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Primula  作者: 澄葉 照安登
第一章 二人目の新入部員
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二人目の新入部員 6

 雨の中を一人で歩いていく。

 六時を回ってあたりはかなり暗くなっている。日の長い夏といえども曇天の下にいては太陽の光もわずかしか届かない。

 そんな空の下、俺は先ほど一人で走って行ってしまった永沢さんの後を追うように歩いている。

 ――というか数十メートル先に信号待ちをしている永沢さんの姿が見える。

 見れば、彼女は傘も差さずに鞄を頭の上にのせて傘代わりにしている。豪雨とまではいかないにしても小雨というにはやや大きい雨粒をその程度で防げるわけもなく、遠目にもわかるほど彼女の体は雨に濡れていた。

 小走りに彼女のもとまで行き、さっきと同じように小さな折り畳み傘を彼女の上にかぶせる。

「――え?」

 不思議そうに振り返った彼女が俺の顔を見上げる。

「さっきぶり、だね」

 はははとぎこちない笑みを浮かべながら永沢さんに声をかければ彼女はぱっと目をそらしてしまった。かなり警戒されているらしく、彼女はあからさまに距離を取った。

 俺はこれ以上彼女が濡れないようにと傘から少しはみ出してしまった彼女を追うように傘を動かす。

「…………ありがとうございます」

「どういたしまして」

 目を逸らしながら、呟くように言ったその言葉を何とか聞き逃さずにすむ。

 アスファルトの雨を絡ませながら走る車の音が行ったり来たり。それにつられるように永沢さんの体もふらふらと左右に揺れている。

 ちらりと横目で見ると、雨が降り出してまだわずか数分といったところなのに彼女は髪から雫が滴るほど濡れている。

「大丈夫? 何か拭くものとかある?」

「え? あ、ええと…………」

 さっきまで頭にのせていた鞄の中をまさぐる。しかし鞄をまさぐり続けてようやく出てきたのは小さなハンカチタオルだけだった。

 永沢さんはそれを使って体中を濡らしている雨を拭き取ろうとする。

「それじゃあ足りないよね……」

 当然、十センチ四方程度のハンカチでは滴るほどの雨をすべて拭き取ることはできない。

 俺も鞄の中に手を突っ込んでまさぐってみるが、運動部でもなければ今日体育の授業があったわけでもない俺の鞄からちょうどいいものが出てくるはずもない。結局鞄の中を掻きまわしただけで手を引っこ抜く。

 そんなことをしているうちに信号が青に変わった。

「先輩、ありがとうございました」

「え、ちょ、ちょっと待って!」

 言うが早いか傘から飛び出し駆け足で去って行ってしまおうとする永沢さん。俺が慌てて彼女を呼び止めると、先ほどの学校の時とは違って声が届いたようで横断歩道の途中で立ち止まってくれた。

 俺は駆け足で彼女のもとまで行くと雨に打たれている彼女を再度傘の中に入れる。

「永沢さんは駅に行くの?」

「? はい、そうです、けど……」

 彼女は俺のちょっとした質問にすら訝しげな視線を送りつけてくる。会ってまだ日が浅いとはいえここまで警戒されていると不安になるどころか疑念すら抱けてしまう。

俺はそんな彼女におっかなびっくりに提案した。

「なら、せめて駅までは送らせてくれないかな?」

「……大丈夫です」

「いや、そう言われてもさ――」

「本当に平気です、から」

彼女は俺の言葉を遮りながら強い口調で言う。遠慮していると言う風ではない彼女の様子に俺は頭を悩ませる。

 なんともいい返事がもらえそうにない。ここまで頑なに拒否されてしまうと、もうこの場を去る以外の選択肢など無くなってしまう。

 しかし、このまま女の子を雨に晒したまま帰る事ができるはずもない。

「……駅までは道が一緒だから、そこまで一緒に帰らない?」

 なので俺はそんな提案した。駅の方に俺の家はないのに。

「結局道は一緒だから、大差ないと思うんだけど……」

 ダメ押しでそう付け加える。

 彼女は不思議そうに、怪訝そうに俺のことを見つめる。まるで品定めをしているみたいに。

 彼女の様子を見る限り断っている理由は遠慮ではない気がしたけれど、万が一にも遠慮であれば気にしなくてもいいということがこれで伝わるはずだ。

 それでもなお嫌だと断られてしまったのなら以上の無理強いはできない。そうの。今でもかなり警戒されている様子なのに、これ以上しつこくしたら本格的に嫌われてしまうかもしれない。これから放課後の時間を共にする後輩と険悪な関係になるのは避けたかった。

だから俺は内心で諦めながらも手に持っていた傘を差し出す準備をした。

「――じゃあ、おねがいします」

「え? あ、ああ。うん」

 しかし、俺の予想とは裏腹に、彼女は少し不安げな視線を向けながらもそう答えた。いい返事がもらえないと思っていた俺は吃りながらもなんとか言葉を返す。

 ふう、とため息とも安堵の吐息ともわからないものを吐き出していると、目の前の信号機が点滅していることに気が付いた。「あ、ごめんっ。渡ろうか」

 横断歩道で立ち止まっていた事を思い出して早口に言えば、彼女はこくりと頷いて俺のとなりに並んでくれた。

 間の空いた距離を保ちながら俺たちが渡りきると、信号はすぐに赤になってまた車が駆けだした。ヘッドライトが雨や雨でぬれたアスファルトに反射したせいで目を細めた。

それから一度となりの彼女の様子をうかがってからゆっくりと歩き出す。彼女もそれにあわせて歩き始めてくれた。

 歩きながら、小さな傘から永沢さんの体がはみ出してしまわないように、歩調の違う彼女を置いていってしまわないように隣にいる女の子に意識を傾ける。

 雨に濡らされてしまった永沢さんは、場違いな感想だけれど少しだけ色っぽかった。

 後輩なので大人びた色気があるかと言われればそうではない。おとなしい雰囲気のある彼女は、どちらかといえば綺麗や色っぽい言葉よりも可愛らしいという言葉が合う女の子だ。

 俺が感じている色っぽさは例えるなら、修学旅行やプールの授業後の普段とは少し雰囲気の変わった女の子を見ているような感覚に近い。俗的な言葉で言うならばギャップ萌え、といったところだろうか。

そう思いながら歩いていると、彼女がちらりと俺を見上げた。

「…………どうかしましたか?」

「あ、ごめん、その。結構濡れてるから大丈夫かなって、あはは」

 ずっと見ていたことがばれてしまってとっさにそう口にしたが、苦しい言い訳だった。

彼女は怪訝そうに俺を見つめながら、半身で距離をとった。当然だ。会って間もない、それも大した会話もしていない顔見知り程度の相手にこんなに観察されたらそれは嫌に決まっている。

彼女の目を見つめながらもなんだか申し訳ない気持ちになった俺はふいっと顔を逸らした。

 その時、ふと、そういえばと思った。彼女としっかりと目を合わせたのは初めてだったと。

 彼女が部室に初めて来たときは俯いてしまっていたし、そのあとの自己紹介もしっかりと目を合わせるというよりかは部員全員を見まわす感じだったし、俺自身の自己紹介の時に関しては歯切れの悪い自己紹介をごまかすように視線を反らしてしまった。

 今日部室で夏祭りの話をするときだって一斉に向けられた視線に耐えられなかった俺は終始キョロキョロしていたし、ついさっき昇降口前でだって永沢さんはずっと俯いてしまっていた。

 しっかり目を合わせたからなんだという話ではないが、そんな事を気にしてしまった。

何故だろうと思いながら頭を掻いていると、俺の目線より少し低い位置から声が聞こえた。

「平気だと思います。……あの、傘、ありがとうございます」

「ああ、気にしないで。むしろお節介だったかなって思うし」

「いえ、助かりました」

「そう? ならいいんだけど」

「…………」

「…………」

 言葉を交わしあったのもつかの間、すぐに会話が途切れてしまった。

 これは俺から何か話題を振るべきなのだろうか。いや、たぶんそうだろう。こういうのって男のほうからしないといけない気がするし、でも話題なんていってもそんな急に思いつかないし……………………。

 たいして良くもない頭をフル回転させながら必死で話題を探す。

 何とか気まずい空気にしないようにしなくてはいけないという使命感に従って考える。

「……あ、そういえば永沢さんって家どこなの?」

「え、何でですか」

 俺の質問にものすごい訝しげそうな視線を向けてくる永沢さん。しまったと思いながら焦ってしどろもどろになりながらもフォローを入れようと試みる。

「あ、いやっ、変な意味じゃなくてね!? 明後日の夏祭り、誘ったはいいけどみんな家どこだろうって思ってさっ。ほら、電車で来てる人とはかは結構遠くから来てる可能性もあるから、手間なんじゃないかなって」

「あー、えーと。私は二つ隣の駅です。そんなに遠くじゃないです」

「あ、そうなんだ。なら大丈夫、かな?」

 俺が尋ねると永沢さんはこくんと頷く。

 今向かってる駅の周辺にはコンビニやちょっとしたファーストフード店くらいしかないが、少し電車に揺られればそれなりに都市化した町まで行くことができる。この近くには大きなデパートやショッピングモールどころか、ファミレスも数か所しかない。商店街があるにはあるが、最近じゃシャッターが閉まっている店のほうが多い。大きな買い物をするときは電車を使って買い出しに行くことも少なくない。

 駅前だけなら発展途上くらいの印象だが、少し大通りからそれてしまえば田舎だ。俺の家やソウの家の近くは田んぼか明後日夏祭りの縁日が開かれる神社くらいしか挙げるものがない。

「そういえば、八月になれば花火大会とかあるよね」

 ふと、思い出して口に出してみた。実際行ったことはないものの数駅離れている程度ならば花火の音も聞こえてきたりするし、少し見晴らしのいいところに行けば見えないこともない。毎年花火の音を聞いていれば、見に行く習慣がなくとも自然と覚えているものだ。

「あ、はい。八月の最初にやってます」

「そっか。部活のみんなで見に行くのもいいかもね」

 そう言うと俺の横を歩く永沢さんの歩調が急に落ちた。俺は慌てて歩調を落として永沢さんの隣を歩くように心がける。

「永沢さん?」

 俺が呼びかけるが返事はない。何か変なことを言ってしまったのだろうか。

 そういえばさっき昇降口でもこんな風に俯いていたなと思い出す。

「そういえばさっき……」

 口にしようとして、俺はそこでやめることにする。

 今そんなことを聞いてもきっと何の返事も帰ってこないだろう。興味本位で聞いてしまって、もしその答えは自分の想像を絶するものだったら、受け止められる自信は俺にはない。それにきっと、この子は聞いてきてほしくないはずだ。

 さっきと同じように俯いてしまった永沢さんを見ながら俺は思う。

 ついさっきまであんなにも警戒していた人に自分のことを根掘り葉掘り尋ねれられたくなんかないだろう。俺ならそう思う。自分が信用していない人から何かされても、戸惑うばかりでそれをありがたいと思うことは難しい。

 今だって、他愛のない話ならば適当に受け答えをしてくれるが、必要以上に踏み入ろうとすればまた距離を取られてしまう気がする。そしてきっと、今度は近づかれるのを嫌がるだろう。

 なぜだかわからないけれど、永沢さんは人に対して過度に警戒している。いや、警戒というか怯えているように見える。

 怖いから、必要以上に相手との距離を気にして、あまり近寄ってこないように、お互いに干渉しあわないように。そんな微妙な関係を、距離感を保とうとしている。そんな気がする。

 警戒している動物と向き合いたければ、向き合ってほしければ。相手の嫌がることはせずに、相手と目線を合わせて警戒しなくてもいいと伝えてやらなくてはいけない。

 だから、きっとここで俺が必要以上の言葉をかけるのは間違っていると思う。

 少しでもいい関係にしたいのなら、それは聞くべきではない。いつか、もっと親しくなってから、一定の信頼を得てから聞くべきだ。

「……えっと、永沢さんはさ。屋台とかで何か好きなものはある?」

「え?」

 だから俺は、そんな他愛のない話を振った。

「ほら、焼き鳥とか、お好み焼きとかいろいろあるから、何が好きかなって思って」

「えっと……。イチゴ飴、が好きです」

「いちご? そんなのあるの?」

 リンゴ飴はよく見るけれどいちご飴なんて聞いたのは初めてだ。ブドウ飴なら見たことがあるけれど、そんな感じだろうか。

「はい、たまに見かけます。リンゴ飴だと、大きいので」

「あー、なるほど。……イチゴか、見たことないな。売ってるかな……」

「花火大会のときにたまに見かけます」

「あー、そういうところならあるかもね」

 小さな神社の縁日では見かけなくとも、町全体で開催する花火大会の屋台ともなれば数が違う。少し探せば多少珍しいものならあるかもしれない。

「俺も今度探してみようかな」

 そう言って永沢さんに笑顔を向ける。

 そんな話をしていると、もう駅は目の前だった。

 駅の入り口まで一緒に歩いていって屋根の下に入る。

「ありがとうございます」

 傘をたたんでいる俺にぺこりとお辞儀をする永沢さん。俺はいやいやと手を振る。

「先輩は、最寄りはどこなんですか?」

「え? え、あ、ああ。えーっと……」

 しまった。駅まで一緒という設定を忘れていた。駅までは一緒と言われれば当然電車を使うものだと思うだろう。これごまかしたほうがいいのかな……。

「あっと、俺コンビニ寄ってから帰るから、また明日ね」

「え、あ、はい。また、明日です」

 焦りながら俺が言うと永沢さんは不思議そうな顔をしながらまたぺこりと頭を下げる。

 俺はひらひらと手を振ると永沢さんは階段を上って駅のホームのほうへと歩いていった。

「……俺、何やってんだろ」

 永沢さんが見えなくなってから呟いてまた傘をさす。駅や周囲のお店の光が雨に反射して一層まぶしく感じる。

 さっき永沢さんに向かって小さく振っていた自分の手を見つめる。

 別れの挨拶もしっかりできなかった自分の手を見て呆れ笑いが漏れる。

 せめて何か言葉を口にすればもっと自然な感じになったんだろうに。そう思いながら俺は見下ろした自分の手を握ったり開いたりする。

 不意に駅へと続く階段からぞろぞろと人の足音が聞こえてくる。いつまでもこんなところにいないでさっさと帰ろうと思い俺は見つめていた手を下ろして歩き出す。

 挙動不審になっている自分を振り返って恥ずかしくなる。

俺はごまかすように鞄を背負い直して来た道を戻って行った。


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