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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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二人きりの修学旅行 2

 美香の家は、一言で言うと暴れていた。

 部屋の床を埋め尽くさんとばかりに散らかったそれらは、まるで部屋の主がいない間にこの部屋で小さな運動会でも繰り広げられていたかのようだった。

 机の上を見れば綺麗に整頓されていて無駄なものなど何一つありはしないのに、ベッドの上をはじめとして床の上まで広がったそれは普段どうやって整頓されていたのだろうかと問いたくなるほどの数だった。

 とはいえ、あまりこの部屋に汚いという印象は受けない。机の上は綺麗に整頓されているし、小物や文房具が散らかっているわけでも、使い終わったマグカップをそのままにしているわけでもない。

 部屋に散乱しているそれらはふわふわとしていて女の子らしい。だから散乱していると表現できるような状況であっても汚いと表現するにはあまりにも可愛らしかった。

 私はその暴れまわったあとで疲れて眠ってしまった子供の様に床で眠るその子を両手で抱き上げて頭を撫でた。

「すごい数だね」

 ふかふかとしたその子と目を合わせながら美香に言うと、後ろでポフッと音がした。

 振り返ると美香は制服姿のままベッドにあおむけに寝転んでいた。ボタンが外れかかったワイシャツと太ももまでまくれ上がったスカートが少しだらしない。

「でしょ? 小学生くらいの時からかな。ずっと集めてるの」

 そう言うと美香はベッドで先に寝ていた自分の体ほどもある大きなクマのぬいぐるみに抱き着いた。

 私はその美香に倣って、もう一度手の中で大人しくしているそれを撫でた。

 美香の部屋は、ぬいぐるみで埋め尽くされていた。手のひらサイズの小さなものから二メートルに届かんとする大きなぬいぐるみまで。種類だってクマや犬や猫、ワニにフクロウと多種多様。インテリアとして置いてあるというよりは、コレクションと呼ぶ方がいいのかもしれない。

 けれど、床に放り出されているのを見るとあまり大切にしていないのではないかと疑いたくもなってしまう。おそらくは置き場所がなくて床を埋め尽くしてしまっているのだろうが。

 私は自分の手の中で大人しくなでられていたペンギンをベッドに寄り掛からせて、ベッドでクマのぬいぐるみを絞殺さんばかりに抱きしめている美香に言った。

「美香、制服しわくちゃになっちゃうよ?」

 明日だって学校はある。ワイシャツの替えはあるだろうがスカートは夏服と冬服用の二着しかもっていないだろう。あと数日で衣替えとはいっても明日が暑い日にならない保証などないのだから、夏服のスカートをしわくちゃしないほうがいいはずだ。

 そんな風に思って口にした言葉だったのだけれど、思いのほかその言葉がお母さんじみていて少し恥ずかしくなってしまった。

「なんかお母さんみたい」

 そう思ったのは美香も同じだったのか、ぬいぐるみに埋めていた顔をこちらに向けてぽそりと呟く。

 私は余計に恥ずかしくなってしまって顔を逸らした。逸らした先には、多種多様なぬいぐるみたちがお行儀悪く寝転がっている。

「…………?」

 そこで、動物園顔負けの多種多様の動物を集めた美香の部屋を見て、ふと思った。私はぬいぐるみの群れを見回しながら美香に尋ねる。

「……同じぬいぐるみは持ってないの?」

 まったく同じぬいぐるみを複数個買う人なんてそうそういないだろう。二つで一つのペアタイプのぬいぐるみならばあるかもしれないが、それだってまったく一緒ではない。カップル用だったりするそのセットのぬいぐるみは片方が男の子、もう片方が女の子に見えるようにとアレンジされている。

 だから、まったく同じぬいぐるみがないのは別に驚くようなことではなかった。

 私が思ったのは似ているけれど少し違うこと。

 美香の部屋のぬいぐるみは、同じ動物をかたどったものが二つと存在しなかった。

 ぬいぐるみだって作っている会社やシーズンによってところどころ変わったりするものだ。だからそういう似通ったものがあってもおかしくない。むしろ同じようなものを集めてしまうものなのだ。

 だから、同じ動物が被ることなないぬいぐるみたちを見て不思議に思う。

 人の趣味趣向は大きく変わることはない。だから無意識に買ったものがもともと持っていたものにそっくりなことだってよくあることだ。

 けれど美香の部屋には、そう言ったかぶりがなかった。

 どうしてだろう、そう思いながら美香に言うと、美香は足を振り上げてスカートが翻るのも気にせずに反動を使って起き上がった。そしてクマのぬいぐるみを手放すまいと力強く抱きしめて言う。

「うん。同じ子は買わないようにしてる。同じのばっかりになっちゃうと、飽きちゃうでしょ?」

「そうなんだよね……」

 いくら好きなものでも、同じようなものばかりそろえてしまうと飽きてしまうものだ。食べ物だってそう。いくら甘いものが好きでも食べ過ぎれば気持ち悪くなってしまうし、好きな食べ物も毎日食べていては飽きてしまう。だというのに体は条件反射のようにそれを求めてしまうから気付けば部屋には同じようなものばかりがいくつも並んでしまうのだ。

 私は自分のワンパターンな部屋を想像しながら隠すように苦笑いを浮かべた。

「んー、抱き心地最高……」

 しかし美香はそんな私にも目もくれずに再びクマの胸元へと頭を埋めてしまった。

 私は子供のような美香を見て笑みを携えながら美香に言う。

「お気に入りなんだね」

「んー」

 私が言うとクマのお腹からくぐもった返事が返ってきてふっと噴き出してしまった。

 ぬいぐるみが好き、なんて子供っぽいと思われてしまうかもしれない。小学生や中学生ならともかく、私たちはもう高校生だ。興味を持つのなら服やメイクといった方向に変わってもおかしくない。それはむしろ当然のこと。今でもぬいぐるみが好きだなんて言うのはきっとそういうオシャレが好きな人たちからしたら少し子供っぽいと思わざる負えないのだと思う。

 けれど、私はそうは思わない。

 高校生といってもまだ一年生。大人の女性と呼ぶには幼すぎる。それに社会人になってもぬいぐるみが好きな人だっているだろうし、美香の様に抱き枕感覚で抱き着こうとする人だっているかもしれない。

 だからいいと思う。幼くたって、少し遅れていたって。

 私だってその例に漏れず、こういったものが好きだったから。

 私は手持ち無沙汰を紛らわすためにと、ベッドの枕元で寝ていたぬいぐるみを手に取った。大きさは十数センチ。手触りはふわふわしたよくあるぬいぐるみと変わらなかったけれど、なんだか妙に懐かしい気がした。

「美香は猫派なんだっけ?」

「え?」

 突然言われて、私は美香の方を振り向いた。

 目線の先にいた美香はニッと笑うと私の腕に抱きかかえたそれを指す。

 促されるように自分の腕を見ると、無意識に手に取ったぬいぐるみの正体を知って美香がどうしてそんなことを聞いたのか合点がいった。

 私の腕では、子猫が丸まっていた。

 実物大といっても差し支えないであろう子猫のぬいぐるみ。無意識に手に取ったのは、子猫のぬいぐるみだったらしい。

 私は無意識にそれを手に取った自分に内心呆れて、けれどそのぬいぐるみに愛おしいものを透かして言う。

「……うん、猫も……大好き」

 猫だけが好きというわけではないが、私は頷いた。

 無意識というのは恐ろしいもので、大して確認もせずに手に取ったものが心の底から求めているものの場合が多い。何も考えていないとき、ふとした瞬間はもちろん。何か大事な舞台の直前や余裕のないとき。そんなときに手を伸ばしてしまうものは、自分自身すら気付いていなかった手放しがたいと焦がれているものなのだと思う。

 私は、作り物の子猫に何かを映しながら撫でる。けれどやっぱり私が求めるものとは少し違っていて、数度撫でてから苦笑いを浮かべた。

 それを見て、気恥ずかしさとでもとらえたのか、美香は再び笑顔を浮かべるとベッドに寝転んでクマのぬいぐるみを傍らに置いて、今度は床を這っていたワニに手を伸ばした。

「猫もかわいいよねー」

 美香はベッドの端から転げ落ちそうになりながらワニのぬいぐるみを掴むと、先程のクマのぬいぐるみの様にそれを抱きかかえた。

 自分と大きさの変わらないぬいぐるみを精一杯抱きかかえる美香を見て、私は笑いながら美香に言った。

「美香は、大きいぬいぐるみが好きなんだね」

「ん? 違うよ?」

「え?」

 さっきからクマやワニといった大きなぬいぐるみにばかり手を付けるからてっきり大きいぬいぐるみが好きなんだと思っていたので、予想外の返事につい疑問符が口から出てしまった。

 驚いて目を見開く私に、美香は自分の体と同じ大きさのワニを抱いたまま思案顔で言った。

「大きいのは好きだけど、なんだろうなー。……そう、肉食。肉食の動物が好きなの」

 ワニの下あごに頬を摺り寄せながら真顔で私のほうを向く美香。もしも美香の上に乗っているのがぬいぐるみでなかったら、ワニに押し倒されて今にも食べられてしまいそうだ。

その様子があまりにシュールでうめき声も出せずにたっぷり数秒の間を開けてうわごとのように呟く。

「……肉食の、動物」

 口にして、もう一度美香の部屋を見回してみる。

 ベッドを中心に多種多様なぬいぐるみが所狭しと自分たちの領土を奪い合っている。同じ動物を二つと揃えないこと以外に規則性などありはしない。動物園にいるようなライオンやワニ、水族館にいるペンギンや、愛玩動物として飼われている猫など。そこに規則性なんて何もないと思っていた。

 けれど言われて思う。確かに肉食動物ばかりだと。

 ライオンやクマは言うまでもなく、ペンギンだって魚を食べるいわば肉食動物だ。猫だってライオンや虎と同じく肉食動物。フクロウだってそうだ。

 もちろん肉食以外の動物がいないわけではない。犬やオカピなんかのぬいぐるみもある。

完璧に肉食動物のみというわけではなかったけれど、やっぱり肉食動物の多さが際立つ。

 動物園に行けばライオンや虎にチーターなんかの大型の肉食動物はぬいぐるみとして取り上げられやすい。だから最初に部屋を見たときは不思議には思わなかったけれど、それにしてはパンダやリスなんかのかわいいと称される動物のぬいぐるみは見当たらない。

 よくペットとして飼われている愛玩動物に限れば、ぬいぐるみやマスコットとしてポピュラーなウサギの姿がなかった。

 なるほど確かに、美香の部屋を見回して納得していると美香はワニのぬいぐるみを抱きかかえたままくるりと半回転して、ワニを押し倒したような形になった。

「大きいぬいぐるみが好きっていうのもあるけど、肉食動物が昔から好きなんだ。もともと猫が好きだったっていうのもあるかもしれないけどね。最初のころに買ったぬいぐるみはトラとかライオンだったし。んー……」

 言いながら美香はワニを抱きかかえたまま右へ左へとベッドの上をごろごろと転がると、思い出したかのようにピタッと動きを止めて、ワニと一緒に私のほうを見た。

「私、猛獣に襲われたいのかも」

「…………」

 衝撃の発言に、言葉も出なかった。

 この世に猛獣が好きな人は一定数はいるだろう、それこそテレビなんかでもたまに取り上げられるしそれに関してはそこまで驚くことではない。

 しかし、猛獣に襲われたいなどと思う人がいるだろうか。いくら好きでも襲われたいなんて思うはずもない。猛獣に襲われたらケガでは済まないのだから。

 きっと何かの比喩だったのだろう。そう思って美香のことをもう一度見つめた。

 すると美香はその通りと言いたげにニヤッと笑って言った。

「冗談だよ。私は男の人に襲われたいだけだから」

「美香何言ってるの!?」

 さらなる衝撃の発言に私は声を上げるしかなかった。あまりに驚きすぎて抱きかかえていた猫のぬいぐるみを落としてしまった。そしてそれだけでは飽き足らず居所を失った手がその場でプルプルと震える。

 焦る私を見て美香は悪戯っぽい笑みを浮かべている。そしてその顔のまま私に落ち着けと言わんばかりに言った。

「私さ、肉食系男子っていうのが好きなの。だから肉食動物が好きなんだと思う」

「え、それ関係ないと思う……」

 口に出すつもりはなかったのだけれど気付いた時には声になっていた。

 そんな私を見て美香はにやにやと笑った。そしてふうと息を吐くとワニのぬいぐるみを傍らに置いて起き上がった。

「まあそんなことよりお風呂入ろうよ。時間も時間だし」

「そんなことじゃないと思うんだけど……」

 そう言いながらも時間を確認できるものがないかとあたりを見回す。するとベッドの枕元のデジタル時計が目に入った。

 かなり早く学校を出てきたはずなのだが、気付けば八時を回っていた。それもそうだ、ここに来るまでにファミリーレストランで食事をしてきたのだからそれなりに時間も経っている。

 美香の一連の話は、無視するにはあまりに衝撃が大きかったけれど、美香の提案ももっともだと思って私はぎこちないながらも頷いた。

 そんな私を見て、美香はニコッと笑って言う。

「一緒に入ろうよ。うちのお風呂それなりに大きいし」

「え、えっと……それは……」

 確かに美香の家は一軒屋で、マンションやアパートの浴室とは比べ物にならないだろうが、私は頷くことが出来なかった。

 いかに同姓といえども、友達といえども裸を見せるのは、恥ずかしかった。

 何一つ隠すことのできない環境は、恥ずかしくそして怖い。

 けれど、そんな私の気を知らない美香はさっさと着替えを二人分用意すると私の手を引いて部屋を後にしようとする。

「早く早くっ」

「あっ、ま、待ってっ…………」

 強引に私を連れて行こうとする美香に異を唱えるが美香は止まってはくれない。ドアに手をかけると戸を引こうとする。

「美香。ちょっとだけ、待って」

 焦ってもう一度言うと美香はどうしたのと言いたげに振り返った。

 不思議そうな美香の視線が純真無垢な子供を思わせて物怖じしてしまう。急に眼を見るのが申し訳なくなってしまって、目を逸らそうと首が動いた。

 けれど、ここで逃げてしまったらきっと言えない。そう思って自分を制した。

 美香のこの勢いを見るに、多分嫌がっても一緒にお風呂に入ることになるだろう。こうなったら美香は呆れ目てはくれないだろうし、私が折れるのは目に見えている。

 だからもう、覚悟を決めるしかない。すべてを、ありのままを語る、覚悟を。

 ずっと待っていてくれた彼女に、私のことを話すために。今この場では無理だけど、今日の内に言えるように。

 そう思って私は、一度息を吸ってから美香の瞳を見て言った。

「美香、あのね……? 聞いてほしいことが……あるの」

 たどたどしく伝えた言葉の意味を分からない美香は首を傾げていたけれど、わからないままに頷いてくれた。


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