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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 2

 十月半ばやや後半にある定期テスト。その存在を目の前にした時の生徒の反応といえば多種多様。

 あからさまに嫌だと声を上げる人もいる。声に出さなくともため息を吐く人もいる。自分には関係ないと言いたげに窓の外を眺める人だって、周りを見ながら誰かに同調したように苦い笑顔を浮かべる人もいる。

 反応は多種多様、けれどほとんどの生徒の心は一致している。

 ただただ面倒だ。

 誰に言うでもなく、誰かに聞かされるでもなく。教室の空気、学校全体の雰囲気でそれがひしひしと伝わってくる。

 そんな憂鬱一歩手前のテスト期間。現実逃避なのか、それとも現実と相対しているのか、俺たちはいつもの三人で勉強会と銘打たれた集まりを開催していた。

「んで、ハルは結局どうなんだよ」

「どうって……」

 ニヤニヤしながら尋ねてきた幼馴染に向かって嘆息交じりに返せば、頬杖をつきながら歯を覗かせたソウは俺のことをじっと見つめた。

 テスト勉強会なんて銘打たれたところで友人同士が集まればすることなんてたかが知れている。結局それはただの現実逃避で、勉強をしたという事実を自分たちの中に残しておくためだけのものでしかないのだろう。

 結局、幼馴染の家に集まった男子三人は折り畳み式のテーブルの上に広げた教科書やらノートやらに目を落とすことなどなく、ただ楽し気に声を上げたソウに苦い笑顔を向ける。

 しかし苦笑いを向けられたソウは、なおもぶしつけな笑みを浮かべて言う。

「結局ハルは楓ちゃんのことどう思ってんだよ」

「いやそれは……」

 ソウが口にするなり俺は逃げるように視線を手元の教科書に移す。すると俺の左隣に座っていた真琴からため息が聞こえた。

 けれどソウはそんなことは知らんぷりでずいっと身を乗り出して言う。

「答えは、出たのかよ」

「…………」

 俺は何を言うのも恥ずかしくて黙ってしまう。助けてくれとばかりに真琴のほうを見るが真琴はそんな話題には興味がないのかテスト勉強もそっちのけでスマホを横持ちにしてゲームを始めてしまった。

「あ、はは……」

 俺はどうしたらいいかわからず、つい反射で苦笑いを浮かべる。

 ソウはそんな俺の反応が気に食わないのか、顔に似合わず頬を膨らませていう。

「なんだよ、別に一言じゃねぇか。そうだろ?」

「いやー、あはは……」

 ソウの言う通り、口にしてしまえばたった一息で言えるような短い言葉だ。けれどそれを口にするには羞恥心が邪魔をしてしまって曖昧に笑顔を浮かべるしかできない。というかこんな風に聞かれては素直に答えることなんてできない。

 自分で自分を女々しいな、なんて思いながら居心地が悪くなって胡坐を少し崩した。

「マコには言ったんじゃねぇのかよ。前二人でなんか話してたろー?」

 ソウは今度は俺ではなくゲームに視線を落としている真琴に向かって詰め寄るようにして言う。すると真琴は心底嫌そうな顔をして眉をしかめるとぼそりと「知るか」とぶっきらぼうに吐き捨てた。

 ソウは何だよーといいながら脱力した。俺はそれを見て再度苦笑いを浮かべる。

 毎度のことだけれど、真琴は恋愛の話にはとことん嫌悪感を漂わせている。まるで恋愛が不毛だと、意味のないものだとでも言いたげな視線はもはや刃物のそれだ。そんな真琴の視線を受けながらもいつもの調子を崩さないソウはぐでーっと体を逸らして言う。

「ハル、結局どうなんだよ。答えは出たのか?」

「あはは、ノーコメントで」

 面倒だからさっさと答えろと言いたげなソウに苦笑いをしながら返すと、俺の幼馴染はんーと腕を伸ばしてから仰向けに倒れた。

「まあ聞かなくてもわかってはいるんだけどよ。なんかさんざん恋ってなーにとか聞かれたからな。答えてもらわねーと割に合わねぇだろ」

 別に聞くまでもねーけどなと、繰り返し言いながらソウは俺にわざとらしく視線を向けてくる。それを見て俺はまた苦笑いを浮かべた。

 答えは出たか。それに対する答えは「出た」だ。

 さんざん悩んで迷って後悔して、たっぷりと時間を費やしてその答えを導き出した。

 見つけようとしたからではなく、姿を探したからではなく、あの子のことを考えてしまったからでもない。

 誰かに言われたものではなく自分の気持ちで、正しいかどうかは曖昧でも自分自身の心をそう呼べると思ったから。だから俺はそう答えを出した。

 彼女の心からの笑顔が見たい。

 そんな傲慢極まりない願いを、俺はそう呼ぶと思ったから。人の気持ちは必ずしも同じじゃなくて、出す答えも等しくなどないから。俺はそれをそう呼ぶことに決めた。

 きっとそれは誰かから見たら間違いにも映るかもしれないけれど、俺の答えはこれだと思えたから、それを信じてみようと思った。

 だから、答えはもう出ている。前の様にわからないなんて言葉は、もう出てこなかった。

 けれど、それでもやっぱり気恥しさは消えはしなくて、俺は曖昧に笑いながらぼそぼそと届くかどうかもわからない声でうわごとのように口にした。

「答えは、一応出たよ」

 言うとソウはぴたりと動きを止めて、真剣な瞳で俺を見た。

 大の字に寝転がりながら首だけで頭を支えて見ているから一見滑稽にも見えてしまうけれど、ソウの目を見れば真剣なのはすぐに分かった。

 気恥ずかしさと妙な緊張感に気圧されて視線を背けるとソウがふっと笑う気配がした。

「よくもまあこんだけ時間かかったな」

「あはは……」

 何と答えていいかわからず俺は笑顔を浮かべるとソウはくるりと頭の向きを変えて言う。

「マコもそう思わね?」

「知らん」

 ソウが同意を求めて言うと真琴は話しかけるなと言いたげに視線すら向けずに呟いた。その指は当然熱心にスマホをタップしている。

 ソウはそんな真琴の態度に釣れないなと言いたげにため息を吐くと再び俺に向き直る。

「まあでも、ようやく好きだって自覚したわけだな」

「いや、俺好きとは……」

「いや、どっからどう見ても好きだろ」

「どこをどう見たらそうなるんだろう」

 ソウの言わんでもわかると言いたげなリアクションに俺は心底疑問を抱いていた。

 何せ俺自身気持ちを自覚できたのはつい最近のことで、それまでは部活の後輩くらいの認識しかしていなかった。無自覚にアプローチをかけていたかといわれれば決してそんなことはないと思うし、少し記憶に残る特別なことがありはしたけれどそれだってアプローチと呼べるものでも、気持ちがあふれ出た末の行動というわけでもなかったと思う。

 だから、ソウの反応が理解できなくて俺はアハハと力なく笑って見せた。

 けれどソウはそんな俺に呆れるでも文句を言うでもなく、満面の笑みを浮かべて言った。

「でも、そういうことだろ?」

「…………ノーコメントで」

 自信ありげに問われて、恥ずかしくなって逃げ口上を口にした。

 するとソウはそれが面白かったのか笑いをかみ殺そうとしながら「ツンデレかよふしし」と歯の隙間から笑い声を漏らしていた。

「それより、テスト勉強しなくていいのっ?」

 俺はソウの反応で余計に恥ずかしくなってしまって、逃げるように話題を変えた。

 するとそれがお気に召したのか、ソウは「ふはっ」っと噴き出すと腹を抱えてしまった。

「そんな調子じゃ、告白はしばらく先だなっ」

「告白って……。もういいでしょ。この話終わりっ、勉強しよ」

 話題を変えようとしてくれないソウに少し不貞腐れながら、恥ずかしさを隠しきれずに早口に、そして強引に話題を変えてテーブルに転がっていたシャーペンを掴んだ。

 そんな俺を見たソウはやはり楽しそうに笑った。

「ぷはっ。先が思いやられるなー、マコ」

「俺に言うな」

 真琴に言葉が飛んだと思ったらぶっきらぼうな、うんざりしているとでも言いたげな低い声が返ってくる。真琴がその調子でい続けてくれれば自然とこの話題も霧散してくれるだろうと希望的観測に基づいて真琴を応援してみる。

しかし、俺が寡黙を貫こうとしていると予想外に真琴が声を上げた。

「告白でも何でもしたきゃ勝手にしろ」

「だとよハル」

「わざわざ伝えなくていいよ」

 俺の名が挙がったわけでもないのにソウが無意味に付け足してくるから反応せざる負えなかった。

 寡黙を貫くことが出来なかった若干の後悔を胸に、ちらりと真琴に視線を向けると何やら鋭い視線を向けられていることに気付く。

「え、真琴なに?」

 もしかして何か怒らせるようなことでもしてしまったんだろうか、と思いながら自身の行いを振り返ってみるが心当たりしかなかった。

 真琴の気乗りしない話題に付き合わせてしまっているんだ不機嫌にならない理由がない。けれどそれは俺のせいではなくソウのせい、睨むなら俺ではなくソウにしてくれと内心で言い訳をしていると真琴がふいっと目を逸らした。

「別に、何でもない」

「あ、そう……?」

 辛辣な言葉は飛んでは来なくて、どこか自虐的にも見える表情を垣間見て首を傾げてしまった。

 どうしたんだろうと思っていると、それを遮るように幼馴染が声を上げる。

「で、勉強するんじゃなかったのかハル?」

「…………はぁ」

 ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、煽るように言った幼馴染にため息を返して俺は手に持っていたシャーペンを数度カチカチ鳴らしてノートに向き合った。

 これ以上からかわれないように勉強してしまおう。さすがにソウもまじめに勉強している人間にまでちょっかいを出しはしないだろうと思って教科書に目を落とし、ノートに書き込みながら公式を頭に詰め込んでいく。

 けれどそうした瞬間、タイミングよくソウがぽつりと言った。

「まあでもハルは小説も書いてくんねぇと困るけどな」

「うっ」

 言われた瞬間、思わず声を上げてしまった。

 自分の気持ちを自覚したことを吐露する羞恥、そして一向に文字数の増えない原稿用紙の事実から逃げるように勉強にいそしんでいた俺としては、その呟きは痛いものがあった。

 俺のうめき声はソウの耳にも届いていたのか、はははと笑うと体を起こしてテーブルに乗り出して言う。

「何度もしつこいとは思うけどよ、書いてくれねぇとこっちも困るから頼むぞ?」

「……がんばります」

 視線をテーブルの上に落としていたから頭を下げることはできずに、体を少し折って形だけ頭を下げているように見せる。

 決して頑張るつもりがないわけではない。けれど、今その話題は出さないでほしかった。

 人間いくつものことをいっぺんにはできないし、人それぞれ容量だって異なる。俺に関して言えば、そう言った容量は人よりも少し、いやかなり劣っている自覚があった。

 一つのことを考えてしまうとほかのことが見えなくなってしまう故、いくつものことをこなすのは得意ではない。例を挙げるなら俺の妄想癖。あれが一回発動すると誰かの制止がない限りしばらくの間頭だけ別の世界に行ってしまったかのように使い物にならなくなる。

 だから俺は、後回しにして未来が辛くなるだけだとはわかっているけれども、そう言った今最もやるべきことでないものは基本的に後回しにしてしまう。逃げているわけではなく、自分の能力を理解したうええでそうしている。

 だから今それを口にしてほしくはなかった。実際、今さっきまで勉強しようとやる気になっていた気持ちはどこかへ消えてしまったし、今は白紙の原稿用紙のことしか考えられなくなってしまっている。

 今日は勉強しても頭に入らないだろうななんて思いながらも、このままソウの説教じみた小言を聞いているのも嫌だったので俺はあくまで勉強しているそぶりを見せた。

「まぁ、がんばれ」

 そうして突っ伏すように教科書に向き合ったとき、俺の悪友が珍しくそんなエールを送ってきた。


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