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Primula  作者: 澄葉 照安登
第五章 台風一過
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二人きりの修学旅行 1

「先輩たち、今ホテルかなー」

 二人だけの寒々しい部室で、たった一人の同い年の美香がぼやくようにこぼした。

「まだどこか見て回ってるんじゃないかな?」

 私はまだ四時半を回っていない部室の入り口近くの壁掛け時計を見ながら答える。すると美香は「はぁ」と大げさにため息を吐いて滑るように机に突っ伏した。

「私も沖縄行きたかったー」

 両手を投げ出すように伸ばした美香は唇を尖らせて机の下で足をバタバタと暴れさせている。まるで駄々をこねる子供の用だな、なんて思いながら私はほころんだ口元を隠すために自分の口を手で覆い隠した。

九月の最終週の火曜日。いつも部室で私たちが来るのを待ってくれている先輩たちは、修学旅行で沖縄に行ってしまっていた。

部室のカギの借り方もわからなかった私たちは二人そろって職員室に向かい、緊張し焦りながらも鍵の借り方を傍にいた先生に聞き、何とか部室のカギを手に入れて今に至る。

そんなちょっとした苦労があったからというわけではないけれど、美香はずっと不貞腐れたように唇を尖らせていた。

「沖縄行きたいよー」

「今日一日ずっと言ってるね」

「だって行きたかったしー」

 突っ伏したまま顔をこちらに向けてくる美香を見てまた笑いがこみあげてきてしまう。先輩たちといるときにはいつも笑顔を絶やさない美香だけど、私と二人きりの時はこんな駄々っ子のような一面をのぞかせる。意外と先生のこんなところが嫌だなんて話だってしてくるし、あれが嫌だこれが面倒だなんて言葉もよく出てくる。

 美香は部活中は基本的にずっと笑顔だから、先輩たちは美香のこんな一面を見れば意外だと思うかもしれない。もちろん先輩たちのほうがわずかではあるけれど美香との付き合いが長い。美香のそう言った一面も知っている可能性だってある。

 けれど、普段部室では見せない姿をこうしてさらしてくれているところを見ると、同級生として信頼なりそれに似たものを抱いてくれているのかななんて思いあがってしまいそうになる。

もう一度口角を上げて目元を細めると、私のことをじっと見つめている視線と目があった。

「楓は行きたくないのー。修学旅行だよー。泊りだよー」

「来年は私たちの番だから」

「そういうことじゃなーいっ」

 私はたははとなんとも言えない表情を浮かべると、美香は唇を尖らせたままガバッと体を起こした。

「先輩たちと旅行なんて絶対楽しいよ! 先輩たちと行きたいのー」

 美香が不貞腐れながらもなんとも可愛らしいことを言うから口角が上がってしまった。

 私は口元を隠しながらまるで幼子の面倒でも見ているような気持になりながら彼女に言った。

「美香は文芸部が大好きだね」

「当り前だよ。先輩たちもいい人なんだし」

私が言うと美香は唇をとがらせながらも少し頬を赤らめて恥ずかしそうに言った。そんな様子にまた笑いがこみあげてきてしまう。

「うん、先輩たちは優しいよね」

 そして網を崩さぬまま、今ここにはいない先輩たちの姿を思い浮かべて言った。

 いつも笑いあいながら、とても文芸部とは言えない日々を過ごしている先輩たちははたから見れば遊んでいるようで、不真面目にすら移るだろう。けれど、そんな先輩たちだからこそ、この文芸部は暖かいのだと思う。

 それまでに違うことがあったからこそそう思えるのかもしれないけれど、私は本心からそれを口にした。

美香もきっと同じ気持ちなんだろうなと思いながら美香の様子を覗うと、私をじっと見つめている瞳に気付いた。

「……どうしたの?」

 さっきまでコロコロと表情を変えていたのに、今は微動だにせず、品定めをするような視線を私に向けてくる。美香の大きな瞳で見つめられて体が固まっていく。

 緊張で肩を強張らせていると、美香が私の顔をのぞき込んできて言った。

「楓さ。いつもそうやって笑ってればいいのに」

「え?」

 突然の言葉に思わず声を上げてしまった。

 いったい何の話だろうと思いながらも美香の視線から逃れるように少し体を逸らした。けれど美香は逃がすまいと私との距離を詰めてくる。

「楓、いつも先輩たちといるときはあんまり笑わないからさ」

「そんなことないと思うけど……」

 ずいっと身を乗り出した美香の瞳に圧倒されて半身で下がる。

 確かに私は美香みたいに快活なタイプではないけれど、表情がないというほどではないと思うし、先輩たちといるときは笑っていることのほうが多いと思う。それもこれも先輩たちのおかげではあるけれど。

 自分では笑っていると思うんだけどな、と思いながら首を傾げる。

「そう見える?」

 美香から見た私は笑顔がないように見えているのかと心配になって尋ねてみた。すると美香はうーんと唸りながら腕を組んで体をゆすった。

「なんだろうなー。笑わないってわけじゃないんだけど……。気を遣ってるって言うか、本心から笑ってないって言うか……」

「本心から笑ってるんだけど……」

 そんな風に見えていたのかとショックを受けながら呟くと、美香がハッと思い出したように顔を上げた。

「そう! 目立たない感じ!」

「……確かに私地味かもだけど……そんなはっきり……」

 美香の心ない一言に傷を負ってしまった。

 私は、自分でもわかるほど地味だ。髪の毛は美香みたいに明るい色に染めたりもしていない真っ黒でパーマやカールもかかっていない。それこそホラー映画にでも出てくるような真っすぐな黒髪だ。美香や夕紗先輩みたいに表情豊かでもないし、しゃべるのが得意でもない。話しかけられれば驚いて口ごもってしまったりすることだって多い。

 だから自分が地味だということなんて私が一番わかっている。わかってはいるのだ。

けれど、それでも面と向かってそう言われてしまうと少なからず気にしてしまう。ましてやそれが文芸部内の私の様子であればなおさらだ。

 私は自分の日本人形のような黒髪を触りながら肩を落とした。

「……美香?」

 すると美香が私の顔をじっとのぞき込むようにしているのに気が付いた。なんだろうと思いながら揺れる自分の髪の毛越しに美香に呼びかけると、なぜかわからないが美香が「うんっ」と納得したような声を発した。

「やっぱりいつもは気を遣ってる感じがするよ。なんかちょっと壁がある感じ」

「壁…………」

 壁、と言われて私の頭に浮かんだのは前の部活のことだった。

 私は前の部活――漫研にいたときに人間関係でうまくいかなかった経験がある。漫研の先輩に、強引に言い寄られたことがある。私よりもはるかに強い力で腕を掴まれた経験がある。

 私はそのことをフラッシュバックさせて背筋に冷たいものを感じながら美香のことを見た。

「ん? どうしたの?」

 私の同級生は不思議そうに小首をかしげるだけ、私が何を思い出したかなんて知る由もない。

 当然だ。だって美香は知らないんだから。

 夏休みの時、私が文芸部に顔を出さなくなった時、美香は毎日のようにメッセージを送ってきてくれた。

 今日も部活あるよ。体調悪いの? 待ってるよー。

 関わり合って数週間に私に、美香はメッセージを送ってきてくれた。私はそのことに感謝しているし、今となっては美香のことをこの学校で一番仲のいい友達だと思っている。

 けれど、美香は知らない。七月にあったいろいろな出来事を。

 いろいろ聞きたいはずなのに、問い詰めたいはずなのに。美香は、何かあったら相談していいんだよ、私は楓の味方だからね、とそれだけ口にした。

 急に姿を見せなくなったことを糾弾することなく、ただ私のことを気遣ってそう言ってくれたのだ。

 だから、美香は知らないままだ。あれから一度も聞かれないから、聞かれないことをいいことに、ずっとそれを話すのを避けてきた。

 自分勝手な行動ばかりで、嫌われてしまうかもしれないと思ったから、話せなかった。

「楓? どうかしたの? なんか真剣な顔で考え込んでるけど、恋?」

「あ、ごめん…………。恋じゃないよっ」

 美香の素っ頓狂な問いにやや焦りながら答えると美香はあははと笑った。ケラケラと笑う美香を見て私もつられて噴き出しながら、自分で口にした言葉をリフレインさせる。

 私は恋なんてできない。だってまだ怖いから。

 男の人は怖い。どうやったって力じゃかなわない。逃げ出すことも許してもらえない。真っすぐ対峙するだけでも大きな体に威圧されているような気がして呼吸が浅くなる。触れるなんて考えただけで震えてしまいそうになる。

 それは、先輩たちだって例外じゃなかった。

 まだ怖い。先輩たちがそんなことするような人ではないのはわかっている。わかっているのに、怖い。

 松嶋先輩の手を握ったあの時だって、本当は怖かった。すぐにでも逃げ出してしまいそうだった。でも、先輩の気遣う姿が見たくなくて、傷ついた心を隠すように笑う姿が見たくなくて、やせ我慢でもそうするしかなかった。平気だって、言うしかなかった。

 先輩と一緒に帰った時も、大丈夫なはずなのに怖くて。もしかしたらまた誤解されて変なことになるんじゃないかって、不安だった。

 恋なんてできない。だってまだ壁があるから。

 美香の言う通り、私にはまだ壁がある。自己防衛のための、触られないための距離が。

「あっ! いいこと思いついた!」

「えっ、な、なに?」

 突然の大声に、私は怯えるように胸の前で両手を握る。驚きながらも美香に問うと、私の同級生は私の肩を掴んでずいっと私の顔をのぞき込む。

「私たちもやろうよ!」

「え、えっ?」

 名案とばかりに明るく笑う美香に詰め寄られ、私はのけぞりながら目を見開く。

 いったい何のことを言っているのだろうと、理解できなかった私は自分の肩に置かれた手と美香の顔を交互に見ることしかできない。

 けれど美香は歯をのぞかせると悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。

「修学旅行!」

「えっ? しゅうがく……えっ?」

 美香の言った言葉が理解できずにうわ言のように繰り返してしまう。もちろん言葉の意味が分からないわけじゃない。修学旅行は今先輩たちが沖縄に行っているその行事のことだ。

 そうではなく、修学旅行をするといった彼女の真意がわからない。だって私たちが修学旅行に行くのは丸々一年後だ。先輩たちの乗る飛行機に交じって一緒に行くつもりなわけもないだろう。そんなことしようと頭で夢想しても現実的ではない。そもそも先輩たちはもう沖縄にいる。

 修学旅行なんて今から行くことはできない。何かの暗喩だろうか。修学旅行の様に楽しいこと、みたいな感じで。

 そう思いながらクエスチョンマークを浮かべ続けていると、美香が机のフックにかけていた鞄からスマホを取り出した。

「楓、今日の夜って空いてる?」

「えっ、今日? 夜!?」

 いきなり問われて、驚きに声を上げるしかできなかった。もしかしてこれからどこかへ出かけようとでもいうのだろうか。旅行、なんて口にしたからにはどこか遠出をするのではないかと思って身構える。

 いくらなんでもそんなことは無いだろうと思いながらも若干の恐怖を感じていると美香はスマホを操作して何やら頷いた。

「あ、大丈夫みたい。ねぇどう? 今日の夜空いてる?」

「え、えっ、美香、誰に連絡したの!? 大丈夫なの!?」

 突然のことに私はもうパニックだった。

 慣れた手つきで連絡を交わし続ける美香を見ながら私は嫌な予感を感じていた。

 こういってしまうのも失礼極まりないとは思うのだけれど、美香の容姿は私とは正反対で、いわゆる男の子にちやほやされるようなタイプだ。肩口までの短い髪の毛は明るく染めているし、派手なネイルやカラーコンタクトを使っているわけではないにしろメイクだってそれなりにしている。髪の毛に隠れてはいるが、よく見れば片耳にはピアスらしき穴も開いている。

 そんな美香が夜に、誰かと約束をするのを見てしまうと嫌な考えが浮かんでしまう。

「どうしたの楓? なんで焦ってるの?」

「え、だって……っ」

 わたわたと狼狽える私を見る美香は不思議そうに首をかしげている。もしかしたら私の反応がおかしいのかも、なんて一瞬思ってしまったけれどそんなことはない。だって夜に誰かに連絡して、いきなり会う約束をこぎつけれるなんて絶対におかしい。美香のほうがおかしいもんッ。

 そんな風に自分を正当化しながらびくびくしながら美香のことを見ると美香は『ほへ?』 と変な声を上げた。

これは美香はわかっていないんだ。断らないと、そして美香を止めないと。そう思いながら自分の膝の上でこぶしを固める。すると同時、美香がもう一度私に問いかけてきた。

「楓今日空いてる?」

「わ、私そういうのはっ――」

「私の家でお泊り会しない?」

「私ッ………………えっ……」

 瞬間、私のこぶしから力が抜けた。それと同時に部室内がしんと静まり返る。

 静寂の間の中で、私は一つ二つと数を数えるように美香との会話をさかのぼる。

「えと……お泊り会?」

「そうそう」

 私が尋ねると美香はニッと笑ってスマホをゆすった。その顔がどことなく総先輩に似ているな、なんて感じた。

「ママに聞いたら連れてきてもいいよっていうから、楓がよければだけど」

「あ……えっ……と…………」

 ようやく状況を理解して、自分の顔が熱くなるのを感じた。私は自分の顔の色が変わるのを隠すために美香から顔を逸らして腕で顔を覆った。

「私何考えてるんだろうぅ……」

 口内でかみ殺すように自分を戒めると涙が出そうなほど恥ずかしくなった。わかってます。私の考えがはしたないのはわかってます。だからお願い、ちょっと時間をください。そう思いながら目をぎゅっと瞑った。

「え、楓?」

 しかし美香は突如はじかれたようにそっぽを向いて顔を隠してしまった私を不思議に思ったのか私のことを呼んだ。

 呼ばれてしまった以上、無視するわけにもいかず、私は腕で顔を覆いながら小声で尋ねる。

「め、迷惑じゃないですか……?」

「迷惑じゃないよ。……なんで敬語なの?」

「ぅぅ………」

 私の様子を見て不思議そうな声を上げる美香だけど、私はそれにこたえられるだけの余裕がなくて唸り声をあげた。

「えっと……じゃあ大丈夫? これから着替えとか取りに帰って私の家って感じだけど」

 美香の声を聴きながら私は自分の手のなかで数回深呼吸をする。自分の手が少し汗ばんで、真夏というわけでもないのにかすかに汗のにおいがした。

 必死に自分を落ち着けようと格闘しながら、まだ若干の夏を残したまま美香に振り返る。

「うん、だいじょう…………」

 大丈夫、そう言いかけてふと思い出した。私には今、あまり家を離れることのできない理由があったことを。

家が何か特別な事情を抱えているわけではない。私の家は一般的な三人家族だし、家族仲が悪かったりなんて言うこともない。内職バイトだって私はしていないし、実はプロの小説家や漫画かなんてこともあるはずがない。普通の女子高生に家を離れられない理由なんてありはしない。

 けれど、今はその限りではなかった。ほかの人からしたらその程度でと思うかもしれなくともそれは、私にとっては大きな理由だったのだ。

 私は冷めきった頬から手を離して、美香のことを覗い見る。美香はどう? と問うように笑顔で首を傾げて見せる。

「楓?」

 なかなか答えを出さない私にしびれを切らして美香が私の名前を呼ぶ。

 私は少しだけ悩んで、大きく息を吸ってから吐き出した。

 こんなこと今まではなかったから、泊りに来ないかと誘ってもらえたことは飛び上がるほどに嬉しい。だから、断りたくはなかった。それに、今日くらいなら大丈夫だと思ったから。

「あ、うん。……大丈夫。駅で待ち合わせ?」

 一日くらいなら大丈夫。そんな甘い考えで私は笑顔を浮かべていた。

「ううん、一緒に楓の家に行って、それから私の家に行こう」

「うん、わかった」

「じゃあ今から行こう!」

「え、今から?」

 私が返事をすると美香は高らかに腕を突き上げる。いきなりと思いながら声を上げると美香は得意げに笑顔を浮かべた。

「うん、先輩たちもいないし、ここにいてもやることないしねー」

「あはは…………」

 悪びれもせずに言う美香を見て私は苦笑を浮かべた。

 一応文芸部の部誌を作るためにいろいろやることがないわけではないのだけれど、二人で何かできることがあるかと言われれば正直何もなかったので反論もできない。

 私も美香と同じように思っているんだなと思いながら同意の意味で美香に苦笑を向けると、茶髪の同級生は総先輩の様にニカッと笑顔を浮かべた。

「じゃあ、荷物を持ってレッツゴー」

 陽気に言いながら美香は机のフックにかかっていた鞄を掴むとタップを踏むようにリズミカルに立ち上がる。

 私はその少し幼い姿を見て、テンションも総先輩に似ているなと思いながら立ち上がって深呼吸した。

 いい機会かもしれない。そう思った。

 ずっと話せなかったことを話せるいい機会だって。

 隠していた自分勝手な行い。先輩たちがどれだけ優しくしてくれたか、私に先輩たちとの距離がある理由。そしてそれを今まで黙っていたことに対する謝罪と、これ以上ない感謝を。

 きっと普段通りのままだと言えないから。こんなタイミングでしか言うことが出来ないから。

 話そう。

 問い詰めもせずにずっと待っていてくれた彼女に、私の今までのことを。

 そう思って踏み出した先には笑顔の親友の姿があった。


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