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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 6

 いよいよ明日から定期テストが始まる。クラスでは口々に勉強してないなんて不幸自慢にも等しい会話が繰り広げられている。

 そんなお祭り最後ともいえる日の放課後、俺は昇降口で足を止めていた。

「あっ」

「あ、えっと……」

 俺の声と彼女の戸惑った声が重なる。自販機の前で向かい合う俺たちの周りではほかの生徒たちはするすると通り抜けて外へ歩いていく。しかし、俺たちは互いにすくんでしまったかのようにその場から動かない。

 一瞬、呼吸が止まり、それとほぼ同時に胸の内に暖かいものが広がっていくのを感じて自然と頬が緩んだ。

「一週間ぶりだね」

「あ、そのっ……」

 にやけそうになる顔を微笑みのラインで止めて問いかける。しかし、そんな俺に対して彼女はその場でもじもじとするばかりで意味を持つ言葉を返してはくれなかった。

 焦ったように足元に落とした視線を左右に振り、前髪を揺らしながらチラチラと申し訳なさそうに俺の様子をうかがう。

 今までにない反応に俺は首を傾げるしかできない。

「どうかした?」

「あっ……」

 不思議に思って聞いてみると彼女は何を言うでもなく顔を俯けてしまう。

 どうしたものかと思って首を捻っていると、ついさっきまで俺の数歩先を歩いていた幼馴染が屋外との境目から顔を出した。

「どしたんハル? さっさと行こう――」

 首を傾げながら顔を出したソウだったがその言葉は終わりまで続くことは無く、途中で時間を止められたかのように固まってしまう。

 俺は三度首を傾げ、ソウに奇行の意味を問うとその表情がぐにゃりと歪んだ。

 今にも吹き出しそうに頬を膨らませた幼馴染は口元に手を当てて心底愉快そうに言う。

「お邪魔しました。お幸せにー」

「なんで帰ろうとするの……」

 言うなり頭を引っ込めて姿を消そうとしたソウを制止するとニヤニヤとぶしつけな笑顔を浮かべながら俺の傍まで寄ってきた。

「いや、二人がいい雰囲気だったから帰ろっかなって」

「楽しそうだね……」

 呆れながら言うと、ソウはもちろんと言いたげに小さく親指を立てた。

 俺はそれにため息を返しながら改めて永沢さんに向き直る。

「永沢さん、ソウの言ってることは気にしないで?」

「あ、えっと、はい」

 今度は何とか受け答えらしいものが返っては来たが、それでも彼女はまだ戸惑いがちに視線を逸らしたままだ。頭を俯けているせいで前髪で顔が隠れてしまっていて表情がうかがえない。

「ごめんね、帰り急いでる?」

 呼び止めたわけではないけれど、ここに拘束してしまったことが何か不都合だったのかと思って彼女に問いかけると彼女は慌てたように頭を横に振った。

「あ、そう?」

 もしかして気を遣っているだけかもしれないと思って首を傾げて確認してみたのだが、大きくうなずいてくれたのでどうやら杞憂らしい。

 とりあえず不都合なことがなくてよかったと安堵しながらも、胸の奥でもやっとしたものがわだかまる。

 不都合な事情がないのなら、なんでそんなにも目を合わせてくれないのだろう。もともと彼女は目をまっすぐ見て堂々と話すようなタイプではないけれど、今日はそれと比べるまでもなく異常だった。

 そう思って前髪で隠れた彼女の顔をじっと見つめる。時折前髪の隙間から視線が合いそうになるが、そのたびに彼女の前髪が揺れて視線が合うことは無い。

 まるで避けられているような彼女の挙動に少し胸を痛めながらそういえば、と思う。

 ここ最近、彼女とまともに目を合わせていない。

 テスト間近で部活動がないからということもあるが、その前から彼女と目を合わせていない。具体的には十月に入ってから。あの台風が過ぎてからだ。

 あれから、彼女はどこかよそよそしくなった気がする。部活中も目線を合わせてくれないし、会話のテンポも少しずれる。何より彼女から俺に話しかけてくれることが一切なくなってしまった。

 なぜかはわからないけれど、彼女は何かに気を遣っているようだった。

 前は、頻度は決して高くはないけれど話しかけたりしてくれたのにな、なんて女々しく感慨に浸っているとソウがポンと俺の肩を叩いた。

 何事だと思って振り返るとソウはニッと歯をのぞかせる。

「ま、二人でゆっくり話せ」

「え、ちょッまってよ!」

 言いながら踵を返した幼馴染の肩を掴んで引き留める。するとソウはわざとらしく笑いながら「ハナセヨー」と棒読みで口にした。

 言葉と態度は白々しいのに、足に込められた力だけは緩めるつもりがないのか俺に肩を掴まれた状態のままソウが体を屋外へとめり込ませる。

 この愉快犯はいったい何がしたいんだと思いながら力を込めてソウの肩を掴むと、そのまま背後にいる彼女に振り返る。

「引き留めたみたいでごめんねっ。じゃあまた――」

「楓ちゃん、テスト勉強どんな感じ?」

「…………」

 俺が別れの挨拶を口にしようとした瞬間。ソウが体の向きをくるりと変えて彼女に向きなおる。それどころか彼女に方へ歩み寄りすらした。

 いきなりの方向転換に俺の手は振り払われ、力なく空を掴んだ手をそのままに俺は幼馴染をジトっとにらんだ。

 なんでそんなにいきなり態度が変わったんだと思いながらソウのことを睨み続けてみるが、ソウは俺の視線など気にも留めずにいつもの通り歯をのぞかせた気持ちのいい笑顔浮かべている。

「あ、自信はないですけど、勉強はしてます」

 すると彼女は、戸惑いがちではあるがその笑顔に答えるように視線を上げ、ソウと眼差しを交わしながら返事をした。

 そのことに内心どろりとした感情を募らせながらソウのことを見つめる。

「楓ちゃんなら大丈夫っしょ。そもそも赤点取るような奴は文芸部にいないだろうし」

 言いながらソウが俺のほうを振り返る。ソウは、彼女との会話が楽しいのか声を弾ませている。いつものことなのにそれが少し気に入らなくて表情筋が固くなるのを感じた。

 それに気付いたというわけではないだろうが、永沢さんがソウとの会話のさなかで俺のことをちらりと確認するように見る。ほんの一瞬の視線の交錯に胸を高鳴らせて笑顔を返すと彼女が息を呑んだのがわかった。

 すると瞬きの間もなく彼女の頬がほんのりと朱色に染まり、かと思ったらそれを隠すように勢いよく顔を俯けてしまう。

 何か顔を合わせたくない理由があるのかと思って少しチクリと胸に痛みを感じながら俺は苦笑いを浮かべた。

 そうしたとき、ソウが「あっ」と声を上げた。

「そういや、ハル小説書けてんのか?」

「……ソウ、明日からテストなんだからそれ終わってからにしようよ」

 いつでも小説のことばかり考えている幼馴染に呆れながら言うとはははと笑い飛ばされた。

「書けてねぇんなら取材でもしたらどうだ?」

「あー、してみようかなとは思ってたけど……」

 口にするなり、語尾がどんどんしぼんでいってしまう。

 先日もう一人の後輩には取材らしいようなことはしたにはしたのだが、まったく成果が得られなかった。答えはもらいはしたのだけれど、それに関する説明を受けることが出来なかったのでそれが何かの役に立ったかと言われれば、悩みの種が増えてしまったことくらいだった。

 だから、取材をしよう思っていた気持ちも薄れてきてしまっている。

 そもそも人に恋愛経験や恋に関する観点を訊くことだけが取材ではない。どこかに出かけてそこで見たものを書いたりしてもいいのだろう。それこそ江ノ島の時の様に。

 それはソウもわかっているだろうに、俺の幼馴染はニヤリと笑って俺の肩を叩いた。

「んじゃあ、今しようぜ」

「え、今?」

 いきなり言われて素っ頓狂な声を上げてしまう。けれどソウは笑顔のまま「今今、ここで」と視線で彼女を示す。

 遊び半分に面白がってやっているなというのが伝わってきて苦笑いが浮かんでしまうが、視線を向けられた彼女がどうすればいいのだろうとこちらをチラチラと見ていたので無視するわけにもいかずに向き直って言う。

「えっと、取材させてもらっても、いいかな?」

「あ、えっと……」

 俺が訊くと、彼女は視線をそらしてしまった。彼女の様子に、良い答えはもらえそうにないなと思って苦笑いを浮かべる。

 本当に、どうしてしまったんだろう。彼女との距離感がつかめない。決して仲が悪くなったわけではないと思う。けれどなんとも言えないこの空気に戸惑いを感じてしまう。あの台風に一件で、より親密な関係になれたかもしれないと思いあがっていたからなおさらだ。連絡を聞きそびれていたころに戻ってしまったかのようなぎこちない関係に胸が痛む。

 もしかしたら嫌われるようなことをしてしまったんだろうか。そう思って再びため息を吐くと俯いた彼女がとても小さな声でぽつりと呟いた。

「わ、私でよければ、いくらでも……」

「あ、うん。あ、りがとう……」

 断られると思っていた手前、うまく言葉がつながってくれなかった。吐息のテンポも乱れながらお礼を言えば彼女は小さく「いえ」と返してくれた。

「先輩には、お世話になったので……」

「あ、そんな、気にしなくても」

 主語は無かったけれど、彼女のその言葉が何を指しているのかは容易に想像できて俺はすぐさま手を振った。

 お世話、なんていうほどのことは何もしていない。ただ一緒に居ただけ。たまたまその場に居合わせただけだ。彼女の涙を止めることどころかぬぐうこともできずに、ただ手を握られていただけ。

 今月初めのことを思い出して、手が熱を帯びる。それはあの時感じた温度を思い起こさせて、無性に恥ずかしくなった俺はごまかすように学ランのポケットに手を突っ込んだ。

 けれど、そのせいでポケットに入っていた薄い布に触れてしまう。

 それが余計にその時のことを思いを越させて、俺は恥ずかしさに目を逸らす。

 けれどそこでふと思った。ここ最近の彼女の態度はもしかしてと。

 直接聞くのは勇気がいる。そもそもソウがいるこの場でそのことを訊くのは良い事とは思えない。

 けれど聞かずにはいられない。今この状況の理由がそれならば、尋ねずにはいられない。

 だから俺は一瞬だけためらってから、言葉を曖昧にぼやかして彼女に尋ねた。

「もしかして、最近よそよそしかったのって。そのことを気にしてたから?」

「え、よそよそ、しかってですか……?」

 尋ねてみれば、彼女は言葉ではそんな風に言われると思っていなかったと訴えたが、視線を逸らしたところを見るとそれなりに自覚していたのだろう。だから俺はあくまで意味をぼやかしたまま言葉を続ける。

「いや、俺が勝手に思ってただけだけどね。……もしかしたら、迷惑かけちゃったとかそういうふうに思ってたのかなって」

 自意識過剰な思考にあははと苦笑いを浮かべると、彼女は慌てて両手を振った。

「あ、えっと、そうじゃなくて、ですね……」

 慌てたからか、さっきまで逸らされていた彼女の瞳が俺をとらえる。それは同時に、俺の瞳にも彼女が映ることを指している。

「あっ、その……」

 目が合うと、彼女はぴたりと動きを止めた。

 そして数秒かけて瞳を揺らしながら俺を見つめるとやはり戸惑いがちにぽそりと呟くように言った。

「先輩に、嫌な話をさせてしまったと思って……」

 それを口にするのが恥ずかしかったわけではないだろうが、彼女は頬を赤らめ俯いた。

「あ、本当に気にしなくていいんだよ?」

 視線を逸らした彼女に言う。しかし、彼女は顔を上げてはくれない。前髪に隠れた表情もうかがい知れない。

 気にするようなことではない。それは本当に思っていることで、彼女を気遣ったりしているわけではない。けれど、それがうまく伝わらないのか彼女は顔を上げることは無い。

 すると彼女は、罪滅ぼしをしたいという意思の表れなのか、うつむいたまま、けれどはっきりとした声で言った。

「取材、私で答えられることならいくらでも、協力します」

「……ありがとう」

 今ここで気にするなと繰り返し言うことはできるけれど、それを口にしても彼女の気は軽くならないだろう。そう思った俺は彼女が罪滅ぼしのためであろう申し出に笑顔を返して、少し間を置いてから一つ息を吐いた。

 質問する内容は、もう決まっている。恋とは何か、なんて問いを投げても立花さんの時の様に怪訝そうな視線が返ってきかねないし答えだって抽象的になってしまうだろう。

 だから、哲学的な問いかけではなくもっと身近な、俺にとってはつい最近初めて経験したことを。普通の人たちならば何回と経験しているであろうそのことを尋ねようと思った。

 恐怖がないわけではないけれど、そう問いかけるのが自然だと思うから。

 だから俺は一度息を吸ってから一度息を止めると、彼女をまっすぐに見つめてそれを一息に履き切った。

「永沢さんは恋してる?」


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