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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
81/139

思いを言葉に 5

 ガコン、といういやに大きな音が下駄箱に反響する。大げさに音を立てた自販機の口からミルクティーの缶を取り出しながらふうと息を吐いた。

 速足に下駄箱まで来ては見たのだが、目当ての二人の姿は見られなかった。少なからず残念に思いながらもう一度自販機に並ぶ商品を見つめて、ついでに自分の分を何か買おう腕を組んでみる。

 そうしたとき、つい先ほど自販機がたてたのと同じような音が下駄箱に響いた。

 反響したせいでどこから聞こえたのかはわからないがとにかく背後を振り返る。

 誰かが来たかもしれなからと言って何も怯えることはないのに、派手な音に驚いてしまった自分に少々呆れながら今一度自販機と目を合わせた。

「あれ? 先輩今帰りですか?」

 そうしたとき、ついさっきまでは誰もいなかったはずの背後から声が聞こえた。俺は肩を跳ねさせながら恐る恐る振り返る。

「え? ああ、立花さん」

 振り返ってみればそこには数日顔を合わせていなかった後輩の姿があった。

 彼女は笑顔を浮かべながら「お疲れ様です」と口にする。俺も流されるままにお疲れと口にすると立花さんは俺の肩越しに俺の手元をのぞき込んだ。

「…………ミルクティーがどうかした?」

 俺の手元をじっと見つめる彼女に不思議に思って聞いてみると立花さんはいやいやと手を振った。

「いえ、先輩鞄持ってないなと思いまして。図書室で勉強でもしてるんですか?」

「あ、今教室で勉強してるんだ。ソウと真琴と」

 彼女の視線の意味を理解して早口に説明すると、立花さんは合点がいったとばかりに数度頷いて俺の真横までやってくる。そして彼女は俺と同じく自販機に対峙すると、商品ラベルの一番下にある缶類のラベルが並んだところをじっと見つめた。

「先輩はミルクティ呑むんですか?」

「あ、違うよ。これは真琴の」

「先輩良いように使われてますね」

「あはは……。今回はそういうわけではないんだけどね」

 いつもそんなことはない、とは言えずに今回に限ってと口にした。

 それを聞いた立花さんはどういうことと言いたげに首を傾げる。俺は苦笑いそのままに立花さんに大雑把に説明することにした。

「なんか知らない間にクラスメイトに恋人ができてて。それを見てちょっと興奮しちゃったからそのお詫び」

「あーと、先輩。なんとなくわかりはしましたけど、ちょっと表現がセクハラです」

「え、ご、ごめん」

 いきなりセクハラ認定を受けてしまって反射的に謝罪した。

 別に誇張も何もなくそのまま説明しただけなのだが、なんとも言葉とは難しい。こんな調子じゃいつまで経っても小説なんか書きあがらないだろう。

 そんなことを思いながら隣で自販機を見上げる立花さんを見て訊ねる。

「何か買うの?」

 もし買うものが決まっているのならば先約を譲ろうと思って声をかけてみたのだが、彼女は腕を組んで小さな声で唸ってしまう。

「先輩おすすめってあります?」

「え、おすすめか……」

 言われてどれがいいだろうと思って自販機と見つめ合う。

 学校の自販機はこの昇降口に二台設置されている。今俺たちの目の前に並んでいる二つの自販機がそうだ。

 右側の自販機にはコーヒーやお茶、紅茶といったカフェインの含まれるものが多く、左側の自販機には炭酸や甘いジュースなんかが多い。もちろん完全に別れているわけではないが系統的にはそう表現して相違ないだろう。

 俺はその二つの自販機を交互に見つめながら、彼女と同じく腕を組んで唸り声をあげる。

「んー、立花さんって甘いもの好き?」

「人並程度には」

 可もなく不可もなくといった返事が返ってきて余計に悩んでしまう。なんとなく、女の子は甘いものが好きというイメージがあったのでミルクティーの隣に並んでいる紅茶系か、あとはココアあたりが無難なのかと思っては見たがそうではないらしい。それもそのはず、甘いもの好き=女の子という式が成り立ってしまうなら真琴も女の子になってしまうのだから。

 気色の悪い考えをしてしまったせいで背筋に冷たいものが走ったので俺はぶんぶんと頭を振って息を一つ吐いた。

「じゃあ、そうだな……」

 隣の自販機も見て、何かいいものがあるかなと体ごと首を捻る。すると立花さんがそんな俺を見ながら首も傾げずに問いかけてきた。

「先輩は何にするんですか?」

「え、俺? そうだな……」

 言われて何を買うか考えていなかったなと腕を組みなおす。

 そして何となく目についた自販機の上段、どこでも見かけるがゆえに迷う必要もなく選べるそれを指さした。

「お茶、かな」

「地味で先輩らしいですね」

「辛辣なんだけど……」

 確かに無難と言えば無難。悪く言えばしゃれっ気のない地味なものではあるが、飲み物としてはこの上なく優秀だと思う。殺菌作用もあるし。まあカフェインが多いから水分補給の時は麦茶をお勧めしたいけれど。

 俺の地味な答えが気に入らなかったらしい立花さんに辛辣な言葉を吐かれてしまって俺は苦笑いを浮かべてそっぽを向く。すると目を逸らした直後背後でガコンという音が鳴った。

 立花さんが何か買ったのだろうか。そう思いながら振り返ると彼女の手には緑色のラベルの地味な飲み物が握られていた。

「え、それにしたの?」

 予想外の出来事に声を上げてみれば立花さんは笑顔を浮かべた。

「先輩のおすすめだったんで」

「あ、えっと、なんかごめん」

 適当に口にした答えのせいで地味と称された飲み物を手に取らせてしまったことを少なからず後悔しながら謝罪を口にした。

「別に構いませんよ。私が選んだんですから」

「あ、そう?」

 しかし彼女は俺の発言は関係ないとばかりに目を逸らしながらカチッという音を鳴らしてペットボトルを開けた。

 そしてそのまま流れるようにごくごく、と喉を鳴らした彼女を見て俺は呟くように一言漏らす。

「豪快だね」

 言うと立花さんはぴたりと動きを止めて少し呆れたようにため息を吐いた。

「先輩、もうちょっとほかの言い方にしてくださいよ。そんなの言われて嬉しい女の子なんていませんよ」

「ご、ごめん」

 言われて再度言葉の難しさを実感する。もしかしたら俺自身のデリカシーの無さも関係しているのかもしれない。

 ともあれ、言葉というのはとても難しい。口にするのはもちろん文字にして書き起こすことも。

 俺はいまだに白紙に等しい原稿用紙を思い浮かべながらため息を吐いた。

「……そういえば、立花さんはなんでまだ学校にいたの? 友達と何かしてたの?」

「掃除当番です。生活指導の罰で」

 ふと気になって尋ねてみれば、彼女は思い出したくないとばかりに目を逸らして答えた。

 生活指導というのはつまり、何かやってしまったということだろうか。そう思いながら少し心配になって息を呑むが、立花さんはぼそぼそといじけるように呟いた。

「制服の着崩しくらいいいと思うんですけどねー」

「あ、そういう」

 反射で返しながら彼女の制服姿を見てなるほどと合点が行く。確かに生活指導を受けかねない格好だ。何せボタンが閉まっていないのだから。

 防寒として羽織っているはずのブレザーは前ボタンを一つ求めずに、内側のワイシャツも二つほどボタンが開けられているせいで鎖骨が見え、角度が変わってしまえば下着も見えてしまうんじゃないかと思えるほどだった。

 正直防寒の意味は全くなく、もう肌寒いと言える気候だというのに彼女の体の感覚はどうなっているんだろうと思わなくもない。

 内心で頷きながら苦笑いを浮かべると立花さんがずいっと寄ってきて訴えかけてくる。

「そんな言うほど着崩してなくないですかこれ。ボタンなんて熱ければ外してもいいじゃないですか」

「いや、それは外しすぎだと思うけど」

 言いながら第二ボタンまで外れたワイシャツの隙間から鎖骨が覗いて顔を逸らしながら答える。

 これは指導されるのも仕方ないのではないだろうかと思っていると俺の答えが不服だったのか、立花さんが「えー」と声を上げた。

「先輩だって学ランのボタン全部閉めてないじゃないですか」

「俺のは一番上だけだから」

「総先輩だって普段ボタン全然閉めてないですよ」

「ソウはたまに指導食らってるよ」

 言いながら、いつも教師のお小言をテキトーに受け流しているソウの様子を思い浮かべて苦笑いが浮かんだ。

「あ、そうなんですね。まあ総先輩は想像つきますね」

「うん、あんまり気にしてないけどね」

「そんな感じがします」

 笑いながら言うと立花さんも笑いながら同意してくれた。

「誰かと待ち合わせしてるとかじゃなかったんだね」

「テスト前ですから、さすがに勉強しますよ」

 その辺は真面目なのかと思って生活指導を食らった服装を見ながら苦笑いを浮かべる。

「じゃあ早く帰って勉強しなきゃだね」

 一応、この場に拘束してしまったことに対して多少の気遣いを込めて言ったのだが、立花さんは笑顔のまま手を振って言った。

「いいですよ、先輩と二人でしゃべってるの楽しいですし」

「え、あー……そう?」

「はいっ」

 意外な言葉に少なからず俺は嬉しいと感じた。

 正直、立花さんとは二人きりでしゃべるようなタイミングはあまり多くなかった。ゼロではないけれど立花さんと話すときは部員全員で話すことのほうが多かったと思う。だから、一対一でしゃべることが楽しいと言われたのは心の底から嬉しかった。

 俺は少し戸惑いがちに笑顔を浮かべる。すると立花さんはニヤリと笑って言った。

「先輩は小説書けって言ってきませんしね」

「うっ」

 いきなりそんな話題に上がったから、俺はうめき声を漏らしてしまった。ここ数日、考えたくもないと思いながら考え続けてしまったことだったから。

 そんな俺の様子を見た立花さんは噴き出すように笑うと、からかうような口ぶりで言った。

「先輩も、書けてないみたいですね」

「あはは……」

 俺は何も言えず苦笑いを浮かべるしかなかった。

 けれど彼女はその反応が心地よかったのか、ふうと息を吐いた。

「そのまま完成しないでいただけるとありがたいんですけどね」

「完成させるよ」

「しなそうじゃないですかー」

「辛辣だね……」

 あっけらかんと言う立花さんを見て俺はたははを浮かべた。

 しかし彼女はいやいやと手を振る。

「完成しないで欲しいんですよ。私だけ書かなかったら悪目立ちしちゃうじゃないですか」

 悪戯っぽく口元を歪ませ、得意げに鼻を鳴らす。

 そんな彼女を見て俺は小首を傾げて尋ねてみた。

「立花さんは、書きたくないの?」

「もちろんです」

 何も誇れることなどないのに、彼女は胸を張って答えた。そんな彼女の態度に苦笑いを浮かべながらも同調するように言った。

「まぁ、面倒だよね」

 小説を書いたことがない人、書くことに興味のない人にいきなり小説を書けなんて言ったところでそう思われてしまうのは当然のことだ。誰だってやりたいこととやりたくないことがある。惰性でやるにしてもできることとできないことがある。

 俺の様に数か月の期間を費やしても一文字たりとも書けなかったりすれば、だんだんと心がすり減って意欲さえも削り取られてしまうのだから。

 自分の進捗を思い出してため息を一つ吐く。彼女もきっと同じような気持ちなのだろうと思って。

 けれど、立花さんは口元に指をあてて考えるそぶりをして言った。

「んー、それもそうですけどね。書いても見せられるものじゃないと思うんですよ」

「あー、そういうこと」

 言われて、なるほどと思った。

 そうだ彼女は小説に書くことに関してはド素人。初作品から他人を震え上がらせるようなものを書くことは愚か、まともに読めるような物語が完成するとは思えないだろう。人に見せる作品である以上、どうしても見栄というものは出てきてしまう。俺だってソウに書けと言われて書かなければいけないとは思いつつも、書いたところでそれを部誌に掲載できるレベルまでもっていけるのかと問われると口ごもってしまう。

 部活内で書いたものだからクオリティなど気にしなくてもいいと言われるかもしれないが、それでもソウや真琴のようにいつも小説を書いている人と同じ本に乗るのならば、それなりの出来にしなくては思ってしまう。

「ほかの人と差があり過ぎるよね」

 自嘲気味に言えば、立花さんは曖昧に笑って見せた。

 立花さんはお茶のペットボトルを指先でもてあそびながら冗談めかして言う。

「その辺の丸パクリでいいならいいんですけどね」

「あはは……」

 絶対してはいけないことだけど、そう思ってしまうのは俺も同じだったので苦笑いを浮かべた。

 すると彼女は俺に振り返って笑顔で言った。

「取材したらいいものが書けますかね。総先輩みたいに」

「あー、どうだろう」

 問われたところで答えを持ち合わせていない俺は曖昧な返事を返すしかできなかった。

 取材して良いものが書けるかどうかと言われても、わからないとしか言えない。何せ今までそんなことしたことがないから。初めてすることを必ずうまくいくなんて断言はできるはずもない。

 だから俺はようにミルクティーの缶を弄ぶ。手のひらの缶はその場でくるくると回るだけで、右にも左にもいかない。

 それに自分を重ねていると、立花さんが俺の顔をのぞき込んできた。

「先輩は、取材とかしないんですか?」

「あ、っと……」

 女の子の顔が至近距離にある動揺と、昨日の自分のつぶやきがリフレインした動揺で口ごもる。半歩体を逸らしてみれば俺の顔を覗き込んだ彼女は不思議そうに首を傾げた。

 俺はそんな彼女を見て、迷いながら聞いてみた。

「俺が取材したら、立花さんは答えてくれるかな……?」

「私ですか? 構いませんけど」

 否定の言葉を恐れて視線をそらしてしまったけれど、彼女から帰ってきたのはあっけらかんとした声だった。

「あ、そう? えっと、じゃあ……」

 肩透かしを食らって脱力する。そのまま彼女にどんな質問をしようかと考える。

 すぐに浮かんできたのは、いつかソウに馬鹿にされた言葉だった。

 俺は自分の頭に少し呆れながら、一つ息を吐いてそれを彼女に尋ねた。

「恋って、なんだと思う?」

「え、恋ですか?」

 瞬間、彼女は目を丸くしてしまった。

 何を言っているんだと、何を口にしたんだと言いたげな彼女の視線を受けた俺は慌てて説明する。

「えっと、恋愛ものにしようと思って。いろんな人の考えを訊こうかなってっ」

 早口に言った俺の言葉が届いたのか届かなかったのか、彼女は顎に手をやって考え込んでしまう。

 そんな彼女の様子を見て、妙に哲学的な質問をしてしまったことを遅れて理解した俺は付け足すように言う。

「こういう恋をした事があるとかそういうのでもいいんだ。もちろん話したくなければいいんだよっ?」

 矢継ぎ早に言うと、彼女は俺のことをじっと見つめた。

「あ、えっと……」

 なんて言えばいいのかわからず、俺は口ごもってしまう。もしかしたらまたセクハラだなんだと言われてしまうのかもしれない。そう思って視線を自販機の足元へ落すと、噴き出したような息遣いが聞こえた。

 笑われてしまったのかと思って顔を上げると、彼女は自嘲気味に笑顔を浮かべていた。

 その表情の意味がいまいちわからず、俺は息を呑みながら固まる。

 すると彼女は、ニヤリと笑った。

「まぶしいもの、です」

「え、まぶし?」

 復唱して確かめようとしたが、詰まった息で言葉が途切れる。けれど言いたいことは彼女に伝わっていたらしく俺と目が合った彼女はふふんと笑った。

「というか先輩。それセクハラですよ」

「え、ごめん。でもどういう意味――」

 またしても彼女からセクハラ認定を受けてしまって反射で謝りながら意味を問おうとする。

 けれど彼女は悪戯っぽく笑うと俺から数歩距離を取って手を振った。

「じゃあ私帰りますね。勉強頑張ってくださーい」

「えちょっとまって」

 慌てて彼女のことを引き留めようとしたのだが、駆けだした彼女はその足を止めてはくれず、脱兎のごとく走り去っていった。

「えぇ……」

 置き去りにされた俺はぼやき声をあげるしかなかった。

 彼女の抽象的すぎる回答に、疑問しか浮かばない。物語の方向性を少しでも固められればと思っていたのに、これではまるで逆効果だ。

 どうしようと思いながら頭を掻こうと手を上げようとすると、わずかな重みを感じる。

 見てみれば、そこにはさっきまで弄んでいたミルクティーの缶がある。

「あっ」

 それを見てパシリにされていたことをようやく思い出して自販機に向きなおった。

 頼まれたものがほかにあるわけでもなかったけれど、俺は自分のためにとペットボトルのお茶を買ってさっさと教室に戻ることにした。

 自販機の口からペットボトルを取り出して踵を返す。片手で缶とボトルを持つことはできずに片手で一本づつぶら下げる。

 その時、なぜだかわからないけれど妙な既視感を感じた。


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