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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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二人きりの修学旅行 4  

「何かアプローチすればよかったのにー」

 ベッドに二人で寝ころびながら恋バナに熱を入れること暫し。一方的に過去の恋愛経験を暴露させられた私に対して美香はバッサリと、当たり前のことだけれど私にはとても難しかったことを口にした。

「そんな勇気なかったよ……」

 物静かだった私には当然そんなことはできるはずもなく、そして今ここでそんなことを言われても過去が変わるはずもなく、私は何もできない不甲斐ない自身と、無理難題を平然と口にした美香に向けてため息を吐いた。

「もしかしたら付き合えたかもよー」

「いいよそんなこと言わなくて」

 私は聞きたくないとばかりに肩をすぼめてそっぽを向いた。

 今更、昔一時好きだった人とどうこうなりたいとは思っていない。もう数年前の話だし、その人としゃべったのだって片手の指で足りるほどの回数だ。好きだったという事実だって、周りの空気に感化されてしまっただけに過ぎなかった。

だから、もしも過去のどんな人と付き合える権利がもらえたとしても、私は誰も選ばないと思った。きっと、それほどのめり込むこともできなかったと思うから。

 それに今の私は、恋ができるような女の子ではなくなってしまったから。

 ふと、あの時のことを思い出して自分の手首を守るように握ると、それを見た美香があっけらかんという。

「まあ、楓は奥手だもんね」

「奥手とかじゃないよ。……昔はそうだったけど」

 美香のわかりきったと言わんばかりの言い草に少しむっとしながら言い返す。昔は言葉数も少ない教室の隅にいるような子だったけど、最近はそんなことはない。教室ではいつも美香と一緒だし、部活では先輩たちと楽しくお話している。放課後最寄り駅までは美香と一緒。いつも一人だったそれまでとは明らかに違う。

 それなのに、美香は笑顔で言う。

「奥手だよ。違う言い方をするなら清楚? 物静か? そういう感じ」

「そんなこと……ないと思う、けど」

 清楚、なんて言われるほど私は清らかじゃないし、物静かといわれるほど言葉数が少なかったり身振り手振りが小さいわけではない。奥手というのだって、今私が男の人に近寄れないからそう見えているだけだと思う。

 けれど、美香はやっぱり笑顔でからかうように「奥手だよー」と口にした。

 なんだかそれが少し馬鹿にされているような気がしてむっとしたので会話の矛先を変えてやろうと美香に問いを投げかけた。

「美香は…………どんな人が、その、タイプなの?」

 好きな人はいるのかと聞きそうになって、少し口ごもってからそんな言い方をした。

 恥ずかしかった、というのもあったけれど、それ以上にそれを聞いてしまってもしまだ総先輩への思いが消えていなかったらどうしようとためらってしまった部分もあったから。

 そんな私の胸中を知らない美香はなおも笑顔で、どうでもいいことを話すようにずっと抱きしめていたクマのぬいぐるみと一緒にベッドの上を転がった。

「んー、タイプかー…………。あんまりそういうの無いかな?」

「好きになった人がタイプ、とか?」

 私が訊くと美香は再びベッドを転がりながら「んー」と唸り声をあげた。一人用のベッドに私も一緒に寝転がっているから何かの拍子に弾き飛ばされてしまわないかと少し不安を感じたけれどそのまま美香の答えを待つ。

 けれど、美香の熟考は終わる気配がない。飽きもせずに何度も何度もベッドの小さなスペースを行ったり来たりしているだけだ。

 これだけ悩むということは、どんな人がタイプというのがないのかもしれない。どんな人がタイプかなんて考えたこともないのかもしれない。

 よく、恋は突然やってくるなんて言葉を耳にするけれど、それと一緒で美香はそういう感覚的な恋愛をする人なのかもしれない。

 こういう系統の人が好き、ではなく。気付いたら好きになっていた、というように。

 美香は、そういう一目惚れタイプの女の子なのかもしれない。

 そんな風に、目の前を転がり続ける勝手に同級生を分析していると、美香が突然ピタッと動きを止めて勢い良く私のほうを向いた。

 いったい何だろうと思いながら首を傾げると美香は衝撃の事実でも口にするかのように重々しい口調で言った。

「私、甘やかしてくれる人がいい」

「あ、甘やかしてくれる人……?」

 予想の斜め上を行く答えに思わず復唱するしかなかった。

 もしも仮にクラスの女の子に、常に厳しい人と常に優しい人どちらがいいと問いかければ、もちろん甘やかしてくれる人と答える子が大半だと思う。どんな子だって彼氏には優しくされたいし、甘やかして欲しいと思うものだ。

 だから美香のその答えも不思議でないと言えば不思議ではない。私だって多分甘やかしてくれる人のほうがいいと答えるだろう。

 けれど、一番最初にそれが来るのは少しどうなんだろうと思ってしまう。

 多分、タイプの人と問われて一番最初に出てくるのは優しい人、かっこいい人、かわいい人あたりが定番のはずだ。

 美香の答えは優しい人の区分に入る回答だとは思うけれど、それでも、一番最初に甘やかしてくれる人という答えが出てきたことに私はどうかと思ってしまった。

 苦笑いを浮かべる私に、美香は何を思っているのかわからない妙に真っ直ぐな瞳で私のことを見ると、ほっと勢いよく息を吐きながら横たえていた体を起こした。

「文芸部の先輩たちって、なんか兄弟みたいじゃない?」

「え、なに、いきなり」

 何の脈絡もない突然の発言に戸惑う私だが、美香はそんなことお構いなしに「いいからいいから」と笑顔を浮かべる。

「総先輩、松嶋先輩、原先輩。あの三人ってすっごく仲いいでしょ? 多分ずっと昔からの友達なんだと思うんだけど、たまに友達っていうより兄弟って感じがすることない?」

「え、っと……よく、わからないけど……」

 いきなりの話題転換の付いていけず、美香の言っていることもいまいちわからず。私はただただ戸惑うばかりだ。

「私は思うんだよね。あの三人って、お互いにないものをカバーしてる兄弟みたいだなって」

 美香は得意げにそう言うと、私に向かってニッと八重歯をのぞかせて見せた。

 美香の言っていることは、やっぱりいまいちよくわからなかったけれど、美香は座っているのに私だけ寝転がっているのもよくないと思って私は横たわっていた体を起こして美香の隣で膝を抱えて座った。

 それを見た美香は話に乗ってきてくれたと思ったのか、ふふーんと楽し気に鼻を鳴らすと抱えたままのクマのぬいぐるみをいじりながら言った。

「総先輩は皆を引っ張って、松嶋先輩は皆を見守って、原先輩は自由奔放に、みたいな?」

 どう、と尋ねるように視線を向けられたけれどやっぱり美香の言っていることはいまいちピンと来なくて私は首を傾げた。

 うまく伝わらなかったことを疑問に思ったのか美香はまた唸り声をあげると人差し指をぴんと立てて言う。

「もしも、先輩たち三人が本当の兄弟だったら、どんな順番だと思う?」

「兄弟って言われても……」

 言われて先輩たちの姿を思い浮かべる。

 明るく染めた髪に明るい笑顔が特徴的な総先輩。日に透ければ多少明るく見えるけれど決して明るい色とは言えない髪の困ったように笑う松嶋先輩。墨汁で塗られたような真っ黒な髪の毛の無口で不愛想な原先輩。

 外見だけ見てしまえば兄弟とは到底思えない。だから私はもしも兄弟だったらなんて過程で話されてしまって何も言えなくなってしまう。

 カメが頭をすぼめるように膝に口元を隠した私はさっきの美香同様、んーと唸り声をあげる。

 そんな私を見かねてか、美香が助け船と言わんばかりに付け足す。

「性格的な問題だよー。この人がお兄ちゃんっぽいとか、そういうの無い?」

「んー」

 言われて、なるべく容姿を気にせずに考えてみる。

 もしも先輩たちが本当の兄弟なら。誰が兄で誰が弟か。

 ありえないことだけれど、美香に言われたとおりに考えてみる。

うまくかみ合ってくれず何度も考え直す。そうして数秒間じっくりと考え込んでから、おずおずと、時間をかけた出した答えを口にする。

「……総先輩と松嶋先輩が双子で、原先輩がお兄ちゃん……かな」

「え、予想外でちょっとどうしようなんだけど」

 私が言うと、美香が本当に意外そうに目を丸くした。けれどそれも一瞬で美香がずいっと私に詰め寄る。

「じゃあ、総先輩と松嶋先輩どっちが先に生まれたと思う?」

「…………松嶋先輩、かな?」

 せかすように言われて、反射的にそう答えた。するとその答えが気に入ったのか、美香はニッと笑うと「だよね」と口にした。

「やっぱり松嶋先輩のほうがお兄ちゃんっぽいよねー。でも、原先輩ってお兄ちゃんっぽい? 私あんまりそういうイメージないんだけど」

 うんうんと頷きながらも、抱き着いたクマ越しに腕を組む美香。その問いに少し悩んでから、私はその根拠を口にした。

「原先輩って、普段は無口でその……ちょっと怖いけど。でも周りをよく見てて、それで優しいところもある人だから、お兄ちゃんっぽいかなって……」

 私が原先輩をお兄ちゃんっぽいと、年上ぽいと感じたのは夏にあった文芸部の取材の時のことがあったからだった。

 原先輩は、私の様子を見て、誰よりも早く何か悩んでいる、気にしていることがあると気付いてくれた。そういう周りを見ているところが、それでいて普段はあまりしゃべらないところが、少し距離の空いた兄の様に思えたのだ。

 そして総先輩と松嶋先輩は、無邪気な双子の弟と、それに振り回される面倒見のいい兄といった感じにも映ったのだと思う。

 勝手に先輩のことをそんな風に分析して、あとで怒られないかと怖くなってしまうけれど口にしてしまった以上もう取り消すこともできない。私は若干の恐怖を感じながらも美香の様子を覗った。

 すると美香は顎に手を当てる代わりなのか、口元をクマのぬいぐるみで覆ってくぐもった声で「ほーん」と何やら納得していた。

 私は一向に美香の胸中が読めないままその姿を見つめ続けると、美香はぱっとクマのぬいぐるみから唇を話して言った。

「私はさ、原先輩が末っ子かなって思ったんだ。原先輩ってあんまり周りを気にしないでしょ? 部活中もずっとパソコンやってるし、まあそれは真面目に文芸部の活動をしてるのかもしれないけど、やっぱりちょっとあれかなって」

 ついさっきまで美香の言いたいこと言っていることは何一つわからなかったが、今回のことに関しては、美香の言っていることはわからなくもなかった。

 美香の言った通り、原先輩は部活中いつも一人で部室前方にある教卓でノートパソコンを操作している。いつも熱心に小説を書いているらしいが、私たちはそれに目を通したことは一度もない。だからどんな物語を書いているのかも分からないし、そもそも本当に執筆しているのかも私たちにはわからない。私たちにわかるのは、原先輩は私たちの談笑の輪には入らずに、毎日パソコンに向き合っているということだけだった。

 原先輩はいつもそんな様子だから、人との向き合い方のわからない不器用な末っ子、という印象を受けるのかもしれない。私だってあの事がなければ原先輩のことをそう思っていただろうし、今でも無口で怖い先輩だと思い続けていたと思う。

 ようやく美香の言っていることが理解できて頷くと、美香は満足そうに続きを口にした

「総先輩は、いつもみんなを引っ張って、いろんなことも決めてくれるし積極的で、お兄ちゃんって感じがしてたけど。結構気分屋だったり行き当たりばったりなところもあるから二番目かなって」

 それも大まかには納得できたけれど、美香の言っているのと私が思っているのとでは、僅かなズレを感じた。

 それは多分、美香が総先輩とそれだけ一緒に居たということ。私の知らない総先輩を、美香は知っているのだろう。

 そう思いながら頷くと、いったん言葉を区切った美香が私のことをじっと見ているのに気づいた。私は変な顔をしていたのだろうかと思って自分の頬に触れてみるが特に表情が変わったわけではなさそうだ。

 どうしたんだろうと思って小首をかしげると、美香はふうと息を吐いてから言った。

「松嶋先輩は、あんまり自分から何かをする人じゃないけど、総先輩とか原先輩の様子に困りながらもいろいろしてくれる面倒見がいい人だなって思う。いつもみんなのことを見守って、苦笑いしながら甘やかしてくれそうだなって……」

 そこで美香は息継ぎのように言葉を区切ると、私のほうに向きなおった。

「楓は、今好きな人いる?」

「え、いないけど……」

 またしても予想外の話題転換についていけずに戸惑ってしまう。けれど、それでも何とか答えて私の瞳をのぞき込む美香を見つめ返す。

「本当に?」

「う、うん」

 美香がにじり寄りながら真剣な声音で言うから私は逃げるように体をのけぞらせた。

「先輩に助けてもらったりして、好きにならなかった?」

「う、ん……」

 妙な気迫を感じて、私はたった二音を途切れさせながら口にした。

 すると美香は安心したようにふうと息を吐いてから言葉をつづけた。

「私ね、お兄ちゃんみたいな人がタイプなんだ」

「うん………………えっ?」

 美香の言葉に、思わず疑問符が浮かんでしまった。お兄ちゃんのような人がタイプ。それはわからなくもない。包容力のある。自分を大切にしてくれる。優しい人がいい。そんなの女の子ならみんなそうだ。優しい人がいいなんて当たり前。

 けれど、今言っているのは多分そういうことじゃない。もしそうなら、わざわざ先輩たちを兄弟に例える意味なんてないのだから。だから、これは多分、そういう意味。

 私が確認するように美香の顔を見ると、美香は悪戯っぽく笑った。それだけでもうわかったけれど、私は勘違いではいけないと思って念のために口を開く。

「美香、松嶋先輩のこ――」

「はい、じゃあこれでこの話はおしまい」

 しかし、問おうとした言葉は、美香の強引な声によって遮られてしまった。そして美香はバサッと布団をはためかせると私を巻き込んでベッドに倒れ込んだ。

「もう遅いし寝よっ。明日も学校だよ」

 言うと美香は同じ布団をかぶったまま私に背を向けた。恥ずかしかったのだろうか、そう思うと美香がとてもかわいく見えてきてしまって私はふっと噴き出すように笑ってしまった。

 そしてその笑顔のまま、私は美香と背中合わせになった。

 目を瞑る直前もう一度笑顔が浮かんできてしまって、それを隠すために口元を布団で隠した。

 いい人だ、と思う。あの人はとてもいい人で、優しくて、引かれてしまうのも無理のないことだと思った。私はそういう気持ちは抱けなかったけれど、いい人だと思うことはできた。

 だから。だからこそ、私は思った。背中合わせでいられると。

 だから私は、隠すように、囁くように。自分の口の中で伝えはしない思いを背中に当たる彼女に向けて口にした。

「……応援、するよ」

 言いながら、私はふと、自分の部屋のことを思い出した。


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