのものが出てこない。嫌な予感を感じながら鞄の口を閉じると一つ息を吐いて、今まさに部室のドアを閉めようとしていた真琴の背中を見た。

「……教室行ってくるね」

 隣で頬杖をついていたソウに言いながら苦笑いを浮かべた俺は、そのまま小走りに教室に向かった。


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