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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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台風一過 13

 雨上がりの町は、空気中の埃が洗い流されたおかげでクリアに見える。空の青が色濃く映り、木々の緑が風に揺られている姿を見れば、雨上がりの空気も相まって涼やかに感じられるだろう。けれどそれは、ただの雨上がりであればだ。

 台風一過という言葉がある様に、台風が過ぎ去った後の町には、本当に夏が戻ってきたんじゃないかと思うような熱気で満ちている。それは少し遅れてやってきた十月の台風でも変わることはなく、街には台風の余波がしっかりと充満していた。

「暑い……」

 今日も今日とて俺の隣を歩いているソウは、衣替えも終わったというのに半袖のワイシャツに身を包んで胸元をつまんでパタパタと仰いでいる。

「本当に、暑いね」

 そんなソウに倣って俺も胸元をつまんで仰ぐと、いつもの交差点を渡って学校へと向かう。自転車をゆっくりと漕ぎ出せば、僅かに触れた風の感触で少しだけ汗が引く。

「ハルは昨日も学校にいたんだもんな。お疲れさん」

「他人事だなぁ」

 幼馴染のつぶやきに対して体温と一緒に愚痴を吐き出しながら肩を落とす。本当に他人事だから仕方ないとはいえ、昨日一日自宅で好きなことをできていたソウに言われると嫌味にしか聞こえない。

 俺はため息を吐きながら昨日とは打って変わって真っ青な空を見上げた。

 本当にもう十月なのかと問いたくなるほどの日差しに目を細めながら、俺は自分の手を太陽に透かして見る。

「何やってんのお前」

 するとソウが怪訝そうな目でじろりと俺を見た。

「いや、熱いなって思って」

 俺は自分の手がじりじりと熱に焼かれていく感覚を覚えて太陽に向けていた手をそっとひっこめると、ソウが変人でも見たかのような視線を俺のことを見てふうと息を吐く。

「で、結局昨日は何時ぐらいに帰れたんだ?」

「ソウの予想通り三時過ぎくらいだよ」

 言いながら俺は昨日ソウにSNSで言われたことを思い出しながら口にする。するとソウはカラカラと笑いながら「大変だなー」とまた他人事の様に呟いた。

 俺はそれに再度ため息をこぼしながら目と鼻の先にあった校門へと視線を向ける。

「あ、真琴おはよ」

 すると、ちょうど校門をくぐろうとしている真琴の姿を見かけて声をかけた。

 ブレーキをかけながら惰性で真琴のところまで行くと、ソウと一緒に自転車から降りて改めて笑顔を向ける。

 すると真琴は心底うざったそうに俺のことを見た。

「なに、急いでるんだけど」

「え、何を急いでるの?」

 朝から急いでるということは日直か何かだろうかと思いながら聞いてみると、真琴は睨むような視線を頭上のお天道様に向けて言う。

「暑いんだよ」

「あ、そう……」

 本当に熱いのが苦手というか嫌なんだなと思って苦笑い。するとさっきまで俺の横を歩いていたソウがカラカラと笑いながら真琴を挟んで向こう側を陣取った。

「マコ、ハルの奴昨日学校にいたんだぜ」

「お前頭大丈夫か?」

 ソウが言うとそのまま真琴の視線が俺のほうへ向けられる。その視線は残念なものを見る目だった。

「いやいや、スマホ忘れたから仕方ないんだって」

「なるほど」

 俺が言い訳がましくそう言うと、真琴はすぐに納得して頷いた。

 さすが、ソーシャルゲームにご執心の我が悪友。スマホが手元にないことは死活問題なのか、かつてないほどに素早い納得だった。

 若干苦笑いをこぼしながらも納得してもらえたので一安心。いったい何を心配していたのかと問われても答えることはできないが一安心。

 しかし、そんな俺の胸中を察してか、ソウが面白おかしく会話を広げる。

「楓ちゃんもいたんだとよ」

「駆け落ち?」

「いや違うから!」

 冗談めかして言うソウに対して真顔で本当に? と問うような真琴の視線に焦りながらも急いで否定する。昨日一日暇で体力があり余っているのか俺の幼馴染はいつにもまして元気がいい。

「おい本当かよー、怪しいじゃんか」

「怪しくないよ……」

 朝から体力が削られていくな、なんて思いながら真琴よろしくため息を吐く。すると真琴が何かを感じたのかちらりと背後を振り返った。

「総、本人に聞いて来い」

「はん?」

 真琴が言いながら視線を背後に向け、見ろとばかりに顎で指し示す。その先にはブレザーを腕にかけた永沢さんの姿があった。

 素っ頓狂な声を上げるソウが促されるままに振り返ると、その視線を感じたのか永沢さんもこちらに気付く。黒髪の彼女はびくりと肩を震わせると慌てて会釈をした。

 俺とソウはそんな彼女に手を振りながら挨拶する。いつものことながら、真琴は視線をちらりと向けただけで声を上げもしなければ手を振ったりもしない。

 不愛想なのは一向に変わらないなと思いながらも悪友に視線をやれば、その奥で人の波に逆らって飛び出した幼馴染が見えた。

「本当に行った」

「え、なんであんな元気なの……」

 普段はもっと落ち着い……てはいないかもしれないけれど、ここまで行動が派手ではない。というか、昨日一日暇なんだったら一日執筆してて寝不足にでもなっていておかしくないのだが、どうやら今日のソウはブレーキと同時にアクセルまでも故障したのかえらくアクティブだった。

 朝から疲れたと息を吐きながらも、ソウを置いていこうとは思えずに立ち止まって後方を振り返る。見ればソウが何やら永沢さんに話しかけている姿が見える。それに永沢さんが大慌てで手を振っている姿を見て苦笑いが浮かんだ。

 真琴と肩を並べてソウが戻ってくるのを待つと、俺の幼馴染は大して急ぎもせずに、ともすれば脱いだブレザー片手に歩いていた後輩と同じ歩調で歩き始めた。

「あいつ頭おかしくなったのか?」

「いや、わかんない……」

 真琴の言葉に首を傾げて返すと真琴が興味ないけどとばかりにポケットからスマホを取り出した。スマホの液晶が太陽の光が反射したのか目を細め太陽を睨むと、ちょうど日陰になっていた常緑樹のふもとへ避難した。

 俺は苦笑いしながらも真琴に続くと、それから数秒遅れてソウと、連れられてやってきた永沢さんも木陰を踏んだ。

「おはよう、永沢さん」

「あ、おはようございます」

 俺が再び挨拶をすると永沢さんももう一度頭を下げて挨拶を返してくれる。我ながら単純だが、そんな小さなことがとても嬉しかった。

 しっかりと会釈した彼女を見て妙に心躍らせていると、彼女と目が合った。

「あっ……」

 そこで気付く。彼女の目じりが、赤くなっていることに。

 理由は、昨日泣いてしまったからだろう。何時間も、とは言わずとも彼女はかなり長い間涙を流していた。最後の最後まで俺のハンカチを手に取ることはなく、ずっと俺の手を握りしめたまま、時折腕で目元をぬぐっていた。

 ただ泣くだけでも目が腫れてしまうだろうに、擦ってしまえばなおのことだ。彼女の目元には昨日の痕跡がくっきりと残ってしまっていた。

「…………」

 しかし、ソウも真琴もいるこの場で昨日のことを話題に出すわけにもいかずに、俺はただただ彼女の瞳を見つめたまま固まってしまう。そもそも、女の子に向かって目が腫れてるよ、なんて軽々しく口にしていいのかがわからなかった。もしかしたら傷付けてしまうかも、そんな風に思うと俺の体は愚か、目線だって動いてはくれなかった。

 けれどそのせいで、彼女は戸惑ったような声を上げた。

「あ、あの、先輩?」

「え、あ、ごめん、何でもないよ」

 不安そうな声を上げた彼女に笑顔で手を振って気にしないでと伝える。

 わざわざ目元が腫れている、なんて指摘はしなくてもいいと思った。おそらくだが彼女自身それを自覚していると思うし、それを指摘するということは昨日のことを掘り返すということだ。

「あ、えっと、そうですか……」

 そう思って彼女と見つめ合っていると、彼女の顔に変化があった。

 目元が赤いのは涙のせい。だから今起きた変化ではない。今起きた変化は、目元ではなく、頬だった。

「永沢さん? どうかした?」

「あ、何でもないです! 本当に!」

 いきなり頬を紅くした彼女を見て、どうしてしまったんだろうと思いながら問いかけると、彼女は慌てて両手をぶんぶん振った。明らかに何かあったという反応だが、気を遣わせまいとそう言っているのだろう。もしかしたら泣きすぎたせいで少し体調がすぐれないのかもしれない。

 適当に予想を立てて一人納得していると、そんな俺たちの様子を見ていた友人の一人がニヤニヤとぶしつけな笑顔を浮かべた。

「何朝からお熱くなってんだよ」

「いや、何言ってるの」

 何が面白いのかニヤニヤと笑顔を浮かべたソウは変な勘違いを起こしていた。

真琴はといえばソウとは対照的に、見ているのも疲れると言いたげにため息を吐いてさっさと昇降口のほうへ向かって歩き始めてしまう。

 凸凹な行動の二人を見ながら力なくはははと苦笑いを浮かべる。そして友人たちが変なこと言ってごめんねとばかりに永沢さんにも苦笑いを向けたのだが、

「あっ、いえそのっ、えと……」

 なぜだかわからないが、たいそう慌てて手をわちゃわちゃと動かしていた。

 どうしたんだろうと思いながらその様子を見ていると、彼女自身が恥ずかしかったのか頬どころか顔を真っ赤にしてしまう。

 そして、その顔を見られまいと思ったのか勢い良く会釈すると彼女は真琴の横を通り越して昇降口へと駆けこんでしまった。

「…………ソウが変なこと言うから」

「え? 俺が悪いん?」

 呆れながら言うとソウは全く悪気はないと言いたげに自分のことを指さして訊いてきた。鈍感な友人にさらに呆れながら俺は先に歩いて行ってしまった真琴を追いかけるべく駆け足でソウの横を通り過ぎた。

 日陰から出ると、やっぱり太陽の日差しが熱い。真琴が早く屋内に入りたいと言っていたのもうなずける。

 夏場と違いだんだんと寒さになれ始めていたからか、余計に熱く感じる。

 俺も早く昇降口に駆け込んでしまいたいと思うが、その前に自転車を駐輪場まで持っていかなければいけないので、とりあえず真琴の横を陣取った。自転車をカラカラ鳴らしながら後方にいるソウのほうを見やると、何やら腕を組んで悩んでいた。

 本当に悪いことをしたという自覚がないのだろう。いつだか人の好意を察するのは簡単だなんて口にしていたというのに。本当に今日のソウはどうしてしまったんだろう。

「真琴、今日のソウはなんかおかしいよ」

「お前もな」

「え?」

 真琴の切り返しに驚いて声を上げると真琴がお前は馬鹿なのかと言いたげな表情で自分の頬を指し示した。

 なんだろうと思って真琴の頬を見ていると本当に馬鹿を見るような目で俺のことを見る。

「自分のだよ」

 言われて自分の頬を確認するように指先で触ってみるが、何かついているわけではないようだ。真琴が一体何を言いたいのかわからずに疑問符を浮かべていると真琴がぶっきらぼうに「あとで鏡でも見ろ」と吐き捨てるように言った。

「え、なんかついてるなら言ってよ」

 言いながら真琴のほうへと乗り出すと、離れろとばかりに半歩距離を取られた。そして面倒だとあからさまに態度に表しながらぽつりと、まるで皮肉を口にするかのように言ってのけた。

「笑顔」

「はい?」

 言われて、俺はもう一度自分の頬を撫でまわす。そして自分の口角を指でなぞってようやく理解する。確かに、俺は笑っていた。それも笑顔というよりも、にやけると表現したほうがいいような気持ちの悪い笑みを。

 俺は慌てて口角をもみほぐして顔を元通りにしようとする。しかしそのさなかで、真琴がまるで独り言のように呟いた。

「いいことでもあったか」

「……………そう、だね」

 言われて、口角が緩むのも気にせずに口にした。

 いいこと、といってしまっていいのかはわからないけれど、確かにあれがきっかけで分かったことはあったから。

「……真琴、あのさ。真琴の言ってたこと、やっぱり違ったみたい」

「は?」

 俺が言うと真琴は何言ってんだこいつと言いたげな顔で俺のことを見た。俺はいつにもまして不愛想な反応をする真琴に歯をのぞかせて返す。

 すると真琴は頬を引きつらせると、スタスタと歩調を上げて昇降口へ向かって歩き始めてしまった。

「え、ちょっと待ってよ」

 言いながら真琴を追いかける。ついでにソウに視線を向けてみるが俺の幼馴染は少し後方で首を捻りながらゆったりと歩いていた。

 仕方ないと思いながら真琴に追いつくと真琴がぶっきらぼうに言う。

「暑い、離れろ」

「いやそんな競歩みたいなのしてたらそりゃ熱いよ」

「自転車置いて来い」

「昇降口の先にあるんだから方向一緒でしょ」

 いいながら真琴の横を歩きながらワイシャツの胸元をつまんでパタパタと仰ぐ。見れば真琴の額には修学旅行の時の様に大粒の汗が浮かび上がっていた。

「暑そうだね」

「そう言ってるだろ」

 俺が言うと真琴はそんなことわざわざ言わなくていいと言いたげににらみを利かせる。いつにもまして不愛想な顔を浮かべ続ける悪友に苦笑いを浮かべながら、ほうと一つ息を吐いて空を見上げた。

「うん、暑いね」

 そう言って呟いたとき、俺の頬には手が添えられていた


第五章完結となります。

このままのペースで行くと完結までまだだいぶかかってしまいそうなので、今年度完結を目指して書いていこうと思います

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