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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 7

 「えぇっ!?」

 俺が尋ねた瞬間、彼女が飛び上がる勢いで顔を上げた。

 突然の事態に俺のほうが驚いて後退りながら慌てて付け足す。

「あ、ごめん変なこと聞いたよねっ? 言いたくないなら全然大丈夫だから!」

 早口でまくし立てながら額に冷や汗が浮かぶのがわかった。

 今更ながらになんて質問をしているんだと自分を糾弾する。

「本当にごめんね」

 言いながらまた一歩後退る。そのまま踵を返してしまおうと軸足に力を込めた。

 しかし俺の思惑に気付いたのか、彼女の声がそれを遮った。

「あ、先輩待って、ください……」

 慌てたように言う彼女だが、やはり言葉は尻すぼみ。視線もまた足元へと落とされてしまう。

「あ、何かな?」

 体を半分そっぽへ向けたまま、かすかに喉を震わせながら尋ねた。

 すると彼女は数度深呼吸を繰り返し、意を決したとばかりに俺の顔を見た。

「話せることは、お話しします、ので」

 何を話そうかと考えながら口にしたのか、言葉ははっきりとはつながらずにフェードアウトしてしまう。彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめ、視線を泳がせた。

「あ、えっと。ありがとう」

 そんな彼女の表情が妙に色っぽく感じて、俺もとっさに視線を逸らした。頬が熱くなったことに気付いて、彼女に見られていないのをいいことにそのまま口角を歪めた。

 けれどそのまま言葉を発してしまえば気色の悪い響きになってしまいそうで、俺は体の向きを戻しながら深呼吸した。

「あ、えっとじゃあ……。永沢さんの好きな人を教え……ごめん! 昔好きだった人がどんな人だったか教えてもらえる?!」

 途中まで口にしたところで彼女の瞳が大きく見開かれたのを見て慌てて言い変える。

 どんな質問をしているんだと三度思いながら俺はため息を吐きそうになる。

 彼女の好きな人を尋ねるなんて俺はどうかしている。もちろん興味がないわけじゃない。むしろ気になり過ぎるくらいだ。しかしそれを聞くのはあまりに愚かしい。

 もし聞いてしまって、俺の知らない相手の話でもされてしまえば、告白する前に失恋することになってしまう。そんな恐ろしいことは想像もしたくないし、そんなことが起きるような言動を俺自身がするのはなお恐ろしかった。

 そんな危機感も相まって、俺の口調から焦りがにじみ出ていた。

 しかしそれが彼女にとっては良かったのか、驚いたように目を見開くと少し視線を下ろして考えるようなしぐさをする。あからさまに視線を逸らされたり慌てられたりしなかったことで俺も多少冷静になることが出来た。

 俺は一つ息を吐いてからもう一つだけ付け足す。

「こういう人がタイプとか、昔こんな人に憧れていたとかそういうので大丈夫なんだけど」

 人のプライベートに土足で踏み込んでいく自分の言動に苦笑いを浮かべながらも、謙虚さを滲み出させて言う。

 今彼女の好きな人を尋ねても、男嫌いが多少残っているであろう彼女からそれらしい答えは返ってこないだろう。だから過去の、幻想じみた理想でも構わないからと、深く考えなくても大丈夫だからと伝える。

 すると彼女はしばし間をおいてからちらりと俺のことを見た。

「……?」

 何かを伺うかのようなその視線の意味がわからず首を傾げると、彼女はぱっと視線をそらしてしまった。

「永沢さん?」

 なおも首を傾げて見せれば、その口元が引き結ばれたのがわかった。

 息を呑む、というよりは奥歯をかみしめるような様子に俺は少し戸惑いながら、もう一度彼女に無理強いはしないと伝えようとした。

 しかし、それより数瞬早く彼女はふうと息を吐くと俺をまっすぐに見つめた。

「えっと、片思いとかで、良いのであれば」

 心なしか彼女の表情が変わった気がした。笑顔を浮かべたわけでも、涙を流したわけでもない。苦笑いを浮かべながら、ためらいがちに口にした彼女の何かが変わった気がした。

「あ、全然大丈夫だよ。……本当にいいの?」

 そんな彼女に多少の戸惑いを感じながら尋ねると、小さい頷きが返ってきた。

 その小さな動きが彼女らしくて、つい先ほどの感覚は気のせいだったのかと思って息を吐く。そして同時に、男二人の前で過去の恋愛を根掘り葉掘り聞かれている彼女の現状を鑑みて俺は背後へと声をかけた。

「じゃあ、ここだとあれだし、どこか別の場所で……あれ?」

 しかし振り返ってみるとそこには誰もいない。つい先ほどまでいたはずのソウの姿が見当たらなかった。どこに行ったのだろうと思ってあたりを見渡してみてもそれらしい人影は見当たらない。

「…………えっ」

 数秒遅れて理解すると。俺の口からそんな声が漏れた。

 どうやら俺の幼馴染は俺と永沢さんがしゃべっているのをいいことに、とっとと帰ってしまったらしい。

 ニヤニヤと笑いながら帰路に付いたであろう幼馴染を恨めしく思いながら呆れてため息が漏れる。

「あの、先輩?」

「あ、ごめん。なんかソウの姿がなくて」

「……あっ」

 言うと彼女もソウがいないことに今気付いたようで、小さな口を丸く開けて声を上げた。

 俺は彼女にたははと苦笑いを返す。そしてそのままためらいながらも提案した。

「えっと、じゃあ、帰りながら聞いてもいいかな?」

 帰る道すがら恋愛経験を尋ねるというのもどうかとも思ったが、明日からテストが始まってしまう以上彼女をあまり拘束していられないと思いそう口にする。

 すると彼女は下駄箱へと視線を向けて、人影がすっかり消えてしまっていることにまた声を上げ、俺と同じくためらいながらも口にした。

「その、先輩方向が」

「駅まで一緒に帰るのはダメ、かな?」

「あ、えっと……」

 彼女は少し悩むそぶりを見せる。けれどそれも一瞬のことで、頭を振ると笑顔を浮かべた。

「駅まで、お願いします」

「……うん」

 彼女が素直に頷いてくれたことが嬉しくて、俺は笑顔で頷いた。

 以前なら、彼女は気を遣ってそんなことは言わなかっただろう。迷惑だからとか口にして、この場でさっさと話してしまおうとしただろう。

 だから、俺はそのことが嬉しくて、頬を緩ませた。

 彼女と一対一の会話は、賑やかとは呼べないしはた目に見て楽しそうにも映らないかもしれない。

 それでも、夏に比べればよほど、その距離は縮まっていることに気付いたから。

 だから俺は少し跳ねた足取りで、彼女と共に昇降口を後にした。

 彼女と最後に帰路を共にしたのは、まだ日差しの強いころだったのを思い出しながら。


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