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Primula  作者: 澄葉 照安登
第六章 思いを言葉に
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思いを言葉に 1

 修学旅行に次いで台風なんて不必要なイベントごとを終え、ともすれば定期テストがどうだなんて話があったのを思い出したのもつかの間、テスト一週間前ぎりぎりで部活動が許されていた今日この日、俺の幼馴染はいやに笑顔で高らかに言い放った。

「文化祭まで一か月切ったけど、みんな小説完成したか?」

『…………」

 ソウの問いかけに、部室に集まった四名は見事に黙りこくってしまった。いつも無口な真琴はさておき、俺をはじめいつも賑やかな立花さん、そして俺の目の前に座っている永沢さんもばつが悪そうに俯いてしまった。

 そんな部員たちの様子を見たソウがあっはっはと高らかに笑いあげる。

「ま、そんなもんだよな」

 ソウはあくまで気楽に笑い続けるが、実際笑っていられるような状況ではない。何せ文化祭まで一か月を切ってしまったのだから。

「えっと、それなりに頑張って書いては、います」

 一応挙手をしてからソウに言ってはみるのだが、がんばっているだけで成果としては一文字たりとも進んでいないので手が伸び切る前に止まってしまう。

 俺の内情をそれとなく察したのか、ソウは俺を見ながらくくくと笑いをかみ殺していた。

「ほかの二人は? というか後輩二人は書いてるか?」

 ソウが言うと俺の斜め前――つまりソウの真ん前であからさまにぎくりと肩を震わせた女の子がいた。それに気づいたのは俺だけではないのか、永沢さんも隣に座る同級生を見てたははと苦笑いを浮かべている。

 そんな俺たちの視線に気付いた彼女は、シュッと勢いよく挙手して声を上げる。

「先輩たちはもう書いたんですか!?」

 あからさまな逃げ口上に思わず苦笑い。そしてソウもそれを理解しているのか歯をのぞかせながらニシシと笑っている。本当に笑い事ではないのだが。

 苦笑いで表情筋が凝り固まってしまいそうだと思いながら立花さんの様子を見ていると、ソウがんー、と悩むそぶりを見せて言う。

「俺はまだ書き終わってないけど、マコはもうとっくに完成してるよ」

 言うと立花さんははっと思い至って声を上げる。

「先輩もまだなんじゃないですか。じゃあ大丈夫ですよね!」

 いったいその自信はどこから来るのかと問いたくなったが、そんなことで会話を中断していたら全員の進捗状況を確認する時間が伸びてしまうのでソウの意思をくんで黙っていることにする。

「美香は一文字も書いてないってことでいいかな?」

「はい! 真っ白です!」

 何を堂々と言っているんだと乾いた笑いが漏れそうになる。もうそれこそ苦笑いが素の顔なんじゃないかと思うくらい顔に張り付いている。そう思ったのは永沢さんも同じだったのか、たははと呆れた笑いを浮かべていた。

「はははっ、正直でよろしい。頑張って完成させてなー」

 それに対してソウは心底楽しいと言いたげな笑顔を浮かべて歯をのぞかせていた。言葉には恐ろしく感情がこもっていなかったけれど。

 俺はさらに苦笑いを濃くしていると、ソウが立花さんの隣に視線を向けた。

「楓ちゃんはどう? というか書いてる?」

「え、あ、そう……ですね……」

 話の流れからして次は永沢さんに話がふられるのは当然なのだが、彼女はそれを理解していなかったのか突如投げかけられた声に戸惑うように視線を落としてしまった。

「……書いてない感じ?」

「あ、そうじゃなくてですね、えっと……」

 ソウがどういうことだ、と言いたげに訊くと永沢さんはあたふたと慌てて別れのあいさつでもないのに手を振りながら何かを言おうとしている。

 彼女の言わんとすることがいまいちわからず俺たち三人はそろって首を傾げる。すると彼女は自分に視線を向けられていたことに今気づいたのか、恥ずかしそうに視線を落としてしまった。

 けれど、俯きながらも彼女は言葉を紡いだ。

「その……六割ほど、できてます」

『えっ?』

 意外な言葉に、俺たち三人は同じような声を上げた。

 質問をしたソウですら声を上げて固まってしまったのだ。

「え、あのっ……」

 そんな俺たちの視線と態度がくすぐったかったのか、彼女はさっきと同じように手を両手を振りながら違うんですと言いたげに声を上げた。

「その、これからテストですけど完成できると思いますっ、なので大丈夫だと思いますっ」

 彼女は俺たちが進捗が良好でないことに驚愕したとでも思ったのだろう。いまいち話がつながらないままに彼女の言い分を耳にする。

 すると、思わぬところから助け船が出た。

「そういうことじゃないだろ」

 その声の主は、いつものように教室前方の教卓でノートパソコンを開き、こちらの輪に入ることなくキーボードを軽やかにタイピングしていた悪友のものだ。

「え、えっと、どういう……?」

 彼女はそれが意外だったのか、はたまた三度驚いただけなのか、はじかれたように真琴のほうを振り返ると不安そうに尋ねた。

 そんな彼女に対して真琴は声を出すのすら億劫だと言いたげにため息一つ吐いてから、ぼそりとくぐもった声で呟くように言った。

「意外だっただけだろ」

「え、あの……」

 真琴はそれだけ言うと、あとはお前たちが話せと言いたげに俺たちを一瞥してまたノートパソコンとにらめっこを始めてしまった。

 永沢さんは要領を得ない、それどころかその耳にしっかり届いたかどうかもわからない真琴の言葉にどうしたらいいのかわからないと助けを求めてソウを見た。

 俺も同じようにソウに視線を向けるとその目と視線が交わった。そして一瞬とも呼べない間二人して小さく笑うとソウがいつもの調子で口を開いた。

「いや、まさかそんな進んでると思わなくてさ。結構前から書いてたの?」

「あ、えっと夏休み終わりくらいから……」

「結構前からじゃん」

「はい……」

 感心した声に照れくささを感じたのか、彼女はソウと視線を交わしながら様子をうかがうように俺や立花さんのことをチラチラと見ていた。俺や立花さんはそれを見て、声や顔には出さなくとも、内心で感心していた。

 恥ずかしがるようなことではない。俺や立花さんは愚か、ソウだってまだまだ完成には程遠いというのに彼女は誰に何か言うでもなく誰の目にもつかないところで真面目に部活動に励んでいたのだ。決して活発ではない文芸部で、周りの堕落的な空気に流されずにそうしたのは、彼女のその行いは恥じるどころか誇れることだ。

 だから俺はソウのように顔には出さずとも内心感心していたし、その隣に座る立花さんも意外そうに目を見開いて感嘆の声を上げていた。

「楓、いつの間に……」

「あ、時間のある時にちょっとづつ書いてただけなんだけど……」

 未だにみんなの反応がいまいち理解できていないのか、永沢さんは戸惑いがちに同級生の声に答えた。

「えー、楓も書いてたのー。私も書かないとじゃんー」

 そう言って心底面倒だと言いたげに不貞腐れた立花さんは態度とは裏腹に言葉だけはついさっきよりかは前向きになっていた。

「ハルも書かないとな」

「ははは、がんばります」

 そんな後輩たちを横目に見ていると、ソウがあからさまにニヤニヤと俺のほうを見てそんなことを言うから、俺は苦笑いを浮かべて曖昧に返事するしかなかった。

 するとそんな俺の態度を見て乗り気でないとでも受け取ったのか、唇を尖らせて不貞腐れていた立花さんがぱっと瞳を輝かせた。

「あ、松嶋先輩も書いてないんですよね! なら私も書かなくていいんじゃないですか?」

「いや俺はこれから書くよ」

「えー、ボイコットしましょうよー」

「したらカンヅメが待ってるからね……」

 再びふてくされてしまった立花さんをしり目に、俺は幼馴染に言われた脅迫文句を思い出してここではないどこか遠くを見つめた。

「え、あの、私はどうすれば……」

 そんな中、状況的置いてけぼりを食らってしまった永沢さんはいまだに戸惑いがちに不安げな声を上げていた。

「永沢さんは心配しなくても大丈夫だよ」

 なのでいまいち容量は得ないどころか彼女をさらに混乱させかねない言葉を口にして笑顔を向けた。

 ともかくいま危険なのは俺と立花さん、それと場合によっては間城もだ。ここ最近バイトが忙しいと部活に顔を出せていない間城は、十中八九小説なんて書いていないだろう。そして一週間後にはテストが待っている。そんな過密スケジュールで小説にまで手が回るのだろうかと疑念を抱くが、深呼吸をして脳裏をホワイトアウトさせる。

 俺は自分の作品を完成させなければいけないのだ。人の進捗が同などと気にしている場合ではない。普段から小説を書きなれている総とは違って俺は処女作になるのだ。短編と言えども書き終わるまでにそれなりの時間はかかってしまうだろう。

 こんな風に追い詰められるならば永沢さんのように少しづつ書いておけばよかったななんて無意味な後悔をしながら彼女のことをちらりと見た。

「あっ……」

 すると俺のことを見ていたらしい彼女と目が合った。すぐに目を逸らされてしまったが、彼女の慌てた様子を見る限り気のせいというわけでもないだろう。

「永沢さん?」

 どうかしたのかと思って彼女の顔をのぞき込むように首を傾げると、彼女は驚いたように肩を震わせて顔を俯けた。

 どういうことだろうと思いながらも首を傾げると永沢さんは顔をうつむけ気味にそらした体制のまま、まるで真琴の様にくぐもった声でぽつりと言った。

「あの……先輩の小説、楽しみにしてます……」

「へ? あ、うん。頑張るよ?」

 いきなりそんなことを言われたから変な声が出てしまった。反射的に出した意欲的な言葉も疑問符が混ざってしまったせいで頼りなく聞こえてしまっただろうし、そもそも今まで一度も小説を書いたことがない俺に対してそんなことを言うのはなぜだろうなんて考えてしまって変な間まで空いてしまった。

 いきなりどうしたんだろうと思って彼女の顔をのぞき込もうとするが、そうしようとしたところで先ほど同様逃げるように顔を逸らされてしまうであろうことは明白だった。なので俺はそれ以上声をかけずにただ首を傾げた。

 けれどその代わりに、ソウの笑い声が響く。

「まっでも、明日からテスト期間なんだけどな、はははっ」

「あー」

 浮遊感の感じられるトーンで言うソウに対して俺は低く喉のなる声で相槌をうった。

 決して忘れていたわけではないが、ソウに言われて再び自覚する。いろいろな締め切りが近いことを。

 決して俺が赤点常習犯というわけでも、この部活内にそういった人がいるわけでもないけれど、いろいろな締め切りが目の前にあると心的疲労は普段とは比べ物にならないほどで、やらなくてはいけないことを一度に出されてしまうと参ってしまう。

「テストもあるんだよね……」

 だから俺はぼやくように言って頬杖をついた。

「いろいろ頑張らないとね」

 俺は自分に言い聞かせながら、正面に座る彼女へ視線を向けた。

 彼女はいまだに顔を俯けて、様子をうかがうように前髪の隙間からカラカラと笑うソウを見ている。笑顔ではないけれど揺れた髪から見える瞳は穏やかなもので、微笑ましいと感じられるものだった。

 けれど俺の視線に気付いた彼女がちらりと俺のことを見た。そして目が合うと電光石火のごとく目を逸らされてしまう。

 何か悪いことでもしたのかななんて思いながら苦笑いを浮かべると、勢いよく顔を俯けたせいでふわりと舞った前髪の隙間から、彼女の顔が見えた。

 ちらりと見えた彼女の頬はほのかに色づいていた。


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